【投稿】ワクチン・特許放棄をめぐる戦い--経済危機論(48)

<<「異常な状況は異常な措置を要求」>>
 5/5、米通商代表部(USTR)のキャサリン・タイ代表は、バイデン政権として、新型コロナウイルス用ワクチンに関わる知的財産(IP)の保護を放棄することを支持するとの声明を発表した。この発表に際して「世界貿易機関(WTO)での権利放棄に賛成であり、権利放棄の提案者が達成しようとしていること、つまりワクチンへのアクセス改善、製造能力の向上、接種の拡大に賛成である」「政権は、知財保護を強く信じる一方で、感染拡大を収束させるべく、新型コロナワクチンの知財保護を放棄することを支持する」と述べ、「これは世界的な健康危機であり、コロナウイルスによるパンデミック危機の異常な状況は異常な措置を要求している」と述べている。タイ代表はまた、米国がインドと南アフリカの提案を支持するために世界貿易機関(WTO)での交渉に参加することを明確にした。
 この声明は、大手製薬独占企業にとっては寝耳に水であり、直ちに激震となった。ファイザー(Pfizer)のワクチン共同開発企業であるドイツのビオンテック(BioNTech)の株価は14%の下落、モデルナ(Moderna)9.7%安、ノババックス(Novavax)11%安、ファイザー2.6%安、等、軒並み下落に見舞われた。フィナンシャル・タイムズ紙は「製薬部門で即座の怒りを引き起こし」、「ワクチンの大手メーカーの株は発表によって打撃を受けた」と報じている。米国内最大の製薬業界団体である米国研究製薬工業協会(PhRMA=PharmaceuticalResearch and Manufacturers of America)は、「特許免除は利益よりも害を及ぼす」、「官民連携に混乱の種をまくもので、すでに緊迫状態にあるサプライチェーンをさらに脆弱にし、ワクチン偽造を拡散させる」、「致命的なパンデミックの真っ只中に、バイデン政権は、パンデミックへの世界的な対応を弱体化させ、安全性を危うくする前例のない一歩を踏み出した」と主張する強硬な声明を発表。
 翌5/6、業界の反発に応えて、ドイツのメルケル首相がコロナワクチンの知財保護を放棄する提案に反対すると発表、「知的財産権保護は、革新の源泉として未来においても維持されなければならない。新型コロナワクチンの特許を解除しようという米国の提案は、ワクチン生産全般に大きな影響を与える」とし「現在 ワクチン生産を制約する要素は、生産力と高い品質基準であり、特許ではない」と主張。このメルケル首相の発言で、製薬企業の株価は反発、いくらかは戻している。

特許放棄提案に賛成または反対する国(Co-Sponsor:支持、Full Supporter:完全支持、General Supporter:一般的支持、Opponent:反対、Original Sponsor:原提案国、Undecided:未定)

 一方、フランスのマクロン大統領は同日、「ワクチンを世界的公共財とするべきだ」として、「知的財産権を開放しようという意見に、全面的に賛成する」ことを明らかにした。オーストラリア、ニュージーランドも特許の一時的放棄に賛同の意向を表明。

 アストラゼネカ社のあるイギリス、ノバティス社とロシュ社があるスイスは、それぞれ製薬多国籍企業を抱えていることから、知的財産権の一時免除提案に対しては「論議する」としながらも、効果については疑問視しているという立場を表明している。
 5/7、欧州連合(EU)の行政トップ、フォン・デア・ライエン欧州委員長は、「議論は拒まない」としつつも、「ワクチンを素早く世界中に行き渡らせるための、短期、中期の解決策にはならない」と指摘して、反対の意向を表明。
 パンデミック危機の展開と同様、まさに混とんとした事態の展開である。
 特許権放棄のキャンペーンを行っている国境なき医師団は、提案に賛成、反対、未定の国々を示す最新の地図を公開している。日本は態度表明を避けているが、これまでの経過からして当然、反対国として表示されている。(上図)

