【投稿】6/25総選挙—森・自公政権への弔鐘へ
<<小渕死去で深まる疑惑>>
小渕前首相がついに昏睡状態のまま、意識を取り戻すこともなく死去した。死去に伴いはじめて医師団が記者会見をしたが、本紙前号でH氏が紹介していた医療ミスの疑惑が一層深まり、さらに青木官房長官が見舞いに訪れたときには、リスクの高い血栓溶解剤が使われ、すでに右脳に出血が一気に拡大し、正常な会話などおよそ不可能であったことも明らかとなってきた。「小渕総理から首相臨時代理の指名を受けた」などという青木氏の主張は、ごく一部の派閥幹部に都合の良い後知恵に過ぎなかったことがあらためて明らかになってきたのである。
タナボタ式に首相の座が転がり落ちてきた森政権は、森首相、青木官房長官、野中幹事長、亀井政調会長、村上参院議員会長ら5人の自民党の一部幹部がドサクサまぎれにデッチ上げたいわば一種のクーデター政権と同様なものであるといえよう。クーデターと異なるのは、何の変わり映えもなく、小渕政治の継承しか言うことのできない、旧小渕派が牛耳る怪しげな政権が誕生したということであろう。
その森首相も自らの政権継承劇について、次から次へとボロを出している。4/24日の衆院予算委員会で、民主党の菅直人政調会長が、首相臨時代理になった青木の疑惑の行動を追及し、青木は、「党幹部との協議で首相代理になった事実はない」と追及をかわしていたそのさなかに森が登場し、小渕氏が倒れた2日夜の与党の会議、機関ですらない5者談合で、自分が「(首相代理は)あなた(青木)が受けたらいい、と申し上げた時、(青木は)再三再四、自分は嫌だとお断りになった」と暴露してしまい、「臨時首相代理は小渕氏の指名」というのが明らかな嘘であることを予算委員会の席上で認めてしまったのである。仰天した青木長官は、委員会後の記者会見で、森の発言を全面否定。慌てた森も翌25日の参院予算委で、「首相代理と官房長官就任を取り違えた」と白々しい訂正をするお粗末ぶりである。そこには政権交代に本来あってしかるべき一切の情報開示も透明性も、民主的手続きの正当性も何もない日本の政治の貧困性が如実に示されている。
<<「民主政治のモデル」>>
選挙の洗礼も受けていない、法的な継承性も疑わしい、サミット参加国の中で最も不透明な政権である森政権にとって、事態を打開する切り札が、ゴールデンウィーク中の「9日間世界一周」の旅であった。顔つなぎ以外に主たる目的を持たないという前代未聞のあわただしい「名刺交換外交」「顔見せ興行」が展開されたのである。しかし海外のメディアはこんな無内容で儀礼的な首脳会談などほとんど無視し、イタリア最大の通信社ANSAなどは「日本の首相オキナワが来る」などと名前とサミット開催地を取り違える始末である。
最初の訪問国ロシアでは、とにもかくにも沖縄サミット直後(7月24、25日)の日ロ首脳による公式会談実現を訪ロの最大の目標としていたにもかかわらず、プーチン大統領との会談で、”今年中には訪日するが、時期は未定”とあっさり蹴られ、なんとか「8月末訪日」という約束を取りつけたが、年内の平和条約締結、四島返還交渉入りなどのクラスノヤルスク合意は実現困難となり、対ロ交渉を大きく後退させ、「森首相は出だしからつまずいた」(毎日新聞)のである。
フランスのルモンド紙(5/4付け)は森首相の訪仏にあわせて「政治の不透明さという点で日本は驚くほど変わっていない」と論評し、「小渕氏の病状隠し、密室での後継者指名、何を考えて決めるのかさっぱりわからない総選挙の日程選び」と実に手厳しく酷評している。
クリントン大統領との会談を報じたのは、ワシントン・ポストとワシントン・タイムズのみ(5/6付け)。しかも、いずれも通信社の配信記事で、「米国は日本に通信市場開放を要求した」という短信にしか過ぎない。むしろ森首相が帰国後の5/8日付けウォ―ルストリート・ジャーナル紙が、「韓国と台湾は、日本の経済的成功を手本としてきたが、今や元植民地であった両国が、日本にとって民主政治のモデルとなりつつある」と指摘、韓国も台湾も、前回の選挙で野党の党首が国のリーダーとなっているのに対し、日本はいつまでも旧来の支配体制であると論評、日本の政治の後進性について本質を突いていると言えよう。
