【投稿】菅政権最後の仕上げ—泊原発運転再開強行がもたらしたもの

【投稿】菅政権最後の仕上げ—泊原発運転再開強行がもたらしたもの

<<ダブルチェックの茶番>>
「脱原発」を掲げたはずの菅政権が、政権崩壊間際に最後に行ったことは、定期検査中であった泊原発3号機(北海道泊村、出力91・2万キロワット)の運転再開の強行であった。8/17、「脱原発」をないがしろにし、骨抜きにすることにその存在意義をかけている経済産業省は、5ヶ月間にもわたる違法・異常な定検中のフル稼働・調整運転をしていたこの泊原発3号機の定期検査終了証を北海道電力に交付し、北電は直ちに3号機の営業運転に移行したのである。
この運転再開には世論を欺く虚虚実実の裏取引・仮面劇が行われていた。海江田経済産業相が北海道の高橋はるみ知事に対し、知事が容認するまで営業運転の再開を認めない方針を伝える一方で、経産省原子力安全・保安院が8/9、道の判断を待たずに北電に定検の最終検査を受けるよう指導、これに北電が直ちに応じて最終検査を申請。このようなやり方に対し、自民推薦・経産省出身の高橋知事が表面上は「地元軽視で、甚だ遺憾だ」と強く反発。この反発を受け、海江田経産相は8/10夜、北海道の高橋知事に電話、「道の判断は大切なので待ちたい。数日くらいのうちに結論をいただければ」と伝え、高橋知事は「大臣の申し入れを踏まえて、道としての考え方をできる限り早く集約する」と答える。一方、経産省原子力安全・保安院は、8/9~10に行った最終検査で、特段の問題はなかった、調整運転の長期化についても、影響はなかったと報告。そして内閣府の原子力安全委員会は8/11、原子力安全・保安院が最終検査の結果、問題はなかったとした報告を了承。8/16、高橋知事は道議会・特別委で、経産省原子力安全・保安院に加え、原子力安全委員会が特例措置として検査結果をチェックしたことは「安全性確保の観点から評価できる」と強調、8/17、高橋知事は海江田経産相に電話で営業運転再開を容認することを伝え、これを受け、経産省原子力安全・保安院の原子力発電検査課長が同省で、北電の東京支社長に終了証を手渡した、という構図である。それぞれの立場を仮面にしているが、みな同じ穴の狢である。
高橋知事は安全性の判断について、最終的に「原子力安全委員会によるダブルチェックによって安全性が確認された」ことを根拠にした。ところが8/11に開催されたという原子力安全委員会の実態は、泊3号機の運転再開に関する議論はわずか15分、班目委員長は、安全委員会としての判断はしないとはっきりと公言。「定期検査は原子力安全・保安院でしっかりやってもらうことになっている」「保安院が報告したいと言ってきたので議題にあげただけだ」と開き直る始末。あきれたものである、ダブルチェックなど初めからする気もなければ、そもそもチェックする体制など組んでいないのである。その存在もしなかったダブルチェックを根拠に「安全性が確認された」と言い放つ。何という恥知らずで、無責任極まりない茶番であろうか。

