『農家女性の戦後史──日本農業新聞「女の階段」の五十年』 (姉歯暁、2018年、こぶし書房。2,200円+税)
1967年、『日本農業新聞』に「女の階段」という女性投稿欄が登場した。本書はその50年にわたる歴史から、戦後、特に「高度成長期に大きく変化していく農村の風景と家族のありさま」を語る農家女性の生の声を通じて、そこに描き出されている「農家女性のたちの思いとその思いを生み出した時代を読み解く」。そして「女性たちが『なぜ?』と問うてきた数々の『不条理さ』をもたらしてきたものを探る」。
生産性向上運動~米作りの奨励~減反政策~酪農の奨励~農産物自由化等々と目まぐるしく変わる戦後農政の方針転換に振り回される農家において、そのしわ寄せを最下層で受け続けてきたのが農家女性たちであった。
例えば、敗戦後の食糧増産政策の下で、「女性たちの農作業と家事育児等の労働時間を合わせた労働時間の総計は男性を凌駕しており、困窮を極める生活の中でもっとも負荷がかかっていたのは農家の女性たちだった」。この負荷の軽減を図るために提唱されたのが生活改善運動であった。しかし「それはあくまでも農家女性を家庭内労働の専業的担い手と位置づけてそこに集中的に指導が行われた」。このために「当時、『家』制度が厳然と残る農村において、女性だけを対象に生活改善を提起することは、家事労働をはじめとする家庭内労働の担い手が女性であることをこれまで以上に明確に宣言しているに等しいものであった」。しかし他方では、これをきっかけにさまざまな課題に関わりあう女性たちのグループや組織も出始め、後の農薬表示改善運動、無農薬・有機栽培、産直運動の芽生えにつながったと評価される。
また米価について言えば、「そもそも、消費者米価と生産者米価とは食管法上連動しないはずであった。生産者米価は、米の生産が持続的に行われることを目的に、生産費と農家が費やした労働時間に見合う所得補償分を組み込んで算定される。今でいう、フェア・トレードの考え方とよく似ている。一方、消費者米価は家計費を基準にその時の経済情勢を考慮して決定されることになっていた」。ところが1975年の米価引き上げ(生産者米価14.4%、消費者米価19%)に際して政府は、消費者米価と生産者米価が関連するかのごとき姿勢を取り、消費者団体は、消費者米価の引き上げを生産者米価の引き上げに起因する主張として反対運動を起こしたのである。こうして、生産者米価(食管制度)をめぐる農家と政府との対立は、消費者と生産者の対立に置き換えられ、農業叩きが連日マスコミによって報道されたという経緯が語られる。
同様の農業叩きは、農産物の自由化の動きにおいても行なわれた。1980年代末に「マスコミはこぞって“日本の物価が高いのは──つまりあなた方一般国民が暮らしにくいと感じるのは──農業生産者のせいである。彼らは補助金にあぐらをかき、近代化、合理化を怠っている。農業という遅れた産業を早く合理化、近代化しなければならない。同時に、せっかく円高で安いのだから農産物は輸入しようではないか。それが家計を助けるのだ。それを妨げているのは農協と既得権益を死守しようとする農家だ”という言説を振りまいた」。
これらの動きの底流にアメリカからの農産物の輸入圧力があり、戦後農政は、政府の対米貿易政策と深くかかわりを持ち、大豆・小麦・米の生産や削減は、アメリカとの政治的妥協の産物であったことが示される。本書はこれをアメリカの「日米構造協議以来の戦略」と特徴づける。このように戦後の農家は政治に左右されてきたが、しかし他方では、「『米価と票の取引』と揶揄されるように、補助金と引き換えに砦を少しずつ明け渡し、政府への依存を強めていった農協、農家」に対する消費者の不信感も広く存在し、これが「農家女性たちと都会の消費者との分断」を成功させたと指摘する。
そして本書は、農村内部で農家女性を追いつめる「日本型福祉社会」を鋭く批判する。「女の階段」に投稿してきた女性たちの多くは「戦後民主主義のもとにありながら、未だに家父長制的イデオロギーが蔓延する農村で悔しい思いを飲み込んできた、いわゆるサンドイッチ世代」、つまり「明治生まれの姑につかえ、戦後生まれの嫁との間に挟まれる世代」である。「この世代の女性たちは、自身の半生を介護に捧げ、いつか自分たちも嫁を迎えたら、それで自分は『嫁』としての役割から解放されるものと期待し、毎日を耐えてきた。その一方で、この世代の女性たちは、それまでの女性たちが背負ってきた不条理さを自分の代で終わらせたいと考える先進性も身につけているのである」。
しかし彼女たちを取り囲んでいたのは、「自民党家庭要綱」に見られる家庭の「役割」=「老親の扶養と子供の躾けは、第一義的には家庭の責務であることの自覚が必要である」といった「国民個々人の自助努力」「家庭の相互扶助」を強調する「日本型福祉社会」のイデオロギーであり、女性に家事・育児・老親の介護の責任を負わせて社会福祉を後退させる政策であった。この中では「国の社会保障」は、本来の機能を果たせない「家庭」に対するものとして位置づけられ、それに頼ることはその過程が本来の機能を持っていないというレッテルを貼られるということになった。「こうして、介護は家庭の中で処理されるべき問題とされ、国家のサポートから切り離された家族が(正確には家族の中の娘や嫁が)福祉機能のすべてを背負わされる」という状況がもたらされたことは周知の事柄であろう。
このように「嫁や娘だけで介護を背負うことがすでに限界にきていることを、そして、そのことをなかなか理解してもらえない夫をはじめとする男性の『家族』に対して『女の階段』の読者たちは、切実に訴える」という深刻な状況を指摘する本書は、「まさに農村の内側からみたリアルな女性史であり、政治史、経済史、農政史であり、そして生活史そのものである」。(R)