<<「別の変異ウイルス」>>
 そもそもこの特許権放棄の提案は、昨年10月2日に、南アフリカ政府とインド政府が、WTOの貿易関連知的財産権協定(TRIPs)理事会に対し、各国が医薬品、診断薬、有望なワクチン候補など、コロナウイルスに関わる予防や治療に関連する知的財産権、意匠、特許および開示されていない情報の保護の免除を含む提案を行ったことからきており、この南アフリカ・インド提案には、すでに100か国以上の国々が支持することもしくは歓迎の意思を表明している。国連合同エイズ計画(UNAIDS)等の国際機関や国境なき医師団、等、多くの市民社会団体も支持している。
 そしてバイデン氏自身が大統領選の最中の昨年11月、この特許放棄に触れ、それが「世界で唯一の人道的なこと」であると語っていたのである。当然、バイデン政権成立後、民主党内左派の発言力、圧力が強まり、先月、4月中旬、バーニー・サンダース上院議員と他の9人の上院議員 が、バイデン氏宛ての特許免除を求める書簡に署名し、下院の民主党の過半数を超える110人の支持を得て、同様の手紙が下院で発表される事態にまで進展していたのである。だが、下院議長のナンシー・ペロシはこの書簡に署名しておらず、共和党は、党として反対を表明、当然、共和党議員の署名はゼロである。
 問題は、バイデン政権自身の対応である。USTRのタイ代表が明らかにしていることは、「これらの交渉は、機関のコンセンサスベースの性質と関連する問題の複雑さを考えると時間がかかります。」とあらかじめくぎを打っており、「免除の詳細を打ち出すことは長く複雑なプロセスになる可能性がある」ことを強調していることである。さらに、インドと南アはコロナウイルスにかかわるワクチンや開発情報、検査薬、医療物資など幅広い特許権の放棄を求めているが、米国は事実上、「ワクチンのみ」に限ろうとしている。そして決定的なことは、WTOの規則では、164加盟国・地域の全会一致が原則で、いかなる決定もこれに縛られ、協議は迅速には進まない見通しを前提にしていることである。つまりは、バイデン政権はWTOの協議を支持することで話し合いに参加し、国内の左派・改革派をなだめつつ、その一方で、特許権の完全な適用除外を伴わない、あいまいな妥協案を模索しているということである。
 WTOは「遅くとも11月末の閣僚会合での合意」を目指す、としているが、現状ではこれ自身も怪しいものであろう。
 製薬会社はすでに戦いに向けて準備を進めており、2021年の第1四半期だけでも、米製薬業界は連邦政府のロビー活動に9,200万ドルを費やし、バイデン氏にも多額の寄付を提供している。
 さらに問題は、バイデン大統領自身の製薬業界との深い結びつきも大きく関与していることである。バイデン氏は、製薬大手アストラ・ゼネカの米国本社の本拠地であるデラウェア州出身であり、特許問題について定期的に製薬会社と提携し、製薬特許規則を強化する貿易法を支持してきた経歴の持ち主なのである。そしてまた、医薬品の合理的な価格設定を強制する国立衛生研究所の権限復活に反対して共和党と投票した8人の民主党上院議員の1人でもあった。オバマ政権の副大統領時代、製薬特許の独占権を強化する環太平洋パートナーシップ協定(TTP)の主要な推進者でもあった。

反撃なければ、巨大製薬企業の欲深さがパンデミックを長期化させる (Free The Vaccine 2021/3/11、ニューヨーク、ファイザー本社前)

 こうした経歴の背景を持ちながらも、今回、バイデン政権が特許権の一時的放棄交渉に踏み出さざるを得なくなったのは、現在のパンデミック危機がもたらしたものであり、この危機を利用した自由競争原理主義と特許権で欲得づくの巨利を築いてきた大手製薬独占企業の横暴に対する怒り、内外の広範な特許権放棄を求める運動と世論がもたらしたものと言えよう。

 5/8、ローマ教皇はワクチン特許放棄を支持して、「愛や健康より知的財産を上位に置くのもまた別の変異ウイルスだ」と訴えている。
 反撃なければ、巨大製薬企業の欲深さがパンデミックを長期化させることは明らかであろう。
(生駒 敬)
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