【投稿 第3極はどこへ行った?
8月の後半から「鳩山新党」の動きが出てきたことから、橋本自民党内に急速に選挙機運が強まり、9月中旬に「10月20日総選挙」が水面下から浮上してきた。「新党」の準備が整わないうちにと自民党は選挙を急いだ。
他方、民主党の結成に至る経過については、様々な疑問がある。なぜ社民党は9月12日の党常任幹事会での「分党方式・民主党合流」の方針決定を、1週間もしないうちに「否定し、社民党で総選挙に臨むことになったのか。「公認での選別」が問題というが、実際には民主党参加の社民党現職、及び新人候補も民主党加入の候補はほとんど「民主党公認」で立候補しているのだから。
郵政大臣であった井上一成(大阪)でさえ、近畿比例2位となっている。社民・労組合流型となった場合の「旧社会党」的イメージを出したくない鳩山と、「社さ合流・大同団結」路線とマスコミには映っている管のコンビネイションで、結果として村山・山口・伊東・野坂といった自民連携指向・本音では新党反対者を排除したことになった。新聞・マスコミ報道を見ても、民主党候補に旧社民の人は多いわけだが、民主党から旧社民のイメージは払拭されているように思える。
分党方式の方が、旧社民系労組は「動きやすかった」かも知れないが、「新党」イメージはかなり低下したに違いがない。
各選挙区に目を移すと、国会議員:候補はともかく、地方議員のレベルでは「社民党議員」の中のとまどいは深刻なものがある。小選挙区で民主あるいは社民の候補が出ていない選挙区の場合、「民主党って何や、やっぱり社民党」で、みたいな感覚がまだ根強いものがある。「次の総選挙は、新党で」との社民党方針なるものは結局中央だけの話で、地方に降りると真剣な議論はなかったのではないか、と感じる。
「第3極」と最近言わなくなってきたようだが、2極目も選挙結果によっては分裂のおそれが言われており、選挙結果から「新しい激動」が始まることは確実になっている。(I)
【出典】 アサート No.227 1996年10月12日