【日々雑感】大阪「都」構想をめぐって
2月某日
友人と話す。大阪の教育現場が魅力を失っている。大阪の教員採用試験の応募者、応募者倍率が深刻に少ない。従来良質の教員を提供していた大学の学生は大阪に応募しないそうだ。大阪には様々な改革が必要だ。しかし、改革課題の取捨選択、どのような方向に変えるのか、変える手法、が大事。橋下維新政策はここで間違えている。
「大阪都構想」を巡り、安倍政権中央、宗教団体、橋下市長が仕掛ける口汚いバトル、と様々で露骨な介入・駆け引き。地方制度改革はもともと政治的事案だ。しかし、あまりにも下品に地方制度がもてあそばれている。
2月某日
朝日新聞社と朝日放送による大阪市民を対象とした世論調査。「都構想」に賛成35%、反対44%。一方、実際に住民投票に行く可能性の高い層では賛成44%、反対45%と拮抗。住民投票に「関心はない」が計32%あり、この層では反対は62%。賛否理由は、構想賛成者では、「行政のむだ減らし」50%、「大阪の経済成長」28%、「住民サービスがよくなる」8%、「橋下市長の政策だから」9%、他方反対者では、「行政のむだ減らしにつながらない」19%、「大阪の経済成長につながらない」14%、「住民サービスがよくならない」31%、「橋下市長の政策だから」27%。橋下市長の都構想説明には「十分ではない」66%、「十分だ」は17%。区割り案を「知っている」53%、「知らない」43%、とのこと。
大阪市政への不満を煽り立て、二重行政の効率化だけをエサに、内容の説明もせずスローガンだけを示し、反対者を口汚くののしり、言論封殺まがいの圧力かけてまで進められている状況が良く見える。賛成者でも、住民サービス向上とは思っていない。
二重行政解消は、唯一の効果とマスコミが報道するが、それで浮く財源は驚くほど少ない事実や、新たに生じる行政庁舎確保等の財政負担などの議論は封じられている。大阪都制論が本質的に問うていることは、大阪市民の税財源を住民サービスに使うのか、橋下維新の考える大規模投資(健全な資本全体の利益ではない)に使うのかだ。
2月某日
「維新プレスVol.12」。大言壮語と自己矛盾が多い。都制(法上、「府」のまま)となれば、「衰退一途の大阪」が「成長する関西経済圏」が実現し、「大阪都・東京都二極で日本を支える」ことになるという。大阪が東京と並んで政治経済の決定権を得るという錯覚を狙う表現。そのような政策転換は首相答弁でも一言もない。
続いて「現在大阪はどんどん良くなっています」として、地価、有効求人倍率、外国人観光客、百貨店売上の文字が踊る。それならば現行の政策転換でよい。
都構想Q&Aの例。
Q1「財源は、全部もっていかれるのですか」、A「財政調整交付金、その80%は、医療・福祉・教育などの身近なサービスに使います」という。全くのすり替え。財政調整交付金の算定基礎内容(税金の使い道)が住民サービスとなるのは当然だ。
問題とされているのは、普通ならば市税である法人市民税、固定資産税、特別土地保有税がいったん府(都)税とされ、府と区で構成する協議会で調整して区に配分されるというシステムだ。区独自の自主財源でなくなり、一度府に入るから力関係はどうしても区が弱くなる。区と区の相互に争いも生じうる制度という点なのだ。東京都では長年の争いがある。
さらに、3税の20%が府の取り分となる点を明記せず、「残り20%は、特別区内の広域サービスへ。いずれも、特別区内で使うことになります。バラバラよりもムダなく効率的」とする。府の行う広域事業の内容が適当か効率的かはさておき、区民の手の届かないところへいくことの是非を隠している。
Q2「区長は権限を持たないのでしょうか」、A「選挙で選ばれた特別区の区長は中核市並みの権限を持つ」「すべては大阪府が決定する、という噂は嘘です」という。すり替えた上、「すべて」という誘導を行い、「噂」という言葉を使って信憑性を落とす手口。
問題なのは、①本当に中核市の権限をもてるのか。法改正が必要なもの、現行法で可能であっても府と区との協議がととのわなければならないもの、などがある。法上東京都に影響のあるものはまず実現が不可能である。②非常に多くの事務が、一部事務組合となり、単独の区では判断、決定ができないこととなる。住民の手・目の届かないところで多くの重要な事務事業が行われることになる。小さな区になれば住民に近い行政が実現するという宣伝と全く相反する。③財政自主権が不十分な上深刻な財政危機が予想される(この点東京都とは決定的に異なる)区長の権限はたとい多くとも、真の自治とは程遠い。
2月某日
MBSテレビ、橋下市長と柳本市議の出席する討論番組。
大阪市の権限・事業が府に移るのは住民から遠い存在となるとの指摘に関して、橋下市長の、「区がやろうが、府がやろうが、国がやろうが、市民にとっては同じこと」という趣旨の発言。市民にとって受益の中身が同じであれば効率性だけを考えよ、という趣旨。それならば、区の権限を中核市並みに大きくすると必死に主張する必要もなかろう。ダブルスタンダードだ。
そもそも都構想とは、様々な権限・財源をもつべきところが、基礎自治体か、中間団体の府か、その是非、改革をテーマとするもの。「そんなことはどうでもよい。広域行政投資の財源さえ生めばよい」という本音が出た。
地方自治体の制度を考える判断基準は、単に財政効率性だけではない(効率性を無視するのではない)。基礎自治体を最優先順位としつつ、公平公正の確保、住民の利便性、民主性の確保、チェックシステム、など、時には矛盾対立する要素を、議論を慎重に戦わせる中で住民が自ら結論を出していくべきだ。(元)
【出典】 アサート No.447 2015年2月28日