【投稿】経済格差の拡大を問う―なぜ今「ピケティ」
福井 杉本達也
1 なぜ今「ピケティ」
フランスの経済学者トマ・ピケティの『21世紀の資本論』(CAPITAL)が売れている。1月末には来日し各地で講演も行っている。なぜ、いま電話帳のような経済専門書が売れるのか。
ピケティの『CAPITAL』は当然ながらマルクスの『資本論』(Das Kapital:独語)を意識している。ヘーゲル哲学に基づく論理展開を重視した資本論と異なり、世界20ヶ国以上の税務統計などの300年にわたり遡ったデータを駆使し、富める者とそうでない者との格差が広がっていくという結論は、マルクスの予言した資本主義の暗い未来=窮乏化法則をマルクス経済学ではなく近代経済学の立場から実証的に証明しようとする試みである。ピケティの来日に当たり、毎日・朝日・日経などが特集記事を組んだが、なぜ、いまピケティなのか。新聞は「経済格差はない」、「企業利益は国民に滴り落ちる(トリクルダウン)」といいながらも、格差の拡大する資本主義の未来に大きな不安を抱きつつある。2012年秋にはユーヨーク・マンハッタンでウォール街を占拠せよ(Occupy Wall Street)運動が行われたが、「We are the 99%」はその参加者たちのスローガンであった。
2 富の公平性
ピケティの窮乏化法則は r>g という簡単な式に集約される。「 資本収益率(r)は経済成長率(g)を上回る」というものである。会社の利潤の一部は、資本家には配当として、もう一部が労働者の賃金となる。このとき、資本に回る分と労働者の賃金となる分が同じくらいなら、経済成長率、資本収益率、そして労働分配率(労働者の賃金に回る分)は同じくらいになるはず(『r=g』)。ところが、ピケティが明らかにしたのは、歴史を遡ると、労働者の賃金よりも資本に回るお金のほうがずっと多いという事実。つまり、『r>g』だった。ピケティは、資本収益率(r)は平均4%程度に落ち着き、先進国の経済成長率(g)は1.5%ほどになることを実証している(山形浩生氏・本田浩邦獨協大学教授「Harbour Bussiness Online」2014.1218)。
経済学の公式では、自由競争により経済が成長すれば、富は平等化し、全ての人々が豊かになるという考えであるが、ピケティの式は、これを根本から否定し、経済成長すればするほど、資本を持つものに富が集中し、持たざる者は益々貧しくなるというものである。また、ピケティの詳細なデータは所得格差の縮小は第二次大戦期中・後の一時的現象に過ぎなかったことを裏付ける。
ピケティらが運営する「世界トップ所得データベース(WTID)」によると、米国の所得上位のわずか1%の層がキャピタルゲイン(金融資産などの値上がり益)を含んだ2012年の全国民所得に占める割合(Top income shares)は、22.46%であった。これは1978年の8.87%をボトムとしてこの間一貫して上昇し続けている。同日本の場合の所得1%の層は、1977年で6.77%であったものが、2010年には9.51%となってきているものの米国ほどには格差の拡大は顕著ではない。しかし、所得上位層0.01%のキャピタルゲイン(金融資産などの値上がり益)を含んだ平均所得の推移(Top0.01% average income-including capital gains)は、1985年に1.6億円だったものが、平成バブルの頂点の90年には6.6億円と4倍以上に膨張している(バブル崩壊後は大きく低下し2010年は2.3億円)。同0.5~1.0%層では同じ期間に1400万円から1800万円にしか増加しておらず(2010年では1500万円)、キャピタルゲインの利益がいかに一握りの層にしか利益をもたらさないものであるかを如実に示している。アベノミクスは黒田日銀による異次元緩和と称し、GPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)やゆうちょ銀行による株式市場への介入によって株価を押し上げようとしているが(金魚鉢に二匹の鯨)、誰への利益誘導を図ろうとしているかは一目瞭然である。一方金融資産をほとんど持てない下位90%(Bottom 90%)の層は同期間に190万円から220万円へと増加したものの、その後一貫して低下し、2010年では150万円となっている。
3 低成長の世界
水野和夫氏によれば、資本主義は、たった15%の先進国の『中心』が残りの85%の『周辺』から利益を吸い上げ、利潤を蓄積していくというシステムであった。先進国は新興国という『周辺』で生産される資源を安く買いたたき、先進国の工業製品を高く売りつけて利潤を上げてきた。ところが、新興国が力をつけてきた今、国外の『周辺』から利潤を得ることが不可能になった。特に中国を始めとするBRICS諸国の経済発展が先進国の利潤獲得を困難にしてきている。『周辺』に利潤獲得の源泉を得にくくなった先進国は、国内の『周辺』から搾り取るしかなくなってきた。それが、米国の低所得者層から搾り取るサブプライムローンであり、日本の非正規雇用による低賃金労働であり、ピケティの詳細な分析で1980年代から格差が拡大していることの背景である。
