【投稿】「原発よさようなら」・「成長神話もさようなら」

【投稿】「原発よさようなら」・「成長神話もさようなら」
                              福井 杉本達也 

1 何てことをしてくれたんだ
 俳優・西田敏行氏が3月下旬に故郷・南相馬市を訪れた時の光景をこう描いている。「桜も桃も盛んで、山の緑も美しくキラッキラしていた。なのに人っ子一人いなくて、牛だけがいた。何てことをしてくれたんだと。福島県民はもっと怒れ」(県民福井:2011.6.8)。
 仏放射線防護・原子力安全研究所(IRSN)『福島原子力発電所事故から66日後の北西放射能降下区域住民の予測外部被曝線量評価』(2011.5.23 訳:真下俊樹)によると、事故による当初の20km圏内の避難区域の人口は85,000人(区域面積:628?)、最初の1年間の外部被曝量が10ミリシーベルト(mSv)(チェルノブイリ原発事故での旧ソ連邦の強制移住基準はセシウム137が1平方メートルあたり55万ベクレル(Bq)=最初の一年間の外部被曝量換算で約7mSvとなる)以上の波江町・飯舘村・南相馬市などの高汚染区域(最大:100~500mSv)の人口は69,400人(区域面積:874平方キロ)。この高汚染区域の住民に4年間避難対策を行わなかった場合は、チェルノブイリの住民27万人が4年間に受けた集団外部被曝線量は、7,300人・Svであり、福島の住民7万人が4年間に受けると予測される集団外部被曝線量は、4,400人・Svであるので、現在のまま汚染地区に留まると福島原発事故の外部被曝量はチェルノブイリの60%になってしまうと指摘している。しかし、事故後3か月で避難させた場合は被曝量を82%軽減させることが出来るとも指摘している。さらに、5mSv以上の「自主移住」などが必要な区域の人口は292,000人(1,241平方キロ)にもなる。これらの区域では農業や工業の行為も制限される。これらの地域の人口だけで福島県の人口の4分の1(面積で20%)を占める。農地を5年も放置すれば耕作の継続はできない。福島県は新規の教職員の採用もできないほど大量の子供の県外避難が始まっている(毎日2011.6.16によると約1万人)。もはや福島県のコミュニティーは解体状況にある。1mSv以上を低汚染地域とするならば福島県の大部分と北関東・宮城県の一部にまで及ぶ。そのような人口を狭い日本のどこに避難させることができるのか。生まれ育った土地・我々の祖先が数千年来稲や野菜を育ててきた土地・商売を営む土地・毎日生活する土地・そして豊かだった海に「何てことをしてくれたんだ」。

2 放射線の危険性―『許容量』ではなく『がまん量』
 中京大学の武田邦彦教授は放射線による被曝の危険性について、①放射線の被曝によるガンや遺伝性疾患の発生は、「医学的」に明確ではない。②この世には学問で判らない「未知の分野」がある。③ 研究中のことだから、医者や研究者によって言うことが違う。だから、原発事故以来、さまざまな記事が出るので、多くの人は「なにが正しいのか判らない」と悩む。④医学的に判らないのだから、医者や研究機関に聞いてもムダである。そこで、「医学的ではなく」(ここが大切)、「コンセンサス(みんなでとりあえず決めておく)で決める」という方式がとられた(21年前)。⑤それが、「誰でも1年1ミリシーベルト以下なら安全としよう。本当のところはわからないが、それで行こう」と整理している(武田ブログ:2011.6.10)。
 実はこの議論は、今から半世紀も前の1954年に米国の水爆実験で第五福竜丸がビギニ環礁での被曝をしたことを受けて、物理学者の武谷三男氏(人間の認識は現象論的、実体論的、本質論的の各段階を経て発展するという『三段階論』を提唱:日経2009.11.13 益川敏英「私の履歴書」)が自然科学的『許容量』ではなく、社会的『がまん量』であるとの考え方を提案した。「障害の程度を正確に科学的に推定することが不可能な場合、こと安全問題に関しては過大評価であっても許せるが、過小な評価であってはならない。この原則的な立場に立てば、『しきい値』の存在が科学的に証明されない限り、比例説を基礎において安全問題を考えなければならない。ちょうど具合のよいところ所に『しきい値』があって、それ以下は無害と都合よくいっている根拠は何もないからである。そうすると、有害、無害の境界線としての許容量の意味はなくなり、放射線はできるだけうけないようにするといのうのが原則となる。そして、やむをえない理由がある時だけ、放射線の照射をがまんするということになる。…許容量とは安全を保障する自然科学的な概念ではなく、有意義さと有害さを比較して決まる社会科学的な概念であって、むしろ『がまん量』とでも呼ぶべきものである」(武谷:『原子力発電』1976.2.20 、より詳しくは『原水爆実験』1957.8.22 岩波新書)と整理している。

