
新時代(誌)創刊号
テーゼ作成にあたって
同盟の全国化・大衆化の達成と
全同盟員の政治的・理論的・思想的統一・団結の強化のために
日本学生運動の統一と前進のために
民学同創立十周年記念テーゼの成功のために (民主主義学生同盟統一会議)
全国の同盟員諸君。 われわれは、一九七〇年三月十五日の統一会議結成以来民学同を代表し同盟趣意の目的達成のために、そして同盟の民主的統一のために闘かってきた。 今回の第十二回全国大会の開催は、三年間にもわたる学生共闘派諸君との不幸な分裂から生じた不正常な状態に終止符をうち、三年間の闘争の成果をうち固め、新たな前進への画期的第一歩をふみ出すために提起されている。 われわれは今大会が同盟創立十周年の記念すべき年に開催されていることを重視しなければならない。 我が同盟の諸先輩は、一九六三年九月十五日、大阪の地に民主主義学生同盟を組織した。 それは、毛沢東主義に感染していた当時の民青指導部の小ブル民族主義、 セクト主義、官僚主義(組織内民主主義の破壊)的諸偏向が、平和と平和共存、反独占民主主義の旗印を「フルシチョフ的」修正主義として、我々の諸先輩を組織的に排除したことの不可避的結果であった。 それはまた、全学連を私物化し、破壊してきた「トロツキズム」諸派との激しい闘争の中で、 当時の大阪府学連に結集していた大阪の学生運動が国際的に達成された優れた理論的諸原則を自分のものとしていた伝統の所産でもある。 それらは同盟趣意に結実されている。 我々は学生同盟として組織され、他の諸団体との民主的協力関係をうちたてる中で全国同盟として発展し、幾多の優れた活動家を労働運動をはじめ民主主義連動の諸分野に送り出してきた。 同盟十年の歴央の中で内外の諸事実によってその正しさが裏付けられた同盟趣意の諸原則は、われわれによって守り発展されられてきたし、さらに発展させなければならない。
六〇年代の闘争が、学生運動だけでなく全世界の反帝平和勢力、民主的進歩的勢力にとって一方で一つの困難な時期を形成しているその主要な原因は、社会主義国、ソ連と中国の対立に乗じた帝国主義列強の侵略的、反動的試みに求められる。 だが今や、それらの試みは全世界の至るところで失敗し、また失敗しつつある。 ベトナム和平協定の締結はその象徴であった。 帝国主義諸列強の反動的試みの失敗は、第一に、社会主義世界体制、国際労働者階級、反帝民族解放勢力の闘争の前進によって、第二に、帝国主義列強国内での深刻な諸矛盾の蓄積と諸国人民の反独占闘争の高揚、列強間の対立激化によって規定されている。
日本学生運動は、この六〇年代から今日に至るまで、不幸な戦線の分裂と混乱の時代を経験している。民主青年同盟指導部や「トロツキズム」諸派の「左」右の日和見主義と分裂主義、セクト主義が全く不当にも学生戦線を分裂と混乱、闘争の自然発生的高揚と敗北、沈滞の繰り返しのなかに押込め、統一した、従って戦闘的な大衆運動として発展させることを妨害してきた。このような学生戦線内部の混乱が日本政府、独占資本、一部大学当局者の不当な学生弾圧、攻撃を許してきたことは否定し難い事実となっている。 だが、全国学友は年を追う毎に、大量に、かつ頻繁に平和と民主主義、生活擁護の闘争に決起してきた。 現在のところ、全体的には学生の不満や憤激は自ら積極的に目的実現のために大衆的政治行動に決起するというよりも、指導部の議会主義、改良主義によって全く消極的な不満の表明や政治的無関心として存在している。 学生運動指導部の非現実的、非科学的政策と戦線の分裂と理論的思想的混乱が学生の闘うエネルギーを汲みしえぬ最大の原因となっている。
わが同盟でさえもが、このような学生戦線の分裂と理論的思想的混乱の存在という諸困難の中で二度にわたる組織分裂を経験している。 多くの場合、組織分裂は大衆運動の力を数分の一にもよわめ、もっとも重要な財産である学友の信頼をぶちこわし、支配階級の反動的攻勢に新たな条件を提供する。 われわれは、学生運動の民主的統一と単一全学連の再建という任務を、そして、少なからず今日の民主的青年連動の前進に寄与すべき任務をもっている。 この依然として変わることのない任務は、第一に科学的理論と科学的政策に基づく正しい政治指導によって学生を統一し、第二に、そのために、大衆運動の個々の段階であらゆる多様性を考慮した具体的スローガンを探しだす能力によって、第三に、全同盟員の強固な意志統一をかちとり、同盟をあらゆる分派主義、非組織的行動から防衛すること、あらゆる狭少な精神から同盟を解放し、全同盟員、同盟統一と強化に細心の注意を払うこと等々、によって一歩一歩の、また急速な前進をとげるであろう。
しかしこのことはなによりもわれわれの理論的、 政治的思想的統一によってのみ保証されるのであり、それ以外の手段-「思想上の平和共存」やサークル主義、地方分散主義はもちろんのこと、官僚主義や「一枚岩的団結」の押し付けによってではない。 このことは、不当に軽視されてきた理論活動の強化、全国的機関紙誌の発行によって、民主集中性に貫かれた確固たる全国指導部の活動強化によってのみ可能となるであろう。
国家独占資本主義の複雑な支配機構と巧妙な攻撃の手口、そしてしばしばわれわれの理論的思想的政治的未熟さの故に、意見の若千の相違が原則上の対立にまで拡大され、さらには感情的対立の介入の余地さえ生みだし、組織の統一を破壊する危険となってきた。われわれは今後、このような悲劇の招来を拒否する。 「現実から生れ出た人民戦線の思想は、反ファシズム、反独占闘争の社会的基盤を拡大するための大きな一歩前進であった。・・・全世界で数億の大衆が運動にひき入れられている。・・・この大衆を統一し、彼らを積極的な、団結した勢力に転化するうえで妨げとなっているのは、 客観的諸条件の非常な複雑性と多様性であり、 この条件によって生み出される利益の差異と矛盾であり、最後に、しばしば無理解と偏見と先入観であり、長年の慣習がつくりだす障壁である。 しかし、大衆は統一しうるし、統一されねばならない。 なぜなら窮局的には、彼らの利益の共通性は彼らを分裂させているものよりはるかに強力であるからである。 したがって、今日、統一の不可欠をすでに自覚している共産主義者、すべての誠実な社会主義者、民主主義者の責任は極めて重いのである。・・・すなわち三〇年前と等しく、非常な思想的政治的勇気と成熟を、同時に、生活が日常的に提起する新たな問題の解決にあたっての行動性を要求している。」(現代社会科学の諸問題、第一編、第四章。 コミンテル第七回大会と共産主義運動)
一定の理論的見解の相違は活動上の具体的条件の多様性や具体的経験が同様でないところから発生する。この克服のために「非常に重要なことは、堪忍、辛抱強いこと、相互配慮精神である。悪罵、レッテル貼りではなく、見解の思想的明快、現実の全面的分析に基づく深い論証、この分析の正当性を示す実践的達成ーーこれが見解の相違を克服する最良の方法でなければならない」(同上)のである。 ルミャンツェフはこの様にのべている。
日本の民主運動の業病とも言うべきセクト主義、分派主義の粉砕、あらゆる非合理的思想との非妥協的闘争の勝利は、わが同盟の前進と密接に結びついている。全国学友は国家独占資本主義によって増々困難に陥れられる生活の状態、教育の機会均等の破壊と教育の危機、民主的諸権利の制限と抑圧、大学の私物化一政府・独占の資本主義的合理化策動、大衆収奪の強化と平和共存に敵対する軍国主義の危険に直面し、闘争の展望と明確な指針、依拠すべき科学的理論と政策を要求している。 「社会主義体制とともにあらゆる一般民主主義闘争は平和共存の闘いを構成強化し、同時に、平和と平和共存の闘いは諸闘争の広汎な舞台を準備、統一と成功の見通しを保障する。」(同盟趣意)内外情勢の歴史的な転換局面の開始-ベトナム和平協定の調印と三つの反帝平和勢力の前進が帝国主義世界体制の危機と分裂を一層深刻にしている。六〇年代中葉の帝国主義諸列強の反動的試みは失敗し、逆に、平和と民主主義、民族独立と社会主義の勢力を強める結果をもたらした。国際関係における緊張緩和と平和共存はもはや後戻りできないものとなっている。 このような情勢下で、資本主義の全般的危機は一層深刻化し、反独占勢力の闘争は高揚し、勝利への前進を開始している。
われわれは、高崎経済大学の新たな同志の合流をかちとり、全国百八〇万学友に応えるべき重大な任務をもって飛躍の時代を迎えている。 さらに重要なことは、すでに各戦線でわが同盟の諸先輩との協力、結合をうちたてることは、今目の学生連動が労働運動と、とりわけ青年労働者との連帯を要求していることからも現実的な要請となっている。われわれは、このような任務を達成するにあたり、また同盟が全体としてこの任務に応えるためにも、依拠すべき政治的、理論的、思想的立場を鮮明にしなければならない。
今回の十二回大会に提出されるテーゼの目的は、まさにここにあり、統一会議全国常任委員会を中心として準備され、 一定の到達点に達した同志的討議の成果である。 と同時に、このテーゼは十周年記念テーゼの完成と、同盟趣意の諸原則を堅持・ 発展させるという基礎にたって準備され、さらには趣意の改訂のための基礎として位置づけられている。
全同盟の建設的な意見の提出によって、今後このテーゼが一層科学的で豊かなものとなることを期待するものである。
平和と平和共存、反独占民主主義、学生運動の統一=全国単一全学連再建の道を断乎前進しょう。
<帝国主義世界体制の危機と反帝反独占勢力の前進>
一、社会主義世界体制の強化と緊張緩和・ 平和共存の前進
現代史の基本的内容
一九六〇年の八一ケ国共産党・ 労働者党国際会議の声明は、現代史の基本的内容について次のように述べている。「十月社会主義大革命にはじまる資本主義から社会主義への移行を基本的内容とするわれわれの時代は、相対立する社会体制の闘争の時代、社会主義革命と民族解放革命の時代、帝国主義の崩壊、植民地体制の一掃の時代、各国人民が次々と社会主義への道に踏み出し社会主義と共産主義が世界的規模で勝利する時代である。」
またこの時代は諸国民間の関係において、戦争が駆逐される時代、社会主義と反帝平和勢力の力が増大し、帝国主義の戦争勢力がますます孤立してゆく時代、平和と平和共存が前進する時代、平和が戦争に勝利してゆく時代である。
ベトナム人民の歴史的勝利、全欧安保の前進に典型的にあらわれた現在の反帝平和勢力と戦争勢力との世界的力関係のもとでは、帝国主義が新たな侵略戦争を開始することは、ますます非常に困難になりつつある。
もはや、帝国主義には、失った主導権を取りもどし、現代の世界発展を逆もどりさせる力はない。人類の発展の基本的方向を規定するものは、社会主義世界体制、国際労働者階級、民族解放勢力、全ての平和と民主主義、民族独立、社会主義をめざす勢力の統一した力である。
現代史は、資本主義と社会主義を二つの世界体制とする一連の複雑な矛盾のからみあいとして進行している。資本主義世界体制と社会主義世界体制の両体制間矛盾は現代の世界史の基本矛盾である。全体としての世界の発展は、両体制間の闘争によって、社会主義の法則性の優位のもとに決定されている。 帝国主義の法則はその包括的全世界的性格を失い、発展の一つの要因に転化してしまっている。 帝国主義の法則は、この法則に反作用する社会主義社会の法則性が強力になるにしたがって、その作用は制限される。
しかし「現代の基本的矛盾を労働と資本との矛盾と単純に同一視することは、資本主義諸国のプロレタリアートのブルジョアジーに対する闘争はもはや本質的役割を演じないという有害な幻想を生みだしかねない。 なぜなら、(彼らが言うにはー引用者)両体制の矛盾が(基本矛盾ではなく-引用者)主要矛盾となったからであり、したがって、プロレタリアートは自已の解放の事業を社会主義国に委任する(もしくは、委任できる)からである。このような立場は、発達した資本主義国の革命運動に対する毛主義者の軽視論と結合するものであり、「革命輸出」論、資本に対する世界的勝利の最良の手段(もしくは、唯一の有効な手段)としての両体制間の戦争論と共通するものである・・・。
社会主義世界体制は、資本主義諸国のプロレリァートの自己の解放闘争を代替するものではない。 しかし、社会主義と資本主義との矛盾は、資本主義の発展過程に、その基本的矛盾に刻印を押し、その解決を早めている。 (ルミャンツェフ「現代社会科学の諸問題」)
社会主義世界体制の発展と強化
社会主義世界体制は、ますます人類発展の決定的要因になりつつある。
社会主義経済は、搾取と収奪の関係を廃絶し、国民経済の計画化に基づいて、生産力を急速に発展させた。 世界の工業生産に占める、社会主義諸国の割合は、一九五〇年の二〇%から一九六六年には三八%にまで上昇した。 そしてさらに、七二年には鉄鋼生産高において社会主義ソ連はアメリカを追い抜くまでの前進を勝ちとった。 このような物質的基礎の上に、社会主義諸国における、勤労人民の生活水準は急速に向上した。 そのような実例の力は、資本主義国内の労働連動が独占体とその政府から、生活水準の向上・医療・福祉などの点で一定の譲歩を勝ちとる上で大きな力となった。
この様な社会主義世界体制の発展は、チェコ問題、ベトナム侵略戦争に関して、全ゆる対ソ・ 対社会主義攻撃を許さない力を創り出した。 この力は、帝国主義による直接的社会主義転覆の可能性を非現実的なものにしている。
この様にますます人類発展の決定的要因になりつつある社会主義世界体制は、その不断に発展し増大する経済力と防衛力に依拠して、帝国主義の行動を抑制し、帝国主義による反革命の輸出の可能性を制限している。
五〇年代半ばに社会主義ソ連はアメリカ帝国主義の核独占を打ち破った。そのことは、帝国主義の世界戦略に重大な変更を余儀なくさせた。 このソ連軍事力の発展強化は、帝国主義者転覆策動を大きく後退させただけでなく、熱核戦争勃発を阻止する客観的展望を現実化させた。 さらに引き続く社会主義体制の軍事的経済的発展は、帝国主義の力の政策・ 冷戦政策の典型ともいえるキューバ危機を勝利的に解決するのに大きな役割を果たした。
同時に社会主義世界体制はその国際主義的義務を果たしている。社会主義世界体制は、自己の発展・強化する経済力を基礎にして、自由と独立をめざして闘っている諸国人民にますます多くの援助と支援を与え、民族解放闘争の成功裏の前進と発展途上国の非資本主義的発展一過去の植民地時代から引きついだ後進性を一掃し、社会主義的発展へ移行するための条件をつくり出す道ーーの有利な条件を創り出している。 いまや、発展途上国の人民は、隷属と後進性の鎖を断ち切るためには社会主義世界体制の援助を受けた国家セクター中心の社会主義的工業化しかないことをますますはっきりと認識してきている。 こうして民族解放連動と発展途上国の非資本主義的発展は、社会主義世界体制の発展・ 強化と有機的に結合している。
社会主義世界体制の果している役割はこれにとどまるものではない。 社会主義ーそれは平和を意味している。
一方で「戦争はつねに資本主義の同伴者である。人が人を搾取する制度と人が人を殺す制度は、 資本主義制度の二つの側面である。」(八十一ケ国共産党・ 労働者党国際会議の声明)
他方、 社会主義はその社会の土台において他人の労働の搾取という関係を止揚しているので、 他国の人民を侵略し搾取し収奪するという必然性を何らもっていない。 かくして社会主義は諸国民の間の平和的関係の源泉であり基礎である。 平和と平和共存の政策は、社会主義制度の本質から生ずるものである。 従って社会主義世界体制の発展・ 強化は世界の平和共存の前進にとって大きな役割を果している。
強化される社会主義体制のイニシアチィブのもとに平和と平和共存は、世界史の抗しがたい流れとなって、力強く前進している。 このことは帝国主義者の戦争政策を一層困難なものとし、際限のない核軍拡競争に歯止めを打ち、人類の悲願である恒久平和を現実的なものとしつつある。
一九六〇年代の帝国主義の世界的巻き返しと社会主義封じ込め政策の破産
しかし、社会主義世界体制の強化、民族独立連動の高揚、平和共存・緊張緩和の前進に対し、 アメリカ帝国主義を先頭とする世界の帝国主義は、一九六〇年代に必死の巻き返しを試みた。 この帝国主義の一定の巻き返しは、国際共産主義連動内部の分裂、とりわけ中ソ対立を利用したものであり、 資本主義経済のインフレ的好況を背景としている。こうして帝国主義は、一九五〇年代に高揚した民族解放闘争を、直接武力介入、クー・デ・ター、新植民地主義的「援助」等のあらゆる方策を使って弾圧しようと試みた。 アメリカ帝国主義のベトナム内戦への直接介入、史上例をみない規模の北爆、インドネシア共産党の弾圧とスカルノ体制の転覆、イスラエルを使った中東での戦争挑発、アフリカの反帝政権のクー・デ・ターによる転覆など、政治的独立を勝ちとった諸国を帝国主義の勢力圈に引き戻そうとした。 それとともに、アメリカ・日本・西ヨーロッパの各帝国主義は、いっせいに急速な対外膨張をとげた。
このような帝国主義の者き返しの試みの一定の成功は、毛沢東指導部の理論ー平和共存を否定した冒険主義的武装闘争至上主義、中間の地帯論ーの破綻を事実をもってあらわした。
一方、国内政策では、帝国主義は、管理通貨制度をテコとしたインフレ的成長政策をとった。 これによって設備投資を刺激し、労働生産性を高め、搾取率を上昇させようとした。 この「水ぶくれ」させられた成長の成果の一部で、労働者階級の上部と小ブルジョアの一部を買収し、改良主義者にテコ入れして、「所得革命」「人民資本主義」の幻想をふりまいた。 同時に他方では、帝国主義者は、ネオ・ファシストに援助を与えて労働運動に自色テロを加えるとともに、反共主義・ 反ソ反社会主義を宣伝した。
この世界的な帝国主義の巻き返し策も、世界の反帝平和勢力の前進・平和共存と緊張緩和の進展を押しとどめることはできなかった。 一九六〇年代の末から、帝国主義の世界戦略は重大な危機におちいった。 このような書き返しはそれ自身資本主義の諸矛盾を深化させる結果となった。この帝国主義巻き近しの経済基礎ー長年にわたりこの費用をしわ寄せしてきた通貨の矛盾が、国際通貨危機となって爆発した。
