【投稿】サナダ・ユキムラ作戦

【投稿】サナダ・ユキムラ作戦
                  2000年日本的危機解決シュミレ-ション

「総理、もはや決断の時です」副総理兼危機管理担当相の小沢一郎が、内閣総理大臣橋本龍太郎に詰め寄った。
真理赤軍を名乗る武装グループが、大阪サミットに参加していた各国首脳を人質に取り、歓迎宴が開かれる予定だった、大阪城迎賓館に立て寵もってから一週間が経過していた。
打ち合わせのため、向かいの大阪府庁にいた橋本自身は、危うく難を逃れていた。
「これ以上、事態が長引けば、外国の部隊が突入するでしょう。そうなれば、わが国の面目は丸潰れになります」再び、小沢一郎が決断を促した。
すでに、首脳を人質に取られた各政府の特殊部隊が関西国際空港に続々と到着、大阪城周辺に展開していた。
「言われなくても判っている!」橋本はせわしなく煙草を吹かしながら、心の中で叫んだ。
その心中を察知したのか、小沢は「とにかくもう一度、防衛庁長官の方から、作戦について説明をさせましょう」と、一端間を置くことにした。
大阪府警本部に設置されている対策本部室には、図面と迎賓館の模型が置かれている。「すでに、建物の地下に通じるトンネルは完成しています。サナダ・ユキムラ作戦は準備完了です」
防衛庁長官の得意気な説明を聞いて、橋本は眉間に皺を寄せた。
この計画は、橋本の知らないところで、立案されていた。3年前「チヤビン・デ・ヴアンタル作戦」をすべて、フジモリ大統領が取り仕切ったのにくらべ、大違いだった。
真田幸村だと?大坂城の抜け穴伝説は知っている。しかし、最後は負けて、首を獲られたではないか。縁起でもない。俺なら「大石蔵之助作戦」と名付けたのに。そうだ、こうなった以上俺は作戦が成功しても、辞任する決意なのだ!橋本は勝手に命名したに決まっている小沢一郎の方を睨み付けたが、小沢は意に介せず、説明に領いていた。

2
事件発生直後から小沢の所には、何人かの危機管理専門家が、自分の作戦を売り込みにきていた。
警察庁のOBは「忍者部隊を編成し、石垣をよじ登って突入させましょう」と提案した。
横から自衛隊の元幹部がロを出した「そんな作戦より、ハング・グライダーで空から行ったほうが迅速です」「昔の映画みたいなことを言うな」警察OBが反発した。
「お前こそ、時代劇の見すぎだ」元陸将が言い返した。
「もう引き取ってもらって結構」様子を見ていた小沢が冷たく言い放った。小沢は、実戦の経験の無い者の意見など、まったく信用していなかった。
小沢が呼んだのは、リマ事件の際も作戦関与が噂された元SAS将校だった。その人物が立案し、小沢が防衛庁に投げつけたのが「サナダ・ユキムラ作戦」だった。計画は最初から軍事作戦として組み立てられていた。
当初防衛庁は困惑した。ながらく冷戦思考に浸り、ソ連軍との正規戦しか想定して来なかった自衛隊は、「低強度紛争」への対応を怠ってきた。リマ事件以降、ようやくそうした事態への対応能力を強化しつつあったものの、作戦遂行には自信がなかったのである。
さらに、これは刑事事件であり警察の仕事ではないか、というのが防衛庁の言い分だった。
この期に及んでの縦割り意識に、小沢は腹を立てた「行革特命政権なんか失敗だった。それにしても自衛隊のふがいの無きには、呆れたものだ」
小沢は自衛隊OBの議員を呼びつけ洞喝をかけた。「現役の連中を説得しろ。でなければ議員を辞めてもらう」
その日のうちに作戦計画が決定した。


翌日、小沢の所へどこで嗅ぎつけたのか「トンネル掘削はうちでさせて欲しい」とゼネコンが押し寄せてきた。
中にはPR用ビデオを持参した社もあった。「3日間で戦車が通れる穴を掘ります」「いやうちは1日でやります」「わが社のは地下滑走路付さです」
機番保持も何もなかった。ゼネコンの連中を押し返して一息ついている所へ、元総理の村山富市がひょっこりと現れた。
小沢は、自分の連立政権をつぶした張本人を見て顔を引きつらせたが、努めて冷静に振るまった。
「今日は何のご用件ですかな」
「トンネルを掘られるそうじゃな」村山がニヤリと笑った。
「いや、日韓トンネルは北朝鮮が釜山を突破すると困るので‥」小沢は誤魔化そうとしたが、村山はそれを遮り「サナダ・ユキムラ作戦のことじゃ」と切りだした。
このじじい邪魔をしにきたな、小沢は「体の調子が悪い」と席を立とうとしたが、村山は押し止めて、ささやいた。「三井三池の灯が消えて3年・‥日本労働運動の栄光は・・」
小沢は、ついに平和ボケに加え本当のボケもさたかと戦慄したが、次に村山のロから出た言葉を開き、さらに驚いた。(続く)
(大阪 0)

【出典】 アサート No.234 1997年5月17日

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