【投稿】猪瀬退陣と都知事選-今必要な「脱原発」の大団結
都知事選をめぐる情勢は、この半月で激変した。「脱原発小泉・細川連合」が成立した。その結果、単なる政策選択の域を越えて、自治体首長選挙として安倍内閣信任か不信任かの性格を持つようになった。この性格付与は、都知事選をめぐっては、異例なことではない。
候補者たちの政治経歴に固執することなく、対安倍決戦に持ち込み、勝つことが、当面の環になった。今年前半のビック決戦に勝利し、安倍自民党内の亀裂を拡大させ、無分別三世政治家を退陣に追い込む一歩とする絶好機である。
<自著作宣伝に開け暮れた猪瀬>
都知事選は、猪瀬の辞職によって急きょ行われることになったが、遅かれ早かれの辞職は、秋口から予想されていた。まずは、そこに至る石原→猪瀬都政の骨組みを見る。
2012年12月18日、知事執務室の椅子に初めて座った記者会見時の、象徴的な写真が報じられている。背景に、オリンピック・パラリンピック招請の幟、机上には平積みの自著作本5冊と顔前に立てた近著2冊、その場で「私は434万人の民意に応える」と語った。(この姿をそのまま報じたメディアの媚びる態度も、弾劾されてしかるべきだろう。)
1年後の追われ去りゆく退任コメントは、新著出版会見予定の前日であった。猪瀬は会見の予行演習をしていたことだろう。「これだけは知事のうちにしたかった。」
これらの経緯が、猪瀬都政を象徴している。
石原は、かつて首相への道が閉ざされた後に作戦変更し、「首都圏庁長官」就任を目論んでいた。長官は、経済的・政治的実力において中央政府に対抗した地方政治(地方自治政治ではない!)の総領になり得る、と考えた。ときあたかも「道州制」への再編が強調されていた。その動きを補助力として石原が目指したのは「中央政府首都圏直轄庁長官」であった。都行政組織解体になる点で、都庁官僚組織との対立は顕著であり、関東平野電子都市構築構想などソフト面での進展に留まった。今日でも政治家レベルで残るのは、9都県市首脳会議のみであろう。
猪瀬は、副知事就任以前に、国交省行政への“鋭い“切り込み隊長としてメディアでもてはやされていた。中央政府への攻撃力(実は、打撃を与える力ではない!)を石原が利用しようとして、副知事に登用した。「自分一人だけでなく、吠える補佐役がほしい」。都機構とは切り離された「無所管副知事」であった。
ところが当時から、対中央政府交渉に通じた都庁官僚の間では、「結局最後は、国交省プランを呑んでいた」と揶揄されていた。東京メトロと都営地下鉄の九段下駅の隣り合ったホームの“バカの壁”(猪瀬談)を取り除いたのが、交通網再編の唯一の“成果”と言われている。この直接工事費は、10億円を上回った。(ついでに、15億円を集めた尖閣買収募金の言い出しっぺが猪瀬であることも指摘しておく。)
大局観なく、都民生活への愛着もなく、都政ビジョンも作れず、ましてや地方自治制度への新任職員ほどの学識もなく(通算5年半の副知事時代に学習もしなかった)、そしてブレーンも置けなかった猪瀬の帰着点は、このような目立つピックアップ事業のつまみ食いにしかなかった。「線香花火を打ち上げに使っている」が共通した庁内評価であった。 「でも、火付けのマッチを持っているから火事の元・火の用心」。都官僚組織は、猪瀬副知事を終始必要としていなかった。
その猪瀬が、石原の後継指名により、自公両党支持に加え、日本選挙史上最多の433万票を得てしまい、裸の王様であることを自覚・自認する、またさせる機会も失った。だから、花火用マッチを火炎放射器と誤認し、都政利権はすべて自分の支配下に来ると錯覚した。
<都政の裏権力>
ところで、都政の陰の実力者は「各種団体連合会」であると言われている。ゼネコンから中小業界団体、各種公益・地域団体まで、都内を網羅している。総額12兆円に上る都財政資金(=全会計形式収支総額)の相当部分を差配する権限を実質的に握り、政治組織への資金還流機能も持っている。都中央だけで100を超える構成団体の主要部には、都の退職幹部が何代も続き天下りして、実に精緻に配置されている。選挙時には、最も行動的な飴と鞭の集票マシーンになり、歴代保守都政の支え役であった。
では、知事石原はどうしたのか。家族国会議員が都自民党首脳になることによって、無事受け皿を作り、住み分けを図った。石原は、非自民であることは投票日に終わらせる一方、両者が独自に行動することにした。(現在では、都自民党内に「各種団体協議会」があり、事実上の二重複合組織となっている。)
ところが、猪瀬は、噛んで含めて後継指名した石原の意図をそもそも理解できなかった。石原傀儡の裏陣営の勝手気ままも放置した。だから、都議会自民党は激怒し、特捜部による情報リークすなわち世論誘導にも同意した。
具体的展開を要約すれば、
