<<「現状は率直にいって危機的であります」>>
共産党の機関紙『しんぶん赤旗』の危機的状況について、すでに8/29付け同紙は、「しんぶん赤旗」と党の財政を守るために、と題して、財務・業務委員会責任者の岩井鐵也氏が、「率直にお伝えしなければならないことがあります。それは、日刊紙・日曜版の読者が8月1日の申請で100万を割るという重大な事態に直面し、この後退が『しんぶん赤旗』発行の危機をまねいていることです。そして、『しんぶん赤旗』の事業は党の財政収入の9割をしめるという決定的な役割を担っています。『しんぶん赤旗』の危機は、党財政の困難の増大そのものです。『しんぶん赤旗』の後退は、中央も地方党機関も財政の弱化に直結します。党の役割が大きくなり、党活動の強化が求められているそのときにその支えとなる財政が足りない――これほど悔しいことはありません。総選挙をたたかう財政の備蓄もこれからです。この事態打開には全党のみなさんの力の結集がどうしても必要です。全党の力で『しんぶん赤旗』と党の財政を守ってください。お願いします。」という悲痛な訴えを掲載している。異例な事態である。100万部の内訳は、日曜版は80万部強、日刊紙は党員数にも満たない20万部を割っているという状況である。
そして9/15、共産党の第7回中央委員会総会が開かれた。志位委員長は、「あいさつ」の中で、「党員でも、読者でも、わが党の党勢は、1980年ごろをピークにして、残念ながら長期にわたって後退傾向が続いてきました。党員は、50万人近くから、現時点は約28万人です。『しんぶん赤旗』読者は、1980年のピークは355万人でしたが、現時点は100万人を割っています。」と述べて、「現状は率直にいって危機的であります」と、共産党の現状が危機的で重大な事態にあることを認めている。
その原因について、志位氏は、「主体的な活動の問題点もありました。その都度自己分析と方針の発展も行ってきました。同時に、わが党をとりまく客観的条件の問題がありました。そのなかでも最大の問題は、1980年の『社公合意』によって『日本共産党を除く』という『壁』がつくられたことであります。」と述べている。討論を経て出された総会決議も、1980年以降、党勢が後退を続けている主たる原因を「社公合意」による共産党排除の「壁」に求め、そのことによって職場の党組織、若い世代の中での党建設が困難にさらされたことを強調している。
40年近く以前の「社公合意」をもって、党勢後退を40年後の現在に至るまで続けている「主たる原因」、「最大の問題」にするなどという、筋違いも甚だしいあきれ果てた志位委員長の手前勝手な「自己分析」がそのまま総会決議でも繰り返されているのである。真面目に議論しているのであろうか。
共産党がこれまで抱えてきた統一戦線政策に相反するセクト主義、自民党に勝利をもたらせ、大いに喜ばせてきた「自共対決論」に象徴されるわが党第一主義、すべては党勢拡大、強大な党建設、それが後退すれば「力不足」としてしか総括できてこなかった、共産党自身が抱える内的要因を、「社公合意」という外的要因にすり替える論理である。それが、40年近くたって今回突如持ち出されたのはなぜなのか。内輪の自己都合的な冗談、放言程度ならまだしも、多数の「中央委員」なる人々の真剣な議論を経たはずの総会決議でもそれが堂々とまかり通るという、この党の知性欠落、知的頽廃、指導部全体の責任放棄には愕然とさせられる。
40年前ではなく、ごく最近、この党の2年半前(2017年1月)に開かれた前回の第27回党大会時の党勢と比べてもその論理矛盾は甚だしい。当時、党員30万人、機関紙読者110万部であった。それが現時点では党員28万人、機関紙読者100万部を割ったというのだから、党員数は2年半で2万人、機関紙読者数は10万部以上減ったことになるが、それは「社公合意」とは何の関係もない。しかも、総会決議が指摘しているように、「しかしこの4年来、『日本共産党を除く』という『壁』は崩壊」しているのである。それにもかかわらず、党勢が引き続き後退しているのはなぜなのか、内的要因によって危機を招き寄せているという、本来あってしかるべき、誠実で真剣な「自己分析と方針の発展」がまるでないのである。これは責任逃れ、逃亡の論理であり、疑いもなく共産党という党組織そのものが存亡の危機、崖っぷちに立たされていることの証左でもあろう。日本における統一戦線の発展にとって、共産党の果たすべき役割が軽視できないだけに、憂れうべき現状と言えよう。
<<「ありがたいような、困るような…」>>
問題なのは、この危機的状況を脱するために「党員拡大でも赤旗読者拡大でも『前大会時の回復・突破』という〝党勢拡大大運動〟」が提起されたことである。これまでもたびたび年に何度も党勢拡大・党員拡大の「大運動」が提起され、たまにごく一時的な回復はあれども、一貫して後退してきた、それはなぜなのかという反省もなしに、いきなり第28回党大会(招集日は来年1月14日、会期は5日間)までのたったの4カ月半で、党員数は2万人、機関紙読者数は10万部以上の拡大で、前大会時の回復・突破をはかるという「目標」が設定されたことである。総会決議は、「この目標は大きいように見えるが、4カ月半の間に、1支部当たり日刊紙読者を2人以上、日曜版読者を7人以上、前進させることができれば達成が可能になる。」と述べている。なんと空々しい、これまで何度も繰り返されてきた言葉である。言うは易く、行うは難しである。客観的現実と足元を見ない、戦前の軍事ファシズムとも似た「特攻精神」を下部党員に押し付ける、一種の無謀な賭けとも言えよう。
