【投稿】 STAP細胞騒動と「災害資本主義」
福井 杉本達也
STAP細胞をめぐる騒動では、将来のノーベル賞候補といわれた共同研究者の1人・理化学研究所の笹井芳樹氏が自殺するなど大きな波紋が広がっている。
1 理研がなぜ神戸医療産業都市に
そもそも、埼玉県和光市に本拠のある理化学研究所がなぜ神戸市にあるか。1995年1月の阪神・淡路大震災において、当時1000床という兵庫県下随一の3次救急医療機関であった神戸市立中央市民病院は、市街地と島(ポートアイランド)を結ぶ神戸大橋の不通により震災直後の救急患者の受け入れができず、救急病院としての機能を全く果たせず孤立し(内閣府「防災情報のページ」)、もう1つの市立病院である長田区にある西病院は5階部分が座屈倒壊し、患者・病院スタッフが閉じ込められこちらも機能を果たせず、他の市内の病院は野戦病院のような状態に落ちいった。
この「反省に立つ」のではなく、人々がショック状態や茫然自失状態から自分を取り戻し社会・生活を復興させる前に、「ショック・ドクトリン」(ナオミ・クライン:衝撃的出来事を巧妙に利用する政策「災害資本主義」(「惨事便乗型資本主義」))により、火事場泥棒的に過激なまでの市場原理主義を導入し、経済改革や利益追求に猛進することとした。神戸市のポートアイランド開発計画は震災前に既に事実上破綻していたのであるが、震災を“奇貨”として、どさくさ紛れに1999年に、米建設企業であるベクテル社に委託して、「米国の医療産業クラスターの成功要因の把握や、有力な外国・外資系企業の経営戦略の分析などを通じて、神戸(ポートアイランドⅡ期)における医療産業クラスター形成の条件を整理し、必要な戦略を作成」したのが『神戸医療産業集積形成調査』である。構想の中では、「先端医療研究の川上(細胞の解析・組み立てなど要素技術の研究等)から川下(治験等)までを一体化することでより効率的な研究を推進することが重要視された(三菱総合研究所「阪神・淡路大震災後の研究拠点立地を通じた復興」)。こうして、理化学研究所「発生・再生科学総合研究センター」を基礎研究の中核研究機関として誘致するとともに、神戸市が担うべき地域医療の中核機関である700床もの中央市民病院は、地域医療とは切り離なされ、神戸市民を実験材料とする医療産業向けの研究・開発(治験等)に差し出すというとんでもない計画ができあがった。
2 「ベクテルと神戸市の医療特区構想」-本山美彦氏の指摘
元大阪産業大学学長の本山美彦氏は『売られ続ける日本、買い漁るアメリカ』(2006.3.20)の中で、神戸医療産業都市構想について「ベクテルは世界最大のゼネコンであり…原子核技術を活かして高度医療器具を開発し、先端医療都市を世界で建設しつつある」とし、ポートアイランドの南に隣接する神戸空港の役割も絡めて、「この狭い地域に神戸空港ができる意味は、決して一般旅客を対象としたものだけではない…東アジア有事の際、負傷兵が…神戸空港に空輸され、空港周辺の再生医療機関で手術を受け、米国の大学や医療機関から遠隔指示を受けるシステム」ではないかと指摘している。ポートアイランドが神戸沖に浮かぶ完全な島であり、市街地とは橋とトンネルだけで繋がっているというだけということを考えるならば、生物兵器の開発・治験・治療の場としても好立地である。沖縄知事選対策とはいえ、政府が米海兵隊普天間基地のオスプレイを佐賀空港に配置する計画を持ち出すことなどを考えると、本山氏の指摘も現実味を帯びてくる。
3 『神戸医療産業都市構想』は“金融詐欺”・“国家詐欺”
『神戸医療産業都市パンフレット』によれば、「総合的迅速臨床研究」として、「新たな医療技術や医薬品・医療機器の開発にあたっては、基礎研究から臨床研究の間に、動物で行う前臨床試験や規制、倫理といった課題」があり、起業化においても資金等の課題があるとする。このプロセスを研究者と臨床医を集結させて迅速化するという。
DNA情報の蓄積は遺伝子治療や新薬の開発などで莫大な利潤を生むと期待され、日米欧の国際的協力により、ヒトゲノムの解読が2003年に終了した。アメリカのゲノム情報産業には、投機的な資金が流れ込み、人の命が商品化される。個人の遺伝子に合わせたパーソナル医療は、誰をも病気の可能性を予告された「待機中の患者」に仕立て上げる(2014年2月26日 – 米女優アンジェリーナ・ジョリーさんが予防のために乳房を切除したことで話題になった)。しかし、人の病気の解明や治療法の開発にすぐに役立つものと期待されたが、生命現象はもっと複雑であることが分かった。「遺伝子が生命現象の全てを支配するという『遺伝子決定論』に振り回されるべきではない」と仏の分子生物学者ベルトラン・ジョルダン氏はいう(朝日:2014.7.29)。病とは化学的分子レベルだけでは理解しがたい、複雑な要素を含む。遺伝子治療への過剰な期待は行き過ぎた信仰にすぎない。
