【投稿】これ以上許されない生活と自治の破壊 —問われる橋下イズムとの戦い—
元田隆文
<異常さを告げる世論調査>
橋下大阪府知事は就任2周年を好機としてマスコミへの露出度を強めている。最近の各新聞の大阪府民の世論調査では、70%(毎日)から83.2%(産経)という極めて高い支持率が示された。この数字自体が通常の政治家の支持率としてはすでに異常である。
その政策の本質が徹底した新自由主義的市場原理主義であり、貧困者層を切り捨て、文化や教育の軽視していること、徹底したポピュリストで、話題になるネタとみるや猛然と食らい付き、その成果を果たすことなく次々と目先を変えていく政策、将来社会への傷を一切考慮しない破壊的手法、何よりも公人としての品性の欠く言動、就任以来2年間の成果はほとんど見るべきものがない、などについては、彼を支持するかしないか、好きか嫌いかに関わらず、彼を論じる際に多くの人に異論が無いところであろう。
これらの特徴は、およそ知事としての適性を欠くものである。にもかかわらず、このような高支持率があることについての異常さに、大阪・関西のみならず、日本の政治状況の危機を見なければならない。
<危険な施策>
橋下府政の数少ない成果の一つとして、府財政の予算黒字化がいわれる。しかし、この緊縮財政そのものから見て行く必要があろう。
まず、財政危機の本質に切り込む対策がとられたわけではない。単なる、教育、文化、職員の待遇切り下げなどがなされたに過ぎない。その弱者切り捨ては、2月10日に自画自賛で発表した公約達成状況においてすら、数少ない未実施「×」項目が、妊婦検診、乳幼児医療費、子育て夫婦の家賃補助などの子育て支援策が中心であるということからも伺い知れよう。
同時に、多くの事業の負担を府から市町村へ転化することが進行している。「市町村へ政令指定都市並みの事務委譲をおこなう」という、あたかも市町村強化の前進であるかのようなスローガンの下に進められているが、これがもたらすものは、市町村財政の疲弊であって、地方分権改革に名を借りた悪質なすり替えである。
その一方で、WTC府庁舎移転構想に見られるように、利権まみれの大規模ハコもの・地域開発への公共投資を狙っている。
この公共投資の財源を生み出すとともに、市町村の地元住民利益に基づいた正しい判断から来る抵抗を押さえつけ、独裁的に知事が権力を振るうため、考え出したのが、市町村の首長や議員への選挙介入である。
政令指定都市堺において腹心の部下である竹山市長の誕生に必死になったのも、同市の4,000億円を超える財政投資資金を意のままにしたかったがためである。竹山は、恥ずかしげもなく、露骨にその狙いを隠そうとしない。堺市内の活性化と環境に配慮したまちづくりに必要とされていたLRT方式の東西鉄軌道導入をやめ、代わりにあろうことか堺と咲州を繋ぐ南北鉄道を導入しようとする構想や、基礎自治体としての堺市を消滅させる構想を唱え、堺市民から批判を受けている。
さらに、橋下がこれを徹底するために地方制度論として大風呂敷を広げたのが、基礎的自治体である大阪市の消滅を意図する、「大阪市役所解体」、「大阪府市一元化の大阪都構想」である。「橋下新党」なるものの狙いは、大阪を踏み台に橋本個人の中央政界への進出を狙う足がかりではあろうが、それだけではなく、この危険な政策的本質を見極めておかねばならない。
このような無責任な府政運営の下、現実は冷酷である。大阪府の完全失業率は09年7~9月期に前年同期比2ポイント悪化し、7.7%と全国最悪を示す事態となった。
<なぜ、支持率が高いのか>
このような、でたらめな府政運営をしながら、なぜ世論調査で異常な高い支持率を得るのであろうか。
一つは、日本社会の閉塞感という構造的なものからくるのであり、もう一つは橋下徹という人物の政治スタイルにある。
橋下が、取り上げるのは、いずれの課題も、従来の日本の経済運営や、地方自治制度の宿痾からくる問題ばかりと言って良い。自民党政府や過去の知事が逃げたり、隠したりしてきたことである。これを、大声で持ち出し、騒ぎ立てることにより、内容と展望が無くても、方向性が間違っていようとも、やんちゃが何かしてくれるのではないかという期待となり、何かしているようである、大きな世の中を変えるようなことを考えている(少なくとも口に出して言っている)という評価となって、口汚い発言に対しても庶民自らの不満のはけ口の代償効果となっている。そして実績がなくても、今の世の中こんなものだから仕方がない、ということで許される。