9/17付け「しんぶん赤旗」によれば、「第28回党大会成功をめざす党勢拡大大運動」推進本部第1回会議が開かれ、小池晃書記局長を本部長として、「9月の一日一日の取り組みが決定的です。党本部としても、ただちに立ち上がるために7中総の翌日に会議を開きました」とあいさつ。中央役員が県・地区・支部に出かけて大運動成功にむけて一緒に探求するという提起を一刻も早く具体化すること、新たな取り組みである「街角トーク」を中央が率先して実践することなどを確認しました、などと報じている。小池書記局長は、その報告の中で、「どうやるのかについてすべての答えを中央が持っているわけではないということを率直に述べました。」と、中央が「答え」を持たず、無方針で臨んでいることを認めながらも、同時に「もちろんこれは、決して暗闇の中の手探りの探求ではありません。探求の指針は、党大会決定や今年1月の県・地区委員長会議の法則的発展の方針に示されています。ここを手掛かりにして、すべての中央役員が都道府県、地区、支部に出かけ、一緒に行動しよう。」と、自己弁解に躍起な姿勢を露呈している。方針は、「すべての中央役員」が支部に出かけることだけである。小池氏は、「決して“はっぱ”をかけに行くわけではありません。支部に学びに行こうという提案です」とも弁解している。
小池氏の報告によれば、「都道府県と地区の役員は、全国で1万508人おられます。この1万人をこえる役員が中央役員とともに、みんなで支部に入ろうではありませんか。ひとりで二つの支部・グループを変化させることができれば、すべての支部・グループが立ち上がる状況をつくりだすことができます。そうすれば目標達成の展望も大きく開けてくると思います。」と述べている。逆に言えば、この「1万人をこえる役員」がこれまで何をしてきたのかが問われる事態でもある。
この党会議の感想文の中には「中央も一緒に探求してくれるというのは心強いような、でも中央から来たらどうしようという気もしますが、ありがたいような、困るような…」、という率直なものもありました、と紹介されている。
決定的な問題は、このような「ありがたいような、困るような」=「指令待ち」「様子見」を蔓延させてきた共産党の中央集権主義的体質、トップダウン方式が行き詰まり、閉塞状況をもたらしていることである。共産党に決定的に欠けているのは、全党員が生き生きと活動できる党内民主主義、草の根民主主義、下部の意見、提案、貴重な少数意見こそが尊重されるボトムアップ型の民主主義であり、それが指導部には全く理解されてもいなければ、一貫して無視されてきたことである。
<<「いま後退から前進に転じなくて、いつ転じるのか」>>
この9/15の中央委員会総会で志位委員長は、「現状は率直にいって危機的であります。それは全国の同志のみなさんが痛いほど感じておられることだと思います。同時に、それを前向きに打開するかつてない歴史的可能性も間違いなく存在する。危機と可能性の両方があるのであります」と述べている。
その「可能性」について、総会決議は、「わが党は、党づくりをめぐって、いま大きな岐路にある。危機もあるが、これまでにない歴史的可能性もある。いま後退から前進に転じなくて、いつ転じるのか。これがいま私たちに問われていることである」と述べ、「第一は、市民と野党の共闘をさらに大きく発展・飛躍させ、衆議院で、自民・公明とその補完勢力を少数に追い込み、野党連合政権への道をひらくことである」として、「そのために、野党間で政権問題での前向きの合意をつくるために力をつくす」とする。そのために、野党連合政権にむけた話し合いでは、(1)政権をともにつくるという政治的合意、(2)連合政権がとりくむ政策的合意、政権として不一致点にどう対応するかの合意、(3)総選挙での小選挙区における選挙協力――三つの合意が大切になる、としている。
問題は、こうした共産党の「野党連合政権構想」が、共産党の組織的危機の打開策として、合わせ鏡のように打ち出されていることである。「いま後退から前進に転じなくて、いつ転じるのか」という表現に率直に表れているように、自己の党勢拡大のための道具としての位置付けとなってしまっていることである。
ここにも野党共闘の客観的現実を無視した、利用主義が露骨に表れ、希望と理念が先行した焦りが反映されている。野党共闘の質的・量的前進は誰もが望むことであり、実現されなければならないが、それは一党一派の利害に従属するものであってはならないのである。
幅広い人々を結集した統一戦線に真剣に取り組むには、党派主義・セクト主義は厳禁であり、政治的駆け引きの道具としてはならないし、現実に根差した無私・無欲の献身性こそが多くの人々を結集させるのであり、自らも徹底した草の根民主主義を実践しているかどうかが問われるのである。有権者はその実態を厳しく判断しているとも言えよう。
(生駒 敬)