一九六〇年代の帝国主義の巻き返し策は社会主義世界体制とそれに支援された各国人民のねばり強い闘いによって打ち破られていった。
ベトナムでの解放勢力のテト攻勢は、アメリカの侵略軍を打ち破った。チェコでの社会主義直接転覆策動の失敗、西ドイツでのプラントの東方外交の勝利は、危険な西ドイツ報復主義者の策動を封じ込めた。イタリアと西ドイツの人民は、ネオ・ファシズムを粉砕した。チリ人民は、帝国主義と反動派の内戦の挑発をうち砕き、平和的に反帝反独占の人民連合政府を樹立し、社会主義への道を進んでいる。インドのガンジー政権は、広範な人民の圧力のもとに、対ソ接近政策と社会主義的国有化政策へ転換した。 帝国主義内部の矛盾の激化を反映して、東西貿易・ 経済交流は急速な拡大をとげた。 全世界の核兵器禁止運動の圧力の下に核拡散防止条約が成立し、核軍縮交渉が開始された。 等々。
これらの一連の諸事実に典型的にあらわれたように、全世界の社会主義と反帝平和勢力は、帝国主義の社会主義封じ込め政策・侵略戦争政策を破産させ、さらに平和共存を前進させた。
ニクソンは、この力関係の下で、全欧安保会議、SALT、軍糖、ソ米貿易等での譲歩を持って、訪ソを余儀なくされた。
全世界的な反帝平和勢力の前進と、アメリカのベトナムでの敗北を契機としたアジアにおける力関係の大きな転換は、アメリカ帝国主義の中国封じ込め政策を破産させた。 中国の国連復帰は、中国を世界政治から締め出しておくことがもはや不可能となったことの証明であった。ニクソンの訪中・ 米中接近は、アメリカの中国封じ込め政策からの転換であり、 一面ではアメリカの後退した力関係下における危険な新たな警き返し策一中国に一定の譲歩を与えつつ中国現指導部の反ソ主義を利用し、中国を社会主義世界体制から完全に切り離そうとする政策であるとともに、他面では、従来のもっと危険な侵略戦争政策からの後退・手直しである。この政策自身が矛盾した性格のものであり、全世界の反帝平和勢力の前進、平和共存と緊張緩和の前進を反映している。
日本共産党=代々木派は、このような平和共存の前進をいっさい認めず、「緊張緩和論は米帝美化論」だとしてアメリカ帝国主義の支配を絶対化永遠化している。この理論は完全な宿命論であり、平和と平和共存の闘争における日和見主義の立場である。
ベトナムでの歴史的勝利の意義
ベトナムにおける戦争は、帝国主義の侵略計画と、これらの計画を実現するその能力とのあいだの矛盾を最も明確に証明した。
「超大国」アメリカ帝国主義がこうむった敗北は歴史的意義をもっている。それは帝国主義の「力の政策」の完全な破綻を示している。
アメリカ帝国主義は、ベトナム侵略戦争において、アジアにおける社会主義の前哨陣地の一つを抑圧し、東南アジア諸国人民に自由と進歩への道を閉ざし、民族解放連動に打撃を加え、社会主義諸国、全世界の勤労者たちのプロレタリア連帯の強さをためそうと目論んだ。 そのために戦争の「ベトナム化」、ラオス・カンボジアへの戦火の拡大、ベトナム民主共和国港湾機雷封鎖などありとあらゆる血に飢えた侵略政策をおこなった。
しかしニクソン・アメリカ帝国主義は、″アメリカ軍即時全面撤退〟”南ベトナム臨時革命政府の南ベトナムにおける政治勢力としての国際的承認、″捕虜の釈放〟等を内容としたベトナム協定の調印に追い込まれ、その意図は決定的に打ち砕かれた。
これはベトナム人民の比類なき英雄主義、ベトナム民主共和国及び南ベトナム解放民族戦線、正しい政策、ソ連をはじめとする社会主義諸国の政治的・ 軍事的経済的援助、アメリカを含む全世界の反帝平和勢力の強まる国際主義的連帯の勝利である。ベトナムでの犯罪的干渉は 国際世論からアメリカの著しい道義的・政治的孤立をもたらし、 一層広範な人民大衆・社会層・政治勢力を帝国主義反対に起ち上がせ、多くの国の数百万人の青年の反帝闘争への参加を促進した。このような現実は帝国主義諸大国間の矛盾を一層深めた。
ベトナム人民の歴史的勝利は、今日、自已の独立・主権・自由をあらゆる方法によって断固として擁護し社会主義をはじめとする広範な国際的支援を受ける諸国民にとって、帝国主義的侵略の敗北が不可避であることを示した。 それだけでなく帝国主義が新たな侵略戦争を開始することが極めて困難となっていることも示した。
ベトナムの勝利とともに、ラオス和平協定の締結、カンボジアにおける解放勢力の前進に示された実例の力は、タイ・フィリピン・インドネシアなどASEAN諸国に反共冷戦政策を後退させ、非同盟中立、さらに社会主義諸国との友好に向かわせている。 これに加えて一九七二年バングラディシュの独立とインドの非資本主義的発展、ソ印条約の締結など一連の平和共存政策の前進の流れの中で、歴史的ベトナム協定の締結は、東南アジア・インド亜大陸を一大平和地帯とした。また朝鮮半島では緊張力緩和と平和統一が大きく前進している。これらは帝国主義者の反共軍事ブロックにかわるアジア集団安全保障体制への基礎と展望を大きく切り拓いた。
全欧安保と軍縮の前進
帝国主義的侵略と冒険の主要な道具である、 ワシントンとボンの同盟を枢軸とする北大西洋ブロック″NATO〟の解体化が進行している。
ヨーロッパの中心部における軍事的危機の火元であり、第二次世界大戦の発火点であって、四分の一世紀前からヒットラーの敗北の失地回復をめざしてきた西ドイツ帝国主義の侵略計画は失敗した。独ソ武力不行使条約、ポーランド・西ドイツ・オーデルナイセ国境問題に関する条約・西ベルリンに関する四ケ国協定–一連の条約締結は、ファシズムに対する人民の勝利をもって確立されたヨーロッパ現存の国境の不可侵性を認めたことを示している。これは、一九六六年プカレスト会議で、六七年力ルロビパリ会議で、六九年ブダペスト会議でと一貫して、現存の国境の承認を前提としおのおの主権と権利の平等をうたったヨーロッパ集団的安全保障の実現を提唱し、努力してきたワルシャワ条約加盟諸国のイニシアチブとヨーロッパ諸国人民の関争の成果である。
これによって勝ち取られた欧州における平和と平和共存秩序の確立への動きは、ヨーロッパ諸国会議開催の多国間準備の開始、七三年一月ポンビドー仏大統領のソ連訪問と、それに基づくソ仏共同声明の発表などによって一層拍車がかけられている。
安全保障と協力のための闘いは、軍縮と軍事ブロックの解消、人類破滅兵器、核兵器の禁止と核の平和利用を帝国主義者に認めさせる聞いと不可分に結びついている。
七十二年五月、ソ米SALT交渉の成立は、六十四年部分核実験停止条約、核拡散防止条約、海底非核化条約、国連での核兵器全面不使用協定決議など、反帝平和勢力の一連の軍縮攻勢の成果であり、ミサイル迎撃兵器と攻撃戦略兵器の制限と規制から漸次的な全面軍縮へ進むものであることは、 その後の事態の進行が示している。
ニクソン訪ソとSALT交渉成立は、ベトナム侵略の「ドロ沼」化に見られるアメリカ帝国主義の国際世論からの孤立と、不断に動揺をくり返す帝国主義世界体制の矛盾を功みに利用したソ連のレーニン主義的平和外交の勝利である。それは、アメリカ帝国主義がソ連アメリカの相互関係の基礎を共同で規定せざるを得なくなったこと、しかも核時代にあって、この相互関係の基礎として平和的共存以外にありえないという現実を認めざるを得なかったことを示しているからである。
平和共存と階級闘争
社会主義キューバに引き続き、チリ人民社会主義への道を大きく歩み出している。チリ人民は、広範な統一した闘いによって、アメリカ帝国主義からの経済的独立と真の政治的独立を大きく勝ちとる措置、基幹産業の国有化を達成した。 こうしてチリ人民は、共産党・ 社会党を中心とする人民連合綱領に基づいた強力な指導によって、CUIの組織労働者の周囲に結集し、更に大きく前進しようとしている。 チリ人民に対するソ連の経済援助は、この面で大きな役割を果しつつある。
チリ人民が平和のうちに反帝反独占の人民連合政権を樹立し、その後も帝国主義の軍事介入と国内反動派の内戦挑発をいっさいはねのけて社会主義への道を進んでいることは、わが同盟の趣意の立場、「平和と平和共存の闘いは諸闘争の広範な舞台を準備し、統一と成功の見通しを保障する」という立場の正しさの証明である。
全世界の社会主義と諸国人民の平和のための闘争の成果である平和と平和共存・ 緊張緩和の前進は、国内の社会矛盾をおおいかくそうする熱狂的民族排外主義を吹き飛ばし、人民が自らの生活の諸困難の真の根源=独占資本の搾取と寡頭支配を知るのを容易にし、国内の階級闘争の統一した前進の条件を有利にする。 このことに、ヨーロッパの例一全欧安保の前進がファシズムの台頭を打ち破る大きな力となり、一九六〇年代末からの階級闘争の高揚の一つの条件となっていることによっても示されている。 もちろん平和共存の前進が自動的に国内の階級闘争を前進させるのでないことは言うまでもない。
平和共存を階級協調だとし、階級闘争の前進、とりわけ社会主義への移行の必須の条件を、世界戦争やそれに伴なう異常な人民の窮乏化に求める理論は、 一方において「革命的」空文句、空論主義であると同時に、他方では徹底した日和見主義、待機主義である。
また、平和共存と緊張緩和の前進は軍国主義をますます矛盾に満ちたものとする。帝国主義国内では、軍需独占体を中心とした侵略的な反動ブロックの孤立化が進行している。帝国主義諸国の支配層の内部で、極端な手段の適用、戦争に期待をかけている最も好戦的なグループと、世界における新しい階級的力関係、社会主義諸国の力の増大を考慮して、より現実主義的に国際問題にアプコーチし、体制の異なる諸国家の平和共存の精神で、これらの間題を解決しようという考えに傾いている人びととのあいだで、矛盾が激化している。
一国において軍国主義と経済の軍需化がどこまで進行しうるかは、決定的に国内外の平和勢力の力にかかっている。 したがって資本主義国内における労働者階級を先頭とした反独占勢力の反軍国主義闘争、反戦平和闘争は全世界での平和と平和共存の前進にとって重要な役割を果している。 、
帝国主義間矛盾と平和共存
帝国主義間矛盾とその激化は国際政治の平和共存への流れの客観的条件を形成し促進している。 帝国主義国間の市場競争、資源獲得競争の激化は、 東西貿易と経済交流の前進を促進している。レーニンが一九二一年第九回全ロシアソビエト大会で述べたように「敵意をもっているどの政府・どの階級の願望や意志や決意よりも大きな力がある。この力とは、全世界の一般的な経済関係である。この経済関係が彼らを強制して、われわれと往来するこの道にすすませる。」 レーニンが発見した両体制間の経済交流の拡大の傾向は、 今日ではますます強く作用するようになっている。このことは、帝国主義の社会主義封じ込め政策・ 冷戦政策をますますほり崩している。いまや、帝国主義は、すでに全体として自己の販路問題資源間題を解決するためにも、また帝国主義世界体制内部での自己の発言力を強化するためにも、 社会主義との経済的’ 政治的交流を広げる間題ととりくまざるをえない。 それとともに、このような交流関係自身が帝国主義諸国間の競争と矛盾の対象になっている。これらのことは、平和共存を前進させる有利な条件となっている。 独ソ武力不行使条約に始まる欧州緊張緩和への動き、チュメニ油田開発をめくる日本帝国主義の対ソ政策の一定の「変化」などは、それを証明している。
平和共存の課題と展望
このような平和共存の前進が厳然と存在するにもかかわらず、帝国主義は依然として戦急挑発を続けている。いうまもなく帝国主義が存在しているかぎり、 侵略戦争の根源はなくならない。
平和共存の路線は、平和の敵にたいして大衆を動員し、積極的な行動を展開する路線である。社会主義と反帝平和勢力のねばり強い闘いは、帝国主義の冷戦政策・侵略戦争政策を打ち破ってきた。 冷戦の時代は終りをつげた。 このことは社会主義と諸国人民の行動の偉大な成功を意味している。しかし、この人民の行動は平和共存の逆行を防ぎ、平和共存と緊張緩和をさらに強化するために依然として不可欠である。
日本の危険な軍国主義復活を打ち破り、四次防を中止させ、ベトナム人民の完全勝利のための闘いを支援し、日米安保条約の破薬と、アジア集団安保・日ソ平和条約締結のために闘うことは、日本の反独占勢力・平和勢力に課された国際的任務である。
二、アメリカ帝国主義の世界支配政策の特徴
最大の侵略勢力としてのアメリカ帝国主義
アメリカ帝国主義は今なお世界最大の侵略と戦争の主勢力である。アメリカは世界中に原水爆ミサイル網を配備し、世界各地に基地を持ち最新鋭の装備を持つ艦隊・航空隊・陸軍部隊を擁して、たえず戦争挑発と緊張をつくりだしている。
これは理由のないことではない。アメリカは、世界中に、海外資産すなわち多国籍企業の子会社をもち、そこからこの10年間(一九六〇-一九六九)に三八〇億ドルもの収益を本国に持ちかえっている。 そのうちの八十八%は発展途上国から得たものである。そのうえ発展途上国における海外投資の利潤率は二十数パーセントにものぼり先進国の二倍以上であった。このような海外での搾取の特権を、高まってゆく発展途上国の民族解放連動、労働運動から守るためにアメリカは、莫大な軍備をもたねばならないのである。
さらに、アメリカ国内には強大な国務省と癒着した軍需独占体(産軍複合体)が存在している。 彼らは、発展途上国に利権をもつ多国籍企業とともに国内の最反動グループを形成している。 彼らはあらゆる政治・ 社会機構の内に浸透し政治を動かす大きな勢力となっている。アメリカは資本による搾取の「自由の旗手」として社会主義体制に対抗し民族解放勢力を押さえる侵略的政策を自国の帝国主義体制内での弱まりつつあるへゲモニーIを守るために利用している。 またその様な軍事力を社会主義体制との交渉のテコとしようとしている。
こうしてアメリカの帝国主義は依然として全世界の反帝平和勢力にとって最大の平和の敵となっている。
続行される軍事力強化
軍事力強化はベトナム和平にもかかわらず続けられている。
-来年度予算では、本年に対し六・ 八%増の八一〇億七千万ドルが軍事費に計上されている。そして核戦力を中心とする対ソ戦略が前面に出てきている。各国の軍需援助も二億ドル増の八億ドルとなっている。 南ベトナムのチュー政権など一連の傀儡政権に対する援助も維持強化されている。このような事実は、アメリカ帝国主義が世界の平和共存、緊張緩和の進展(ベトナムでのアメリカの後退に端的に示されている。)にもかかわらず依然として軍事力による世界支配の野望を捨てていないことを証明している。しかし、このような経済の軍事化は、インフレーションを進めドルを弱体化し、国際通貨危機を爆発させ、アメリカ商品の国際競争力を低め、アメリカ帝国主義の腐朽化を深めている。
危険な対アジア・ 中国政策
世界の平和共存の前進、反帝平和勢力の力の増大によって軍事的手段によるアジア支配、社会主義転覆策動はほとんど不可能になった。帝国主義者はそれをより隠れた形で平和の仮面をかぶせて行なおうとしている。その政策の特徴は、中国の現指導部の反ソ主義・民族主義につけ込み、中国を反ソブロックの一つとして利用しようとするものである。アメリカは、そのエサに台湾問題を使っている。アメリカは、台湾にあるアメリカ系資本をそのままにした形で、台湾を中国に返還し、中国国内にアメリカ資本の強力な足場を作ろうと策動している。
アメリカは、ベトナム和平後も、タイ・フィリピン等に基地を維持し、トンキン湾に第七鑑隊を浮べ、インドシナ全域に軍事的圧力をかけている。 アメリカは、中国を利用して、アジア集団安保構想に反対させ、ソ連の影響力の増大を押さえようとしている。
「肩がわり」政策とその矛盾
アメリカは、現存の力関係、国際収支危機などを反映して軍事力の「肩がわり」政策をとっている。これは通常兵力については、各国に相応の軍事力負担をさせ、その分をアメリカ自身は核戦力の增強に集中することによって、より効率的な軍事支配を目ざそうとするものである。 特に、ドル危機と関連した帝国主義間の闘争の中でこの「肩がわり」政策は、アメリカ側の要求・取り引き材料として使われている。
しかし、このような「肩がわり」政策は、矛盾したものである。それは、アメリカの世界支配政策が重大な危機に陥っていることの表われである。「肩がわり」政策は一方では、アメリカ以外の帝国主義が、 アメリカの軍事的ブコツクから離脱するのを早めている。 それはアメリカの意図に反して、集団安保の展望をさらに切り開かざるをえない。
アメリカの世界支配のテコとしての多国籍企業
アメリカは、 各国に多国籍企業の子会社を送りこんで世界支配のテコとしている。多国籍企業の子会社は、関税障壁をとびこえて、その国の経済の中に根をはっている。 そのことによって子会社はトロイの馬としての役割をはたしている。アメリカは、各国に資本の自由化を要求して、さらに多国籍企業を世界に進出させ、まき返しをねらっている。その進出の中心として、東南アジア、ひいては中国が選ばれている。本年二月のドル危機の際アメリカはドルの一〇%切り下げを発表すると同時に、利子平衡税を含む海外投資規制を一九七四年までに撤廃すると発表した。 この事業はその証明である。
しかし、この様な多国籍企業の進出は、重大な抵抗に直面している。発展途上国の人は、この様なアメリカ系多国籍企業の搾取と支配に対し、それらの国有化を要求して闘っている。チリ・イラクでは、その国有化に成功した。さらに、帝国主義各国でもドル危機と関連して、多国籍企業に対する強制を強めている。フランス共産党・社会党の共同綱領はアメリカ多国籍企業の国有化を主張している。西ヨーロッパ人民は多国籍企業国有化を要求している。
このようにアメリカ帝国主義は後退を余儀なくされつつも依然としてまき返しをはかろうとしている。帝国主義が、武力侵略をもはや、容易に行い得ないという現在の力関係のもとでは、この巻き返し政策自体、矛盾に満ちた倒錯したものとなっている。 世界の反帝平和勢力が警戒心を高め、 闘争を一瞬もゆるめないならば、この政策の破綻は不可避である。
