【投稿】廃炉・賠償費用さえ電気料金に転嫁する「資本主義」の腐臭
福井 杉本達也
1 福島第一原発の廃炉費用・賠償費用を電気料金に上乗せ検討
経済産業省は11月11日、「総合資源エネルギー調査会」の下部委員会である「電力システム改革小委員会」を開催し、東京電力・福島第1原子力発電所の廃炉費用を,電気料金の一部として,国民に負担させる検討を行っている。具体的には,託送料金(送電線の利用料)に上乗せするかたちで、原発の廃炉コストを「回収」しようというものである。経産省の内部資料によると、福島第一原発の廃炉費用「総額8兆円」と想定し、このうち4兆円について、東電の営業エリアである関東地区のユーザーに負担させるとし、電気料金への影響は「標準家庭で1ヵ月当たり120円」と試算。さらに原発事故被災者への賠償費用(原賠機構法成立前の過去分)を東電営業エリアで1兆円(「標準家庭で1ヵ月当たり30円」)、他の電力会社エリアで2兆円、その他通常の原発の廃炉費用や解体費の上振れ分を含む「8.3兆円」を、「電気の託送料金」に転嫁し、合計171円/月を広く全国民から回収する算段をしている(『東洋経済』2016.10.22)。この8.3兆円は本来、福島事故に責任をもつべき東京電力や原発を有する九電力会社が自らの経営努力で負担すべきものであり、原発を持たない新電力から競争力を不当に奪い、経産省が旗を振る電力自由化の趣旨にも反するであろう。
2 そもそも福島第一原発の廃炉費用が8兆円で済むのか?
アーニー・ガンダーセン(Arnold Gundersen)氏によると、福島第一原発電の廃炉には100年、総費用にして5000億ドル(約60兆円)の費用がかかるとする推計を公表している。メルトダウンした核燃料コアがどのような状態にあるか、誰も正確には把握できていない。核燃料コアは地下水と接触し大量の汚染水に変わってしまっている。この汚染水問題により福島第一原発の廃炉は、チェルノブイリ原発の廃炉に比べて100倍複雑性を増しており、費用も100倍かかるとしている(bisinessnewsline:2015.7.24)。また。時事通信は「東京電力福島第一原発事故で、3号機使用済み燃料プールからの核燃料取り出しに向けた作業が遅れ、目標としていた2018年1月の取り出し開始が困難となっていることが18日、東電への取材で分かった。3号機プールの燃料取り出しは昨年も延期しており、事故を起こした原発を廃炉にする難しさが改めて鮮明となっている。」(時事:2016.11.18)と報じたが、廃炉費用の計算どころか、果たして「廃炉」できるかどうかさえ不明なのである。
廃炉費用4兆円を40年の長期で回収するものとして仮定し、電気料金で回収するとした場合、0.4円/kwhとなるが、ガンダーセン氏の推計からは6~7年程度で回収しなければならない。とすれば2.6円/kwh=780円/月にもなる。標準家庭月額の1割にあたる。当然これに、賠償費用+他の福島第一6,7号機・福島第二・柏崎刈羽原発の廃炉費用等々を加えれば膨大な額になってくる。電気料金はまさに青天井となる。
3 資本主義の経済行為を逸脱する東電救済
盗人猛々しい経産省も福島第一原発の廃炉費用はさすがに他のエリアの電気料金への上乗せはできないと考えたが、賠償費用3兆円のうちの2/3(2兆円)については他のエリアの電気料金から回収するという。福島原発事故は電力を販売する一私企業の経済行為の中で、東電の過失により事故が起こったのであり、それによる損害賠償や事故処理は東電自身が100%負担して行うべきである。1961年に制定された原子力損害賠償法では電力会社の無限責任をうたっており、今回の原子力委員会の検討会でも無限責任を維持する方向となった(2016.11.14)。負担できなければ東電は倒産すべきである。
4 租税法律主義を否定する安易な電気料金による回収
全ての民主主義国家では、国民の代表者から成る議会が定めた法律によってのみ租税が賦課される。これを、租税法律主義という。今回の経産省の廃炉費用や賠償費用を電気料金によって回収しようという発想は、国会での原発に関する議論を回避しようとするもので実に安易な発想である。福島第一の廃炉費用だけで電気料金の1割になる。これは消費税10%に相当する。むろん、福島第一原発事故による損害については、原子力損害賠償法は1,200億円の電力会社の支払い能力を超えた損害賠償についてはこれを租税で負担できるとしているが、その場合には、東電の全ての財産を処分し、清算してからである。当然、東電の株主は株価が0円となり「有限責任」を被らなければならない。金融機関や社債保有者も債券をカットしなければならない(「原賠機構法」2011.9.12により東電への援助に上限を設けず、株の減資や債権カットもないこととされている)。「東電を破綻処理しない」ことを前提として、福島原発事故関連費を「国が肩代わり」し「公的資金を投入する」ことには国民の理解が得られない。「東京電力改革・1F問題委員会」は東電の事故責任を棚上げにして、あたかも東電が自力で費用負担するかのように見せかけて費用を捻出しようとするもので、国家詐欺である。
