【本の紹介】横田ミサホ著 「原爆許すまじ」
2013-06-15 鳥影社 1600円+税
私達の恩師でもあり、解放教育の指導者でもあった故横田三郎さんの奥様、ミサホさんから、この本をお送りいただいたのは、6月であったか。紙面の都合で、ご紹介が9月になったことをお許しいただきたい。
ミサホさんとは、私は二度しかお会いしていない。一度は、島根県大田市のご自宅をお尋ねしたおり、そして2009年5月友人のT君と高槻市にお尋ねした折である。先生が突然旅立たれた後は、何かにつけてお手紙をいただいてきた。先生から奥様の事は、あまり聞いていなかったが、この本を読んでみて、中々の活動家(?)であり、文筆家であると再認識させられた。
ミサホさんは、広島の原爆投下を、呉の海軍工廠で経験されている。島根県立大田高等女学校4年生の時、学徒動員で働く朝、閃光と「きのこ雲」に遭遇、その後、敗戦で動員が解除され、大田市への帰路、焼け野原の広島市内に衝撃を受ける、この体験が、ミサホさんの原点である。
ミサホさんは、戦後、大阪被団協淀川支部の活動や婦人運動に取組まれ、大阪文学学校にも関わって、折りに触れて随筆や小説なども書かれてこられ、本書は、こうした活動の一端をまとめられたものである。
戦後丸木俊画伯の「原爆の図」を初めて見た時の「痛みを伴う」感動、本書では、まさに自らの広島体験から語り始めておられる。(第1項「原爆許すまじ」)1982年の反核広島行動に併せて、呉や広島を訪れた際の感想、反核への思いが綴られている。
第2項は、従軍慰安婦問題。第3項は、731部隊について、第4項は、「父の尊厳死」についてである。僧侶であったミサホさんの父親が死期を悟り、断食をして死を迎える側に寄り添った思い出の記である。安らかな死とは何か、現在も問われ続ける問題を扱われている。この他に、創作文章が数点収められており、今回じっくり読み直してみて、著者の厳しい、そして優しい人となりが滲んでいるように思える。
本書に添えられていた挨拶文に、ミサホさんの思いが語られている。
「戦時下の学徒動員での死と隣り合わせた苦しい体験、そして、原爆投下直後の広島の状況など、この悲惨を次世代に伝えなければならない。まして、憲法改悪をゆるし、人々が殺し合う戦争を二度と起こしてはならない。そんな願いを込めて、「たった一人の反核運動」を世に問いたいと思い、拙い文章ですが敢えて出版する決意をしました。」
読者各位にも、是非読んでいただきたいと思います。(2013-09-23佐野)
【出典】 アサート No.430 2013年9月28日