【投稿】ロシアレポート PARTⅢ
<宗教のモード化 ペテルフルクから>
大木 のり(在ペテルブルグ)
“プロコンテクス”(?)が過去3度にわたり、ペテルブルグ市民の宗教意識に関する世論調査を行った。調査は、宗教番組の開設に関するアンケートをもとに90年12月、91年5月、11月に実施された。
Q/あなたは宗教に関心がありますか?
A/ 90/12 91/5 91/11
YES 73.9 69.7 60.2
NEUTRAL 22.7 25.2 33.1
NO 2.9 5.2 6.6
この数字は、近年の宗教への関心の急激な高まりを世論が全般的に高く評価している。
世論における<民族の復活>と<精神的浄化>への期待とに関係しているのであろう。
しかし、すべての人間が宗教の復活を軽はずみに歓迎しているわけではない。インテリ層の一部の人間はこの現象に疑いをもっている。91年11月の調査では、彼らのうちのわずか半数(53%)あまりが宗教性の高まりを肯定しているにすぎない。おかしなことだが、年金生活者もまた同様である。しかし一般の労働者(ブルー・カラー)は積極的に支持している。
つまり、インテリ層は高い教養と広い視野を身につけており、物事を分析することに慣れてしまった結果、宗教性の高まりをモードととらえ危惧している。彼らは、現在高まりつつある宗教への関心は表面的なものと見なしている。年金生活者・…彼らは無神論者を育てた時代の子供たちである。労働者……彼らは残念ながら、これまで常にさまざまな紋切り型のプロパガンダに簡単に左右され、現在もまた、宗教的な価値観に傾こうとしている。また、彼らの多くは昨日まで農村で育ち、都会人よりも厚い信仰JL、を持ち続けてきた。
都会人の多くは、宗教的モラルに基づいた情操教育を好意をもって受け入れている。これは90年12月の調査での質問である。“子供の教育に宗教は必要か?”–回答者の60.6%が必要と考えている。
だが、最近、宗教への関心が減少の傾向にあることに我々は注目している。この現象は、宗教に対して中立な態度の市民が増えたことと関係している。
おそらく、無神論の社会がもとのさやに治まると言うにはまだ時期尚早である。我々の見解では、宗教への関心は安定の傾向にある。“禁断の実’’から、モードから宗教は徐々に我々の生活の一部となり、人々の頭と心の中に浸透しようとしている。したがって宗教意識の減少の傾向は当然のことと言える。
Q/通常のテレビ放送において宗教番組は必要か?
A/ 90/12 91/5 91/11
YES 76.1 76.0 58.2
NEUTRAL 18.4 17.9 26.2
NO 5.3 6.2 15.0
独自の宗教番組開設のアイデアは全般的に受け人れられている。いち早く、チャンネル<ロシアビデオ>の宗教番組は高い評価を受けた。91年5月の調査では、視聴者の64.5%がこれらの番組を支持した。しかし、11月の調査では、支持率に動きはなくなっている。おそらくこの原因は、他のチャンネルで流されている宗教番組があまりにお説教的なことにある。これらの番組は現実的なインフォメーションを志向する視聴者の欲求をまったく考慮にいれていない。このため視聴者の関心が低下していると言える。
我々のアンケートは、今日、人々は心的なテーマによる座談会や宗教儀式のテレビ中継よりも、むしろ生活に役立つ情報を求めていることを明らかにしている。例えば、宗教的な祝祭日や彼らに関係の深い慣習、あるいは聖人伝などについて関心を示している。また、哲学や宗教の歴史、美術や建築における宗教的な主題が大きな関心の的ともなっている。
Q/大人のための宗教番組は必要か?
A/ 90/12 91/5 91/11
YES 69.1 75.5 63.9
NEUTRAL 20.8 15.7 25.3
NO 9.1 8.7 10.6
(11月の調査で“YES”と答えた回答者のうちわけは、インテリ層-48%、年金生活者、および労働者-58%、技術者-67%、学生-69%)
91年11月の調査結果は、番組の合目的性に疑問をもつ視聴者の数が増えたことを明らかにした。ここでは、現実的な欲求と視聴者の関心を考慮にいれなくては、最終的な目的を果たさない。
Q/子供のための宗教番組は必要か?
A/ 90/12 91/5 91/11
YES 69.1 75.5 63.9
NEUTRAL 20.8 15.7 25.3
NO 9.1 8.7 10.6
91年11月の調査において、子供向けの宗教番組の必要性に疑問をもつ数が10%に増えた。しかし、それでも依然として番組の必要性は高い。都会人の3分の2が番組の開設に賛成している。(そのうちわけは、インテリ層--56%、年金生活者--58%、労働者--64%、技術者--72%、学生--74%)
【出典】 青年の旗 No.174 1992年4月15日