【本の紹介】川上 徹著 「 アカ 」 (REDS)
筑摩書房 2002年2月発行 ¥1,900円+税
数年前、アサート紙上でも何人かの人が論じた『査問』の著者である川上徹氏が、父である故川上潔とその仲間達の生き様を通して、戦前の運動の原点と現在に受け継がれているものを明らかにしようとしたのが「アカ」である。
小学校教員であった川上潔は、1933年(昭和8年)2月4日早朝、長野県南安曇郡南穂高小学校の宿直室で特高刑事らにより逮捕される。 共産党の指導下にあった非合法組織「教労(教育労働者組合)」と合法雑誌『新興教育』の読者網が治安維持法により弾圧された「教員赤化事件」である。逮捕・取調べを受けたものは、民間の労働者も含めて600名を越えた。
著者は、自らが1960年代から査問事件に至る学生青年運動の高揚期を生き抜いた原点に、父の存在があったこと、そしてわずか教員生活2年にして「教員赤化事件」で検挙され、学校を追われても戦争を生き延び、終生共産党シンパであり続けた「父と父とつながりをもった人々が『赤化事件』とその後の時代をどう生きたのか、彼らの濃縮された時代を知ることは、私がどこから来たのか、そのルーツを探るような意味合いをもっていた」と語り始める。
記憶に残る父との会話や出来事を手がかりに、父のかつての教え子、そして父と戦後も関わりを持ち続けた人々、その家族からの聞き取りを行い、そして数多く出版されていた事件の語り部達の著作などと出会いながら、「なぜ」の疑問を解き明かそうとする。
1969年「抵抗の歴史」(労働旬報社)が発行され、この「教員赤化事件」の当事者達の証言や特高資料が掲載された。著者は30年前にこの本を父川上潔の手元にあったことを記憶していたし、当時特高資料の中に父の名前を見出している。しかし、あの「査問」事件とその後がなければ、「なぜ」への執着と解明はなかったと言う。
すでに83年に父潔は他界しているが、生前この事件について多くを語らなかったという。その思いに共感できるようになったのは、検挙・転向(形ばかりの)・そして放校という苦悩を経験した父の「ルーツ」と新日和見主義事件以後共産党員であり続け、90年代後半になり離党したという著者の視線がクロスする立場に立ちえたからだろうと著者は語る。
「思うに、当時歩んでいた運動の道を、私が引き続き進んでいたら、このような出会いはなかったことだろう。イデオロギーから解放され、組織の志向に自分を合わせる発想から離脱し、一人で世界と対峙しなければならなくなったとき、自分の感性と自分の頭脳でものごとを考え始めたとき、すべての事象は驚きの対象となった。」
著者はこうした構え方で、「父と父と関わりをもった人たち」の思いや人生そのものを正面から受け止めたようとしている。著者の視点は、非常に静かなものだ。
文章のここそこには、自らの運動経験も重ね合わせた叙述も多い。教員赤化事件の関係者達は決して学生時代から「左翼」である場合は稀であったという。農村恐慌と言われる中でも子ども達の貧困な実態を前にして、当時の青年教師達にマルクス主義が急速に浸透していったという。組織的な働きかけが存在したとは言え、マルクス主義がまだ文献的にも断片的であったにも関わらず。一方、著者達が受け入れたマルクス主義はすでに体系だっており、陣営として完結し、他陣営を批判し自陣営の選択をせまり、自己完結的な体系と化していたが故に、すでに新鮮さを失っていたのではないか、学園闘争期に他陣営たる全共闘運動への参加者を正当に評価することもできなくなっていたのではないか、と。
さらに、戦後の諸運動を支えた力がこうした弾圧の中で様々な屈折を経つつも、生き抜いた「父と父と関わりのあった人々」をはじめとする「敗北を経験した人々だけが持ったひそかな意地や根性、誇り」であったのでは、と著者は述べる。
一人の運動家の真摯な視線を感じる本です。是非、一読を薦めたい一冊です。
(佐野秀夫)
【出典】 アサート No.295 2002年6月22日