【コラム】ひとりごと –少年犯罪に思うこと–
●最近マスコミを大いに賑わしているのが、少年による「特異」な犯罪である。愛知の主婦刺殺、バスジャックと立て続けに起こり、神戸の事件と同年代だということもあり、話題性には事欠かなかった。記憶に新しいところでは、いわゆる少年によるものではないが、京都・日野小学校の事件や新潟の少女監禁事件など、衝撃的なニュースが駆けめぐった。●いずれも前例にない特異性や不明確性ゆえに様々な憶測を呼び、その背景や原因などが有識者や専門家らによって分析されている。「ゲーム機世代」「引きこもり」「甘やかし」「自己中心」「夢想と現実の境界」「いじめ」「プライド」・・・・あまりに多くのキーワードが飛び交い、分かったような分からないような状態のままで、マスコミの喧伝した印象による偏見だけが人々の記憶に残り、この機に乗じて根本的な解決手段=切り札のように少年法の改正など刑事罰の強化の議論が巻き起こる。●社会が問題なのか、教育が問題なのか。学級崩壊や警察不祥事ともリンクしながら、評価が加えられていく。いずれにせよ、被疑者や被害者の人権に十分すぎるほどの配慮がなされつつ、好奇心や興味本位に走らない冷静な議論が望まれる。早計で一方的な結論に決してなってはならない。●気になるのは、これら事件の「主人公」たちがいずれも男性であるということである。なぜ、「特異」な犯罪の主人公に女性が少ないのか。被害者は圧倒的に女性が多い。腕力的に弱者である女性が狙われやすいのは確かである。ただ、被害者が子どもなら、女性だって十分に加害者になり得る。なのに、加害者は男性ばかりである。●その背景の一つに、「女性差別とその裏返しにある男性への抑圧」という構図があるのではないか。教育や人生の過程で多少のつまずきや失敗が「許される」女性。もちろん、このことは「女の子は作られる」という典型的な女性差別なのであるが、逆に言えば、学力や体力など様々な面で「できる」ことを求められ、抑圧の中でストレスをため込む少年男子の姿を思い浮かべてしまう。●女性問題は男性問題と言われて久しいが、そのことを一連の犯罪報道を見ながら思い出した。そういう観点で評された識者の論評には未だお目にかかっていない。この誌上(もちろんホームページも含めて)での議論も期待したい。(江川)
【出典】 アサート No.270 2000年5月20日