三、 帝国主義の矛盾の激化と階級闘争の高揚
全般的危機は深化している
資本主義世界体制の全般的危機は、急速に深化しつつある。 全般的危機に対応して、「国家独占資本主義は独占体を富ませ、労働運動と民族解放闘争を弾圧し、資本主義制度を救済し侵略戦争を開始する目的で、独占体の力と国家の力を単一の機構に結びつけている。」((ソ連共産党綱領))独占資本は、戦争、経済恐慌などの危機を財政支出、通貨信用政策等をテコとした国家の経済過程への介入の強化、国家独占資本主義の強化で切り抜けてきた。しかし、一九六〇年代のおわりごろから、現実生活は、いまやこのような国家独占資本主義自身が深刻な危機におちいっていることを示している。
恐慌とその結果
ーインフレーションの急進
国家独占資本主義に、生産の社会化と私的所有の間の矛盾を解決することはできなかった。国家のインフレ政策に刺激され「水ぶくれ」させられた一九六〇年代の「高度成長」は、戦後の科学技術革命の成果を社会の利益のために利用する広範な可能性を切り開いたが、独占資本家階級とその国家は、自己の利潤のためにこの利用の可能性の実現をさまたげている。
一九六七年頃から資本主義世界は、通貨恐慌をともなった深刻な過剰生産恐慌におそわれた。 国家の赤字財政支出と低金利政策に支えられた急速な資本蓄積は莫大な過剰資本、過剰生産設備を産み出したことは明らかになった。この恐慌は主要各国で、赤字財政によって追加需要が創出され、各国でインフレーションが不均等発展ではあるが持続的に進行するという条件下におこった。
この恐慌は、国家介入によって「恐慌なき繁栄」が可能だとする独占体のデマゴギーを粉砕した。この恐慌の結果、失業は世界的に耐えがたい水準に達し、実質賃金の増大はとまり、国によっては下降さえした。ドルの流入による紙幣増発、カルテル、価格先導制などによる価格つりあげ、政府の恐慌救済的なくれてやり政策、赤字財政=紙幣乱発は六〇年代の緩慢なインフレーションとはちがった急激なインフレーションを進行させている。世界中に広がった急激なインフレーションは労働者階級の賃上げの成果を奪い、国民諸層全体の不安と社会的緊張を高めている。 こうしてインフレーションは単なる経済問題だけではなく政治問題になっている。 インフレーションとともに、いくつかの国で政治的危機を激成している。
国際通貨危機と投機資本
世界的インフレーション、とりわけ、アメリカのインフレーションによる国際通貨ドルの減価は、ドル危機を創り出し国際通貨危機を爆発させる主要な要因となっている。 ドル危機は、アメリカ帝国主義の世界支配と世界搾取のためのコストが、もはやアメリカ帝国主義の経済力をもってしてもまかなえなくなったことのあらわれである。 すなわち、社会主義世界体制の経済的、政治的力が増大し、世界の労働運動の組纖性と意識が強固なものとなり、 民族解放闘争が力強く前進しているという現在の力関係のもとでは、アメリカが帝国主義のへゲモンとして、侵略の反動の「トリデ」として侵略的戦争政策を続け、新植民地主義的「援助」を続け、多国籍企業の海外投資を推持拡大するための費用が、アメリカ帝国主義にとってまかないきれぬ過大なものとなったことをあらわしている。また、資本主義世界の通貨危機は、両体制間の競争において社会主義体制の側を有利にしている。
ドルの乱発は、一九七二年末で八〇〇億ドルにのぼると推定されている「ドル残高」=過剰貨幣資本を産み出した。これらの資金は、アメリカ系多国籍企業、欧州と全世界にちらばる富豪の資本を集中したスイスの銀行、欧州各国銀行等に保管され、 現実的生産的基礎をもたないにもかかわらず、利潤を求める投機資本=ホットマネーとして各国を流出入し、金、通貨重要物質などの投機を行ない、 国際貿易体制と国内経済の信用体系を全体的にゆさぶっている。 こうして、それは各国でインフレーションの進行を促進している。
このような通貨危機と国際貿易体制の不安とは、各国の再生産、過程に重大な反作用を与えている。独占資本家は、将来への先行き不安のために生産投資を手びかえ、自分の手に入ってくる利潤を投機への流用する傾向をますます増大させている。これは、独占資本の増大する寄生的反社会的性格を示している。
このように、急速なインフレーションと慢性的通貨危機は、国家独占資本主義の全体制を根底からゆさぶっている。
アメリカはドルの対金交換性を今だに回復しないばかりか、 依然として居直りをつづけて国内経済のインフレ的刺激の政策をとっている。貿易収支は未曽有の赤字を示している。したがって、このような状態が続く限り、ドル危機の何度もの爆発は不可避である。西ヨーロッパの共産党は、投機を行なうアメリカ系多国籍企業の国有化と、ドルの大幅切り下げ対金交換性の回復を要求している。 ・
急速に先鋭化する帝国主義間矛盾
全面的対決と破局を避けようとする帝国主義者の意図にもかかわらず、帝国主義間矛盾とその対立抗争は急速に先鋭化している。通貨危機の「解決」をめぐって行なわれている帝国主義諸問題の通貨レート変更の闘争は、政治的闘争、通貨戦争にまで高まっている。また、各国の世界市場をめぐる闘争は、全面的かつ本格的な貿易戦争が始まる脅威さえ生み出している。各帝国主義国内では、このような国際競争の激化を反映して、資本の集中、統合が嵐のように進んでいる。 西ヨーロッパの各帝国主義は、自らの活路を拡大E・Cの中に見出しているが、このような帝国主義統合は、その内部の矛盾、とりわけ西ドイツ、フランス、イタリア、イギリス間の矛盾、によって絶えず他方でほり崩されている。
また石油、ウラン、天然ガスなどのエネルギー資源をめぐっても帝国主義列強間の対立と闘争が激化している。 最大の資源消費国アメリカは、自已の肥大化した経済が必要とする資源をますます輸入にたよらざるを得なくなっている。日本もその急速に高まったエネルギー需要を満たすため、自主開発にのり出している。こうして、資源開発をめぐる帝国主義列強間の獲得競争はますます先鋭化している。このことは他方において資源開発における輸出国側としての低開発国と社会主義国の立場を強化している。イラクやその他のアラブ諸国はソ連の強力な支援のもとに、帝国主義の石油独占体国有化に成功しつつある。 OPECは、国際石油独占体との闘争で目ざましい成果をあげた。
しかし他方、社会主義経済が世界経済の中に巨大な基礎を据えている現在の力関係のもとでは、また、生産力の発展が強制している世界分業のもとでは、このような帝国主義間の矛盾の先鋭化が直線的に第二次大戦前のようなブロック化、アウタルキー(閉鎖経済)への移行を展望するものではない。 もちろんブロック化への方向は絶えずあらわれてきている。 しかし他方、帝国主義間の矛盾の激化は帝国主義諸国を、自らの高まった生産力を嫁動させ、市場を確保し、自己の政治的経済的立場を他の帝国主義諸国に対抗して強化するためには、帝国主義者の意図におかまいなく、社会主義ブロックとの経済交流、平和共存に押しやっている。 ソ連を中心とする一貫したレーニン主義的平和共存政策が、この過程を促進している。 帝国主義間の矛盾が激化するに従って、 帝国主義はますます社会主義に依存しながら没落しつつある。このように反帝勢力が強固に帝国主義に対抗している全般的危機の現段階においては、アメリカ以外の一国の帝国主義が自己の新植民地的勢力圈・プロツク経済をもち、独自の政治軍事支配機構をそなえた自立した帝国主義に至ることは非常に困難になっている。それにもかかわらず、それら帝国主義諸国は新植民地的膨張政策をとっているが、それが長期的に達成し得る展望はほとんどない。ソ連は、このような現実的基盤に立って集団安保構想を提唱している。
国家独占資本主義の危機
以上述べた事実は、全般的危機の現局面において国家独占資本主義が重大な危機に陥っていることを示している。 国家と癒着した独占体は、この危機を賃金の国家統制を含むいろいろな面での国家介入の強化で乗り切ろうとしている。しかし、今次恐慌を引き起こした高度成長期における過剰資本蓄積が、 国家の介入と補助の下に行なわれたのであるからそれを国家の経済介入–ケインズ的インフレ政策-によっては克服し得ない。 今の段階では、国家による景気刺激策、赤字財政支出は独占資本家が先行きに不安を感じ利潤を生産的投資ではなく投機につぎこんでいる現在、ますます過剰な投機資本を累積させるだけである。このように独占体と労働者階級との矛盾を深めているばかりでなく、国民諸階層全体との矛盾を深めている。
階級聞争の新しい高揚
このような国家独占資本主義の危機を反映して、一連の資本主義国では、新しい内容と規模をもった政治的、社会的闘争が巻き起こっている。 一九六八年フランスの五月ゼネスト、一九六九年イタリアの「熱い秋」とよばれる大衆行動、一九七〇年チリの人民連合政権樹立と社会主義の前進、西ドイツの山ネコストの嵐、イギリス労働者階級の所得政策に対する闘争、その他スペインの反フランコ闘争の大衆的高揚、日本の春闘の激化などはこのことを示している。 学生連動も嵐のようなテンポで爆発した。 約五〇力国で学生の闘争が高揚した。「これらの闘いは、根本的な社会改革社会主義革命、他の勤労者階層と同盟した労働者階級の権力の樹立に導き得るような、新しい階級闘争の前兆であった。」(一九六九年モスクワ会議基本文書)
国家独占資本主義下の階級聞争の特徴
このような闘争の中で勤労者は、国家独占資本主義の下では彼らの経済的、政治的権利を勝ち取るためには、個々の資本家や独占体に対する闘争だけに限定することができないことを、ますます確信している。政府が導入した「所得政策」は、労働者階級にとって、賃上げを勝ち取るためにすら政治闘争を展開しなければならないことを示している。西欧の労働者の間で広範に闘われている企業の民主的管理のための闘争–企業の内部から独占資本家の支配を制限する闘争-は、ますます全国民的レベルでの企業国有化闘争と結合されている。 イタリアの電力産業国有化闘争の成功は、このことをよく表わしている。 労働者階級を先頭とする勤労諸階層は、国家独占資本主義の条件の下においては、独占資本の経済政策全体の再検討を迫る全国民的規模での諸要求を提起せずには、彼らの生活利益を守ることはできない。イタリアの労働者階級は、住宅、年金闘争でこの模範を示した。
各戦線の闘争と反独占聞争
レーニンが明らかにしているとおり、独占資本の支配は決して政治機構に限られものではない。「独占は、ひとたび形成されて数十億の金を自由にするようになると、絶対的不可避性をもって政治機構やその他のどんな『特殊性』にもかかわりなく、社会生活のすべての側面に、浸みこんでいく。」したがって、「共産主義の任務は・・・社会生活のあらゆる部門とますますつながりをもつようになり、一部門、一領域を次から次へとブルジョアジーの手から闘いとってゆく実践的な任務」である。世界の多くの共産党、労働者党は、この原則的立場に立って、労働者階級と動労諸階層の賃上げ、生活擁護闘争と民主的管理闘争をはじめとする諸闘争を、それぞれの戦線において、大衆的、戦闘的に闘っている。 それとともに、これらの諸闘争を、全国民的な反独占綱領の中で位置付け、独占資本家階級を包囲する一つの全国民的反独占闘争に転化する任務を果たしている。
労働者階級の側の反独占的対案
国家独占資本主義下の階級闘争の経験は、労働者階級の側が反独占的性格をもつ民主主義的な対策を積極的に提起してゆく必要があることを示している。そのような対策は、個々の戦線での闘争において勝利の必要条件であるばかりではない。現在の国家独占資本主義の危機の時代においては、独占体を富ませ、彼らの支配を維持することを目的とした独占の側の国家介入に対し、反独占勢力の側の一国の経済、政治、社会制度全体に対する反独占民主主義的対案を対置してゆくことが、反独占闘争の前進に不可欠の要素のひとつとなっている。そのような対案は、レー ニンが「さしせまる破局、それとどう闘うか」で示したような、独占資本の勢力を一国の経済、政治社会制度の全領域から排除し、国の経済と企業と行政機構で、勤労者による民主的管理を勝ちとり、独占資本の権力を終わらせ、社会主義への闘争にとっても最も有利な条件をっくりだすょうな一国の反独占民主主義的改造の網領である。 チリ人民綱領、フランス共産党、社会党の共同綱領は、今までの大衆運動の成果の集約として、階級闘争を前進させる上で重要な要素となっている。
反独占統一戦線へ
一連の大衆的な共同闘争の中で、労働者階級は自已の隊列内の統一をうち固めつつある。労働者階級は、ますます改良主義的.幻想から離反していっている。 改良主義的な社民党内部に現体制に不満をもち、社会主義を真剣に追求しようとする左派ブロックが台頭しつつある。 事実、フランス社会党では最近保守的な指導部が左派にとってかわられた。各国の共産党は、社会民主主義者やその他の革新を望む人々との広範な共同行動を追求している。 こうした「統一的な反独占・ 反帝行動の過程で、すべての民主主義的潮流を政治的同盟一国の経済における独占の役割を断固として制限し、大資本の権力に終止符をうち、さらに社会的改革を実現し得る政治的同盟1に結集するための有利な前提がっくりだされている。」 このように一九六九年の共産党・ 労働党モスクワ会議基本文書は述べている。 この内容は、それ以後の実践によって証明されている。
この場合、この目的の達成のためには、議会活動の現に存在する可能性を利用しつつ、労働者階級と最も広範な人民層との強力な大衆行動展開こそが決定的要素となっている。
四、 中国現指導部の対外政策とその動向
中国現指導部の対外政策とその役割
全世界の反帝平和勢力は、強化される社会主義世界体制の団結を軸に、帝国主義者の危険な冒険主義的政策やその反人類的野望実現の可能性をますます縮少し、封じ込めている。 今や世界史の主導権は、完全に反帝勢力の側に移行した。 最近の国際的緊張緩和の傾向は、全ての反帝勢力の積極的な提案の中に(例えば六九年モスクワ会議基本文書、七一年ソ共第二四回大会平和網領等) その源泉が存在している。
しかしながら、帝国主義者は、世界を自らの支配下に置き、失なわれた世界政治における主導権を回復しようとする反動的な野望を今だに捨ててはいない。それは複雑な世界情勢と力関係の下に適応し、新しい形態をもって繰り返されているのである。 既に現在、社会主義世界体制に公然と敵意を示し、それとの緊張関係を不断に創り出すことによって自らの世界制覇の野望を質徹していこうとする「冷戦構造」型政策や「力の政策」がますます困難になってきている情勢の下で、 帝国主義者がますますそれに着目し、自らの延命と野望実現の希望の綱をかけているのは、反帝勢力内部の不団結要因である。 現在、世界の反帝平和勢力の団結がいつにも増して重要になってきている理由はそこにある。 全ゆる国際主義的な任務が無条件に必要とされ、それに対して一面的、機械的に民族的利害や特殊性を対置する民族主義的傾向の危険性は、かかる帝国主義者の絶望的な策動を助長させ、勇気づけるものとなるだろう。
この間、このような点から最大の注目を浴びてきたのは、社会主義中国の毛沢東主義指導部の政策とその動向であった。 それは、世界人口の約五分の一を有する中国大陸が、過去から現在に至るまで、世界政治の動向を左右する重大な要因の一つであったということと同時に、毛沢東指導下の中国がこの間、とりわけ六〇年代末端以降の世界の反帝平和勢力におけるその大国主義的、覇権主義的分裂活動が、ソ連を先頭とする社会主義諸国を敵として闘うことにその最大の力点が置かれ、かつ最大のエネルギーがそこに傾注されることによって、 客観的に帝国主義者に手を貸す、反ソ第二戦線を形成してきたからであった。この毛沢東主義指導部の対外政策の基本をなす反ソ・ 民:族覇権主義は、ここ十数年に一目つて世界の平和と進歩をめざす闘いに対して筆舌につくし難い多大な損害を与えた。
毛沢東主義指導部は、反帝国主義勢力の中軸である社会主義国の間に亀裂を生じさせようと分裂策動を繰り返し、「領土問題」をでっちあげ、反ソ主義を刈り立てた。またこのような反ソ主義はチェコスロバキア事件に際してもそうであった。
又、毛沢東主義指導部は、「毛沢東思想」を「現代のマルクスレーニン主義」とうそぶき、その大国主義的民族霸権主義によって資本主義諸国や発展途上国の前衛党の内外に、自らの物質的経済的援助の下に、国際主義勢力と闘う分裂組織を創り上げ、各国における階級闘争に多大の損害を与えた。
更に、毛沢東主義指導部の分裂政策は、発進路展の選択に当面している発展途上諸国の革命政策に重大な損害を与えた。 彼らは、客観的条件の有無にかかわらず、武力的闘争形態を一面化して、これを各国に押しっけたのをはじめ、発展途上諸国における発展的鍵である社会主義諸国との連帯と協力関係を 「自力更生」原則の名の下に著しく傷つけた。
毛沢東主義指導部が世界の平和と全面軍縮をめざした闘いに対してとった措置と態度を見るならば、その果した犯罪的な役割が一層明らかとなるだろう。 この間、国際的緊張緩和の傾向は、世界の平和を愛する全ての諸国、全ての国民から熱烈に歓迎されている。 これらの基礎を形造ることになったのは、ソ連・西独、ポーランド・ 西独条約であったが、毛沢東主義指導部は、これらに対して極めて否定的な態度をはっきりと示している。 又、この間、急速に成熟してきているアジア安保に対しても、その実現に否定的態度をとっている。 更に、軍指の面では、これまで世界の平和勢力が、菩闘の末に勝ち得てきた様々な国際的条約や協定に対して、「それらには全く拘束されない」と公然と表明している。 だが、これらは、そのほんの一部にすぎない。
こうした世界の平和と進歩をめざす闘いの諸成果やその発展にむけた積極的な提案に対する公然と敵対あるいは否定的な態度は、 全て毛沢東主義指導部の世界政治における主導権掌握と世界を牛耳りたいという階級性の一切欠落した、大国主義的、民族霸権主義的な願望のなせる技であった。
