【投稿】三宅島は相変わらず非売品です

【投稿】三宅島は相変わらず非売品です
                  —N L P反対運動はどうなっているの?—

(1)87年9月11日、観測鉄塔を巡っての住民と機動隊との攻防を覚えている方も多いと思う。今では鉄塔は有刺鉄線で囲まれてひっそりと立っている。本当に観測データを集めているのかと思えるようである。これまで、「三宅島官民共用空港の誘致及び建設に反対する会」(略称、反対する会)を中心に、一致団結してきた三宅烏のNLP反対運動に昨年来異変が生じている。
(2)83年12月、村議会で、米海軍の空母艦載機の夜間離発着訓練(NLP)基地の厚木基地の代替飛行場誘致の「意見書」が突然、強行採決された。10月3日の火山噴火から3か月余り過ぎた頃、災害復旧を名目に行われた。だが、以降反対派が巻き返し、村議会選挙では13対1の圧勝を続けてきた。
しかし、現在、島内の反対スローガンを書いた看板は87年当時と比べて、少なくなったそうであり、また昨年は全島集会は開かれていない。「動揺する」反対派議員や反対する会幹部は、全島集会が開かれれば、集会に出席しないわけにはいかず、そこで立場表明を迫られるからであろう。確実に「外からの」切り崩しがはかられている。
今年2月の村長選挙では、これまで運動を引っ張ってきた、寺沢前村長と桑原氏(反対する会前会長、「動揺する」反対派?)が特別養遭老人ホーム建設を巡って争った形を取った。争点のNLPをどうするかは後方に押しやられた。選挙は、嫌がらせ電話や30通に及ぶ怪文書・中傷文書が飛び交う消耗戦で、結果桑原氏が25票差で新村長となった。
(3)この背景にはやはり、NLPは硫黄島に移ったという寡囲気が島内にあるのであろうか。
89年、「暫定措置」として厚木基地のNLPを部分的に小笠原諸島の硫黄島こ移すことで在日米軍と合意し、硫黄島NLP代替飛行場は166億7000万円を投じて92年完成をめざして工事が進められている。三宅島の反対の声が勝ったとも言えるが、あくまで「暫定措置」であり、三宅島を諦めたわけではなく、反対運動が静まるまで(を静めるまで)の「暫定措置」であろう。
しかし、硫黄島は厚木から1.200キロ、片道2時間もかかり、米軍側には、不人気であると言う。実際、今年の『防衛白書』では「三宅島までの暫定措置として硫黄島」との旨の一文がある。
(4)更に、NLP問題が分かりにくくなっているのである。かつては、敵は防衛庁(防衛施設庁)とはっきりしていた。それが、羽田-三宅島の航路の存続を巡る問題、島の活性化問題にすり替えられている。今、三宅島は船で6時間、飛行機(YS-11)で1時間足らずで東京と結ばれている。
現在空路を営業運営しているエアニッポンはあと数年しか寿命のないYS-11の同クラスの代替機を選定していない。全面ジェット化する意向もあるようである。このままでは、1.200mの現在の三宅島空港(東京都所有)では対応できない。そうなると、調布飛行場からのセスナ便しかなくなる。
そこで、東京都が滑走路を1800m程度まで延長し、ジェット化に対応しようとする計画がある。当然、ここでNLPに対応できる空港に作り替え、将来は米軍が三宅島空港を「時々チヨットお借りする」のである。空港建設工事は東京都が全面的に費用を出すので防衛施設庁は助かるというおまけ付きである。8月22日決めた防衛施設庁の来年度予算案の概解要求の中には三宅島関係の「調査活動費」は盛り込まれなかった。これまで、毎年1~3億円づつ合計13億円を注ぎ込んできたのにである。当然、東京都は空路改築計画にあたり「NLPには使わない」旨の確約はしていないという。
(5)数百年に亘って、60年周期と言われている噴火を経験し、最近では40年、62年、83年と20年ごとの噴火を経験した島民にとっては、噴火は必ず起こるものである。この噴火も、現在では地震振動を観測することで十分予測できる。しかし、三宅島には伊豆大島に比べて地震観測施設が圧倒的に少ないそうである。しかも、NLPによる振動が、高感度地震計に反応し、観測困難となることも指摘されている。
多くの家は、かつての噴火の溶岩の上に立っているわけである。まだ83年の噴火から10年も経っていないのに、阿古地区の辺り一面、立ち枯れた木しかない殺伐とした溶岩の間から、既に草が生えてきている。自然の回復力は速い。だがNLPからは何も生まれない。
(6)今回ま、民宿で車を借りて、3日間島内を走り回ったが、「(駐車中は)車のキーはつけたままでいいですよ」と言われた。車を盗んでも島の外には持ち出せないし、どこかに乗り捨ててもどこの車か直ぐに分かるのであろう。そんな島に外からNLPと言う『化け物』を持ち込み、自らの利益の為に、良の人々の感情を弄ぶ「輩」には怒りを覚える。
9月初めに空母インデイペンデンスがやってくる。また、9月1日には一新した反対する会幹部のもとで、久々の全島集会も開かれる予定であるという。三宅島のNLP反対運動は新たな歩みを始めたともいえる。(8月末三宅島にて 東京C)

【出典】 青年の旗 No.167 1991年9月15日

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