<<暗闇に紛れて訪台>>
8/2の真夜中、ナンシー・ペロシ米下院議長は、台湾・台北市中心部に近い松山空港、普段あまり使われることのない、照明を意図的に落とし、滑走路や地上の灯りまで消した真っ暗闇の空港に降り立った、と報じられている。過去25年間で台湾を訪問した最高位の米国高官が、暗闇に紛れて訪問せざるを得ないという異例な展開となったわけである。囮の米軍用機がマレーシアから離陸し、南シナ海と中国沿岸沿いから台北まで直行した数時間後に、フィリピンの東海岸をわざわざ遠回りして、空母ロナルド・レーガンから飛び立った米軍戦闘機が護衛し、戦闘機の航続距離を伸ばすため
に空中給油タンカーまで伴い、台湾の領空に近づくと、台湾軍ジェット機が護衛を引き継いだ、という。
そのようにしてまで強行されたペロシ議長の台湾訪問は、中国側の強い反対と厳正な申し入れを完全に無視した、一種の戦争挑発行為であり、台湾を紛争の最前線に追いやり、一挙に米中の緊張激化を危険な段階へと推し進めてしまったのである。
中国側は、対抗措置としてペロシ到着の前日、台湾からの輸入停止措置を発表、その対象は3000品目以上に及んでいる。そのほとんどは食料品と農産物である。さらに8/5、中国・外交部は、次の8項目の対抗措置を取ると発表している。
1.中米両軍戦区リーダー間の対話の中止
2.中米間の国防部(省)事務レベル会合の中止
3.中米間の海上軍事安全交渉メカニズム会合の中止
4.中米間の不法移民の送還に関する協力の停止
5.中米間の刑事司法協力の停止
6.中米間の国境を越えた犯罪捜査協力の停止
7.中米間の麻薬取締に関する協力の停止
8.中米間の気候変動問題に関する交渉の停止
中国は米国との軍事協議を打ち切り、ペンタゴンのトップリーダーからの電話にも応じないばかりか、ほとんどの重要な協議・交渉を停止する措置である。台湾をめぐる軍事活動の活発化とコミュニケーションの欠如は、両軍の間に不測の事故・衝突、一触即発の危険な事態が起こる可能性を高めている。
表面上はバイデン政権、ペンタゴン幹部でさえ、台湾海峡に大きな危機をもたらすと警告していたにもかかわらず、ペロシ議長はあえてそうした警告を無視して台湾訪問を強行したのはなぜなのか。もちろん、暗黙の、あるいは用意周到なバイデン政権の了解があったのだと言えよう。しかしそれは広言できるものではない。
<<「なぜまた別の罠に飛び込むのでしょうか?」>>
このペロシ議長の台湾訪問をめぐって、西側報道でほとんど見落とされているのが、台湾積体電路製造公司(TSMC)のマーク・リュー会長との面会であった。ペロシ氏の訪台は、米国が大きく依存している世界最大のチップメーカーであるTSMCに、米国内に製造拠点を設け、中国企業向けの高度なチップ製造をやめるよう説得するバイデン政権のたくらみと重なるものである。バイデン政権は、米国内のチップ生産能力を高めるために、TSMCを米国に誘致するため、アリゾナ州に用地を購入し、2024年の完成を目指している。
台湾の国営日刊紙リバティ・タイムズは、 TSMC はアリゾナ州にチップ工場を建設する予定であるため、米国でのチップ製造を促進するために新しい法律(Chips and Science Act)によって割り当てられた 520億ドルの恩恵を受けることが期待されている、ただし、この法律では、資金援助を受ける企業は、中国での先端チップの生産を促進しないことを約束しなければならないとされている、と報じている。
TSMCにとって、米国は最大の市場であり、2021年の全売上高の64%を占め(2年前の60% から増加している)、Apple だけでも、昨年のTSMC の収益の 4分の1を占めている。Liberty Timesによると、ペロシとリューの会談のニュースが広まった後、TSMCの株価は1.8%上昇している。したがって、今回の会談は、米国主導のチップ同盟を強化し、中国大陸の技術産業の包囲網を強化することを目的としているかのようにも見えるが、事態は単純ではない。
TSMC側から言わせれば、米国内での半導体製造は賃金もその他のコストも高すぎると広言し、「より大規模で定期的な補助金」なしでは継続できないと要求しており、アリゾナ工場の完成を急ぐ姿勢を示してはいないこと、「不吉な不確実性」が指摘されている。ペロシ氏との会談では、それを詰める必要があったのであろう。
さらに「不吉な不確実性」の一つに、ペロシ氏自身の問題も浮上している。ペロシ議長は、問題のCHIPSおよび科学法案に関するインサイダー情報を利用して家族が現金化したという厳しい批判と非難に直面しているのである。以前からペロシ夫妻は、議会内部情報に基づいた株取引が問題視されており、今回また、米議会がこの半導体業界に多額の補助金を提供するCHIPS法を可決する数週間前に、ペロシ氏の夫であるポール・ペロシ氏が半導体大手Nvidiaの株を100万ドルから500万ドル購入したと暴露されたのである。
今回、中国政府は、ペロシ氏の訪問に対する報復の手段の一つとして、チップ製造に使用される原材料である天然砂の輸出を禁止すると発表している。中国国営メディアのチャイナ・デイリー は8/3、砂の禁止は台湾のチップ製造能力を損なうだろうと書いているが、台湾が中国から輸入している天然砂は3%にすぎない。2021年、中国本土は4325億5000万ドル相当の集積回路を輸入し、そのうち36%が台湾島からのものであることが、税関の数字で明らかになっている。TSMCのリュー氏は、「(中国が)我々を必要としているなら、それは悪いことではない」と述べ、「ビジネスの世界では誰も戦争が起こるのを見たくない。なぜまた別の罠に飛び込むのでしょうか?」と、根本的な疑問を投げかけている。
「別の罠」という、米中緊張激化政策は、まさに米帝国一極支配体制の政治的・経済的危機の現われと言えよう。ペロシ議長の訪台は、図らずもその一端を露呈させてしまったのである。
(生駒 敬)