【書評】『東京プリズン』

【書評】『東京プリズン』
   (赤坂真理、河出文庫、2014年、初出2012年) 

 主人公は1980年代の女子高校生。日本の高校になじめず、アメリカの片田舎の私立高校に留学している。しかしそこでのカルチャーの違いは予想を遥かに上回るものであった。誘われてヘラジカ狩に行くと、高校生が当然のように車を運転し森の中で銃を撃つ、学校のパーティーへ思いつきのアメリカ先住民の仮装で現れると、異様な目付きに囲まれる等々のショックで、ついに留年の際まで追い詰められる。
 その時進級の条件とされたのが、「アメリカ(アメリカン・)政府(ガヴァメント)」という科目で、日本のことに関する研究発表の課題だった。しかもそれは、主人公が軽く考えていた日本文化の紹介どころではなかった。課題の進み具合についての担当の教師との会話。
 「お言葉ですが、先生(サー)、あなたはただ、日本のことを研究発表せよと言いました」「能だ歌舞伎だとそんな石器時代のことを言ってなんになる。現代アメリカ人にとって最も興味のあることはひとつだ」「と言いますと」「真珠湾攻撃から天皇の降伏まで」/「天皇(エンペラーズ・)の(サレンダー)降伏!!」とても驚いて、今(アイ・)なん(ベグ・)と(ユア・)おっしゃいました(パードン)? みたいに突拍子もない声で私は訊いた。それが彼をいらだたせたのか、「天皇が降伏した!天皇がポツダム宣言を受諾して、無条件降伏した。日本の授業で習ったろう!」
 主人公は戸惑って考える。
「それが習ってないんです。と言いたくなるのを抑えて、必死に考える。ポツダム宣言を受諾したのは、天皇じゃなくて日本政府じゃないのか、でも首相は誰か思い出せない、というより知らない。いやたしかに、“降伏”のイメージをいえば、天皇の声“玉音放送”をラジオで聴いて地に伏す人の図だったかもしれない。」
「天皇の降伏」という言葉にショックを受けた主人公は、改めて玉音放送の日本語原稿と英訳を読み返す。
「朕は帝国政府ヲシテ・・・」 あれ?天皇が降伏したのでは、ない。他ならぬ、天皇自身が言っているのに。・・・それはまわりくどい力学で、天皇が、帝国政府(日本政府)に対し、宣言を受諾することをアメリカ・・・の四ケ国に伝えてくれと頼んだ、とか命じた、ということだ。
 このように主人公は、われわれが太平洋戦争で当然のことと思っている事柄について、見落とされている根本的な疑問を提出する。
 そしてこの研究発表は「天皇に戦争責任がある」というディベートの形で実施されることになるが、そこでは、一方では日本による真珠湾攻撃を初めとして、南京大虐殺、七三一部隊、侵略戦争が批判され、これに対して、アメリカによる東京大空襲、原子爆弾、宣戦布告なき軍事介入・プロパガンタ操作の米西戦争、ヴェトナム戦争が批判される。これらの諸問題が、主人公の母親が過去に関わった東京裁判の資料やヴェトナムの結合双生児のつぶやき等々が関わり、これらすべてを包む時代的歴史的イメージが縦横に展開する。
 その筋立ては複雑で、読者それぞれの評価に委ねる他ないが、ディベートの最後に、主人公が負けるにあたって述べる言葉が戒めとして残される。
「私は勝てません。知っています。あなた方の力(パワー)の前に屈するのです。東京裁判が、万が一にも私の同胞が勝つようにつくられていなかったのと同じです。ディベートは裁判ごっこです。ごっこだったら私にも勝つ見込みがあるとあなたは言うかもしれません。だけれども、あくまであなたがたのルールの中で勝てるにすぎません。あなた方の軍艦が初めて私の国にやってきて以来ずっと、そうなのです。この痛みが、あなた方にわかるでしょうか?」
「『私たちは負けてもいい』とは言いません。負けるのならそれはしかたがない。でも、どう負けるかは自分たちで定義したいのです。それを知らなかったことこそ、私たちの本当の負けでした。もちろん、私たちの同胞が犯した過ちはあります。けれど、それと、他人の罪は別のことです。自分たちの過ちを見たくないあまりに、他人の過ちにまで目をつぶってしまったことこそ、私たちの負けだったと、今は思います。自分たちの過ちを認めつつ、他人の罪を問うのは、エネルギーの要ることです。でも、これからでも、しなければならないのです」。
 太平洋戦争の戦争責任–加害者としての責任、国民としての責任、国民に被害をもたらした軍部と指導層の責任、そして天皇の責任–の区別と軽重を問い、東京裁判の評価を問う本書は、われわれに欠けていたものを小説という形で提示する。(R)

(追記)なお戦犯の理解について、本書は興味ある対話を載せる。このような知識が不十分であったことも、われわれの戦争責任へのアイマイさの一因となっている。
 「『平和に対する罪』を犯したものが、A・・・ランクAの戦犯なのよね?」私は〈A級戦犯〉を英語でなんていうのかを知らなくて、そう言った。/「クラスA」とアンソニーが正す。/A級戦犯をそう言うのか。「クラスA、が、いちばん罪が重いのよね?」/「そんなことはない。ABCは種別であって、罪の重さじゃない」/ええっ!私は声を出さずに驚いた。私の国では、今でも、A級戦犯というのがいちばん重い罪だと信じられている。・・・「A、B、Cのクラス分けはニューレンバーグ(ニュルンベルグ)裁判の形式をそっくり引き継いだものだ」・・・「第二次世界大戦後にナチスを裁いた国際軍事裁判があった場所。東京裁判はそれをベースにしている。クラスBの『通例の戦争犯罪』が、捕虜の虐待であるとか、民間人の殺傷であるとか。クラスCの『人道に対する罪』はホロコーストに向けられたもので、日本には対応するものがなかった」(R)

 【出典】 アサート No.441 2014年8月23日

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