最近の政策変更とその動向
かかる毛沢東主義中国現指導部の国際的分裂策動にもかかわらず、 諸国共産党を中心とする全世界の反帝勢力の団結は強化され、毛沢東主義者の野望を許すことなく多くの偉大な成果を勝ち取ってきた。 毛沢東主義指導部の分裂策動は、この反帝勢力の団結した闘いの前にことごとく粉砕され、破産し、国際的な孤立をますます深めるに至ったのが最近の特徴である。それは、世界の反帝勢力が、その自らの戦線から中国という大きな一部を失ない、又、そのことによって複雑な国際関係が生じたにもかかわらず、世界史を動かす基本勢力としてのその歴史的な力をますます強めたことを意味する。 即ち、国際政治の舞台においては、既に七一年ソ連共産党第二四回大会の平和綱領に示されたプランと内容の下に、反帝平和勢力の闘いが国際的に進行し、帝国主義者の「冷戦構造」型世界戦略を大きく変更させ、更に本年二月には、懸案であったベトナム和平を実現し、 アメリカ帝国主義のアジア戦略に一大打撃を与え、平和と平和共存の諸原則の下に、帝国主義者を追いつめることに成功していることは、その証明である。
こうした情勢の新たな展開の下に、毛沢東主義指導部は国際的孤立化と党内矛盾の激化を前にして、自らの延命を計るための新しい手段をとることにますます直面せざるをえなくなってきた。
中国の現在かかえている諸問題と矛盾、これまでもそうであったように、社会主義の発展法則を全く無規し社会主義諸国から離反し、世界の反帝平和勢力の総路線から離脱してしまったことにその全ての根源が存在している。 従って、中国人民、及び世界の平和と進歩をめざす諸国人民との根本的な、そして共通した利益を守る立場は、中国が社会主義諸国との関係を改善し、それとの団結を強化することによって、世界の反帝平和勢力の一翼に復帰することである。
しかしながら、毛沢東主義指導部の最近の政策修正の中で、こうした立場からの努力の跡は一切見ることができない。
事実が示すように、一昨年の国連復帰を境にして、毛沢東主義指導部に若千の変化が見られるようになった。かって毛沢東主義者が、世界戦争不可避論–「反米人民戦争論」–を唱えて、「帝国主義への協力に他ならない」と称した平和共存の原則に対して彼らは最近その論調を変えつつある。 それは、あたかも中国こそが、これまで一貫した平和共存政策をとってきたかの如き主張が臆面もなく、繰り返されるようになったことにも見られる。
これは、現在の国際的緊張緩和の傾向の中で、世界戦争不可進論を唱え、緊張激化を策動してきたこれまでの政策の破産を、白ら証明したものに他ならない。
これまで一切の会談を拒否してきた毛、沢東主義指導部は、今ではアメリカやその他の資本主義諸国との接近をはかるために多大の努力を傾けている。又、「第三世界」の国々に対しても、国連復帰と前後して、自らを発展途上の国と位置付け、「二つの超大国の支配」に抗する「第三世界」の利益の「擁護者」「代弁者」であると盛んに主張するようになってきた。 以前の毛沢東主義者の政策と比較してみるなら、これらは確かに一つの変化である。しかしながら、これら一連の変化は、これまでとってきた政策が根本から変って生じたものではなく、むしろ、自らの政策の破産を前にして、その明らかに誤りのはなはだしい政策の一部を実用主義的に修正しようとしたものに他ならない。 なぜなら、ソ連をはじめとする社会主義諸国と闘うことは、あいかわらず毛沢東主義者の全政策の主要な方向であり、決して手の加えられることのない不変の原則であって、彼らは、社会主義世界体制こそその覇権主義的・ 大国的排外主義的な野望実現をはばむ主要な障害である、とあいかわらず見なしているからである。 従って、最近努力れている資本主義諸国との関係改善、国交回復も、世界の平和と平和共存をめざした崇高な、国際主義的目的から行なわれたものでなく、国際的に孤立する自己の影響力の低下を押しとどめ、その国際的地位を高めようとする民族主義・ 霸権主義によってなされたのであった。 又、更にそれは、国内の経済建設の立ち遅れを資本主義諸国との交易の拡大に求めようとする経済的基礎に裏打ちされていたのである。 ‘
事実は、 その美辞麗句の裏にある真実を忠実に物語っている。「第三世界」の利益を「代表」する毛沢東主義者の真意は最近の一連の事態によって世界の人々の前に暴露された。 バングラディシュ独立に際してとった毛沢東主義指導部の態度、その国連での加盟問題における拒否権発動は、まさにその象徴であったといえよう。
以上の事実から、次のことが結論されよう。
即ち、近年に於ける毛沢東主義指導部の政策に於けるいくつかの変化は、毛沢東主義の成功の結果ではなく、その崩壞の諸結果であったということであり、だからこそ毛沢東主義者は、その延命のために、情勢の変化の下に巧妙に立ち回り、戦術を変え、更には若干の原則的な対外政治方針を変更しているのだ、 ということである。 従って、それは、若干の戦術的変更であって、戦略的目標の変化を意味するものではない。 毛沢東主義指導部の政策は、あいかわらず、大国主義的な民族的覇権主義にその基礎を置き、主要な打撃目標をソ連に集中しているのである。
新たに生じた危険
現在、中国指導部の新たな動向は、国際政治において新しい危険な要因を創り出してきている。それはベトナム停戦後の帝国主義勢力のアジア支配権益に重要な位置を占めるようになってきているのである。即ち、国際的孤立を深める帝国主義勢力(とりわけ、アメリカ・ 日本)とも毛沢東主義現指導部の接近は、そこに反ソの統一戦線・ 同盟を創り上げ、アジアの緊張緩和の傾向を阻止し、帝国主義者の新たな反動的政策を実現する可能性を創り出し、その野望を助長しているということである。
毛沢東主義指導部は、米中会談、国連復帰を境にして、以前唱えていた「四つの敵」論の二つの構成部分、アメリカ帝国主義及び日本軍国主義の批判を手控えるようになった。とりわけ、昨年の目中国交回復に際しては、更に進んで四次防、安保条約の存在を承認し、ソ連攻撃の武器として、これを積極的に支持するという許し難い方針を打ち出したのである。
ベトナム停戦と国際緊張緩和の傾向の中で日米両帝国主義者の狙いは、日本の田中内閣の提唱しているように、ソ連に対決し、日・米・中を軸とした、 ASEAN、 ASPAC諸国をその中にのみ込んだ「アジア太平洋諸国会議」という帝国主義的な集団安保構想の推進であり、それは、新たな情勢の下での、アジアの「平和」をその粉飾とする帝国主義的新アジア支配戦略の形勢を意味している。 従って、それは、世界及びアジアの緊張緩和の傾向に逆行する「冷戦構造」型戦略の焼き直しであって、ァジァの平和と平和共存に真向から対立する。
このように、ベトナム和平後のアジアにおいて、その成果を打ち国め、 アジアの恒久平和をめざして更に進撃しようとしている反帝平和勢力の行手をさえぎるものが、かかる日本の四次防と日米安保条約を軸にした日米帝国主義者の新たなアジア支配戦略であることを見るならば、中国毛沢東主義指導部の果した重大な意味が理解される。
現在、その危険性がとりわけ強調されなければならないのは、このように毛沢東主義中国現指導部が単に客観的にとどまらず、主観的にも帝国主義者と反ソ同盟を結成しようとしている点にある。
しかし、かかる帝国主義者と毛沢東主義指導部の画策は決して成功することはないだろう。だが、このような意図は、東南アジア諸国の非同盟中立化への明確な志向と強化される社会主義と民族解放勢力の連帯強化によって、又、日米両帝国主義間の矛盾の激化によって非現実なものとなることは疑いない。 毛沢東主義者の裏切りと分裂活動にもかかわらず世界の反帝勢力は、 国際緊張緩和の流れを生み出し、歴史的なベトナム和平協定を勝ち取った。 今や、誰もこの反帝勢力の前進をもたらしている歴史の歯車を後もどりさせることはできない。 毛沢東主義者のこうした活動は、 諸国共産党を先頭とする全反帝勢力のこれまでにない糾弾の声を呼び起こし、ますますその孤立化を深めており、中国国内においてもその矛盾をますます激化させることは不可避であろう。
全ては、反帝勢力の団結の力の中にある。
<日本帝国主義-その矛盾と動向>
一、 田中内閣の危機対応策とその本質
田中への政権交替をもたらした基本的要因
佐藤から田中への政権交替をもたしたものは、日本資本主義の内外にわたる諸困難の増大に対する、独占資本の深刻な危機感のあらわれであった。
その諸困難とは、七〇年の恐慌、七一年八月ドルショックを機とする日本の高度成長の行きづまり、日米間の経済的諸矛盾の激化、円の大幅再切り上げの切迫、国際舞台での政治’ 経済両面における目本の孤立化の深まり、国内的には、資源公害問題の深刻化、大学危機、一般住民の抵抗増大による「社会問題」の激化などであって、これらは全て、日本資本主義の社会的諸矛盾と階級対立の全体の先鋭化をもたらしている。
戦後の高度経済成長とその行き詰り
戦後における高度成長は、 科学技術革命の成果を外国からの技術導入という形で急速にとり入れ、 日本の低賃金労働力と結びつけることを基礎に達成された。 そのことは、独占資本に巨大な利潤率を保障した。 彼らは、自らの手に入ってくる莫大な利潤をさらに最新鋭の設備投資に投下して強度の資本蓄積を行なっていった。 この過程は、 国家の財政金融的援助によって、国家独占資本主義の全体系によって支えられ、促進された。
このような設備投資ゲームは、 日本の生産力水準を急速に高めたが、独占資本はその階級的本性から、労働者、人民大衆にはそれに見あう所得と生活水準の上昇を保障しなかった。日本独占資本は、欧米なみの生産力水準をもちながら、勤労者を欧米の半分以下の生活水準におさえつけている。
日本の独占資本は、公害防止装置をけずって、生活環境を破壊してまで、資本蓄積に努めたため、公害は急速に耐えがたい水準に達した。独占資本は国家財政を利潤獲得の道具と化した。独占資本は、生産力発展にともなって当然必要となってくる社会的消費のための資源を食いっぶして自己の利潤とした。こうしてこのことは、都市問題・住宅問題・保健衛生・社会保障をめぐる諸矛盾を激化させた。さらに、独占資本は、教育に費されるべき国家資金を自己の利潤のためにできるだけ削減し、もっと少ない予算と、労働者の負担増加で、高度成長の結果必要となった質の高い労働者を大量に再生産しようとしている。日本の国家予算にしめる教育費の割合は、主要資本主義国の中で最低である。これらのことは、教育をめぐる矛盾を非常に深化させている。
このように、 高度成長は科学技術革命の成果を社会全体の利益のために利用する広範な可能性を切りひらいたが、独占資本とその国家はその可能性を決定的に阻害している。
こうして一九六〇年代の後半から、国内の社会的諸矛盾は急速に激化した。
こうした諸矛盾は、一九六五年・一九七〇年の恐慌を爆発させた。
このようにしておこった一九六五年の恐慌を、日本の独占資本は、高まった国際競争力を背景に海外市場へ進出し、輸出を急速に伸ばすことによってのりきろうとした。 この日本商品の急進出は、六〇年代以降、帝国主義諸列強の激しい抵抗にぶつかった。さらに一九七〇年以降、日本は戦後最大の過剰生産恐慌におそわれた。ドル危機による円切り上げの衝撃がその恐慌を深刻なものとした。 高度成長は深刻な行きづまりにおちいっている。
インフレーションの進行と国民の生活条件の悪化
一九六九年の恐慌は、目本資本主義に重大な影響を及ぼした。赤字財政による独占資本への「くれてやり」政策と大幅な国際収支黒字による外貨の急速な流入、それを基礎としたさらなる信用膨張は、本格的なインフレーションの条件をつくり出した。
独占資本は、将来への不安から、独占価格をつり上げて利潤を確保するとともに、巨額の資金を必要とする大規模な設備投資を手控えている。独占資本は、発展した日本の生産力に対応する水準をはるかに下まわる額しか生産的投資・ 設備投資・ 社会的必要への投資を行なっていない。この情況の下で、それらの膨張した資金は、利潤獲得の現実的生産的基礎をもたないにもかかわらず利潤を求める投機資本として存在している。 そのような過剰貨幣資本は、将来の減価を予想して急速に貨幣形態から現物形態へと逃避している。商社・ 銀行は、この資金を利用して、土地・ 株式はじめ、重要物資・ 食料品・ 繊維品などの生活必需品にいたる幅広い買い占め投機を行なっている。買い占め投機は、ばく大な仮空需要を産み出している。この仮空需要に水ぶくれさせられた生産增加がおこっている。一部ではこれに刺激された設備投資の波も始まりつつある。こうして過剰資本は整理させられるどころか、投機にまわって、労働の成果はますます浪費されている。 資本主義生産の無政府性は増大している。
国民生活の諸困難の度合は急速に増している。独占資本は、手元過剰資本を利用して、人民の犠牲のもとに国民所得のさらに優位な再配分を獲得しようとしている。商社は、財閥系巨大銀行の全面的バックアップのもとに、まったく犯罪的な生活必需品の買いしめ、大豆、米、冷凍食品、木材一繊維品などの投機を行なっている。生計費の上昇は、急速に賃上げの効果を奪い、生活水準を低下させつつある。 若い勤労者にとって、満足のゆく住宅を手に入れることは絶望的になりつつある。 各種の消費者ローンは、多くの勤労者を銀行資本の債務に縛りつけている。
教育費の上昇は、多くの家計をおしつぶしている。 さらに合理化による労働強化、不安定な雇用条件などが、勤労者を極度の不安と緊張の中におとしいれている。
独占資本は、 このような危機を依然としてインフレによる大衆収奪強化と軍備拡張を含む独占へのくれてやり政策でのりきろうとしている。 独占資本は、今までかちとってきた動労者の生活水準を絶対的に悪化させることで危機をのりきり、 国民所得を再分割し、自己のグループの立場を独占資本内部で強化しようとしている。 しかしそれは矛盾を更に深化させ、将来の更に大きいそれの爆発を準備している。
動労者の生活条件が急速に悪化しはじめたことによって、 階級矛盾は激化している。 人民の意識の左への転換がおこっている。人民の蓄積された不満の爆発は不可避である。
田中内閣の危機対応策
日本資本主義をめぐるこうした諸困難の急速な増大は、独占資本の安定した独占利潤追求とその獲保に対する彼らの危機感を高めている。したがって、彼らの緊切な要論は、内外情勢の急激な変化の中で、自已の地位、権力・ 利潤を獲保し、彼らの国有の野望を実現するために、形だけでも包括的な、それ自身矛盾に満ち多分にスーパー的な「長期的戦略」を決定することであった。この戦略の基本的性格は国家独占資本主義的な資本主義の延命策にほかならない。
田中の登場は、(この長期的な戦略に立って)、日中国交回復をはじめとする一連のマヌーパーと社会福祉政策拡大という煙幕によって人民の反体制的気分を弱めながら、ひき続き独占資本の体制の再一編強化と、 巨大独占資本の利潤獲保の政策をおし進めることを目的としている。だからこそ、国中は、独占資本のために、r日中復交を実現し、列島改造計画」の具体化に着手すると同時に、大きな政治的後退を余儀なくさせられた。 十二月総選挙における自民党の手痛い敗北、自民党得票率の一層の低下は彼らの危機感をさらにかき立て、第二次田中内閣にまがりなりにも「挙党一致」的性格をとらせつつある。だが、自民党の派閥の頒袖の連合をもってしては現在の日本独占資本主義の危機的様相を緩和することはできない。
来年度予算案の性格
このような中で決定された四十八年度予算は、 従来以上のインフレ大型予算である。それは二兆八千億の国債・政府保障債発行を計上し、公共事業費・財政投融資の增大など、独占体への「くれてやり」予算の色を濃くしている。また、所得税減税を五〇〇〇億という少額しか行なわず、国鉄、健保の再度の値上げ策動などを企て、そのことによって実質上の增税をはかるものである。この予算には、一兆円近い四次防予算と四、〇〇〇億円にのぼる軍人恩給(それだけが、勤労者の賃金や年金をよそにスライドアップになった。) と八、〇〇〇億円の独占資本への不労所得供与である公債利子支払いが含まれている。 このように予算の軍国主義的性格も弱まっていない。
そして教育費の伸びは二〇・二%と予算全体の伸び二 四・六% を下まわっている。
このように、来年度予算案は現在の日本社会の危機を何ら解決しないばかりか、インフレを進め、土地等の投機をさらに活発にし、日本の独占資本家階級の寄生性を強めざるをえない。
政府と独占首脳部の代表者、マスコミ、御用評論家の一群が口をそろえて高度成長から高福祉への転換だとか、円の切り上げのメリットを消費大衆の利益に還元させるという輸入自由化、関税引き下げ措置とか、切り上げインパクトで産業の成長率を抑制し、輸出第一主義よりも国内市場重視政策への転換などの必要を強調しはじめている。 だが、実際には、そのような恩恵を国民に約束するような実際的措置は何一つとられていない。 その証拠に、 本来国内物価の動向に抑制的効果をもつはずの変動相場制移行下に、卸売物価は着実に騰貴しつつある。 消費者物価の騰貴の主犯である国鉄料金をはじめとする公共料金引き上げの計画は何一つ修正される気配はないし、この問題について政府は、一貫して言及をさけている。 輪入自由化と流通機構の改革には、通産・農林両省のあいだに政策対立をはらむ強硬な抵抗姿勢があり、田中内閣は結局は何ひとつ有効な措置をとる気はなさそうである。
円変動制への移行と田中的危機対応策の破綻
二月十二日の円変動相場制への移行と円の大幅再切り上げ不可避の情勢は、日本の国家独占的支配層が帝国主義諸国間の通貨、貿易をめぐる激しい闘争において、かってなく孤立におちいり、それにうちかつこともできなかったことを示した。円が変動相場制に追いこまれたことは、田中内閣の無能を内外に暴露した。彼らの「長期的戦略」は、再び根本から瓦壊しつつある。
