【書評】『日本軍兵士──アジア・太平洋戦争の現実』
(吉田裕、中公新書2465、2017年12月発行、820円+税)
本書の終章に次のような指摘がある。
1990年前後から「およそ非現実的で戦場の現実とかけ離れた戦争観が台頭してきた」、「もしミッドウェー海戦で日本海軍が勝利していたら」などの「イフ」を設定し、実際の戦局の展開とは異なるアジア・太平洋戦争を描く「仮想戦記」などである。このブームはしばらくして退潮するが、近年また「日本礼賛本」、「日本礼賛番組」が目立ち始めている。軍事の分野では「日本軍礼賛本」—-井上和彦『大東亜戦争秘録 日本軍はこんなにつよかった!』(2016年)などが出ている、と。
本書は、このような風潮に対して、実証的でクールな歴史学の目で、「死の現場」での「兵士の目線」で、「帝国陸海軍の軍事的特性」との関連で、アジア・太平洋戦争における日本軍兵士を分析の対象にする。
まず、開戦後の戦局を、【第一期】(日本軍の戦略的攻勢期)1941年12月~42年5月、【第二期】(戦略的対峙期)42年6月(ミッドウェー海戦直後)~43年2月、【第三期】(米軍の戦略的攻勢期・日本軍の戦略的守勢期)43年3月(ガダルカナル島撤退直後)~44年7月、【第四期】(絶望的抗戦期)44年8月(サイパン島、グアム・テニアン両島全滅直後)~45年8月、に区分し、それぞれの戦局の特徴を述べるが、ほぼ妥当な区分であろう。
さて「日本政府によれば、1941年12月に始まるアジア・太平洋戦争の日本人戦没者数は、日中戦争も含めて、軍人・軍属が約230万人、外地の一般邦人が約30万人、空襲などによる日本国内の戦災死没者が約50万人、合計約310万人である」とされている。
ところがここで本書は、「この310万人の戦没者の大部分がサイパン島陥落後の絶望抗戦期(【第四期】・・・引用者)の戦没者だと考えられる」と意表を突く指摘をする。そしてその根拠は次の通りであるとする。
「実は日本政府は年次別の戦没者数を公表していない」。また新聞社からの問い合わせに対しても、そのようなデータは集計していないと回答しており、各都道府県も、戦死者の年ごとの推移は持っていないということであった。ただ唯一、岩手県のみが年次別の陸海軍の戦死者数を公表していた。そこでこれを参考資料にして、1944年1月1日以降の戦死者のパーセンテージを出すと、87.6%という数字が得られるのである。
「この数字を軍人・軍属の総戦没者数230万人に当てはめてみると、1944年1月1日以降の戦没者は約201万人になる。民間人の戦没者数約80万人の大部分は戦局の推移をみれば絶望的抗戦期のものである。これを加算すると1944年以降の軍人・軍属、一般民間人の戦没者数は281万人であり、全戦没者のなかで1944年以降の戦没者が占める割合は実に91%に達する」。
まさしく驚くべき数字であり、アジア・太平洋戦争での戦没者に対してわれわれが持ってきた記憶を揺るがすほどのものであろう。本書はこれについて、「日本政府、軍部、そして昭和天皇を中心にした宮中グループの戦争終結決意が遅れたため、このような悲劇がもたらされたのである」と厳しく批判する。さらに本書はこの数字のうち、戦病死者の割合が異常に高いという事実が存在し、これと密接な関係がある餓死者も高率であったと推定せざるを得ないとする。
本書は、一方で、このような数字を生み出した帝国陸海軍の軍事思想—-短期決戦、作戦至上主義、極端な精神主義、米英軍への過小評価等を検討するとともに、他方で、前線に送られた兵士たちの戦争栄養失調症、精神神経症、海没死者、自殺と戦場での「処置」という名の殺害、教育としての「刺突」、覚醒剤(ヒロポン)の多用等の問題を解明していく。本書でそれらの詳細と兵士たちの置かれた具体的で凄惨な状況に注視されたい。
この意味で本書は、「日本軍礼賛本」に流れている「日本軍の戦闘力に対する過大評価とある種の思い入れ」—-「日本は戦争に負けても戦艦大和は世界一」的な風潮など—-への反論として、有効で説得的な書であると言えよう。(R)
追記:例えば、「日本軍礼賛本」で米軍に対して勇敢で頑強に戦った例として取り上げられるのがペリリュー島の防衛戦(1944年9月15日~11月24日)である。確かに、ペリリュー島の戦闘ではそれまでの水際撃滅作戦の失敗から学び、堅固な陣地や洞窟に立てこもって粘り強く反撃した結果、2ヶ月間にわたって持ちこたえた。しかしこの戦闘での日本軍の戦死者は、約1万22人、戦傷者は446人(捕虜となった者を含む)であるのに対して、米軍の戦死者は1950人、戦傷8516人であり、しかもその損害の38%は上陸作戦と戦略的目標とされた飛行場制圧作戦期間(上陸後1週間)のものである。さらに日本軍戦没者の中には、545人の朝鮮人軍属が含まれている。これらの客観的事実を踏まえない限り、ペリリュー島の「死の現場」はとらえられないのではないか。
このペリリュー島の戦闘に関しては、米軍との戦闘よりも飢餓と「渇き」という無残な死に直面した日本軍兵士の状況を描いたコミックの作品に、武田一義『ペリリュー 楽園のゲルニカ』(2016年~、現在第5巻まで)がある。こちらにも目を通していただきたい。
【出典】 アサート No.492 2018年11月