3 『核エネルギー』の幻想を捨て去るとき
 1953年暮れに米アイゼンハワー大統領が「アトムズ・フォア・ピース」を宣言し、これを受け54年には日本でも中曽根康弘氏が3億円の原子力予算を成立させた。こうした政治からの動きに対し、日本の科学者は武谷・湯川秀樹(1956年の初代原子力委員会委員)・坂田昌一(名古屋大学教授・坂田モデルを提唱・弟子にノーベル物理学賞受賞者の小林誠・益川敏英氏らがいる)などの素粒子論グループを中心に軍事研究に利用されるとして慎重であったが、『核エネルギー』の利用そのものに対しては歓迎していた(吉岡斉『原子力の社会史』1999.4.25)。武谷は「原子力は原理的にはすばらしいものを人類が手に入れたことになる。…人類が手にいれたものであるから無限の可能性のきっかけを得たことは確かである。しかし人類に福祉をもたらすための原子力の利用の方面はほとんど無視され、原子爆弾、水素爆弾の数の競争が熱狂的に追求されている」(武谷『戦争と科学』1951.8)。ここには当時の物理学者をはじめ日本の科学者達の巨大な『核エネルギー』に対する信仰のようなものが窺える。
 石油などの炭素が化学反応で燃焼する場合、1個の炭素原子が酸素分子と結合すると4.1 eV のエネルギーが 放出される。ところが、1個の重いウラン235 が核分裂 すると約200 MeV 以上という途方もないエネルギーが出る。これは化学反応 (燃焼) の約1億倍にもなる。その出力は10万分の1秒というとてつもない短い時間で核分裂を繰り返し加速度的に増加する。これが原爆の原理であるが、原発はこの核エネルギーを燃料棒の配置と制御棒の操作によってK(中性子が増加する係数)<1.007(K=1が『臨界』)という範囲内におさめ10分の1秒程度で 核エネルギーが原爆のようには暴走しないよう微妙な管理を行ってきた(石川迪夫『原子炉の暴走』参照)。これまで、原発を推進する側は、原爆は一挙に大量のエネルギーを発生させるのに対し、原発は核分裂の割合を一定範囲に制御し、エネルギーを少しづつ長期間に取り出すので“安全である”と説明してきた(参照:『原子力発電2000』経済産業省)。しかし、100万KW級原発では運転中の1年間に原爆1000発分の放射能を作りだしている。そして、その放射能の崩壊熱は原子炉停止直後で出力の約7%、1日後でも0.5%といものすごい出力が残っている。1986年の旧ソ連のチェルノブイリ事故の場合には核暴走を、1979年の米国のスリーマイル島事故や今回の福島第一では崩壊熱の暴走を止めることができなかった。膨大な放射能が地上にまき散らされた。さらに地下水や海水にまき散らされて止めることができないでいる。今我々は『核エネルギー』の管理に完全に失敗した。1940,50年代、武谷・湯川ら物理学者や科学者が夢見た無限のエネルギーの人類への解放(核の平和利用=自然条件の制約からの解放)という幻想を捨て去る時である。それは同時に「無限の経済成長」という神話も捨てることである。
 ところで、『核エネルギー』の神話の信奉者は何も中曽根氏や正力松太郎氏や当時の科学者ばかりではなかった。1955年の両院原子力合同委員会(中曽根委員長)には左派社会党から志村茂治、右派社会党から松前重義氏(東海大学創立者)らが参加し、まさに挙国一致の体制であった。一方、共産党は「私たちは、党として、現在の原発の危険性については、もっともきびしく追及し、必要な告発をおこなってきましたが、将来展望にかんしては、核エネルギーの平和利用をいっさい拒否するという立場をとったことは、一度もないのです。現在の原子力開発は、軍事利用優先で、その副産物を平和的に利用するというやり方ですすんできた、きわめて狭い枠組みのもので、現在までに踏み出されたのは、きわめて不完全な第一歩にすぎません。人類が平和利用に徹し、その立場から英知を結集すれば、どんなに新しい展開が起こりうるか」(7中総:不破哲三議長発言「しんぶん赤旗」2003.6.30)と、いまだ『核エネルギー』に対する信奉を捨てていない。

