Japan Times May 30, 2022
“Freedom, fear : America’s gun culture” Washington AFP Jiji
「自由、恐怖 :アメリカの銃文化」
“Debate rages as world wonders why so many in the U.S. love guns.”
銃を愛好する米国で、なぜそんなに多くと世界が不思議に思う中で、議論が荒れ狂っている。
それは、1776年であった。アメリカ植民地連合が、英国から独立を宣言した。
そして、戦争がおさまった時、合衆国の創始者たち(“the Founding Fathers”)は、深く議論した。 米国民は、個人として小火器(”firearms”)* を所有する権利を持つべきか、又は地方の市民軍団(”militia”)** の構成員としての所有であるべきか?
訳者注:firearms : ピストル、ライフル、散弾銃等
militia : 正規軍との対比で市民軍、民間人を要員として編成した
実力組織。民兵、私兵、義勇兵等多岐に渡る。
5/24 Texas の町で、19人の児童と 2人の教師が殺害された惨劇*の後、外部の人々にとっては、何故に米国人はぞっとするような恐ろしい事件をたびたび起こす、そのような大量虐殺を掻き立てる firearms に執着するのか、という議論が荒れ狂っている。
訳者注 :5/24 Texas州、Uvalde市の小学校(Robb Primary School)に乱入した18才の少年が銃を乱射し児童 19人、教師 2人が死亡、負傷者 17人を出した。少年は駆け付けた警備隊によってその場で、射殺された。
米国議会は、その直後、21才未満の銃購入者の身元確認の厳格化などの
銃規制法案を可決して、6/24のバイデン大統領の署名を得て発効している。
専門家によれば、答えは、英国から自由を勝ち取った、この国を支える伝統の中に、また最近では個人の安全の為に銃を必要とする人々の間で高まっている信念の中にある、と。
過去20年間 ― この間、米国では、2億丁以上の銃が売れている ― この国は、銃文化の第一段階 (“Gun Culture 1.0”)、ここでは銃は、競技会や狩猟に使われた、から第二段階
(“Gun Culture 2.0”)、ここでは、多くの米国人は銃を家庭と家族を守るに不可欠なものと見なしている、に移行した。
この移行は、約 200億ドル(約2兆540億円)の売り上げを誇る銃産業による宣伝によって拍車がかかって来ている。この産業の前取締役であったMr. Ravan Busseによれば、この業界は、犯罪の恐怖と人種間衝突によって存在価値を高めていると。
最近の大量殺戮は、「増加する憎しみ、恐怖や陰謀から利益を得るように仕組んだ銃産業のビジネスモデルの副産物である。」と Mr. Busseは先週、オンライン雑誌 “The Bulwork” (防波堤)で述べている。
Guns and the new nation. (銃と新しい国家)
1770年代および1780年代において、新しいアメリカを立案した人々にとっては、銃の所持について、いかなる疑問もなかった。 彼らは述べている。即ち、ヨーロッパの王国やその軍隊による銃砲の独占が、アメリカの植民地の人々が、そのために戦った圧政の根源そのものであった、と。 憲法の父である James Madison は述べている。即ち、武装していることの強味は、米国民が他の国々の人々にたいして有している優位性である、と。
しかし、彼やその他の建国者たちは、この問題は複雑であるということを理解していた。
新しい国々、又は州政府(”states”)は初期の連邦政府(“federal government”) を信頼しなかった。 そして州独自の法体制を欲し、かつ独自の武器も欲した。 彼らは、人々が狩猟することや、野生動物や泥棒より自身を守ることが必要であることは承知していた。しかし、いくらかの人々は、より私的な銃の所持について、辺境での無法性を大きくするのではないかとの懸念を抱いていた。
私的に保持された銃は、暴政への防御として不可欠であったか? 地方の武装したmilitiaは、その役割をまっとうすることが出来たのか? またさらに、militiaは、地方の圧政の根源になってはいなかったか? 1791年になって、妥協が成った。憲法の中で最も解析された名句節である、銃の権利を保証する “the Second Amendment” *「修正第二条」となった。ここでは、以下のごとく規定されている。
「よく統制された民兵、市民軍は、自由な国家の安全にとって必要であるので、人民が武器を保持し携帯する権利は、侵害されてはならない。」 (“A well regulated militia, being necessary to the security of a free state, the right of the people to keep and bearing arms shall not be infringed”)
訳者注 : 1776年の英国からの独立と憲法制定から15年経った1791年になって
初めて憲法への追加、改定、修正が行われている。
この時は、第一条から第十条まで追加されている。
銃保持の権利は第二条で「修正第二条」と訳されている。
参考までに、第一条は、信教、言論、出版、集会の自由を定める。
尚、奴隷制の廃止/禁止は、1865年、南北戦争終結の時に「修正第13 条」として制定されている。
1960s gun control. (1960年代の銃規制)