1.上手に都政遊泳をすれば得られる“わずか”5千万円で、德州会マネーに陥落した。
2.辞任発表前には石原が呼び出し、引導を渡した。「都議会与党をかき回したら、知事職は1日だって持たないぞ。オレとは違うんだから。」(面会の使者は石原のお仲間の新右翼実力者と言われている。)
3.自民党新候補者となった舛添は、都議会自民党による面接試問で、この一大勢力への従順を“誓約”したので、候補者となり得た。「この集票・集金マシーンには、一切手を出しません。」これが、“自民党除名行動反省”の、裏の弁であった。
今回の都知事選は、このような利権・金満構造に、今再びくさびを打ち込む契機を持っている。
<細川支援で安倍自民党にくさびを>
細川立候補の阻止には、秋口から、自民党本部関係者たちが手を打ってきたが、失敗した。小泉のワン・フレーズ「脱原発が対立点!」によって、政治情勢が激変した。安倍にとって、衣の下の鎧を隠すマヌーバー政治(=「女性進出」を言っても、「男女平等参画」は言わない)が通用する相手ではなかった。今後数日を置かず、自民党は、佐川マネー1億円だけでなく、細川スキャンダルを宣伝し始めるだろう。“闇夜に赤ビラ”も、なりすまし大量メールも用意するだろう。一方、舛添には、(公明党本部は、舛添支援を早々に内諾したことを背景に)Db夫人が田母神応援の街頭演説で「舛添の現在の夫人は某大宗教団体の幹部」とのたまって、同宗教団体の結束を実質的に促した。スキャンダル合戦を仕組み、有権者の嫌気を生み、投票率を下げることは、今、自民党・公明党の望むところである。彼らの得票は、各種団体連合会が1票づつ積み上げ、そして固定した宗教票を得るのを基本戦術としているのだから。
かつて、都知事選を「ストップ・ザ・サトウ」をメイン・スローガンにして戦い、勝利した歴史がある。首長選挙によって革新ベルト地帯の形成へと進んでいった当時とは、社会経済政治情勢が大きく異なり、有権者意識も多様化している。しかし、当時と同様に、自治体首長選挙の先に、自らの社会ビジョンの実現を描くことはできる。
今日、住民生活サイドから描くビジョンの具体的な表現が、「脱原発!」である。どの世論調査をみても、国民規模でも都民範囲でも、原発廃止・再開反対は、比較多数を占めている。ところが、安倍は、柏崎刈羽原発の再稼働を前提とした東電計画案を是認した。対して、泉田新潟県知事は「福1発災の総括さえできていないのに」と主張している。
ここで、「脱原発」が、地方自治と地方分権推進の主張を内包していることに気付く。地方分権改革の政治過程の実態は、中央政府に対抗した地方政府の勢力拡大である。そのプロセスは、20世紀末から連綿と継続している。だから、小泉・細川「脱原発」連合の勝利によって、安倍中央政府と対決した、地方分権を共通項にした地方自治政治(地方政治ではなく)推進の一翼を、新知事の旗振りのもと、都政が担うことを可能にする。
加えて、第2次安倍政権に対する政治的打撃は計り知れなく、連発する超新保守+旧保守ごった煮政策と、一部財界を含む国民世論との対立を、現行より大幅に増大させるであろう。このように、「脱原発」の主張が争点になったが故に、決して都政をめぐる“シングル・イシュー”と言えない重要な契機となることを、見てとる必要がある。
都知事選脱原発系候補の一人である元日弁連会長宇都宮氏は、既に活発な地域活動を展開している。その実働部隊には、地域の共産党支持団体の人々が多く、小泉流新自由主義改革との闘いの当事者でもある。それを承知の上で考えてほしいことは、次の3項目である。
(1)小泉の主張は、脱原発のシングル・イシューである。これは、2つのことを意味する。1つは、かつての首相時代のように新自由主義改革を、都政において特段に主張しているのではないことである。2つには、脱原発の主張自体が、前述したように現下の中央政府と対立した地方自治推進の内容を持っていることである。(地方議会の4分の1強が「脱原発」の法定意見書を、国会あるいは中央政府に提出している。)
(2)都政における広範かつ重要な課題のためには、1つは、広範な市民と政治勢力が結集して取り組むことによって、2つには、細川と同様に地方分権改革を主導した元知事たちとの協働体制をとることによって、対応することができる。どちらも、絶対多数を占める都議会の自民党と公明党を規制する力になる。「革新か否か」を、現下の区分点にすべきではない。
(3)共産党の最近の動向を見ると、直近議会選挙の上げ潮を背景に、かつて否定した“我が組織主体性強化論”が勃興していることに危惧を覚える。今からでも、小泉・細川脱原発連合への合流、脱原発陣営大団結への尽力を望むものである。 <東京 和田 三郎>
〔1月18日出稿、日本経済研究会地域活動部会〕
【出典】 アサート No.434 2014年1月25日