【投稿】「脱原発」=「再生可能エネルギーの導入」ではない

【投稿】「脱原発」=「再生可能エネルギーの導入」ではない
                             福井 杉本達也 

 「脱原発」と「再生可能エネルギーの導入」がセットで語られているが、両者を結び付けるには大きな論理的飛躍がある。「脱原発」は人類にとって正しい選択である。なぜなら、①核エネルギーの制御は不可能であり、事故時には膨大な人的・物的損害を発生するからであり、②放射性廃棄物の処理ができないからである。しかし、そのことが「再生可能エネルギーの導入」と=(イコール)で結びつくものではない。

1 経済成長至上主義
 「再生可能エネルギー」の旗頭・環境エネルギー政策研究所の飯田哲也所長は「人類が永続的に豊かな文明を営んでゆくためには、再生可能エネルギー資源を再生可能な範囲で利用する文明へと移行するほかに道はない」とし、「自然エネルギーは人類史で農業・産業・ITに次ぐ『第4の革命』と呼ばれるほどの急成長を遂げつつあり…グリーン経済は10年後には10倍の200兆円を超えると予想されている」(「原発依存社会からの離脱」『科学』2011.7)と煽っている。2007年の日本の自動車産業の製造品出荷額は57.2兆円でGDPの20%を占める巨大産業である。日本が額で世界の1/4を生産しているとして、その自動車産業にも匹敵するというのである。そもそも、米国債の評価が格下げされドルが不安定化しているのは、実体経済が成長していないにもかかわらず、見かけの成長を維持するため、無理に供給力を膨らませようとITバブルを煽り、住宅・土地の投機を煽り、最後にはサブプライム・ローンといった紙屑までにも手を出して、ついに膨らみきった経済が行き詰まり、その不良債権補填のため国家破綻に直面しているからではないのか。200万円もする太陽光発電や億円単位の風力発電が自動車や家電のような裾野の広い消費を生み出すとは思えない。生活を便利にする商品でも・居住環境を改善する商品でもなく、単に電気を生み出す装置にすぎない。既にスペインの太陽光発電は補助金をカットされた(買い取り価格の大幅削減)途端にバブル崩壊している(山口光恒「太陽光発電 スペインの教訓―固定価格買い取り制度の光と陰」『ECO』2011.4.8)。

2 電力で社会のシステム全てを動かすことはできない
 再生可能エネルギーも原発と同様、電力を生み出すだけである。日本の燃料種別最終エネルギーの消費に占める電力の割合は20%である。最終エネルギーの60%は石油が支えている。社会のシステム全てを電気で動かすということを具体的にイメージすれば、オール電化=ガス湯沸器ではなくIHや電気温水器であり、ストーブではなくエアコンであり、ガソリンエンジンではなく電気自動車であり……。しかし、コークスを使用する溶鉱炉やセメントを製造するクリンカはどうするのか。電気でジェット機を飛ばすことはできないし、ロケットも飛ばすことはできない。身の回りを離れて少し社会システム全体を見回せば化石燃料なしには現代社会が存続不可であることは目に見えている。

3 再生可能エネルギーは本当に無限のエネルギーか
 確かに、太陽光は太陽から地球全体に降り注ぐので、元手はゼロである。しかし、太陽光発電装置はシリコンなどの工業製品の塊である。工業製品を製造はむろん廃棄するにも多大なエネルギーを必要とする。現状の太陽光発電単価は1kWhあたり、40~50円である。これは石油火力(10円/1kWh)の4~5倍である。単価が高いということはそれだけ製造工程でエネルギーを食っているということである。安い中国製品も大量に輸入されていることから考えると今後劇的に単価が下がることは考えにくい。
 さらに問題は相手が自然なだけに発電量の予測が不可能だということである。太陽光発電は天候により出力が大きく変動する。風力発電も短い周期で激しく変動する。このままでは電力会社の送電網に直接系統連携することは困難である。出力の平滑化のためには蓄電装置を併用する必要がある。風力発電のような大規模発電では蓄電装置も相対的に安くなるが、太陽光発電の場合には60万円/kWhの蓄電池を取り付ければ単価は100円以上にもなってしまう。(参照:近藤邦明「脱原発は科学的な必然」2011.5.11)。
 電力の問題は溜められないことにある。発電=即消費である。原発も揚水発電とセットでなければ機能しない。原発は出力調整が極めて難しい(危険である)から100%出力で運転し、夜間の余剰電力は揚水発電に水の位置エネルギーとして溜めておくのである。原発の発電単価は8.64円/kWhで火力発電の9.8円/kWhよりも安いように見えるが、原発と揚水発電をセットで考えると10.13円/kWhとなり高くなってしまう(立地費用や放射性廃棄物費用を含めればさらに高くなる。大島堅一:『再生可能エネルギーの政治経済学』2010.3.11)。電力を安く(エネルギー損失を少なく)大量に溜めることができればエネルギー問題はほとんど解決してしまう。しかし、きわめて難しい。