<<「犯罪」意識の欠如>>
高橋知事は、10km圏内の利権まみれの地元4町村の合意を得たとしているが、「原発立地による地方交付金が232億円も泊村に落ちているんです。そのおかげで、漁業しかなかった過疎の村は道内でももっとも裕福な自治体になったのです。医療費は無料、子ども手当ても国からとは別途支給、ゴルフも無料、村民は、道内でももっとも裕福な生活を送ることができるのです」(8/15、北海道UHBキャスター大村正樹氏)という原発立地町村との合意であり、それ以外の、10km圏外の蘭越町、ニセコ町、余市町等は、知事から情報さえ伝えられず、30キロ圏9町村の合意もえず、原発から60キロメートルしか離れていない人口192万を抱える大都市・札幌市は合意の対象外であり、周辺自治体との協議・参加もないままの営業運転再開の容認であった。しかも北海道電力はこの5月に、東日本大震災後では全国で初めて、プルトニウム・ウラン混合酸化物燃料(MOX)の検査を経産省に申請、2012年度までに泊原発3号機での危険極まりないプルサーマル計画を強行しようとしている。
いずれにしても、3・11の福島第1原発事故以降、検査中の原発が営業運転を再開するのは初めてのことである。菅首相自らが求めていたストレステストやあるいはダブルチェック、イタリアのような国民投票、住民投票もなく、ドイツのような8基の原発の即時運転停止を含む期限付きの段階的全面的原発廃棄計画もなく、ただただ原発推進勢力の圧力に屈して、いきなり営業運転の再開を決めたのである。定期検査中の原子力発電所で営業運転を再開したところは一つもなかったのであるから、原発推進勢力はこれを小躍りして喝采し、さらに攻勢を強めてくることは必至である。
福島第1原発の事故はいまだ収束していないばかりか、いつさらなる汚染拡大が起きてもおかしくない状況にありながら、事故の実態も小出しにしか明らかにされず、もちろん事故の検証も終わっていない中、なおかつ放射性汚染物質を海洋に、大気に放出し続けている状況にありながら、日本はどの国よりも早く原発再開への道に踏み出してしまったのである。脱原発への歴史的転換点にありながら、そして巨大地震の活動期のさなかに日本がおかれており、その中で原発を運転し続け、破産したことが明瞭な核燃サイクル事業やもんじゅにいまだに大量の膨大な資金と資材、人材、資源をつぎ込むことは、国内のみならず、国際的「犯罪」であるという意識が根本的に欠如しているとしか言いようがない事態である。

<<評価と相反する不支持>>
こうした事態からの根本的転換を図ることこそが、民主党政権に課せられた歴史的使命であったはずであり、今なおそうであるといえよう。しかし菅政権は、まったくそれに応えることができなかった。
8/8発表の朝日の世論調査によると、脱原発依存を表明した菅首相の発言を「評価する」人々が61%もあるのに、内閣支持率はさらに低下して14%となったのである。共同通信が7/23,24両日に実施した世論調査においても、菅直人首相が表明した「脱原発」方針に対し、「賛成」は31・6%、「どちらかといえば賛成」が38・7%で計70・3%も占めたのに、内閣支持率は17・1%と前回より下落し、発足以来最低となっている。いずれも「脱原発」には賛成だが、「菅直人」には、あるいは菅政権には反対、支持できないという声が鮮明に示されている。そこには菅首相の騙しとペテンを横行させるような政治的駆け引きの低劣さに多くの人々が気付き、これでは成るものも成らないと感じていることの反映でもあろう。なによりも菅首相には一貫した政治的信念が基本的に欠落しており、その時々の課題を敏感に利用はすれども、戦術的であって、戦略的一貫性に常に欠けていることに根本的欠陥があることを人々は察知したのである。
そして脱原発に関して言えば、むしろ、菅首相が脱原発を叫べば叫ぶほど、その具体的政策は曖昧もことなり、抜け穴だらけ、一貫性も、政策の連続性も連関性も計画性もなくなり、結果として旧自民党政権時代の原発推進政策に逆戻り、あるいはせいぜいのところ若干の手直しをした程度にしか過ぎない事態を現出させている。つまりは、菅政権である限りは、原発震災が突きつけた時代の要請であり、歴史的かつ人類的課題でもある脱原発政策への全面的根本的転換は不可能であるという事態を、菅政権自らが創り出してしまったのである。
しかしポスト菅をめぐる民主党の現状は、この程度の菅政権の脱原発政策でさえ、明確な態度表明すらできない候補者がほとんどという情けない状態である。増税と緊縮財政路線に拘泥したけちけち、ちまちま路線から脱却し、発送電分離と自然エネルギー活用、原発の段階的計画的停止と廃炉を柱とした大胆な脱原発のニューディール路線、それと密接に連関した大規模な復興路線、そして緊急に必要とされる放射能汚染を除去する緊急対策と恒久的除染対策、これらがしっかりとした一貫性のある基本政策として提起されるべきであろう。
(生駒 敬)

【出典】 アサート No.405 2011年8月27日

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