【投稿】都知事選をめぐって 統一戦線論(3)
▼ 4月6日投開票の京都府知事選は、投票率が前回の41.09%を下回り、前回比 -6.64%の34.45%で、過去最低の記録を更新した。当日の有権者数は205万7594人で、投票総数はその3分の1強の70万8889票でしかなく、オール与党の山田啓二氏が 481,195票(得票率 69.04%)、共産系の尾崎望氏が 215,744票(同、 30.96%)であった。消費税増税後初めての大型地方選で注目されたが、全く盛り上がりに欠けた選挙戦に終始し、当選した山田氏の絶対得票率は23.38%でしかない。(ちなみに都知事選では、投票率は前回比 ー16.46%の 46.14%で、得票率は、舛添氏 43.40%、宇都宮氏 20.18%、細川氏 19.64%、田母神氏 12.55%、当選した舛添氏の絶対得票率は19.77%にしか過ぎなかった。)
この京都府知事選について、4/7付しんぶん赤旗は、共産党京都府委員会の声明として「前回より後退した党勢で臨んだ選挙戦だった」が「善戦・健闘した」と報じているが、4/9付同紙は、4/7に開かれた「知事選報告集会」で、ネットを中心に勝手連として尾崎氏を支援した「下京原発ゼロネット」の代表が、「身内で小さくまとまった選挙運動の限界」という発言に、「会場は大きな拍手で応えました」と報じている。
同紙はその詳細を報じていないが、ネット上でその集会での勝手連代表の寺野さんの壇上からの発言が映像として公開されている。同氏は、「この選挙の結果に関して、健闘したとか、善戦したというようなまとめで終わらせたくはありません。」として、「敗北の原因は何なのかということ」、「投票率の低さが意味するものは何か」について、「背景にある大きな戦略、ここににひとつの課題があったのではないか」と、問題を投げかけ、「あまりにも多くの公約を入れすぎ、並べすぎた」、「そのために一般の多くの京都府民の方々を巻き込めなかった」、それによって「大きなムーブメントを起こすことができなかった」、結果として「小さくまとまった選挙運動というのはここに来て大きな限界を迎えていると思います」と、鋭く切り込んでいる。共産系の集会でこうした発言が、最も大きな拍手で応えられたという現実は、肌身に感じるほどの厳しい現状認識が多くの支援者の中にさえ広く存在していることの証左でもあろう。
都知事選における宇都宮陣営の選挙戦略の本質的欠陥が、この京都府知事選においても露呈していると言えよう。それは、焦眉の課題における幅広い統一戦線戦略が基本的に欠落している、諸要求羅列で争点を不明確にし、献身的ではあるが身内だけのセクト主義的な選挙闘争に終始する不可避的な結果でもある。
▼ 3/16、希望のまち東京をつくる会の都知事選ふりかえり集会「東京デモクラシー、起動中。――2014都知事選から歩み出すために」が開かれ、中山武敏・選対本部長が開会挨拶で「宇都宮候補だけが安倍政権の暴走をストップすると掲げた」と述べるや、会場からは「そうだ。細川はできなかった」との声が出た、という。続いて宇都宮氏本人が、「細川問題を克服して前進したことは大きな意義がある。私は後出しじゃんけんをせず、一番先に出馬表明をし、政策を掲げて正々堂々と闘ってきた。細川氏の欠席を理由にテレビ討論会が流れたことが問題である。国会議員や首相を経験した人が信念を語る覚悟がないことには失望した。著名人頼み、風頼みの選挙ではダメである。これは教訓として残す必要がある。私達は前進した。日常的な運動を強化しなければならない。」と述べている。
宇都宮氏は一体誰と闘ってきたのであろうか、悲しいかな氏の視点はあくまでも反細川なのである。反舛添の広範な統一戦線思考はまったく氏にも、それを支える陣営にも存在していないかのようである。
月刊『創』2014年4月号で香山リカ氏は「都知事選の反省をただ一度だけ」と題して、「現実路線で腹の中は隠しながらどんどん外とも手を結び、勢力を拡大していく今の与党」、逆に「まずは過去の過ちからの謝罪から」とか、「挨拶がないのは失敬」とか、さらには、「よくあんな人を信用できるね」とか、「仁義や大義、けじめにこだわる古風すぎる価値観の持ち主が多いことを今回も思い知らされた」、「清廉潔白さは貴重ではあるが、その結果、自分たちの言いたいことも伝えられないほど勢力が衰えてしまうのは、まさに本末転倒なのではないだろうか」と宇都宮陣営の狭量な現実を指摘している。
『週刊金曜日』2014/3/28日号の投書欄には、宇都宮氏は舛添氏に「得票数で2倍以上の差をつけられ、しかも氏の得票数は前回より1万4000票しか増加していない。それなのに、氏は「大いに善戦、健闘した」と言う。普通はこれを惨敗と言うのではないか。・・・また氏は、「一番先に出馬を表明」したと得意気だが・・・そもそも出馬の順番など何の意味もない。・・・本来なら都知事選で勝利できなかったことを嘆くべきであろう。氏が「選挙戦を終えて大変清清しい気持」にひたっているのが理解できない。・・・氏は著名人に頼るような選挙をしてもだめであり・・・というが、進歩的と言われる著名人の多くが細川候補の応援に回ったことに対する私憤があるのではないかと疑いたくなる」、という厳しく、核心をついた投書が掲載されている。