4 脱原発の本命は天然ガス
 8月19日、寒冷前線が日本列島を南下し、今年の猛暑も一服という気象庁の解説である。散々電力会社や政府・マスコミは電力不足を煽ってきたが、原発がなくても電力需給は安定していることが実証されてしまった。電力業界は、ここへ来て、LNG火力の増設計画を相次いで発表した。北陸電力は富山にガスタービンと蒸気タービンを組み合わせた最新鋭のコンパインドサイクル(GTCC):40万kWの発電所を(日経:7.28)、東電は鹿島に80万kWのガスタービン発電所を1基建設する(日経:7.30)。この動きは既に4月から始まっていたもので、東電では千葉県内の姉崎、袖ヶ浦、千葉の3火力発電所の施設内でガスタービンなどの発電設備を新設し計120万kWを上積みしており(日経:4.16)、また、電力会社以外でも大阪ガスは2020年までに電力供給を2倍の600万kWとする計画を発表している(日経:8.12)。特にGTCCの熱効率は50~60%と原発の2倍、工期は2,3年、費用は1/20の200億円、CO2排出量も石炭火力の半分であり、原発のように全く出力調整が出来ない電源とは異なり運転の立ち上がりも早く最大出力まで1時間しかかからず変動する電力の需給調整をしやすい(『東洋経済』2011.7.9)。しかも、天然ガスは米国が2000年代半ばから岩盤の中に封じ込められたシェールガスを取り出す技術を開発し、それまで石油と連動してきた天然ガス価格は大幅に値下がりする傾向にある。米国を供給先として開発してきたカタールの7700万トンの天然ガスなど市場はだぶつき気味である(参考:上記『東洋経済』及びJOGMEC調査部 伊原賢「シェールガスのインパクト」2010.5)。
 日本の1次エネルギー源に占める天然ガスの剖合は17%で、主要国平均の24%と比較すると異常に低い。これは電源として原発を優先してきたこと、一旦液体化して船で輸入せざるを得ないLNG中心であり原油価格連動の相対取引であることが大きい(それだけムダなエネルギーを投入しているので高くなる)。これを、ロシア・サハリンから北海道経由のパイプラインで輸入すれば価格は大幅に低下する。そうすれば日本も、ロシアから天然ガスを輸入し一次エネルギーの需給を安定化した上で「脱原発」をめざすドイツ・イタリアと初めて同一線上に並ぶことが出来る(ドイツ・イタリアが「脱原発」を宣言できたのは、電力に占める再生エネルギーの比率が高いからではない。これまでの確固とした一次エネルギーの戦略があるからである。それは1970年代のヴィリー・ブラント首相の「東方外交」以来の蓄積である。またドイツは国内炭坑を残している。)。また、中央アジア(カザフなど)からのガスパイプラインとロシア・シベリアからの石油パイプラインによって一次エネルギーの安定供給をめざそうとする中国とも肩を並べることが出来る。
 しかし、このことは同時に日本がこれまでの海洋国家よりの姿勢から大陸国家よりをめざすことである。当然、米英アングロサクソン石油金融帝国主義からの強い反撃を受けることとなろう。しかし、日本が原発から、核の脅威から抜け出すためにはこの方向しかない。「再生可能エネルギーの導入」という言葉は、こうした明確な方向性を攪乱するためのマヌーバーではないのか。

5 「科学技術」の“成功体験”神話を引きずる
 原爆開発を目的に進められたマンハッタン計画は莫大な開発費(当時の金額で19億ドル)と、著名な物理学者のロバート・オッペンハイマーやニールス・ボーア、エンリコ・フェルミ、ジョン・フォン・ノイマンら大量の第一線級の科学者・技術者6700人を投入し、開発目的(ジェノサイド兵器の開発)と開発スケジュール(当時、トルーマン大統領はチャーチル首相の再三の督促にも関わらず1945年7月16日のトリニティ実験成功日まで日本とドイツの戦後処理を話し合ったポツダム会談の日程を1か月以上も引き延ばした)が明確に定められた。そのプロジェクト主義の“成功体験”が『科学技術』(Innovation in science and technology)という言葉に代表されるように科学の成果が直接技術に繋がる=基礎科学への資金投入はそれなりの期間を経て技術的成果につながると考えられることとなった。「人間は技術を使って最終的にあらゆる存在を制御できるようになる」という盲信を生み出した。そして、核エネルギー=無限のエネルギーの利用=自然条件の制約からの解放=永続的な経済成長という幻想を追いかけてきた。しかし、今回の福島原発事故では放射能を国土に・地球環境にまき散らし、膨大な被害なしに無限のエネルギー利用などあり得ないことを思い知らされた。
 飯田氏は「東北2020年自然エネルギー100%プラン」の中で、現在、1840万kWの東北地方の電力設備を、327万kWの原発のみならず、LNG火力587万kWを含む化石燃料1025万kWをも全廃し、全て太陽光・風力などの自然エネルギーに置き換え、2020年には倍増の3700kWにするという復興プランを打ち立てている(飯田:同上)。ここには「科学技術」の未来に対する驚くべき楽観論と無責任さが同居している。おそらく耕作放棄地に太陽光発電を林立させるプランであろうが、福島原発事故後を考えるとき、核に汚染されてしまった東日本の未来を考えるとき、このような楽観論が許されるのか。さらには「再生可能」という言葉にも無限のエネルギーによる倍増・倍増の永続的な経済成長を図ろうとする経済成長至上主義の古い臭いがつきまとっている。 

 【出典】 アサート No.405 2011年8月27日

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