田中政権は、成立後一年も経ないうちに、深い動揺と苦悩に見舞われている。これを反映して自民党内の派閥抗争はにわかに激化している。 田中内閣は党内から大きくゆさぶられはじめている。
このような窮状に立って、彼らは再び新たなマヌーバーに出ようとしている。それは、スミソニアン・ ショック後にも彼らが国民に約束しながら、それに何一つ手をうちえないでいた「福祉主義」への政策転換に本格的に取り組むかのごとき政策路線の宣伝である。
しかし事実はこれに反して独占資本による動労人民と中小企業へのしわよせの試みが不可避であることを示している。勤労人民に対しては、すでにインフレ・ 大衆収奪強化・ 労働強化という形、での攻撃がかけられているが、それはさらに強化されるだろう。中小企業に対しては、救済融資という形をとって、低生産性部門の整理統合が実施されようとしている。 独占資本は、いままで自らが独占的超過利潤取得のために必要とし温存してきた二重構造を、解消するのではなく、新たに再編合理化し、独占利潤にさらに奉仕する新しい形の二重構造を創り上げようとしている。 中小企業者をめぐる矛盾が深まっている。 独占資本間においても、このような資本の集中の波は、すでに太陽銀行と神戸銀行の合併発表にみられるように新たな局面を迎えつつある。
今度の円切り上げにおいて、前回以上に中小企業の整理・陶汰合理化が強行され、結局は切り上げの全犠牲が労働者、広範な勤労大衆の上に転嫁されようとするであろうことはまちがいない。 さらに、円切り上げとアメリカからの輸入自由化圧力は、日本農業を破綻の危機に追いこんでいる。 一方、政府はすぐに独占体への救済策を検討しはじめている。
来年度予算の更なる大型化を検討しているといわれ、その場合には、予算の独占本位、インフレ的性格はさらに強まるだろう。巨大独占体とそのデベロツパ -の利益に直接に奉仕する「列島改造計画」は、切り上げ不況回避の財政措置として依然強行されるであろう。この点では田中ブルドーザーの走行方向は、何ら変更されてはいない。 しかし、このような独占体への「くれてやり」予算は、独占体が経済の先行きに不安を感じ、インフレーションを予定し、自已の手に入ってくる資金、利潤をますます土地・ 株式・重要物資・生活必需品 (大豆など) などの換物投機にまわす傾向を培大させている現在、その傾向を助長するのみである。
政府の公共投資は、公式に見積られた数字でも、その資金の四分の一が土地取得資金にとられ、その効果を半減している。こうして財政資金は、独占資本と大地主(その多くは独占資本家)のふところに流れこみ、彼らの私腹をこやし、投機資金を供給するパイプの一つとなってしまっている。
このように田中の危機対応策は、今や完全に破綻にひんしている。田中の国家独占資本主義的延命策は、インフレーションをさらに進行させ、階級矛盾を激化させて、危機をさらに深化させている。日本においても、国家独占資本主義の危機がはじまっている。
このような日本独占資本あげての一大買い占め投機、物価つり上げ、生産的投資の抑制の嵐に対して、銀行・商社の国有化・土地所有の国家統制を対置すべきであろう。
二、 階級闘争高揚の不可避性とその課題
戦後の急速な資本蓄積は、他面で労働者階級の数とその社会的比重を激增させた。 政府統計(「労働統計要覧」)による「雇用者数は一九五五年の千八百万人から一九七〇年には三千四万人. に増加した。労働者階級は数の上からは最大の社会勢力に成長した。さらに高度成長による生産力の発展は、技術者・研究者・事務員などを大量に生み出し、今まで支配層に近い特権的存在であった彼らの地位を一般の労働者に近づけた。これらのことは、日本の労働者階級の政治的力の増大への有利な条件となっている。
労働者階級の数的拡大は、主として、さまざまな小ブルジョア諸層とりわけ小経営を営なむ農民の没落の結果である。このことは、労働者階級の意識の中に、不可避的に、小ブルジョア的世界観’ 気分を持ち込むことになった。 この意識は、独占資本による労働者上層と労働組合幹部の一部分の買収・QC・ZD運動などの労務管理やマスコミを通じた労資協調イデオロギーの宣伝などによって強化された。この意識面での資本攻勢は、資本の側からの労働強化・合理化・安全保安支出の削減などと併行して行なわれた。
これに対し日本の労働運動は、 労働組合が産業別ではなく企業別に組纖されているという弱点、したがって賃金闘争や反合理化闘争その他も個別企業の枠を出ることが非常に困難であるという弱さを持っていた。このことは、日本労働者階級の階級意識・政治意識の発展を阻害するとともに、このような資本攻勢に充分反撃できず、労働組合の分裂・御用組合化・ 労働者階級の力の分断化弱体化を招いた。
これと併行して独占資本は、社外工、下請工、臨時工、パートタイマーなどの形態での差別的分断を労働者階級の中に持ち込んだ。 彼らはその企業の本工労働者と同じ職場で労働しながらもその企業の労働組合からも疎外され、日本の最も低賃金層の一部を構成している。 こうして彼らの存在は、日本全体の低賃金・ 低福祉・ 高搾取の構造を支える一つの重要な支柱となっている。このような差別的雇用構造は日本における多くの差別意識の源泉の一つとなっている。日本の労働運動はこれらの未組織の差別された労働者層をほとんど組織しえていない。
以上のような労働運動の状況の中で、一九六〇年代末からの急速な社会矛盾の激化・ 国家独占資本主義の危機が始まったのである。すでに労働分配率は一九五五年の三七・ 七%から一九七〇年には三三・四%に下落していたが(通産省「工業統計」)、これに加えて、急速なインフレーション、公害、「モーレツ」社員などによくあらわされたひどい労働強化・一時間に一人の割合で労働者の生命を奪っている恐るべき労働災害、住宅事情の極度の悪化なとによって、労働者階級と勤労諸層の生活条件は悪化している。そしてその速度は加速化してきている。
他方、独占資本はこのような勤労人民の犠牲の上にさらに私腹をこやしている。今三月期決算では各企業は軒並み大幅な増益となっている。しかも、独占資本は、深まった社会矛盾を解決しようとしないばかりか、自己の利潤をさらにふやし、支配を延命強化するために、依然として国家による赤字財政・ 独占資本への低利融資=財政投融資の拡大と日銀信用の膨脹、 独占資本の価格つり上げを正当化するための公共料金の値上げ、四次防による軍事力強化、労働連動の弾圧と買収・ 民主的諸権利への攻撃を行っている。
国民諸層の不満はうつ積している。 労働者階級と動労諸層の闘うエネルギーは蓄積されている。勤労諸層の抵抗の波が高まりつつある。円大幅再切り上げの中でその犠牲転嫁に対し先制的に起ち上った春闘での一大共同闘争、春闘への同盟の初めての参加、公務員・公共企業労働者のストライキ権奪還闘争の高揚、昨年の全日本海員組合の90日に及ぶ大ストライキ、国労動労の一大順法闘争、いたるところで展開されはじめた広範な住民の反公害闘争、 コンビナート・ 高速道路・ 空港・ 新幹線公害への直接行動の展開、反投機・物価つり上げ反対闘争の広がり、一連の公害裁判での勝利、などはその現れである。 また最近の労働戦線統一の一連の動きは、右翼的再編策動を突き破る下部労働者からの統一への自然発生的な突き上げの強さを示している。これらの諸闘争は、さらに大規模なさらに広範な階級闘争の前ぶれである。以上の日本における階級勢力関係変化の条件は、 田中内閣の危機対応策が結局のところ社会的・階級的諸矛盾の緩和に何の効果も持たなかったばかりか逆にそれらの諸矛盾を急速に深化させたし、いまも深化させていることの証明である。
現在、国民的な指導階級としての労働者階級にとって第一に要請されていることは、広範な闘うエネルギーを生産現場から広範に統一して組織するとともに、個々の闘争を独占資本を包囲する一大反独占闘争に転化させること、ゼネラルストライキなどの金国民的統一行動で独占資本に労働者側の反独占的政策を実現させる政治的・ 経済的圧力をかけてゆくことである。
諸事実が示しているように、議会内への大量の進出にもかかわらず目本労働者階級の前衛政党が、このような原則的立場に立って労働者階級と反独占諸勢力を真の政治的社会的力として組織してはいない。 ・
したがって日本の階級闘争の現段階の主要な特徴は、労働者階級と勤労諸層の生活条件が悪化し、 彼らの闘うエネルギーが増大し、個々の分野地域で自然発生的な闘争がまきおこり、彼らの自民党長期独裁に対する失望が広がり、政治的意識・敏感さが高まり、不満が爆発に近づいているにもかかわらず、労働者階級と勤労諸層がその困難と抑圧の真の根源=独占資本の・搾取と寡頭支配全体に対する意識的で系統的な闘争に組織されるのが非常に遅れている段階、政治的危機への可燃物が自然発性的かつ急速に形成されつつあるにもかかわらず、 労働者階級と反独占諸層の明確な意識性と組織性がそれに遅れている段階である。
昨年十二月の衆院選挙の結果は、このような政治的経済的情勢を一定限度反映しているものであり、その根底にあるのは全体としての人民の意識の左への転換である。選挙での社共の前進は、それ自体として国会内での自民党の専制的な議会連営を制限し、院外での広範な大衆闘争と結合される場合には、国民の反独占的意志を議会に反映させる上での有利な条件ともなりうるものである。社公民による野党の「右翼的」再編は民社党の没落と公明党の後退によって打ち砕かれたかにみえる。 社会党内部では、左派=協会派が進出し、党内の分岐が広がらざるを得ぬ形勢である。
目本共産党=代々木派の「躍進」は、主としては、今まで政治的に無関心であった中小企業者・商業者等の小プルジョア層の一部をとらえている最近の危機感、そして家庭婦人、学生層、その他未組織の大衆の生活条件の極端な悪化などの生み出した不満と現体制の反感、変革への期待によるものであるといえよう。 彼らは、組織された階級闘争の経験を持たず、近年の社会矛盾の激化・ニクソン・ショック・ドル危機の影響、独占資本によるその犠牲の転嫁を経験したことによって、現状に対して急激に不満をつのらせるに到った諸層である。いままで遅れた意識を持っていた彼らが、一時的に、日本共産党宮本指導部の大衆追随主義・議会改良主義、反米反ソ民族主義に期待と幻想をもったとしても不思議ではない。日本共産党=代々木派は、抽象的に反大資本・反自民・安保破棄(反米) ・自主独立といったスローガンを唱えるのみで、積極的な反独占闘争の政策を提出しなかったし今もしていない。こうして彼らは、一般的な不満を票に組纖しようとしたといえる。しかし、さらなる日本資本主義の諸矛盾の先鋭化は、大衆自身が、日本共産党宮本指導部の右翼日和見主義、議会改良主義を乗り越えて進む条件を成熟させつつある。
日本階級闘争の爆発的高揚・政治危機の爆発は不可避である。このことは、日本独占資本に非常な危機感を与えている。 政府は、下からの反独占民主主義に対し、上からの表面的改良と大衆収奪強化を対置している。 それは大衆運動の圧力が弱いかぎりにおいてのみマヌーバーにとどまりうるであろう。
政府は、今年度税制改正に明らかに見られるように、小ブルジョア層をなんとか独占の側か改良主義にとどめておくことに腐心している。
来たるべき階級闘争の爆発・ 政治危機において、改良主義に対し、反独占民主主義を闘いとることーこれが日本の労働者階級と反独占諸勢力の任務である。その時われわれは、自己の戦線において労働者階級に連帯しこの任務の遂行に全力をつくすだろう。
三 、 日米間矛盾の深化と平和共存外交への転換の展望
ベトナム和平の成立、全欧安保準備会議の開催など、全世界の平和共存は確実に前進している。これにもかかわらず、田中政権は、日米安保条約の長期に亘る堅持、事前協議事項の従来通りの運用、ニクソン・ドクトリンに基づく在日米軍の再編統合、さらに、新たな日本″防衛分担金″の引き受け、安保運営の円滑化をはかるための日米制服軍人参加の″安保条約運用協議会″の新設など日米共同の反ソ反民族解放の軍事体制を露骨に強化している。ベトナム和平という新たな力関係の下で、日本は、日米安保を強化すると共に、アメリカと共同して、中国、 ASEAN諸国、オーストラリアを巻き込んで「アジア太平洋諸国会議」という反ソ的性格の強い軍事ブロックを作りあげようとしている。このことは、 日本のこの地域への資本輸出が急速な伸びを示していることと対応している。こうして日本の帝国主義者は、ソ連の提唱しているアジア集団安保構想に反対している。アジア集団安保は、’アジアにおけるソ連と社会主義諸国の影響力を強め、従って、帝国主義諸国の政治的、軍事的支配を弱体化し、その地域における搾取の基盤を堀り崩し、ひいては、目本独自の経済的、政治的支配機構の創出をめざすアジア太平、洋圈の確立一新植民地主義的覇権を実現しようとする日本帝国主義の長期的意図を貫徹し得なくするからである。
しかし、このような田中の戦略は矛盾に満ちたものである。
まず第一に、日米の帝国主義間矛盾の激化が、たえず日米軍事同盟の土台を堀り崩している。戦後、日本の帝国主義者は、アメリカの極東における侵略戦争政策と結びつき、 それを利用しつつ自己の経済力を強化し、対外膨脹をとげることを基本的戦略としてきた。これによって、日本資本主義は、アメリカの技術導入を原動力の一つとして急速な高度成長をとげた。 高まった生産力に対応して、日本商品は急速に世界市場に進出した。資本輸出も一九六〇年代後半から非常なテンポで増大した。こうして日本の市場分割をめぐる闘争は、急激に先鋭化した。現在、その主要な戦場は、通貨決済関係の分野と、米国市場・東南アジア市場をめぐる貿易の分野である。国際通貨危機の状態の中で、米側の加徴金課税の動き、新貿易法案の議会提出など、日米間の闘争は急速に先鋭化している。このことは、現在の世界的力関係の下では、日本を他の帝国主義国との対抗上、ソ連邦を中心とする社会主義体制との接近に追いやらざるをえない。この傾向は、これを避けようとする帝国主義者の意図にもかかわらず、最近のチュメニ・ ヤクート開発をめぐる日本支配層の矛盾した動きとなってあらわれている。 日米の帝国主義間矛盾を評価せず、日米の侵略的軍事同’ 盟を日米連命共同体として見る理論は事実によって否定されている。
第二に、ベトナム戦争における社会主義体制に全面に支援され解放勢力側の勝利は、アジア各国の中立化反帝国主義的傾向を更に増大させ、そのことによって、アジアにおける日米軍事同盟を主軸とした帝国主義軍事戦略をますます孤立させざるをえない。ベトナム戦争と関連したアメリカの東南アジア地域でのドル撤布=ベトナム特需ブームは過去のものとなりつつある。 日本は、往時のアメリカの新植民地主義的「援助」にとってかわる「援助」を行なう経済力、金融力をまだ持つていない。このような全般的危機の現段階における世界的力関係の下では、 日本が東南アジアでの独白の政治軍事支配機構をもったいわゆる自立した帝国主義に至る可能性を世界の反帝国主義勢力によって、強固に否定されている。
日本の軍事力強化、対外膨脹政策は、日本帝国主義者の危険な意図を示していると同時に深刻な矛盾に直面している。われわれはこのような明確な展望の上に立って、日本の軍国主義強化、対外膨脹政策に対し、ソ連邦を中心とする社会主義諸国との平和共存、目ソ平和条約の締結、安保条約廃棄、アジア集団安保への参加、対社会主義経済交流による、貿易の対米依存からの離脱を反帝平和勢力の対案として、高く掲げ、更に、平和闘争を前進させてゆく必要がある。
四、政府・ 独占の大学政策と学生運動の任務
—-政府・ 独占の大学政策の特徴—-(中教審答申批判)
中教審答申は、その前文で答申が「戦後の学制改革以後20年の実績を反省するとともに、技術革新の急速な進展と国内的にも国際的にも急激な変動が予想される今後の時代における教育のあり方を展望し、 長期の見通しに立った基本的な文教施策」であり「国家、社会の未来をかけた第3の教育改革に真剣に取り組むべき時であると思われる」としている。
政府・文部省は戦後、教育委員会の任命制移行から始まって勤務評定の強行的実施、学習指導要網の改悪、種々の反動立法、文部省令、大学に対する官僚支配の強化、等々、一貫して戦後民主教育に対する破壊活動を強化して来たが、それは、全体としては現行制度の枠内での民主的諸権利の剥奪、統制強化であり、科学技術革命の進展、後期中等教育、高等教育の急激な普及という過程に対しては、工業高等専門学校の設置があったものの総じて明確な方針をもたない場当たり的な性格が色濃いものであった。その意味で「第3の教育改革」を唱える中教審答申は、″体系的″な構想の下、教育制度の全面的な改革を目指したものであり、政府・文部省の今後の教育政策を規定するものである。
独占資本のための大学改革
答申は、第3章「高等教育の改革に関する基本構想」で、この構想の意義について「大学に対しては、人間性の尊厳に根ざした豊かな教養をつちかい、高度の知識、技術を身につけた人材を育成して国家社会の発展と人類の福祉に貢献することが要請され、さらに今日では、国民的、時代的な要請から、より多様な教育的機能が期待されている。 –複雑高度化した時代社会に応する新しい制度的なくふうが必要である。・・・大学は、進んで歴史的、社会的な現実に直面し、そこから研究と教育を発展させる創造的な契機をくみとることが出来るような社会との新しい関係を作ることによって、 その社会的役割をじゆうぶんに果たすことに努めるべきであろう。」としている。
しかし、答申が発表された時の日経連、有田一寿教育特別委員長の「おかげさまで。 意見は九分通り反映されました。」との言葉こそ答申の基本的性格一誰のための改革か-を如実に示すものである。