日本の10年物国債金利は0.195~0.45%と日銀の市場介入もあり非常に不安定な動きをしているが(日経:2015.2.21)、ほぼ0に近い。金融機関は、国債を売り、日銀券を受け取っても企業は設備投資をしないため運用先がない。住宅ローンは都銀で0.775%(ネット銀行では0.57%:毎日:2.21)では管理費も出ない。タイは日系自動車産業の一大集積地であり生産能力は300万台/年もあるが、タイでの販売は100万台しかない。一部を輸出できたとしても残りは過剰生産設備である。投資をしても利潤の得られない時代=利子率の低下=資本主義の卒業証書=終焉を迎えようとしている(水野:『資本主義の終焉と歴史の危機』)。
4 不動産・資産への課税(資本税)-ピケティへの若干の疑問
ピケティが格差拡大への処方箋として挙げたのは、グローバルな累進課税である。世界的な情報共有で、金持ちの保有資産を正確に捕捉し、累進税をかけ資産の再分配を行うというものである。
一方、伊東光晴氏は資産課税については「一見軽いと見えるが、実現されている利益に課するものではないので、実態は重い。何より問題なのは、課税の原則に反するから、実現性はほとんどないことだ。税は実現した所得、利潤、利益に課するものだ。たとえ不動産の市場価格が上がっても、未実現の所得には課税しないのが定説だ。その不動産を販売し、利益が実現した時点で課税されるのだ。未実現の利益に課税すると経済の混乱を招きかねない。」(伊東:「誤読・誤謬・エトセトラ」(『世界』2015.3)と批判し、累進性を持った「相続税」と「均等相続」を提案している。
日本では現に固定資産税が機能しており、伊東氏のいう資産課税が全く課税原則に反するとはいえまい。ただ、諸国家が連携して国際的な資産課税を一斉に実施するなどはありえない。ケイマン諸島やスイス・ルクセンブルク・シンガポール等々、金融資本には隠れ家:タックス・ヘイヴン(tax haven)は無数に用意されている。連携するとは世界国家=『帝国』を構想することであるが、『帝国』とは国際金融資本(1%)の言うことを最も聞く国家であり、99%を最も無視する国家である。そこで「再分配」という『国民国家』の“民主主義的”ルールが通用することはありえない。ルールを決めるのはウォール街&ロンドンの金融資本である。国内的には『国民国家』による相続税の強化であるが、相続税の強化自体も困難が予想される。ピケティは資本課税による再分配によって資本主義の軟着陸を構想しているが、『終焉』に向かって格差がより極端に拡大し、マルクスの予言=99%の『窮乏化』→『革命』=ハードランディングもありえる。ピケティを呼んだ側もピケティ自身もマルクスの予言が頭の片隅にある。
5 強欲な国際金融資本への対抗軸-ギリシャの新政権をめぐる動き
ギリシャ危機をめぐり、EUは2月20日に4か月間の金融支援延長という一定の妥協がなされた。強欲な金融資本はギリシャ国民を貧困のどん底に追い込んでも自己の『資産』を確保したいということである。
今年1月に誕生したギリシャ新政権は緊縮財政の転換を求め、「欧州委員会・IMF・欧州中銀(ECB)」のトロイカ体制の解体を求めてきた。ギリシャ新政権の強気の背景には「欧州とロシアの平和の架け橋になる」(日経:2015.2.2)とし、BRICS銀行からの金融支援の話も浮上している。一方、中国はギリシャ国債の購入拡大も検討していると伝えられる(日経:2.21)。また、昨年12月、欧米の圧力により中止した、ロシア産天然ガスを黒海(ブリガリア)経由で中東欧に送るガスパイプライン=サウス・ストリーム計画をトルコ・ギリシャ経由で中東欧に送る計画も浮上していることも強気を支えている。今後、ギリシャが最終的に国際金融資本の軍門に下るかどうか予断を許さないが、ギリシャの動きはウクライナ情勢と連動している。
ウクライナ危機を巡り、欧米はロシアに対する経済制裁を科した。しかし、そのことが結果として、ロシアの中国接近をもたらした。昨年10月には中ロの通貨スワップ協定、また昨年5月の中ロの天然ガス供給契約の締結と建設資金の一部中国負担、ガス輸出代金の人民元での受け取りなど、西欧からアジア重視に軸足を移しつつある。中国の豊富な外貨によるBRICS銀行やアジアインフラ投資銀行(AIIB)の創設により、資金の蓄積や貿易決済におけるドル比重の低下が進んでおり、ドル基軸体制(=国際金融資本・『帝国』)に影響を与える可能性が出てきており(望月喜市「欧米の対露制裁が招くドル基軸体制のほころび」『エコノミスト』2014.12.30)、ピケティとは違った方向での『国民国家』群の動きも広がっている。
【出典】 アサート No.447 2015年2月28日