5 電気事業は既に「資本主義」ではなくなった
「電気事業は普通のビジネスでは考えがたい要素が多く、リスクも非常に高いことから、廃炉会計制度のような別の会計があって当たり前のように思う。」(伊藤委員)「小売の規制料金がなくなり、規制料金として残っているのは託送料金しかない場合に、託送料金の仕組みを使いながら回収していくのは仕方ないと思う。」(圓尾委員)「今回の検討内容は、自分を含め、普通にビジネスをしている人にとって、本当にクリアになるまで何度読み直してもわからない要素が出てくる。」(伊藤委員)「電力システム改革小委員会 2016.11.11資料」での委員の発言は既に電力事業が「資本主義」の枠をはみ出していることを如実に表している。「普通にビジネスしている人にとっては」理解しがたいということである。
これまで電気事業は広く一般の需要者をサービス供給の対象とすること及び電気料金の算定基礎となるため一般に公正妥当な会計の原則に従うことが求められてきた(「総括原価方式」)。しかし、この間原発推進を後押しする国に都合の良いように会計規則が作り変えられてきた。たとえば、2015年には発電を終了し廃炉にも役立たない原子力発電設備などが、「原子力廃止関連仮勘定」として資産計上され、料金回収に応じて定額償却されることとなった。将来にわたり全く利益を生まない資産が減損されず電気料金の原価に参入されていくことはとんでもないことである。もはや、電気事業会計は電力会社の損失を国民に転嫁するためにだけある(金森絵里「電力会社を優遇する原発会計」『科学』2016.11)ものとなっている。
6 電力会社の姿は「株式会社」の崩壊過程に入った日本の先取り
16世紀から17世紀の大航海時代、ヨーロッパでは、共同資本により、貿易や植民地経営のための大規模な企業が設立されるようになった。しかし、初期の貿易会社は、航海の都度出資を募り、航海が終わる度に配当・清算を行い、終了する事業でリスクを分散する意味もあった。しかし、18世紀の産業革命の勃興とともに、鉄道事業を始め多額の資本を集めなければ実行できない事業が急速に増加した。会社が大規模化した結果、株主が直接経営を行うことが難しくなり、専門的経営者に経営が委ねられるようになった。多額の資金を集めるために、株主の責任を「無限責任」から「有限責任」とし、株主の財産を会社の債権者から守り、出資をしようとする者にとってのリスクを限定することによって、多数の出資者から広く出資を集めることを可能にするためのものである。これはグローバルな世界という「無限空間」を前提とし、「利潤の極大化」が可能なシステムであった。
ところが、東電の場合は事故処理費用というブラックホールのような「無限の負債空間」を抱えることとなった。いくら投資してもどんどん債務が膨らむシステムである。「資本の自己増殖」どころか「自己減衰」が起こっているのである。経産省はこれを電気料金という「打ち出の小槌」によってなんとか「株式会社」の体裁の中で動かそうとしているが、全く「資本主義」の逆を行くものであり、破綻は目に見えている。既に電気事業は放射性廃棄物の処分を含め「資本主義」の枠を越えている。国民国家による税金の投入しか方法がないのである。「資本主義」は「より速く、より遠く、より合理的に」「無限の空間」を猛スピードで進んできた結果、我々の生活水準も飛躍的に向上した。しかし、20世紀末には「無限の空間」は閉じ「有限」になってしまった。成長は終わったのである。その結果、金利もマイナスとなり、成長率もマイナスとなり(『株式会社の終焉』水野和夫)、さらには、福島は放射能に汚染されて「空間もマイナス」となってしまった。水野和夫は今後の思考ベースを「よりゆっくり、より近くに、より寛容に」と提案しているが、「有限責任」の株主がその最低の資本主義的責任すら果たさず無理やり国民に転嫁しようとする姿からは、国民は「寛容」だが、国家・資本は「より不寛容に、より不平等に、より暴力的に、より強欲に」という未来しか見えない。
【出典】 アサート No.468 2016年11月26日