日経連は69年2月「直面する大学問題に関する基本的見解」を明らかにしている。「″教育の爆発時代″と呼ばれる時代、・・・人材の育成、陶冶の問題について、すぐれた方策をもちうるか否かは、ひいては、その国の国際場裡での命運を決する要素ともなるものと考えられる・・・思うに、最近における激動する経済社会情勢、頻発する大学論争など、教育問題の基本的なあり方をゆるがすような危機的情勢のもとでは、産業界としては従来よりもさらに緊迫した間題意識のもとにこの問題にとり組んでいく必要がある。」
独占資本が、大学のあり方一何がどのように研究され、いかなる教育が行なわれるのかーに格別な関心を寄せていることは明らかである。日経連は、「大学の基本間題のあり方」(同上) として以下の提案をしている。
(一)社会的要請に応える目的、性格に応じた多様化。 その際、高度な学術研究に主体をおくもの(大学院大学)、職業専門教育に重点を置くもの(大学学部、単科大学)、一般教養の修得に主眼とするもの(短期大学)、教員養成、芸術その他の特殊教育を行うもの等が必要。 各種の高等専門学校を新・ 増設して実務的な高等職業教育部門の充実。
(二)カリキュラムは、画一化された教養課程は廃止し、専門教育、徳性の涵養に重点を置く。
(三)産学協同に関しては、相互の立場を尊重した上での協力関係がうちたてられるべきである。 研究開発対象が大規模化する現状にかんがみ、共同研究および重点研究を可能とならしめるために、大学相互間、大学、産業界、政府の提携と組織化が図られるようにすべきである。 さらに産学協同を通じて大学と産業界・ 企業との人的交流の促進。
(四) 大学の管理運営の充実強化、その場合、企業の管理組織策が参考にされるべきである。 教授会中心の方法を改め、副学長制を採用。
(五) 学生参加は、懇談会等での意見交換で行うことは認められよう。
(六)国立大学に対する国の監督、指導、助言の権限強化と、私学への財政援助。
日経連「産学関係に関する産業界の基本認識及び提言」 (69・12)「教育の基本問題に対する産業界の見解」(69・9)、経済同友会「高次福祉社会のための商業教育制度」(69・7)も同様の″提言〟を行なっている。
中教審答申は、こうした独占資本の要請に応えたものであり、それは、今日の生産力の急速な発展、科学の直接的な生産力への転化、労働の性質の変化と結びついた大学の社会的機能の著しい変化に対する国家独占資本主義的解決を目指したものである。
かって科学と生産との結びつきは間接的であったが、今日、科学は直接的な生産力に転化した。 生産力の巨大の発展と科学・技術革命の進展は、科学的知識や発明が極めて短期間に実用化されうることを可能にしている。
独占資本にとって基礎理論の分野も含め、科学・技術の成果を利用することが、その地位の維持と強化のための不可欠の条件となっている。 かかる欲求は、学間領域、研究テーマを独占資本の戦略に従属させる試みとして具体化している。
同時に、生産工程の機械化、自動化による労働の性質の変化の中で、 独占資本は多様な労働力を求めている。
世界市場での帝国主義諸国間の競争の激化、本格的な貿易戦争への突入は、目本独占資本のかかる欲求に一層拍車をかけている。 こうして日本独占資本の政策担当者達は、現在の大学が非能率的で彼らの欲求に全く不十分にしか応えていないこと、″学生紛争″が絶えないことに不満を表明し、高等教育制度の多様化と従来の間按的統治方式に代わって管理運営への直接参加を要求しているのである。 (独占資本がこうした研究・ 労働力養成を自らの支出で行なわないのは、 研究教育が直接利潤を生み出さないこと、また研究規模の巨大化によるリスクの増大等のためである)
「第三の教育改革」の目指す大学改革がもたらすものは、独占資本に全く私物化された大学に他ならない。
多様化と教育・ 研究の分離
答申は、「高等教育の大衆化と学術研究の高度化の要請」による研究と教育の分離を提案しているが、 この二つは密接に関連したものである。
㈠ 第一種の高等教育機関(仮称「大学」)
(A)総合領域型 (B)専門体系型 (C)目的専修型
㈡ 第二種の高等教育機関(仮称「短期大学」)
(A)教養型 (B)職業型
㈢ 第三種の高等教育機関(仮称「高等専門学校」)※現在の高専にあたるもの
㈣ 第四種の高等教育機関(仮称「大学院」)
㈤ 第五種の高等教育機関(仮称「研究院」)
この五種八類への多様化は、大学が本来備えるべき教育・研究機能を断片化し、独占資本が要求する科学研究、技術開発を行う「研究院」、高級技術者、管理職人材の養成を行う「大学院」、中級技術者養成の「高専」「大学」、事務労働者養成の「大学」等、資本の盲目的な運動による多様な要求に従い大学を差別的に再編成しようとするものである。
このことは、「教育組纖と研究組織の機能的な分離」に関する答申の構想を見れば一層はっきりする。 「高等教育機関における教員の数育と研究の活動の調和をはかるため、すべての高等教育機関の教員組織は、まず、学生の教育を実施するための組纖として整備されなければならない。 同時にすべての教員に対し.ては、その高等教育機関の性格目的にふさわしい研究の環境が整備されるべきである。 この場合、第四種および第五種の高等教育機関(「大学院」「研究院」)では、教育上の組纖と研究上の組纖を区別して、それぞれ合理的に編成されることが望ましい。 それによって、教員の任務が具体的な場面に即して明確にされ、教育と研究のそれぞれに応じた協力体制が確立される必要がある。」すなわち第四種・ 第五種の高等教育機関と第一種・第二種・第三種の高等教育機関とを明確に区別し、後者を研究機能をもたず、もはや大学と呼べないーー今日でもそうした大学は存在しているがーー人材養成機関と位置付けているのである。「その高等教育機関の目的・ 性格にふさわしい研究の環境が整備されるべきである。」とは、結局、その教員がやりたければ勝手に研究すればよいが、そのための組織的、物質的保障は一切しないということに他ならない。 「もとよりこのことは、その他の高等教育機関においては研究が行なわれないという意味ではなく、あらゆる高等教育機関において、 個々の教員が教育と研究の両面に従事すべきものであることはいうまでもない。」(第一項「高等教育多様化)との言訳(まさに言訳である!)は、先の評価が間違っていないことを裏書きしている。
ただ答申が現在の学部・ 学科別では「教員相互の連携協力が不完全となり、教育課程の適切な編成とその効果的な実施について、総合的な力を発揮することが困難であった」として提案している教育組織の整備に対し、現状を支持する立場から反対することは間違いである。 教官の教育組織の整備とその下での科学的教育方針に基づく教育を要求することは大学改革の重要な課題である。
こうした大学の研究・ 教育機能の断片化は、一般教育の排除と結びついている。
「第一種および第二種の高等教育機関(「大学」「短期大学」) における教育課題は、 その目的・ 性格に即して総合的な専門教育または特殊な専門教育を行なうにふさわしく編成されなければならない。」として実質的に一般教育を排除している。これは、大学を自らに都合のよい労働力養成機関と見なしている独占資本にとって、学生に現代社会の諸矛盾の科学的な把握、個別科学の持つ社会的意義等を明らかにすることを任務とする一般教育が不必要、不利益なものとなっているためである。「戦後教育の理想の一つであった大学に於ける一般教育も現実には形骸化しており、大学の機能と目的を混乱させている。」(経済同友会)
しかし、学生は、公害間題、都市問題等、激化する社会矛盾に対し、積極的・進歩的役割を果たさないばかりか、犯罪的役割さえ果たしていることを告発し、増々大学における研究・ 教育の社会的意義を問題にしている。 かかる学生の積極性に依拠し、一般教育の実現をかちとることが重要である。
管理連営の「合理化」
「七高第教育機関の規模と管理一連営体制の合理化」は、答申の構想の中でも最も重要な位置を占めるものであり、今後の大学のあり方を大きく左右する内容を含んでいる。
「教務・財務・人事・学生指導などの全学的な重要事項については、学長・ 副学長を中心とする中枢的な管理機関による計画・調整評価の機能を重視するように改善を加える必要がある。 また、そのための適当な機関に学外有識者を加えたたり・・・」これは、大学で現実に教育・研究を担っている人々から管理権を違ざけ、独占資本の大学私物化に対する批判を封じ込めようとするものである。「教員の選考や業積評価については学外の専門家の参与を求め」ていることは、教員に対する労務管理を意図したものであり、それは「企業の管理等が参考にされるべきである」(日経連)との独占資本の要求を忠実に反映している。 これが答申のいう「社会(独占資本と読め!)との新しい関係」である。管理の学長・副学長への集中と学外者(財界と御用学者)の参与の本質は、大学が大衆化し、ーー今日、学生の圧倒的多数は動労人民の子弟であり、卒業後も動労人民になる。 また教官の社会的地位も動労人民と変わらないものになっている。ーーその社会的地位が勤労人民の側に接近せざるを得ないという事態に直面し、 独占資本が大学を外から管理、支配せんとしている所にある。(勿論、大学構成員の圧倒的多数を資本の意志に従がわせようとするこうした試みは、長期的に見れば成功の見通しを持つていない。 答申が「急速に変動する社会は、高等教育の改革をいつまでも猶予することを許さない。 したがって、政府は法制の整備の時期、政策優先度などを考盧して、段階的に目標年次を定め、できるだけすみやかに高等教育の改革を実現しなければならない」と述べている様に、この攻撃は、当面の大学のあり方一独占に奉仕する大学か、動労人民に奉仕する大学か-に重大な影響を及ぼすものであり、政府・ 独占の攻撃の中心がこの点にあることを見なければならない。
答中は、管理運営の合理化に関連し、長期的な方向として国公立大の設置形態の変更を打ち出している。 それは「(1)現行の設置形態を改め、一定額の公費の援助を受けて自主的に運営し、それに伴う責任を直接負担する公的な性格をもつ新しい形態の法人とする。 (2)大学の管理連営の責任体制を確立するとともに、設置者との関係を明確化するため、大学の管理組繊に抜本的な改善を加える。」答申は、このいづれかの方式をとることによって大学は「真に自律性と自己責任をもって管理運営されるようになる」としているが両者に共通していることは、理事会制度を導入し、先に見た参与から更に進んで独占資本の直面的な参加を保障せんとしている点である。
教育の機会と教育条件の保障
今日、相次ぐ学費値上げにより教育の機会均等は著しく破壊されており、また教育条件も悪化の一途をたどり、私学に於いては危機的な状況にある。答申には、かかる大学の危機を根本的に改善する計画は全く含まれていない。
答申の行っている試算によれば、 昭和四十六年度から五十五年度までの十年間に学生数に約一・四倍になるが、その間学生の負担増は、国立で五・三倍、私学で二・五倍であり、また教育条件の重要なメルクマールである学生一人当たりの教官数(講師以上) も〇・〇三七人から〇・〇三五人へと低下する。尚、教育投資の対GNP比も四・五四%から四・四七%へと低下する(OECD教育調査団さえ「日本はGNPの伸びが予想されているにもかかわらず教育支出の対GNP比は五~六%をこえそうにない。 他国では経済発展につれてGNP中の教育費が上昇するのが普通」と″批判〟している。)
答申が予定している施策は、公的性格を著しく高めている高等教育需要の増大に対しては、教育と利潤追求の対象とする私学資本にまかせるという政府・独占の伝統的な政策を承認継続しょうとしている。 独占が重要だと判断する分野への重点投資と受益者負担、これが財政援助の原則となっている。
勿論、答申も「今日および今後の社会において充実した商業教育機関の設置経営には、国費の援助が不可欠であること」を認めているが「このような財政援助に関しては、あくまで国の主体的な立場が保持され、その効果について厳正な評価が行なわれるべきであることを条件とすべきである。」との立場をとっている。この政策の核心は、一方では大学の危機が進行し、重大な社会間題となっている現在、政府・文部省の責任問題に発展するのを避けようとする″必要性〟からであり、他方では、そのことによって依然として高等教育を私的資本にゆだね、本質的な責任を回避しようとするものである。また、助成金の交付に際し、基準の厳格化を強調しているが、これは、今回の事態を招いた政府・ 文部省の責任を不問にしたまま、一定の私学のスクラップ化を強行しようとするものである。
この文教予算をめくる問題は、大学の大衆化と生産力の発展に占める高等教育の意義の増大により、その社会的比重を著しく高めている大学の費用を誰がどのように負担すべきかという問題であり、言葉をかえて言うならば、国家独占資本主義下の重要な階級闘争の分野となっている国家的所有と国家予算の配分をめぐる闘いである。 私学の国有化、文教予算の大幅増額は、大学の危機克服の基本的課題である。
中教審答申の矛盾
中教審答申の大学改革は、果たして「学生騒動は世界共通の現象であるが、これを早く解決して青年のエネルギーを建設的目標(ーー独占資本により従順に奉仕することに他ならない) に向けること」を実現するであろうか。これは、現実の一側面独占資本の願望を反映したものではない。 中教審の目指す大学改革は、今日、科学技術革命がもたらしている巨大な可能性を社会全体のために利用するのかそれとも独占資本が占有するのかという社会の本質的な矛盾を内蔵せざるを得ない。一方で独占資本が科学・ 技術革命の成果を占有し、繁栄していること、他方で公害等に象徴的に示されているように勤労人民が生命までも脅かされる事態に直面していること-かかる現実は、 現実に教育研究を担つている若手教官・学生をして誰のための研究教育かという教官・学生にとって本質的な問題に直面させている。「豊かな人間性を培うための教養」教育や教官に対する労務管理でこの問題を解決することは出来ない。 また学問領域、テーマを独占資本の戦略に従属させようとする試みは、学問の奇型的発展を意味するものであり、 その教育は能力のスクラップ化をもたらさざるを得ない。
独占資本の意志を実現する統制強化(学長・副学長・参与会への権力集中)は、必ずや学生若手教官の一層広範かつ深刻な大学改革闘争をもたらすであろう。
<国家独占資本主義段階における学生層と学生運動>
一、国独資下における大学の位置の変化と学生層
大学の位置の変化
進行する学生運動の国際的高揚は、世界資本主義の内部に生じている資本主義そのものの矛盾に起因している。封建主義社会および資本主義の初期の教育が、ただ人間にとって教養と知的要求を満足させるものであるという色彩が極めて濃かったのに対し、現在の国家独占資本主義の下では資本主義の再生産過程にとって欠くことの一できないものへと変化している。
一八世紀に発生した大学の自治は、学問研究が、人類の普遍的発展にとって欠くべからざるものであるとの認識から出発したもであった。それゆえ、当時の封建権力からの相対的独自性を求めたのある。封建社会の支配的イデオロギーであったキリスト教教会権力により、科学としての学問研究が弾圧を受けた上昇期ブルジョアジーの学問研究の自由を守り、貫ぬくという意味での、権力よりの相対的独自性という内容が、現在にまで至る大学の自治、学問の自由を基礎づけるものであり、この時期に大学の自治の概念が確立されたと言えよう。 当時のプルジョァジーは旧封建権力に対し、その内部で反封建権力闘争を展開し、第三階級を代表する、人類の利益の代表者たりえた。また、かれらは、科学と学間研究の普遍性、人類性を最も擁護発展させ得る階級であった。ブルジョア民主義革命の各国における成立の中で自らが権力をにぎった上昇期ブルジョアジーも、資本主義の自由競争のうちは、その革命的内容を失ってはいかなかった。しかし資本主義の発展の中で除々に、その進歩的階級としての役割を失っていく。にもかかわらず学問の自由、大学の自治は資本主義が帝国主義段階に至るまで守られて来た。しかし、それは大学の存在条件がはっきりとブルジョアジー内部の機関としての役割を果たしていた範囲においてであった。この自治は、先進的、革命期プルジョァジーの「アカデミックフリーダム」であり、大学そのものが果す役割が、生産に対して直接的には無関係であるがゆえに許されるものであった。また、それゆえに学問研究および教育は社会とは独自的に、自由に発展する一定の基盤も与えられていたのである。
しかし、資本主義の生産力の発展と生産様式の変化は、ブルジョアジーを労働者階級に対する反動と弾圧の階級に転化させ、その革命性は地に落ち、腐敗と堕落がそれに取ってかわった。とりわけ、国家独占資本主義下の科学技術革命の進行の下では、大学の自治はその「アカデミック=フリーダム」の内容を変化させざるを得なかった。 すでに、その時点で「象牙の塔」の寿命は尽きたのであった。
資本主義が自由競争期から、独占を主にする独占資本主義に発展し、さらに資本主義の最後の段階、社会主義への直接の入口たる国家独占資本主義に移行するにつれて、社会から大きく切り離された、教授による「学間の自由」に象徴される″大学の自治〟は最早、資本家にとっても、また、労働者、勤労人民にとってもまったく不都合となった。その理由は第一に、生産の担い手が労働者であるのと同様に、科学研究・ 教育担い手が知的労働者にその地立を取ってかわられていることである。すなわち、資本家がこの分野においも完全な寄生的立場に転落したこと、 同時に今日の資本主義の生産力の発展に科学研究と高度な質を持った労働力が不可欠であるという意味で独占資本は大学を私的に占有しようとし、それがゆえに、大学構成員(学生・ 院生・ 教官)と労働者階級は、大学の民主的改革を要求し、独占資本の私的管理にますます反対せざるを得ない。
大学をめぐる矛盾は、大学の社会的性格の増大により独占資本と労働者階級の矛盾を基礎にした、独占と反独占の闘争を主要にするに至った。その意味で旧来の教官の「学問の自由」に象徴される大学の自治を叫ぶことが一面では″社会から無縁″の自由を言うこととつながる可能性をもっている。 だからこそわれわれは、 大学改革の具体的内容をこの基本矛盾に照応した形で闘争方針に反映させねばならない。