マスコミは、まさにこの視点で煽っている。
橋下の政治スタイルは、こうした大衆の雰囲気を敏感に把握し、これを意識的に利用する。同時に、彼はマスコミや権力者、財界には忠実である。彼らにとって多少問題はあっても便利な政治家である。財界からの評価が結構高いのはここに理由がある。
だが、彼は単にポピュリストという以上に能動的である。
朝日新聞記者国末憲人は、「サルコジ マーケティングで政治を変えた大統領」(新潮選書)で、フランス大統領サルコジの政治手法について、「「ポピュリズム」と異なる概念を規定した方が良いのではないか」として、「ポピュラリズム」という概念をピエール・ミュソを引いて「その大きな特徴が、世の中の課題を自ら設定しようとする態度だ。世論やメディア、官僚から問題を指摘されるのを待つのではなく、その問いかけを先取りして自ら騒ぎ出してニュースをつくる。市民に議論を呼びかけ、自ら論争をリードする。自らが常に議論の中心となり、自ら用意した回答に世論を誘導する。つまり、社会全体を自らのペースで誘導してしまうのだ。」と紹介している。この警告は、橋下にも良く当てはまる。
人々の不満を背景にした高支持率を力の源泉に、つまみ食い的人気取りを振る舞い、その実、利権を基礎に社会変革を狙う、そしてその独裁的手法がまた庶民の喝采を得る。支持率を背景に、既存政党をも手玉にとる。まさにファシズムといわずしてなんであろうか。
財界にとっても、このまま放置すれば大阪・関西の荒廃しか残らず、後で臍をかむハメになることに早く気づくべきである。
<橋下イズムと如何に戦うのか>
橋下イズムという言葉がマスコミに現れながら、これを許し、ここまでのさばらせたのは、批判勢力に問題があると言わざるを得ない。
ポピュリストとして軽蔑し馬鹿にするだけで、そのうち失敗するさ、また、自治体のことはよく分からないし、マスコミは仕方のないやつだから・・・・、と放置してきたのではないか。こうした観点で反省し、如何に馬鹿馬鹿しくとも、きちんとそれぞれの施策、構想に対応し、批判をこまめにしていく必要がある。
ただ、橋下批判の仕方については、十分注意を行わねばならない。
まず、彼は極めてデベートに強いばかりでなく、様々な姑息な手段を講じて相手をやっつける。かつて職員の処遇切り下げ、私立学校生の私学助成維持要請、文化予算削減反対要請、などにおいて、本来のそれらのあり方がいかなるものかという論点にまともに対応するのではなく、公務員は優遇されている、自ら競争の中で努力すべきである、既得権擁護は許されない、などと論点をすり替え、相手を守旧派として仕立て上げ、自らは場外であるマスコミに一人出演し、まくし立て、罵倒して正当化し、時には涙を見せ、改革努力が報われない被害者を演じることにより、勝利を収めてきた。
その際、自治体の運営は外部から見えにくいことや、民間人の公務員に対する妬み(虚実様々取り混ぜて)や偏見に訴えて対立を煽る手法を最大限利用している。
そして、色々批判されることを、自分への注目を高める自己宣伝の場として旨く利用し、存在感を高めてきたのである。
特に、国あり方、地方自治制度のあり方などについては、嘘話は大きい方がいい、専門的なことは大衆にはよく分からないから言いまくった方が勝ち、という、詐欺の手法そのものが使われている。
したがって、こうした手に乗らないように注意しながら、制度論など専門家も巻き込んで課題毎にきちんと一つずつ整理し、マスコミに発信していくなど、対応していくべきであろう。特に民間労働者も市民である自らの問題として理解をしていくことが重要であると思われる。
学校予算を削減し、子育て支援を行わず、大阪国際児童文学館を廃止しながら、その緊縮のご褒美として小中学校生徒全員を何億円もかけてUSJで遊ばそうという提案をする人物に明日の大阪・関西を託すほど馬鹿げたことはない。
【出典】 アサート No.387 2010年2月20日