また、月刊『社会民主』2014/3月号によれば、選挙戦のさなか、社民党の新春パーティに宇都宮氏が来て挨拶したが、「いま情勢調査では、細川さんより私が上に行っているようだ」と嬉しそうに語った、という。ここでも宇都宮氏の視点はあくまでも2位争いであって、いわば保守の陣営から細川・小泉陣営が「脱原発」で動いた、保守・中道をも獲得する絶好のチャンスを逃さず、生かして、統一して闘うことによって舛添陣営を追い詰め、勝利するという基本姿勢が欠落しているのである。
▼ 以上、宇都宮陣営の基本的な問題点を取り上げてきたが、細川陣営にも宇都宮陣営にも共通する問題点を取り上げておきたい。それは、統一戦線の政策課題であって、実はこれが勝敗を決する決定的問題だといえよう。
細川氏は、原発ゼロ社会を目指して「一刻も早く原発再稼働をやめるべきである」という、焦眉の、緊切な課題を争点の中心に据えている点において、諸要求の羅列ではない、宇都宮陣営にない優位性を立脚点においていたことは確かである。しかし、その政策的根拠について、細川氏は「経済成長主義ではなく」、「脱成長の路線」、「価値観の転換を図るべき」だと訴える。なぜなら、それは「成長のためには原発が不可欠である」という現自民・公明政権、安倍政権の路線への対抗路線としてなのである。
ところがこの細川氏を支援した小泉純一郎氏は、細川氏と同じ街宣カー上から「原発ゼロでも経済成長できることを世界に示すのだ」と強調し、「 私どもは、夢を持っている。理想を掲げるのは政治じゃないと批判する人もいます。しかし、原発ゼロで東京は発展できる、日本の経済は成長できるという姿を見せることによって、日本は再び世界で自然をエネルギーにする国なんだな、環境を大事にする国なんだな、そういう発信をする国になりうる。その夢や使命感を持って、候補者は立ち上がってくれたんです。」と訴えている。至極当然で、原発ゼロ政策と成長政策を結合させる基本姿勢が表明されていると言えよう。
しかし肝心の候補者である細川氏は、原発ゼロ政策=成長抑制路線として、「もう成長の時代が終わった」などとして、それを否定してしまうことによって、原発ゼロ政策が、日本経済、エネルギー政策の根本的転換と結び付けられなかったのである。雇用を拡大させ、窮乏化にストップをかける、そうした根本的転換を促進する具体的政策、原発依存の独占・集権型エネルギー政策から、再生エネルギーを促進する分権・分散型エネルギー政策への転換をこそ前面に掲げるべきであったが、成長抑制路線によって、デフレ経済下で進行する貧困化と格差の拡大を克服する戦略を提起できなかったのである。それは宇都宮陣営においても同様で、原発ゼロを諸要求の一つとして掲げれども、その実現に向けた政策提起も、それを中心に据える統一戦線戦略も提起しえなかったところに最大の政治的・政策的敗北の原因があったと言えよう。
▼ 田母神氏の予想外の得票から、若者の保守化・右傾化を指摘する論者が多いが、彼らをそこへ追いやる、共産党から社民党、民主党に至る既成政治勢力の政治姿勢こそが問われるべきであろう。彼らの、一見、潔癖で禁欲主義的な政策は、様々な諸要求を羅列すれども、結果として資産階級・富裕層が最も恩恵を受けるデフレ政策、総需要抑制政策を追認、擁護し、貧困と格差の拡大を許し、積極的な景気拡大・浮揚政策、成長政策でそれを打破する対抗政策を提起しえなかったことにこそ、大衆的信頼を獲得できなかった最大の問題があると言えよう。
とりわけ民主党が自民党から政権交代を果たし、庶民が期待した、緊縮財政・福祉切り捨て・縮小均衡政策のデフレ政策からの根本的転換がことごとく裏切られ、財務省の財政縮小路線と自由競争原理主義の新自由主義路線にとりこまれてしまい、3・11の東日本大震災と福島第一原発事故が投げかけた、そうした政策からの脱出の最大の契機さえ把握することができずに、衆議院解散に追い込まれ、アベノミクスに、本来あるべき成長政策がかっさらわれてしまったのである。しかしそのアベノミクスも、成長政策の体をとりながらも、従来型の利権がらみのバラマキ政策に終始し、実際には増税路線とセットであり、さらなる規制緩和と非正規雇用の一層の拡大政策等々、貧困と格差の拡大をさらに促進する、実質的にはデフレ政策とセットなのである。
こうした反自民勢力、あるいは左派勢力が本来掲げるべき積極的な景気拡大・浮揚政策、成長政策を、逆に田母神陣営は、タモガミクス(東京総合経済対策)三本の矢(一本目 都民税減税により、4月の消費税増税による景気の落ち込みを防ぐ 二本目 防災・五輪関連の公共事業拡大 三本目 中小企業の「仕事」と「所得」を増やす)として掲げ、たとえそれが欺瞞的であれ、アベノミクスを「補完するタモガミクス」として提起し、雇用不安と貧困に喘ぐ若者の支持を相当程度獲得し得たこと、その現実をこそ注目し、総括すべきであろう。
本来、安倍政権の軍事的緊張激化や軍国主義化に反対する、反自民、平和・憲法9条擁護の勢力に結集できる若者や生活苦と格闘する人々を、増税・財政抑制・総需要抑制政策・縮小均衡路線に組みすることによって、民族差別や戦争挑発政策や人権抑圧の支持者に追いやってしまってはならないのである。
これまでの行きがかりを乗り越えた、統一戦線政策の政治的・政策的総括こそが要請されていると言えよう。
(生駒 敬)
【出典】 アサート No.437 2014年4月22日