独占資本にとって、大学の構成員がますます労働者階級の側に、勤労人民の側に接近していることは、危険極まりないもので、労働者階級をはじめ反独占諸階層の闘いのいっそうの前進をもたらすことを、誰よりもよく知るゆえに、その支配を一層強化しようとするのである。 このように、歴史的な大学の自治の機能変化を資本主義の発展のもとに見ることができる。
その内容を大学の社会的地位の変化から見た場合に、それは最も鮮明にわれわれの前に現われる。大学の機能は資本主義の初期においては生産諸力の発展の外にあった。しかし、国家独占資本主義の下で進行する科学技術革命は大学を生産諸力の発展に直接結びつけた。産業革命に見られた機械化現象の発展は、国家独占資本主義の段階に至ってオートメ化という質的に異なった段階にその形態を変えた。オートメ化は、労働そのものに対し人間の生産過程への働きかけを、今までとは異なって機械に並存するものへと変化させた。この事実は、高度な科学技術水準を持った大量の労働者の生産を決定的に必要とさせた。科学が生産に直接的に影響を与えているので、高等教育が多くの労働者にとって必要となる。 こうして、高度な技術者の大量の必要性、事務員の大幅な拡大を社会に対して満たしうる機能を大学が果たすように変わったのである。国家独占資本主義のもとで、急速に進展した科学技術革命と生産力の急激な拡大は、大学を資本主義の生産関係の不可欠の一部とした。 「ブルジョアジーは生産用具を、したがって生産関係を、 社会的諸関係をたえず変革せずには存在することができない。」(共産党宣言)というマルクスの予見通りに大学すらが資本主義の生産関係の中に巻き込まれたのである。
インテリゲンチヤおよび学生の社会的地位の変化
戦後日本資本主義の高度経済成長と科学技術革命の急激な進展はインテリゲンテャの地位にも根本的変化をもたらした。
一方では、科学技術の開発とその生産への適用はインテリゲンチャの知的労働が生産に占める地位を著しく高め、 企業管理の実務はもはや、膨大な賃金労働化されたインテリゲンチャの活動分野となった。
「だが他方、この様な生産におけるインテリゲンチャの地位の向上は、資本主義の諸条件の下では、実にかれらの社会的地位の低下、かれらからの自由と創意の剥奪、資本の専制への服従の強制をともなうことによって購われたのである。今日、インテリゲンチャの圧倒的部分はもはやエリートでも、『自由人』でもなくなり、資本主義企業とその国家独占的諸部門の無力な雇用従業員として、その地位と待遇はプロレタリアートのそれとほとんどえら主ところがなくなった」 (「知識と労働」創刊号)
科学技術革命がもたらしたインテリゲンチャの大衆化と社会的地位の変化は、同時に、学生層にも重大な変化をもたらした。 学生層は今日その出身階層を見ても、 その大多数が労働者階級をはじめ反独占諸階層からなっている。 又、学生層はかっての様に「明日のエリート」 ではなくインテリゲンチャの賃金労働化に伴い、「明日の知的労働者」として即ち、「労働力商品再生産過程における社会層」としての性格を一層明瞭に基礎づけられている。 このような現象は客観的には、学生層が全体として反独占の立場にあることを意味しており、このことは、学生層が層として決起しうる一般的可能性を示すものである。
大学の変化にともなう教官層の客観的地位の変化
このような大学の階級的機能の変化は、 大学教官を資本主義的生産諸力の発展にとって欠くべからざるものとして機能させることにより、教授はかっての「象牙の塔」の塔主ではなく、一介の賃金労働者へと転落した。科学技術革命の進行と発展が、社会的分業を発展させ、労働の協業的性格を拡大するなかでプロレタリアートの構成を大きく変化させた。 大学の教官もその例外ではなく、その階級分化の過程で古典的な意味でのインテリゲンチャーから知的労働者となった。「生産物は一般に個人的生産物に、一つの全体労働者の共同生産物に即ち、 労働対象の取り扱いにより直接に、またはより間接にたずさわる諸成員が一つに結合された労働体の共同生産物に転化される。それゆえ、労働過程そのものが協業的性格をもつにつれて、必然的に生産労働の概念もこの労働の担い手である生産的労働者の概念も拡張される。生産的に労働するためには、もはや自らの手を下すことは必要ではない。全体労働の器官であるだけで、その部分機能のどれか一つを果すだけで充分である」 (資本論)とマルクスが一世紀もまえに述べたことが現実となって進んでいる。
科学技術革命の進展の中で新たな産業部門の発展は、大学教育をもその一部において包括した。 大量の技術労働者・ 研究者・ 生産過程の管理者など「新中間層」と呼ばれる、実質的な労働者の生産の中で、かってインテリゲンチャであった教官は生産的な労働を行なうようにますます変化している。このような事実に対して、ブルジョア学者や一部「左翼」の側からこの事実をまったく歪曲して宣伝している。それはあたかも大学の教官が未だ特権的な地位にある、との主張である。だがこのような主張は「資本主義は労働者の数をへらし『新中間層』へそれらを流し込んでいる」という資本家の宣伝とその内容を一つにしている。教官の行なう教育労働という非物質生産的な行為ですらが、資本主義の高度な発展のもとでは賃金労働に変化している。六八、六九年に見られた全国学園闘争の高揚の中で成立した「助手共闘」などは、その思想的・政治的傾向は別にして、客観的には自らが大学で果している役割が、賃金労働者であり、資本主義の生産過程にくみこまれ、白由な研究を制限され、低劣な条件の下におかれていることへの″反乱〟であった。このように教官や研究者の地位が低下し、大学の社会的性格が増大している現在、すでに過去のものとなっている全くなにものにも規定されない″恣意的な自由〟を教育研究の国家統制、 資本の支配強化に対置することは全くの誤まりである。 そうではなくて、現在では労働者階級・ 勤労人民の利益を守り発展させることと結びついた民主的権利としての研究・教育の自由を要求しなければならない。また進行する労働者の増加傾向、すなわち新たな労働者部隊の登場を反動的であるときめつけるのは正しくない。
先述したように、いわゆる「大学の自治、教授会の自治を守り抜こう」という小ブルジョア的、保守的対応は、それがすでに全人類的な要求を代表していないという意味において実現不可能である。古くさい″学問の自由〟に象徴される「大学の自治」を資本家の側から与えてもらおうとすることは、実は、現在の力関係(独占資本と個々の教官の間の力関係)の下では、独占資本の私的利潤追求に屈服することを意味している。 そうではなく、大学教官は労働者階級の一構成者として自覚し、科学と民主主義、社会進歩の立場にたち、″労働者の教育をうける勝利〟に貫ぬかれた大学の民主的改革を学生及び、広範な学内外の労働者階級・動労人民とともに闘いとるような運動を組織することこそがかれらに要求されているし、それは最も重要な貢献となるであろう。
大学の民主的改革のための闘いの主力部隊は、すでに教官や学生だけでなく、勤労者の″生活権の一部〟とも言うべき、教育を受ける権利や研究成果の社会的進歩への還元、経済生活の擁護’ 拡大を代表する労働者階級を主力とした反独占勢力全体の部隊であろう。だが疑いもなく科学技術革命の発展のもとでの大学教官の地位の低下は、教官と広範な層との連帯の基盤を創造したのだった。かかる方向の徹底と拡大こそが全世界に発生している大学闘争の勝利を確保する基本的な条伴をなすものなのである。
大学の変化にともなう学生の変化と現在の特徴
科学技術革命の資本主義に課した影響を大学の構成員すべてが受けている時、その大部分が資本主義の矛盾を鋭く感じたことは明らかである。 大学の大衆化は、マスプロ化された巨大な学群を創出する。その大学において教育を受ける学生は、この二十五年間、日本においては膨大な数にふくれあがった。 一九五〇年に二十四万であった学生数は、現在一八〇万人に増加している。この量的な変化は、ただ単に量的な変化としてだけ現われているのではなく、質的変化を伴って現われているのである。 学生層の客観的な社会に占める地位も、この数年間に大きく変化したのであった。学生層は、以前には「象牙の塔」と呼ばれるアカデミックな大学で、知的要求を満足させ、教養を身につけ、いわば将来を特権的エリートとして予定されていた。 この少数エリートが全体として社会の中で果した役割は、 はっきりと高級官僚かあるいは、小ブルジョア、ブルジョアジーの道をひた走りに走る資本の側に立ったインテリゲンチャとしての役割であった。 それは、大学のそのものが、支配的階級であったブルジョアジーのための教養を豊かにする場、 知的要求を満足させるものであったことに対応したものである。その構成に関しても圧倒的にプルジョァ階級の子弟が多く、社会の生産諸力の発展とは客観的に無関係に近いものとして存在したことからも知ることができる。
たとえば、東大、早大などの戦前からの学生連動、あるいは、戦後の初期の全学連連動などは、 その内容においてインテリゲンチャの政治・ 経済闘争の範囲をこしえてはいない。日本共産党の創立に大きく貢献した東大「新人会」、早大「文化会」などの運動は、 はっきりと革命的インテリゲンチャの連動としてあった。約五十年前の「学生連合会」の組纖内容もその域を出るものでなかった。 われわれはその果した革命的な伝統を否定するものでなく、むしろそれを引き継ぐものであるが、その歴史的な制約は否定することができない。 戦後の「反ファツシズム」の闘いの教訓から生じたあの「全学連」もインテリゲンチャとしての領域を出ることができなかった。「平和と民主主義」の意識に依拠した「全学連」運動は、学生運動の歴史の中に革命的伝統を残した。だが、その闘いの歴史的位置からいうならば、それは、インテリゲンチャのもつ正義感の運動の領域を突破することはできなかつたのである。このように戦前、あるいは、戦後の一時期における学生層の運動は現在とは質的に異なったものであり、当時の学生が、戦後民主教育の影響によって学生数を急増させたにもかかわらず、その出身階層は資本主義社会における特権的階層の子弟がほとんどであり、その将来をエリートとして予定されたインテリゲンチャとして位置づけられる。
しかし、現在の学生層は、かっての学生とは質的に異なった性格をもっている。それは、学生の社会に対する役割の変化によって規定される。すでに大学の役割の変化に関して述べたとおり、科学技術革命の急速な進展が大学自身を資本主義の巨大なメカニズムの中に包括させた。「教育工場」は、資本家が普通の生産工場に投資して商品を生産する、たとえば「ソーセージ工場」に投資をしてソーセージを作り出すことと同様に、教育に投資することにより、学生の頭脳を加工し、学生を労働力商品として生産してゆくことになった。学生は生産力を拡大するうえで資本家にとっては不可欠のものとして存在している。今日では、全体として、学生の将来の社会的地位は、「小ブルジョア」や「プルジョァジー」ではなく、労働者階級をはじめ勤労人民であることを必然にしている。学生は生産に直接従事していないという意味において労働者ではない。 しかしながら、将来は労働者に必然的にならなければならない労働力商品なのである。大学はこの労働力としての価値を高めるための機関として学生を教育する。学生は労働力商品の再生産過程にある存在としてその要求をますます労働者に接近させながら、教育をうけている。現在の生産力の発展が必要とする諸条件のもとでは、学生数の増加は必然的であり、その学生の数は明らかに労働者階級を科学と民主主義の思想で武装させることにつながる。学生層の現実的要求もそのような意味において、労働者の要求と全く異なったものではなく、ますます共通の要求を多くもつものに変わりつつある。 それに加え、私立大学に典型的であるように教育機構が学生の生活に対する二重、三重の搾取をともなっていることから学生は自らの生活を守るうえからしてもこの大衆収奪と闘わざるをえない。
今日、国家独占資本主義は、教育に対して、また、反民主主義的な抑圧と搾取をいっそう強めているうえに、資本主義の無政府性が、青年学生の将来を不安に陥し入れることにつながり、学生の間には資本主義の諸矛盾を直接的に意識できるまでその客観的基盤は成熟している。しかし、現在の学生の意識は、学生と大学、そして社会全体の諸矛盾を解決する政策と学生層を目的意識的に導びく指導部が不在であることから、一面において、その闘いが無展望な一接的行動になったり、あるいは、無力感に陥れられていく側面をもっている。
しかし、一般に資本主義として「帝国主義は民主主義を幻想に変える」「だが同時に資本主義は民主主義的志向を生み出し、民主主義制度を作り出し、民主主義を否定する帝国主義と民主主義をめざす大衆との敵対を生み出す。」(べ・ キエフスキーへの回答)とレーニンが言明したように、現在の学生大衆の中に存在する民主主義的意識はますます深まりつつある。問題はなんら解決されていないからであり、労働者階級、勤労諸階層の高揚する闘争に共感を示し、いっそう自覚的持統的に闘うことの重要性を理解しつつあるからである。 同時に、大学の地位の変化が、学生の大衆化が「生産の社会化と私的所有の矛盾」のいっそうの拡大をもたらしている(反独占闘争の担い手として学生は、ますますそ
の戦闘性を打ち鍛えていくであろう。 「資本主義は労働者階級をますます拡大する事によって、自らの墓掘人を生み出す。」(「共産党宣言」)と学生の労働者階級へのますますの接近は、この正しさを証明している。
実際に、七十年代の終りには、同一年令人口の四十%が学生となると予定され、これがすべてなんらかの形で労働者として将来を予定しているのである。
資本主義の生産様式の発展と死減は資本主義的生産関係の限定された枠の生産諸力による突破によって生じる。 現代の科学・技術革命は、これらを基礎とした諸矛后を極度に尖鋭化させている。 学生の闘いは労働者階級と連帯して闘い抜くことによってますますその闘いの質を高め、反独占闘争へと、平和と民主主義、社会主義のための闘いへとより広範に爆発的に、闘うエネルギーを消費させるであろう。
国家独占資本主義下における学生連動の一般的特徴
学生連動は全世界的に見ても明らかなように、その階級的性格を全体として反独占闘争へと変化させている。それはすでにのべてきたように学生層の社会的地位の変化に客観的に規定されている。
欧米諸国と日本の場合、伝統的な学生運動の組織形態の相違は、前者が個人加盟制の自治会を基礎にしており、後者が全員加盟制であることに端的に表現されている。また各々の国における社会的、経済的、政治的、また文化的諸条件の相違によって学生連動も異なった様相を呈している。
欧州諸国の場合、フランスやイタリアに典形的であるが、学生連動は前衛政党の正しい指導性を期待しうる有利な条件の下にある。 ルイジ・ ロンゴ(イタリア共産党前書記長)は「学生の諸要求–それはひじようにしばしば、共通した政治的・ 社会的内容をもっている–と資本主義に反対する国民的および労働運動の諸間題とのあいだには政治的・ 実践的連関を見いだしうるであろう。 つまり問題は、まず第一に大多数の労働者階級の代表者、指導者としての共産党との関係一闘争しているあらゆる勢力と学生連動の行動の関係を確立し、統一をかちとることにある」と述べている。 フランスの場合も同様である。 アメリカの場合、日本と類似して多くの大学が州立でありながら日本の私学と酷似しており、学生数の多いことがその一つの特徴であるが学生運動の性格は、歴史的なアメリカ社会全体の露骨な反共的、侵略的、寄生的性格の影響下で、その政治的、経済的、イデオロギー的諸要求の健全な発展が窒息させられている。学生の闘争は、しばしば無政府的であり、浮沈が深刻である。共産党は未だ少数である。 日本の場合は、大衆的で戦闘的な全学連運動の歴史的経験をもっている。 だが、高度成長経済の下で急増した私学を中心に学生の大群が形成されており、支配階級の反動的な大学政策によって二重、三重の困難の下におかれている。学生生活の諸困難は深刻であり、大学教育は学生の要求を満足させていない。そして、本来の前衛政党たるべき共産党は、学生の要求に応えていない。このことが、欧米諸国以上に、労働者階級の子弟の構成比率が高いという条件にもかかわらず、学生運動を全体として反独占闘争に組織しきれていない主要な原因となっている。だが、学生運動が大衆的社会勢力として登場していることはうたがう余地がない。
欧米諸国、日本でベトナム反戦運動が高揚したとき、学生が果した重要な役割は誰しも否定できない。 学生の労働者階級への接近という全般的過程は客観的なものであり、押しとどめることはできない。 その要求は、ますます自らの物質的利害–実生活とその将来の地位にかかわる–に基礎をおく力強いものとなりつつある。 学生はまたイデオロギィシュであり、種々のイデオロギーの影響をうけることからイデオロギー闘争は決定的に重要となっている。
それは国家独占資本主義の下で、種々の非合理的な反動的イデオロギーが日常的にばらまかれていることからとりわけ重要である。学生はその知的要求の強さとその地位の労働者階級への接近の過程のなかで、自らの将来の地位にふさわしい自覚を、つまり科学的世界観の獲得と社会変革のための闘争参加の意義とを統一的に理解しうる客観的な基盤のうえに生活している。この現実は、客観的であり、学生を反独占闘争に全体として組纖しうる可能性を示すとともに、われわれに学生連動の未来を約束している。
