【書評】『グラムシは世界でどう読まれているか』
(グラムシ没後60周年記念国際シンポジウム編、社会評論社、2000.1.31.発行)
本書は、1997年11月に開催された「グラムシ没後60周年記念国際シンポジウム」の記録である。2年前のシンポジウムのまとめが今ごろになって刊行されることには、いささか戸惑いを覚える。しかし重要なことは、そこで提起された諸問題が、現在もなお同時代性を失わずに、いよいよもって切実なものとなっていることである。ここに本書を現時点において読むことの意味があろう。
さて実際のシンポジウムは、全体会(「グラムシ──この10年」)と、第一分科会(「グラムシとわれわれの時代」)および第二分科会(「現代イタリアと国際政治」)というかたちで実施された。本書ではこれに加えて、「グラムシは世界でどう読まれているか」と題して、イタリア、スペイン、ドイツ、ロシアにおけるグラムシ研究の紹介が、誌上参加のかたちで、掲載されている。
ここではそのうちから主なものを紹介してみたい。
石堂清倫の特別記念講演「ヘゲモニー思想と変革への道──革命の世紀を生きて」(この講演は、後に『世界』に掲載された)では、グラムシの思想がスターリニズムの哲学に対する批判と克服の道を拓いたとして、次のように評価する。 「彼の『獄中ノート』は、客観的に読めば、ソ連共産党とコミンテルンの基本理論とそれにもとづく実践のひろい範囲にわたる批判であることがわかる。それは史的唯物論のマルクス的展開から、カタストロフィズムにもとづく制度変革にたいし、市民社会が政治社会を吸収する歴史過程にいたるまでの新しい行動の提案であった」。
「フランス革命以来、労働者階級が歩んだ過程はグラムシによって解釈し直され、幾多の重要な解釈範疇は、過去の説明であるだけでなく、グラムシの生時とは大きく変化した今日の状況のもとでも分析の道具となり前進の道標ともなっている。それは彼の思考が歴史を貫徹する力をもっていたからであろう」。
そしてここからヘゲモニー論にもとづいて、日本の中国侵略戦争からの教訓、ドイツにおける政治過程(ビスマルクから戦後の社会民主党の運動まで)、イタリアの共産党から左翼民主党への変換過程、非暴力の思想(マハトマ・ガンジーの教訓)、帝国主義下の対抗ヘゲモニー等が語られる。
またイタリアのグラムシ研究家ジュゼッペ・ヴァッカ(「最近10年間のイタリアにおけるグラムシ研究」)は、『獄中ノート』のナショナル・エディション版の刊行の報告とともに、グラムシの工業主義の重要性を指摘する。
「世界革命の敗北の原因の究明は、資本主義の発展の力学の研究を深め、テイラーリズムとフォーディズムを特徴とするアメリカ型工業主義のもっとも先進的な形態にかんする分析に集中するようにグラムシをうながした。(略)この種の工業主義は生産力の発展の最も合理的な形態をなし、《計画経済》形成への傾向をあらわすもので、それなりに普及されるに値するものであった。グラムシによれば、この工業主義の普及によって、《工業主義と資本主義を分離する》諸条件を創り出し、近代化過程の指導を勤労者に担わせることが可能となるものであった」。
またヴァッカは、経済のコスモポリタニズム(世界主義)が政治における民族主義と不可逆的に衝突して「国民─国家の危機」をもたらしたとするグラムシの分析を強調する。
グラムシの思想の特徴については、松田博の報告(「グラムシ思想のアクチュアリティ」)が要を得ている。この報告では、①「政治社会の市民社会への再吸収」・「自己規律社会」問題、②コンフォルミズモ(順応主義)問題、③トラスフォミズモ(変異主義)問題が提出される。
①「政治社会の市民社会への再吸収」・「自己規律社会」問題では、グラムシの人類史的歴史観には「国家概念の刷新・拡張」を特徴づける理論的モメントが含まれているとする。つまり国家理論における強制装置還元論とその背後にある階級還元論や経済決定論に対する批判と、近代国家における政治的・経済的・社会的・文化的ヘゲモニー装置(「国家=政治社会+市民社会すなわち強制の鎧を着けたヘゲモニー[グラムシ])の決定的重要性の問題である。報告者によれば、グラムシのこの面での貢献は巨大であり、ここから「国家の目標としてその国家自身の死滅、終焉を主張しうるような、つまり政治社会の市民社会への再吸収を国家目標として主張しうるような原理的体系の確立」(グラムシ)が理論的展望として重要であるとされる。
②また「コンフォルミズモ(順応主義)」については、①の概念および「永続革命論批判」から導き出され、「とくに社会構成体の強力による『断絶』と『飛躍』(転覆主義)という社会変革のイメージ(像)を批判し、その『有機的発展における連続性』を強調する」ものとされる。それ故これは、「一国社会主義」を批判する概念であり、「ヘゲモニー闘争」の別の表現であり、文化概念であると特徴づけられる。
③「トラスフォルミズモ(変異主義)」という聞き慣れない用語は、グラムシでは、「支配的集団が自己の政治的ヘゲモニーを保持するため、対抗勢力の分解・吸収・弱体化・周辺化をはかる『政治の術(アルテ)』を示す歴史的・政治的概念として『受動的革命』概念とともに重視」された。そしてこの概念は、ヘゲモニー概念と結合されることで、ヘゲモニー概念の「刷新・拡張」過程において独自の位置を占めるとされる。
以上見てきた以外に、各分科会における報告には、知識人と哲学、文化論、教育論、宗教論、協同組合論、植民地主義、フォーディズム、ポスト・フォーデイズム等をめぐる諸問題が掲載されている。このようにグラムシが提起した問題は、現在においてもなおそのアクチュアリティを失ってはおらず、今後ますます論議が拡大深化して行くことが予想される。この意味で本書はグラムシ理解の現在的な道標として意義があると言えよう。
(なお『獄中ノート』の翻訳が未刊行である現在、入手可能なグラムシの論稿集としては、『グラムシ・リーダー』(D.フォーガチ編、東京グラムシ研究会監修・訳、御茶の水書房、1995.12.1.発行、7,931円)がある。)(R)
【出典】 アサート No.269 2000年4月22日