【投稿】地方分権は自治体こそが牽引車に

【投稿】地方分権は自治体こそが牽引車に
                   —国の限界:建設省の場合—

3月末に地方分権推進委員会が「機関委任事務は原則廃止を決断すべき」と積極的な中間報告を行い、いよいよ今年一杯で「分権が進むか、立ち止まるか」の瀬戸際に来ている。この中間報告に対して中央省庁は「権限委譲」に頑強に抵抗していると言われている。
私自身の自治体での仕事も都市再開発事業という建設省の補助を受けて行う事業であるため、「地方分権推進」には、大いに関心がある。
現状は、「お上から補助金をいかにいただくか」ということであり、その実態はほとんど変わっていない。特に、3年前の非自民連立政権以後も、もちろん自社さ連立政権になっても、一向に変わることはなかった。

<国の許可するものにしか補助金はおりない>
国と地方の財政的関係には、交付税、特別交付税、補助金、起債などがある。交付税・特別交付税は単独の事業単位ではなく、特定の自治体全体の行政運営に対して交付されるのだが、補助金は「法律に基づく特定の事業」に対して、国(建設省)が認めた場合、補助金が出る。
さらに補助金の配分については建設省が握っており、また補助率の規定も「1/3を限度として補助できる」という規定であり、「予算がないから辛抱せよ」と1/4の補助しか出ない場合もあり、その配分実態は地方にはわからない。
こうして「陳情」や「政治家」を使った「要望」がまかりとおっており、地方分権が進まない限り、補助金の配分を通じた建設省の地方支配の側面は当分揺るぐとは思えない。

<情勢の変化で苦しむ建設省>
しかし、道路、港湾、空港や下水など従来の都市基盤整備型補助にかげりがさしているのも事実だ。長良川河口堰の問題でも明らかなように、闇雲な開発が自然破壊を生んできたこと、ダムが電力と水源を生み出してきた高度成長期ならいざ知らず、現在の国民は「環境」への配慮なしに建設省の言いなりにはならなくなってきた。そこで「自然にやさしい河川改修」「自然に配慮した下水道事業」などと、官制団体を使って「環境に配慮した建設省」というイメージ作りに躍起である。
同様に、「人にやさしい街作り事業」「高齢化社会対応のまち作り事業」や環境に配慮した事業等には上乗せ補助を行うなどの「新規施策」を毎年のように打ち出し、「政策的な予算配分」をしているかのように国民に見せようとしている。
昨年からは「防災型」がはやりで、従来の枠はそのままに、「防災」を頭に付けて、既存のシステムを守ろうとしている。

<すでに限界の政策配分>
しかし、地方分権の論議と関連して考えると、これら建設省の施策も「地方」の後追いでしかない面が強い。環境にやさしいといってもせいぜい「地域冷暖房施設」だとか「ごみの集約施設」だとか、大規模設備に対する補助を増やしたに過ぎない。(それも設備業者の売り込みの結果だが)
省庁縦割り式の国補助金体系に対して、地方の側はしたたかに、横に広がって、建設省の、あるいは厚生省の、通産省のと補助金を並列で獲得することで都市の整備を図ろうとしている。
地方の側のまちづくりは、まさに現場主義であり「国に頭を下げて」補助金を取る、という従来のシステムから、地方の側がコーディネイトして補助金を利用するという方向が実態となりつつあるのではないか。
国を越える知恵を地方の側が獲得しつつある、というのが現在の流れだと感じる。建設省の新規施策というのもそれに乗っかっている、というのが実態であろう。

<地方の連合が求められる時代>
たしかに一自治体での経験、蓄積はなかなか難しい。また自治体どうしの人事交流も現在制度的には府県と市町村の関係以外では行われていない。
国と対抗する地方という道筋からは、権限・財源の移譲もさることながら、人材の共同育成・経験の普遍化という作業も必要になると思われる。地方分権が進めば、府県にはこの程度の仕事しか残らないという議論もある。3300自治体がまとまって国に対して「連合」を組むというくらいの迫力が地方分権を進める原動力であろう。
そしてその責務は我々自治体労働者であることは当然のことである。 (大阪 S)

【出典】 アサート No.223 1996年6月21日

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