「小ブルジョア的インテリ青年のかなりの層の普通の雇用労働者の状態への移行が現代資本主義の経済的、政治的、社会的、倫理的矛盾の全複合体として前面に押し出されている。青年に特有の情緒的感激性、歴史的、社会的経験の不足、青年学生の大半が出ていった環境の特殊性がかれらの社会的意識の独自性と浮動性を規定しているのである。それと同時に全体的な民主主義運動および反独占運動を自己の志向に結びつける社会的グループとしての学生行動は歴史的に現代世界におこっている革命的進展を条件づける合法則的なものである。」(「世界経済と国際関係」誌、邦訳十集「先進資本主義諸国における大学と学生」より)
二、 国独資下における学生運動と学生同盟論
科学技術革命と大学の基本矛盾
学生層の特徴の中で述べたように、科学技術革命は大学の社会的地位を大きく変化させた。科学技術革命は資本主義的生産様式に大きな影響を与えている。それは資本主義の全般的危機を一層深化させ、資本主義内部に深刻な矛盾をよびおこすのである。新技術の導入は固定資本への巨額の支出をもたらし、資本の有機的構成を高めた。このことは、自由競争「社会的可動性」を大きく制約し、中小企業、非独占資本の没落と独占体への資本集中・ 集積の傾向を一層強めている。 ゆえに、資本主義国における科学技術革命の進行は経済における独占体の支配を一層強化するものとなる。これは、国独資の矛盾を激化させ、生産の社会的性格の増大とその成果の私的占有との間の矛盾を極度に尖鋭化させるのである。 又、この過程でオートメーション化によって労働をますます駆遂すると共にそれは、 (a)、階級分化の加速度的促進、(b)小ブルジョアジー、中間層の社会的地位の低下、(c)独占資本と勤労人民の矛盾の深化として現われる。
一方、科学技術革命は、技術者、技術要員、科学研究者、事務労働者の数を増加させると同時に労働生産性の向上により、 非物質的生産領域の拡大のための前提を作り出す。 これに従い独占資本を今までの産業部門で労働者を多く必要としなくなったということに関係し、「第三部門」と呼ばれる非物質的生産領域、流通やサービス部門–まで巨額の資本投下を行ない、独占体の支配強化をはかっている。
このように、今まで中間層であった部分は加速度的にプロレタリアに転化し、今までのプロレタリアの概念は変化し、広汎な知識階層がプロレタリア化した。 現代資本主義の基本的発展方向はプロレタリア個々の戦列や階層の間にどんな差異があろうとも、その差異など問題とせず、それを減少させ労働者の団結を一層強める結果となる。これは日本でも例外ではなく、すでに全労働者の半数が非物質的生産領域の産業に従事する労働者である。そこで、資本の有機的結合をストレートに進ませるためにも, 労働力の再生産への根本的な変化を資本の側から望まねばならなくなっている。 このように、科学技術革命がよびおこした国家独占資本主義下の社会的諸矛盾が大学の中に直接的に反映し、現在の大学の基本矛盾を作り出すのである。独占の側からの大学への攻撃は中教審答申の中にはっきりと見て取ることが出来る。日本の場合は教育自身が独占資本の投資利潤追及の対象にされ、極度に教育の機会均等が破壊されていることからより深刻にその矛盾は反映するのである。
学生の要求-その労働者階級への接近
学生層の全体としての労働者階級への接近は、学生のその要求においても労働者階級との共通性を高めつつある。
科学技術の開発、それの生産への適用が、独占資本の死活の課題となりつつある今日、大学の研究教育の成果の私物化、学生・教官の統制管理の強化は、いっにもまして露骨に展開されている。
学生は第一に、このように大学を独占資本に従属させ、学生の民主的諸権利を一剥奪する反動的諸策に対して、広汎な不満と反発を表明している。
第二に、不満と反発にとどまることなく自覚的学生は、社会矛盾をはじめ、労働者階級および反独占諸階層の利益と結合する研究・教育の実施を要求しているし、明日の学生一勤労人民の利益であるが故に、大多数の学生の共感を得ている。
第三に、大学の社会的役割の拡大にもかかわらず、その費用の大部分は、学生およびその父母に負わされており、学生生活の破壊に対する怒りが渦まいている。
それは、 物価、公共料金の上昇に対しても向けられている。
科学技術革命に伴う大学・ 学生の地位の変化は、 以上のように学生の物質的利益を基礎に、いっそう広範な学生の闘争を実現する客観的基盤を作り出した。
これらの要求のすべては、労働者階級の要求と密接に結びついている。労働者階級は、大学の科学研究・教育成果を真に社会的に還元することを要求している。また、科学技術革命の進展によって、労働者は総合的科学的教育を身につける教育の機会均等、保障を要求しているし、現実の学生生活の破壊、機会均等の破壊は、 ますます労働者の反対を呼び起こしている。
こうして、労働者階級と学生層との接近は、その要求においても深まる一方である。 そして、労働者・学生の要求を無視し、収奪と弾圧の強化の下に進められる日本帝国主義の冷戦政策、軍事力強化、軍国主義政策に対して、いっそう、共同の闘いを実現する基礎を築いている。
かくして学生運動は、労働者階級を中心とする反独占勢力の一翼として確固たる立場を形成するにいたっている。
大学が資本主義的社会関係の中に深く位置づけられ、学生の存在および要求自体が社会的性格を増し、労働者階級の要求との共通性が高まっている現実、これらの全ては、労働者階級の積極的介入によってのみ、その要求を実現できることを示している。だが、労働者階級との連帯は、一方で、学生の目的意識的な闘い、他方における労働者階級の自覚的指導なしには、 実現できないであろう。
学生は、過去の闘いの教訓からそのことを徐々に理解しはじめているし、今後、労働者階級の首尾一貫した闘いに連帯し、依拠する中で、いっそう自覚を高めてゆくであろう。 そして、この闘いを通じて、明日の労働者階級あるいはその同盟者としての自己の立場と任務を確認するのである。
平和のための闘争における学生の役割
労働者階級は本質的に平和の擁護者であるが、このような過程で学生は反戦平和の課題に対して、労働者階級と同様の意識を持つようになる。 しかし、その闘いは労働者の闘いと同様と言う形では進まない。 なぜならば労働者は現場に拘束されるが、学生はそうではない。 それゆえに学生の闘いは、より積極的に行なうことができる。 こうした有利な側面をわれわれは決して軽視すべきでない。学生は、労働者階級にとってかわることはできないが、個々の局面で労働者階級の不十分点を補なう闘いを彼らと連帯して進めることも可能である。また学生の知的性格は軽視されるべきではなく、これを充分に闘争の中に生かし、宣伝、煽動の武器としなければならない。しかし、その意識性の「高さ」のみに基本を置き、学生先駆性を叫ぶのは、学生の限界性を無規した重大な誤りである。 決定的勝利にとって、労働者階級の果たす革命的役割と力を否定してはならない。これは、原則に関わる間題である。
同時に学生の反戦平和連動は、大学の独占資本への隷属、学生の民主的諸権利を剥奪する独占の意図に対する闘いと結合されて関われなければならない。その結合は科学的情勢分析と戦争政策の一つ一つの危険の暴露を通じ、反戦・平和闘争への学生の決起を組織することによって、また、政治同盟の正しい政治指導を学生大衆に対して行う事によって保障される。とくに、平和運動にとって平和委員会などの大衆的な独自の平和組繊の存在は広範な学生を平和のための恒常的な闘争に組識するうえで不可欠である。学生の平和への要求が社会主義諸国、労働者階級、そして民族解放勢力、これらの三大平和勢力の闘いの前進や戦争・軍国主義政策が学生の物質的利害を脅かしていることに規定されている学生層の基本的要求の一つになっていることから反戦・平和の闘いに全学友が決起しうる客観的基盤は成熟している。
また、教育研究の中に導入される軍事産業とのゆ着結合をわれわれは決して見逃すわけにはゆかない。大学は今までもそうであったように、軍事力開発の主要な役割を果してきた。科学技術革命は軍事研究の中で生み出された成果の産業への結合から始まった。このような教育研究の分野での軍需産業との結びつきを断ち、教育・研究の平和への貢献を積極的に働きかけることこそが学生の闘い得る重要な闘いである。学生は、ここで労働者階級を中心とする反独占勢力の一部として国際的な平和と平和共存の闘いの一部を構成し、またこれを自覚的に闘うことにより、その闘いは戦闘的になり得るし、「平和運動至上主義」的な内容をくり返さないことにつながるのである。
反独占聞争の一翼としての教育・学園闘争
科学技術革命の進行が大学の社会的機能の変化と学生教官の変化をもたらしたことが、教員研究の内容をはっきりと変えた。
大学の変化が独占資本に大学全体を従属させる方向に進められようとしていることが、学生の中に大きな矛盾を生じさせていることを基軸として、 われわれは教育学園闘争の連動論を展開しなければならない。まず第一に、その攻撃の型に存在している民主的権利に対する破壊である。 第二に、教員研究内容に対する資本主義的規制である。第三に、学生、教官の思想文化活動に対する攻撃パージである。 第一の攻撃は、教授会学生自治会に対する破壊攻撃、政治活動の制限、学生営造物利用者とする位置付けの下で受益者負担主義を口実に教育の機会均等を破壊し、学費値上げ奨学金の実質的引き下げ、また、自治活動の、政治活動の禁止として現われている。 第二の攻撃は、研究を独占資本の私的利潤追求に直接従属させ、また、教育内容を科学的世界観をもたない労働者を生みだす教育として現われている。 第三は、非科学的、非合理的思想を付与するという現象として現われている。これらの攻撃は学生の決起を必然的に現象させざるを得ない。これは現在の日本の学生層のみならず全世界的な傾向でもある。このような中でわれわれは、教育学園闘争をまず第一に教育の機会均等など動労人民の民主主義的権利の獲得闘争としてはっきり位置付けるべきであり、それを武器として独占の攻撃のあらゆる側面に対決しなければならない。 第二に、教員と研究を真に労働者に対して奉仕する内容に変えていかなければならない。同時に、学生の思想を科学的世界観に裏うちされた科学と民主主義の思想で武装することをその教育の内容としなければならない。われわれは、学生と教官と大学職員に関しては学園の民主的権利の拡大のための闘いの中で、統一できることを承認するだけでなく、労働者とともに大学間題で共闘できる社会的・経済的基礎をはっきりと見ることができる。 大学構成員の民主的権利の拡大の闘いに関しては、大学の自治の一般民主主義的原則を発展させた内容であるだろうし、その内容は、機構的にも労働者の参加のもとで大学の自治を確立するという形にならざるを得ないだろう。そうでなければ、大学の自治は有効に確保できないし、それによって大学教員の民主的発展と労働者をはじめ、反独占階層に奉仕する自主的民主的な研究という内容を最も有効に発展させることができるのである。全員加盟制学生自治会はあとで述べるが学生の権利を確保する世界にも類を見ない最も進んだ組織的保障であり、学生の闘いにとって最大の組織的武器となりうるものである。この学生自治会を守り発展させるという課題は、 反独占民主主義闘争を闘い抜く諸階層との強固な連帯の中でのみかちとられるものである。われわれは資本のためではなく人民にとって最も有能な労働者として、研究者して社会に登場できるような教育をかちとるために、また、闘いの中で民主的、革命的労働者として学生層を一鐵えるために闘い抜かなければならない。
自治会連動の展開とその発展のための自治会連動論
自治会運動の展開とその発展のためにに、自治会を担う執行部の方針にはっきりと科学的・民主主義的内容が含まれなければならない。今日に至るまで自治会運動は、自治会サービス機関と化したり(民青に代表される自治会の指導は、諸要求をその内容とした非科学的な闘争方針である。民書系全学連、民青一二回大会決定基調はますます諸要求羅列主義、 大衆追随を深めている。)、政治党派化したり、小型前衛党化したり、平和連動至上主義化したりする誤り(「トロツキスト」諸派のかっての赤色自治会主義的連動に見られる学生の意志をまったく無規した政治主義的引き廻し)を繰り返してきた。これは単に誤りというにとどまらず、自治会を破壊することにつながる。自治会は決してその本質においてこのようなものでなく、労働組合とその形態においては同じものであり、正しい政治指導と組織内民主主義(自治会規約に体現された自治会民主主義)の徹底した遵守によって、革命的な役割を果してきたし、果している。
自治会はブルジョア議会とは明らかに異なったものであり、ブルジョア議会的なものとして、学内での権力組織=暴力的独裁機関であるとして位置づけることは全くの誤まりである。自治会決定を守るためにはゲバルトをもってしてもそれる貫徹すべきであるなどとする革マル派の自治会論などは、まさにこのようなとらえ方の典型であるということができる。 われわれが闘わなければならない自治会運動とは科学と民主主義の貫徹した連動である。その闘いは学生の要求に基礎をおき、結合したものである。 したがって、第一義的には、「よりよき学園生活」を守り抜くものとしなければならない。しかし、同時に、この闘いを闘い抜き、勝利に導くためには闘いの質を高め、全国化し、それを政治闘争として高揚させなければならない。この場合、政治方針の学生内部での明確な意志統一、とりわけ、われわれが共同行動の原則とする「課題と基本戦術の一致、批判の自由」を前提とした政治指導と統一戦線政策を貫徹することによって、学友を層として決起させることができる。 組纖内民主主義の貫徹こそがその組織を戦闘的ならしめる唯一の保障なのである。
したがって、自治会がとりあげることのできる方針は、その方針の科学性と民主主義が貫徹するならば無限であるといってもよいであろう。自治会は、第一義的には、学生生活擁護を掲げなければならないが、それとは矛盾することなしに、平和連動、政治闘争をも充分に闘い抜くことができるということである。また、自治会が破壊されているから学生層は決起することができないという原則的誤まりである。 自治会がなければその機能を創り出す大衆的な闘いと、その組纖の建設をわれわれが行なうべきである。自治会が層として学生を決起させるための最良の武器であることはいうまでもない。しかし、それを逆転させ、自治会がなければ層としての学生の決起を創り上げることができないとするのはあまりにも茶番である。
民主主義学生同盟と学生同盟論
学生層の労働者階級への接近、要求における労働者階級との共通性の拡大、これらの事情は学生運動が労働者階級と一層結合を深め連帯し、依拠することなしには飛躍的、勝利的発展をありえないことを示している。と同時に、そのことは学生運動指導部にとっても労働者階級との組織的交流、結合を不可避的に要請している。
今日、日本学生運動指導部は、このことに対する無理解あるいは歪曲によって、学生共産党化、学生先駆性論の立場に次々と転策している。
民主主義学生同盟と単一学生同盟論
民主主義学生同盟は、一九六三年、民青一部指導部による官僚主義的組織的排除が相次ぐ下で、にもかかわらず大阪府学連をはじめ大衆運動の統一と発展を担わねばならない現実を前にして、自覚的学生–我が同盟の先輩諸氏によって結成された。 当時、民主的革命的青年・及び労働者の自覚的組纖の不在の下で、民主主義学生同盟は、まさに、学生連動統一の唯一の擁護者として、文字通り、自主的単一学生同盟として発足した。そのことは同時に、民主的革命的青年労働者との自覚的交流を排除するものではないし、むしろその積極的推進によってこそ民学同の健全な発展は保障されうるものであった。民学同は、このような歴史的限界性の下に結成されたのであって、今日、学生共闘派指導部が自己の学生共産党的偏向を合理化するために行なっている恣意的で一面的な「単一学生同盟」とは一切無緑である。
労働者階級の指導性と単一学生同盟論の止場
労働者階級の指導性は、今日、大学の民主的改革、学生生活擁護の闘いの中で一層緊急に要請されている。 同時にそのことは、学生連動指導部と労働者階級の指導的組織との交流と、方針における首尾一貴した、労働者階級の指導を要請している。
困難な歴史的限界の下に存在する民学同もこの様な指導抜きには、正しい発展は全く困難であり、とりわけ、学生層とますます共通の要求を持ち、 共に闘う基盤を確立している青年層との結合は、不可欠となっているし、民学同は、他方では、この様な自覚的青年労働者を創り出すことを任務としていたのである。
日本共産党(代々木派)が著しい議会主義・セクト主義的偏向を強め、その指導部としての任務を果しえない下で、大衆的政治同盟の確立で民主的・ 革命的、労働者、とりわけ青年労働者との連帯・結合、このことが学生同盟の強化及び発展を保障する道である。
学生同盟が陥りやすい、又、学生同盟であることから生じる種々の弱点を正しく克服し、我が同盟の基本的政治路線の下での闘争を一層強化することになるであろう。学生同盟は、労働者階級の首尾一貫した指導なしには、情勢の一面的把握や主観主義的政治判断から完全に自由ではない。情勢の急激な変動期には常にその動揺的性格を顕在化させる危険にさらされている。また、学生運動が基本的には、四年間というサイクルでその人員を交代させねばならないことから、学生同盟は指導部隊として不可欠の政治的経験や理論的思想力継承性、蓄積という政治同盟にとって不可欠の条件を十分に満たすことができない。更に重要なことは、広汎な学生連動の活動家= ″デモクラット″ の卒業後の活動の組纖的保障を持たないという点で、今日の学生層の特徴=将来を労働者階級をはじめ反独占諸階層の一員として予定しているという特徴をその組織論に体現させていないことである。諸外国の青年、学生組織の組纖の形態は必ずしも一様ではないが、学生と青年労働者がその指導上の組纖的一体化を基本的原則としている点では無条件に一致している。われわれは、日本の青年・ 学生連動の現状とわれわれの現実的力量を正しく考慮して、学生同盟のもつ歴史的限界を克服する原則的組織形態を検討しなければならない。