続く200年に渡り、銃は米国の生活と神話の欠かせない部分となった。 Mr. David Yamane, professor of Wake Forest University が述べているように、”Gun Culture 1.0” は、アメリカ原住民への虐殺による征服と奴隷を支配、制御することと同様に、開拓者達にとっては、狩猟や野生動物から身を守る為の欠かせない道具としての銃に関するものであった、と。 しかし、20世紀の初期までに、著しく都市化した合衆国には、銃、火器類で溢れ、他の国では見られないような、注目すべき銃犯罪を体験していた。
歴史家の故 Mr. Richard Hofstadter は書いていた。即ち、この国は 265,000 件以上の 殺人事件、330,000件の自殺、そして 139,000 の銃事件を記録していた、と。 増大する
組織犯罪暴力への反動として、1934年になって、連邦政府は、機関銃(”machine guns”)の禁止と、必要不可欠な銃の登録と課税を決めた。 各々の州は、独自の規制を付け加えた。
例えば、公の場での、明らかであれ隠してであれ、銃器の携行の禁止。
人々はそのような規制に対して賛同していた。 Mr. Pollster Gallup は述べている。1959年において、60%の国民は、個人での “hand-gun” (拳銃)の所持の完全なる禁止を支持していた、と。John F. Kennedy, Robert F. Kennedy さらには、Martin Luther King の
暗殺が、世論を盛り上げて、1968年の厳しい規制に結実した。しかし、銃製造会社や自己主張を強めている全米ライフル協会(“National Rifle Association”) [以下”NRA”と称す] は、”the Second Amendment” を引用して、新しい規制が、郵送での直接の銃売買の規制に、容易に抜け道の売買ができる方法まで規制することを妨げた。
The Second Amendment.(修正第二条)
その後20年に渡り、NRAは“Republicans” (共和党員達)と共に、the Second Amendmentは銃の権利の防御において絶対的であり、銃に対するいかなる規制もアメリカの自由への攻撃であると主張して、共通の根拠を作り上げた。
Mr. Matthew Lacombe, professor of Barnard Collage of Colombia University によれば、
NRAを巻き込んで、銃所有者の為に明らかな銃中心のイデオロギーと社会的一体性を作り上げ宣伝することを成し遂げている。 銃所有者達は、そのイデオロギーの周囲でお互いに団結して強力な投票集団を形成した。 とりわけ、共和党が民主党から議席を勝ち取ろうとしている農村地域においては。
Jessica Dawson, a professor at the West Point military academy, は述べている。NRAは
宗教の権利や米国文化におけるキリスト教の優位と憲法を信じるあるグループと共に共通の動機/根拠を作り上げた、と。 さらに Mr. Dawson は書いている。”the New Christian
Right”* の、道徳の腐敗、政府への不信を信ずること、また、悪の存在を信じること、を引用して、NRA 上層部は、世俗の政府の法律や規制の上に、the Second Amendment を引き上げて、より宗教的に暗号化された言語を使い始めた、と。
訳者注:“the New Cristian Right”
1970年代後半の米国で、モラル、家族や宗教の退潮の中で、福音的、原理主義的 プロテスタントの中で広まった政治、社会、文化活動で生まれる。
Self-defense. (自己防衛)
The Second Amendment への焦点の移行を行ったとしても、大きな助けにはならなかった。
1990年代までに、狩猟や、スポーツとしての射撃分野の落ち込みで、銃の売り上げは横這いであった。 Mr. Ravan Busse によれば、このことが、”Gun culture 2.0” への方向に導いた、と。 その時にNRA と銃産業は、自身を守る為には個人の火器 (firearms) が必要であると、言い始めた。 暴徒や泥棒の攻撃に会う、と人々に徐々に宣伝して銃販売を行い、個人の戦術的な備品 (personal “tactical” equipment) として必要であると誇大宣伝した。「15年前、NRA の要請によって、銃産業は攻撃的で戦闘的な銃や戦術的装備のマーケッチングを強める方向に暗転した。」とMr. Ravan Busseは書いている。
他方、多くの州は答えている。 即ち、人々が許可なくして、公の場で銃を持ち歩くのを許すことによって、犯罪の増加をうすうす気付くことでの不安について。
事実、暴力犯罪はここ20年間、下降傾向にあるが、銃が関係する殺人事件は、最近は急増してきている。 Mr. David Yamane, professor は述べている。このことが”Gun Culture 2.0” の重要なターニングポイントであって、多数の共倒れの死者を出す暴力の誇張された恐怖の中でhand-gun の売買— すべての人種の人々が買っている— の飛躍的伸びが起きている、と。 2009年以来、売り上げが急上昇し、2013年以降、一年に一千万丁(10 million)以上となっている。これらの大部分が、AR-15 type assault rifle と semi-automatic pistol である。
「今日、大部分の銃所有者―特に新しい所有者―は、所有の主要な理由として自己防衛を挙げている。」とMr. David Yamaneは述べている。
(訳:芋森) [ 完 ]