【投稿】生活保護制度の改悪に思うこと
参議院選挙を前にして、安倍政権は依然として高い支持率を維持している。アベノミクス3本の矢で、経済を立て直すとの公約にまだ、国民は「幻想」を繋いでいるようだ。
しかし、7月の参議院選挙を経て、8月1日から生活保護の給付基準が大幅に変更されることは、すでに決定済であり、保護受給者は、8月1日の「決定通知」を見て、大幅な減額が行われていることに気付くということになる。
さらに、現在国会で審議中の「生活保護法改正案」は、扶養義務調査の厳格化・拡大などを内容としており、不正受給を減らすという目的を越えて、受給抑制に繋がる可能性が高い。
<高齢者の給付を大幅減額>
給付基準の改定は、一律に削減という内容ではない。幼児層には単価引き上げも行われているが、第1類では、6才から11才で▲650円、12才から19才は▲4010円、20才から40才では、▲2920円。第2類では、1人世帯で、▲3780円の減額が行われ、60才から69才の高齢単身者では、月額で合計1990円の減額となる。(1級地-1の場合)
アベノミクスの「効果」は、生保受給者には届かない。むしろ円安効果による物価の値上がりとの関係では、生活の一層の切り詰めを余儀なくされるだろう。
<保護受給者の孤立化と、沈殿・深層化>
今回提案されている生活保護法の改正案が、根本的な貧困解決に資するとはとても思えない。昭和25年の制度創設以来、根本的な改正が行われてこなかったため生活保護制度が制度疲労を起こしており、今日の社会情勢に適応した制度にすると政府は説明しているが、残念ながら、程遠い内容となっている。
労働への意欲喚起(インセンティブ)を高める内容と、他方で保護の適正化策を併せた内容になっており、重点は、「不正受給」への対応と思われる。
就労開始による自立ができた場合、保護受給中に収入認定した収入額の一定額を「就労自立給付金」として、保護廃止時に給付し、就労自立に対する支援制度は、どれ程の効果をもたらすだろうか。これが、改正案の唯一の目玉策でもあるが。
むしろ、調査権の強化や返還金を直接、保護費から差し引くことを可能にすること、医療費の一部自己負担などなど、正直に言って、小手先の「改正」であり、貧困対策の根本的対応策などとは間違っても言えない。
貧困対策を求める団体からは、総スカンの内容となっている。
<子どもの貧困論について>
生活保護受給者の子弟が、成長して、再び生活保護に陥る可能性が高いことは、以前から指摘されてきた。貧困の連鎖論である。実証的な研究もいくつかあり、また、福祉の現場に居るものとして実感的にも、感じることができる。
そこで、保護行政の枠内でも、小中学校生への学力支援策、中学生への進学相談や支援、高校生への進学相談や支援が、メニューに掲げられてきている。
これらの取組みが、いずれ一定の効果を齎すであろうことは確実ではあろう。しかし、あくまでも保護行政の枠内であり、生活保護受給者の子弟に対象は限られている。
しかし、保護制度の枠内での「子どもの貧困状態」や「母子世帯の貧困状態」の議論だけでは、おそらく根本的な解決には成るまい。非正規労働者が、4割に達しようとする現状が、日本社会の底流にあるからである。
<教育負担の解消こそ、根本的な解決策>
私自身の生い立ちを考えれば、どちらかと言えば「貧乏」の部類の家庭に育ったと思う。良く解釈しても、中の下というところだろう。しかし、まだまだ学費は安かったと思う。自宅通いで大学に進学したが、1万円に満たない奨学金と家庭教師のアルバイトで、学費と食事と活動費(?)は賄えた。
最近のテレビ番組で、私学の大学に行くために卒業までの4年間の奨学金借金額が1000万円という学生の話題が取り上げられていた。残念ながら、その学生は内定も取れず、親にも頼れず、途方に暮れていた。
現在の保護法では、大学に進学する場合は、世帯から分離し、バイトと奨学金で「自立」するようなシステムである。大学に行けば必ず就職できるという前提での制度設計である。私学に行けば、4年間で学費だけで600万円以上必要という実態だが、それで必ず安定した正社員になれるという保障はない。
欧米では、大学はほとんど無償という場合が多いと言われている。貧富の格差を教育に持ち込まず、若者の可能性を社会に還元する仕掛けがあるのだろう。貧困からの脱却を平等に保障するというなら、高校の無償化に続いて、大学進学の無償化も必要ではないか。
「子どもの貧困論」は、「教育の貧困論」に繋げる必要があると言える。(2013-06-18佐野秀夫)
【出典】 アサート No.427 2013年6月22日