【投稿】野党は大胆に統一して、解散総選挙に備えよ
<安倍辞任で、政権不信をチャラには出来ない>
8月28日安倍首相は、突然の辞任会見を開いた。11年前に政権を投げ出した時と同じ持病の潰瘍性大腸炎の再発が原因と報告され、総理大臣の任務を全うすることができないとの説明だった。
コロナ感染者が増え続けた7月から8月、安倍は自ら記者会見を行っていない。各国政府の首脳が、国民へのメッセージを訴え続け、支持率を高めていったこととは対照的に「動画問題」やアベノマスクなどの失態を繰り返して、安倍内閣の支持率は下降する一方で、政権としてはすでに末期症状に陥っていた。そして首相在任期間が佐藤栄作を越えたことを待っていたかのように、辞任会見が開かれた。
日本のコロナ対策が適切であったかどうか、それはこれから検証されるべきであろうが、政府の対応に国民が納得しているか否かでは、答えは明らかであろう。
現時点で、「第2波」が終息に向かいつつあるかの報道もされているが、感染状況はともかく、経済活動や消費動向は、コロナ前の水準に程遠い。そして、非正規を中心に首切りや雇止めが横行し、回復の目途は全く見えていない。
持病問題がなければ、無責任辞任のはずであろう。うわさでは、国政の失策を「辞任」で覆い隠して、コロナ禍を幸いとして「オールクリア」を狙っているとの話もある。
首相辞任→自民党総裁選→新首相誕生の後、解散総選挙を行い、野党の準備が整わないうちの抜き打ち選挙で自公政権の延命が図られているとの認識をもって、今の局面を認識すべきであろう。
<自民党総裁選挙の行方と解散総選挙>
14日投開票の自民党総裁選挙は、告示前から菅優勢の報道がなされている。党員投票の実施について、党内議論があったように見せかけているが、すでに派閥間の密室協議で、菅総理の道は描かれていた。党内派閥利害の調整のみで総理が選ばれる、これが菅内閣の船出のすべてであろう。
総裁選挙の候補者討論では、菅のみが「安倍政権の継承」を掲げ、石破は「(安倍政治の)グレートリセット」、岸田は「分断から協調へ」と、安倍政治からの転換を訴えた。
更に、菅は「自助・共助・公助」と、自己責任を第1に掲げて、新自由主義がその基礎にあることを隠しもしない。安倍政治の継承のみが、菅の「錦の御旗」である。
しかし、アベノミクスの「成果」を語る菅は安倍政権の裏方としてすべてを仕切ってきた責任と罪を背負っている。官僚を恫喝して従わせ、忖度官僚を量産し、国会の機能不全、民主主義の形骸化と破壊を行ってきた「裏方」である菅に、何を期待できるというのだろうか。
<進まぬ野党の選挙準備>
一方の野党陣営は、旧民進党系の立憲民主党と国民民主党が合流を果たして、15日には新たな「立憲民主党」として発足、枝野新代表の下、149名の国会議員を擁する野党第1党として出発する。
3年前の「希望の党」騒動の際に、党を離れた野田元首相などの無所属グループも合流し、マスコミは「旧民主党」の結集では新鮮味もインパクトもないと素っ気ない評価である。政権への忖度は官僚だけではなく、マスコミも政権に異常に忖度する現状の中、野党への批判は少々割引いた方がいいかもしれない。
コロナ禍の中、7月の失業率は2.9%と報告された。しかし、実際は、「休業者」が250万人存在しており、それを含めると失業率は、6.2%を越える。8月の自殺者も、昨年同月比1800名の増加となるなど、経済の停滞に伴い、社会不安は高まっている。こうした社会不安や貧困の増大に対し、対案を出していくことが野党第1党に求められている。
現時点で総選挙を想定すると、新党「立憲民主党」と国民民主党との選挙区調整はまだ進んでいない。現状では10選挙区で競合する。共産党とも同様である。一方、「れいわ」との調整も見えてこない。原発ゼロに反発した6産別を背景にした国民民主党は、生き残りをかけて、維新やれいわ新選組との連携を模索しているとも言われている。
<野党の大胆な統一で闘え!>
「安倍政治の継承」か「安倍政治からの脱却」か、わかりやすいスローガンが求められている。誰をも見捨てない政治、共生社会実現のための具体的政策が必要である。
政府は、コロナ感染が減少しているとの評価から、Gotoキャンペーンの東京適用などを開始しようとしているが、これも「解散総選挙」の地ならしと見るべきであろう。
しかし、与党側にも不安材料は尽きない。感染の再拡大が始まれば、解散総選挙は吹き飛ぶことだろう。さらに、「裏方」が表に出てきても、選挙の顔になることができるのか。実績も何もない段階で解散総選挙を行う大義が果たしてあるのか。
「消費性ゼロ」政策もあろうが、それでは総選挙の大義にはならない。野党も大賛成だからである。それでも、解散権は内閣総理大臣が持っている。理由は何とでもなる。
解散となれば、自公+維新勢力に対抗しうる野党の大胆な統一こそ求められている。(佐野秀夫)