4 原発よさようなら
 福島第一原発事故の調査・検証委員会委員長・失敗学の畑村洋一郎氏は産業革命以来、ボイラー事故で1万人が亡くなったとし、技術がある程度完成するまでには200年はかかるとしている(日経:2011,5.30)。しかし、ボイラーは内部圧力でボイラー本体を破壊することは多々があるが、出力暴走で燃料棒が融け・圧力容器の底を融かし放射能を放出することはない。原発の放射能は機器に人が近づくことを困難にし、簡単に検査・修繕・改良・機器の更新をすることができない。機器の検査も交換も出来ないできない技術の改善は不可能である。今後、設備が古くなればなるほど材料の劣化は進み、事故の危険性はますます高まる。しかも、ここ30年で地球環境に放射能をまき散らす決定的な重大事故を3度も起こしてしまった。放射能を閉じこめる最後の防壁である格納容器まで破壊し、水素爆発で建屋まで吹き飛ばした『原子力工学』は“不完全技術”というよりも、もはや“工学”とか“技術”と呼べるようなしろものではない。さらに、4月7日の震度6強の大規模余震では、青森県六ヶ所村の再処理工場で外部電源は喪失し・東北電力女川・東通原発では一時冷却機能を失った。外部電源喪失の可能性はこの他、青森県:Jパワー大間、茨城県東海再処理施設でも指摘されており、今後ボディブローのように効いてくる放射能汚染の影響を含め、現在もなお東京圏を含む東日本全体が非常に不安定な状況に置かれている。
宇宙飛行士の山崎直子氏は5月10日付けの朝日新聞「ウエブサロン」で『シャトルの事故の教訓に学べ』と題して、チャレンジャー号事故前、NASA幹部は宇宙船の大事故発生確率は10万分1と計算していたが、現場のエンジニアは100分の1と見積もっていた。その後事故調査が行われたが、調査委に参加したノーベル物理学賞受賞者リチャード・ファインマンは報告書付録Fの中で「技術が成功するためには、体面よりも現実が優先されなければならない。何故なら自然は騙せないからだ。」と締めくくっていたことを紹介している。 米国は2003年2月のコロンビア号空中分解事故を契機に今年7月の最終打ち上げをもってスペースシャトルから撤退することを決定した。人を騙すことはできても、まき散らされた大量の放射能汚染を騙すことはできない。6月13日イタリアのベルルスコーニ首相は国民投票の結果を受け「原発よさようなら」と宣言した。国土を守るために、地球を守るために、人類が生き残るために、早急に原発を止める以外に道はない。 

 【出典】 アサート No.403 2011年6月25日

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