<<「小渕さん、小渕さん」>>
いずれにしても小渕首相の死去で、6月初頭解散、6/25投票が既定路線となり、政局は一気に弔い選挙の様相を呈してきている。自民党は、小渕前首相への同情票が見込め、6/25が同時に小渕氏の誕生日であり(しかし党内では仏滅で危険という意見もあり)、6/10前後に発表される予定の1-3月期のGDPが+2%前後を予測、これらを追い風に、森首相のボロが出ないうちに突っ走れというわけである。
今回の一連の経過の中で「新・闇将軍」となった野中・自民党幹事長は「変なことでも言わん限り、負けるわけはない。森は森のカラーなんて出さんほうがいいんや。変な色気を出すと、ボロが出てしまう。そやから、森には、小渕さん、小渕さんと(何かにつけ)口にするように言っとるんや」(週刊現代5/6号)と、操り人形と化した森首相操縦法を披瀝している。
「景気が上向いたのは小渕前首相のおかげ」、「沖縄サミットに精魂を傾けた小渕前首相」、「無念の小渕前首相に代わって、森首相をサミットの議長席に」、「25日は小渕前首相の誕生日、弔意の一票を自民党に」等々、お涙頂戴のキャッチフレーズが次から次へと飛び交うことであろう。
そして選挙の争点には都合の悪い健康保険法改悪による負担増や自己負担上限額の引き上げ、汚職と腐敗、不祥事多発の象徴となった警察法の改正案など重要法案は早くも先送りを決定している。
もちろんその一方で、選挙戦向けのバラマキ公約が乱発されることも必定である。
すでに税率構造の全面見直しによるまやかしの”大幅減税”を、与党3党の統一公約に盛り込むと広言し、公共事業予備費5000億円の上積み・前倒し、介護保険料徴収をさらに一年延期、住宅ローン減税拡大、児童手当拡充、失業手当増大等々、財源など初めから無視したその場しのぎの無責任公約が検討されている。財政破たんへの批判をかわすために、議員歳費の1割カットも言い出しており、年金生活者向けには日銀のゼロ金利の見直し論まで利用する。公明党取り込み政策の羅列に、さらに”不戦の誓い”国会決議を加えるという巧妙な野党分断作戦も用意されている。その意図は見え透いてはいても、なかなかしたたかではある。
<<「変えよう政治」>>
こうしたことからか、野党のふがいなさからか、多くの選挙結果予測は、森政権は過半数を維持するとみている。その理由の核心は、創価学会票が自民党候補に上乗せされ、自公の協力によって確実に勝つであろう選挙区が相当数存在していることにある。自公連立はあらゆる世論調査で評判が悪く支持もされていないし(6割が自公連立にノー)、与党の連立3党はかなり議席を減らす可能性もあるが、それでも自民党233、公明党30、保守党6で、合わせて269議席と過半数は十分維持できそうだというのである。週刊誌などの議席予測でも、連立3党で280~290議席(過半数240)獲得と予想するのが大半である。
しかし一方では、選挙分析で知られる白鴎大教授の福岡政行氏などは「185議席前後の大惨敗もあり得る」と分析している。その場合は、自公連立は過半数には達せず、政界再編成が必至となり、民主党を中心とする政権成立の大いなる可能性が浮上する。投票率の上下が選挙の行方を大きく左右するといえよう。つい2年前の参院選の結果がそのことを良く示している。投票率の上昇によって、自民党は予想外の大惨敗に追い込まれたのである。
ここで問われているのは、争点を明確にし、自公連立政権との対決軸を鮮明にできるかどうかという野党の能力である。いらだちとあきらめで傍観していた多くの人々がさまざまな形態で旧態依然の不透明な闇取引政治や派閥利益分配政治を変える動きに乗り出してきている。「民意無視、痛みも知らぬ永田町政治に反撃を」「投票率5%アップ、変えよう政治」をスローガンに掲げた落選運動の予想外の広がりもそのことを示していると言えよう。その意味では政治を大きく変えうるチャンス、可能性がこれまでになく高まってきているのではないだろうか。
(生駒 敬)
【出典】 アサート No.270 2000年5月20日