ハーバード大学のゲイリー・ピサノは『サイエンスビジネスの挑戦―バイオ産業の失敗の本質を検証する』の中で、米国のBV(bio-venture)全体は、赤字が30年も続いており、バイオテクノロジーが、新薬開発の生産性に革命をもたらしたという証拠はないとし、人体の生物学的仕組みの知識は今でも不十分であり、長期的に考えても新薬開発リスクは極めて高い。いくらバイオテクノロジーが発展しても、「合理的」な薬にはなかなか到達せず、膨大な試行錯誤は今後も必要であると述べている。これらの先行議論を受け、美馬達哉京大准教授(高次脳機能総合研究センター)は『現代思想』8月号上で、バイオは投資家を引きつける手練手管と会社や株の転売による儲けの話だけに終わっている。価値生産というよりもむしろ金融化のなかの商品化であり、金融の力が現代社会の中でまとう意匠の一つにすぎないとまで言い切っている。とするならば、神戸医療産業都市構想は国家自体(神戸市を含む)のバイオテクノロジー産業のエージェント化であり、米ベクテル社も絡むバイオ産業という看板を掲げたインフラ投資に重点を置いた国家詐欺の象徴である。しかし、バイオ産業の、よって立つ基盤は非常に脆弱である。
4 科学者は「災害資本主義」に対し、どのような立ち振る舞いができるか
1940年、理研(戦前の財団法人)の仁科芳雄はサイクロトロンの予算獲得のために、公開実験「放射性人間」ショーを行ったが、最初から国民に「正しい科学知識」=原子力を理解させようとしたものではなく、プレゼンテーション=国民に分かりやすい“魅せる”「物語」(「スペクタクル」)を披歴しただけである(中尾麻伊香「『科学者の自由な楽園』が国民に開かれる時』『現代思想』2014.8)。割烹着・「リケジョ」・コピペ・論文指導・査読システム・科学者倫理等々、STAP細胞をめぐってはマスコミ・研究者を巻き込んで様々な騒動が引き起こされているが、それは出来の良い・又は出来の悪い「物語」に過ぎない。
2011年4月の神戸市の『構想』にバイオベンチャーの技術経営上の課題を説明する「魔の川」「死の谷」「ダーウィンの海」というポンチ絵がある。魔の川とは、一つの研究開発プロジェクトが基礎的な研究から出発して、製品化を目指す開発段階へと進めるかどうかの関門、死の谷とは、開発段階へと進んだプロジェクトが、事業化段階へ進めるかどうかの関門、ダーウィンの海とは、事業化されて市場に出された製品やサービスが、他企業との競争や真の顧客の受容という荒波にもまれる関門を指す。『構想』を描く当事者は事業化が極めて難しいことを理解している。しかし、予算獲得のためにはバラ色のプレゼンテーションをする。
原爆開発を目的としたマンハッタン計画では1万人の科学者・研究者が動員され、当時の金で22億ドルの巨費が投ぜられた。同計画では投下するまで国家機密であったため、実戦による使用こそが米国民に対する予算獲得のための“分かりやすい”極めて非人道的な「プレゼンテーション」の場となった。そのため、日本の敗戦をわざわざ1か月間遅らせるとともに、投下時間帯を8時15分に合わせ、また、長崎には種類の異なるプルトニウム原爆を投下し、その効果を工程表に従い緻密に「検証」した。広島・長崎市民は計画の実験材料とされた。
福島第一原発事故は地震・津波という偶然がもたらしたものであるが、東日本の数百万人に放射能が降り注いだ。「災害資本主義」にとっては、これは儲けの絶好の機会である。被災した岩手、宮城、福島3県を先進医療の受け皿にしようというプロジェクトが動きだしている。 各県の大学や企業が持つ医療技術を生かし、最新の医療機器を開発するほか、住民の長期健康調査を実施、検査情報を蓄積する他、医療機器分野では、微細装置などを開発する企業や大学を資金援助する。さらには、岩手、宮城両県の計15万人を対象に血液検査などで得た全遺伝情報(ゲノム)や診療情報をデータベース化し、分析して創薬、予防医学に役立てるという(河北新報 2012.8.12)。要するに、被災住民を無視した高度医療特区構想である。また、文科省が36年ぶりに医学部新設を決めたことで、被災3県での誘致合戦が行われている。これに対し、日本医師会は、医学部新設ための「多くの教員確保のために医療現場からの勤務医の移動(引き抜き)が発生し、基幹病院、公的病院を含む地域の医療機関の医師不足を加速させ」、特に東北3県では「沿岸部の医療は極めて厳しい状況にあり、沿岸部の医療が崩壊することは必至」であると抗議している(2003.10.23)。被災3県でも地域医療を踏み台にした神戸市同様の「災害資本主義」の跋扈が既に始まっている。
臨床医の場合には、かろうじて患者・地域医療というサービス対象との接点があるが(もちろん長崎大の重松逸造・長瀧重信・山下俊一のように患者を研究材料としか考えないものもいるが)、研究者の場合にはほとんどない。小保方晴子氏は会見で「何十年後かにこの研究が誰かの役に立てればいい」と古色蒼然たる科学の倫理観を語りはしたが、科学者は「災害資本主義」に対し、どのような立ち位置を取るかが問われている。
【出典】 アサート No.441 2014年8月23日