【投稿】震災の被災地 宮城県を訪ねて(2)
唯一残った防災庁舎
津波が襲った際、今では跡形もない町役場の横にあった防災庁舎。30数名の町長含む町職員が、4階になる屋上部分で孤立した場所である。まるでシンボルのように立っている鉄骨の骨組みだけの建物。連休中ということもあり、ボランティア活動を目的に、特に横浜や千葉、関東ナンバーの車が行き来しており、防災庁舎の前に花を手向ける人も多かった。
南三陸町では、住宅の8割が津波によって消失したという。志津川中学校まで登ると、眼下に南三陸町の中心部が見渡せる。あの防災庁舎も含めて、形を留めているのは、鉄骨造のビルの骨組みか、4階建て位の鉄筋コンクリートの志津川病院など中心部のいくつかのビルのみ。見渡す限りの「建物跡」。これが、震災から1年2ヶ月の姿。震災直後とほとんど変わっていないのだろう。クラブ活動の中学生が、僕にも「こんにちわ」と声をかけてくれる。ここ志津川中学校のグランドも半分くらいが、仮設住宅となっていた。
写真1 志津川中学校から南三陸町を臨む
仮設商店街が産声あげる
その中でも、商店主の皆さんを中心に、いくつかの商店街が産声をあげていた。気仙沼へ向かう国道45号線沿いの歌津地区に、「伊里前福幸商店街」がプレハブ作りのお店でオープンしていた。海産物の店に立ち寄って、土産にと買い物をした。仮設商店街は津波で消失した住宅地の一番奥にあるが、100mほど東側は海岸線で、それに沿うように、JR気仙沼線が通っていた。高架型の鉄道敷も津波で破壊され、橋脚部分のみが並んでいた。
この日は、気仙沼をめざして移動した。リアス式海岸沿いのくねくね道を過ぎ、津谷川の橋を越えると、気仙沼市街地に入る。国道の東側の海岸側は、津波被害地が続く。瓦礫の山もいくつか見た。気仙沼は大きな街で、海岸から山裾まで市街地が広がっている。市役所周辺は高台で普通の佇まいだが、沿岸部のビル外の中には、空地になって整備している場所も散見した。津波で流されたのだろう。ここでも、仮設商店街ができていた。「復興屋台村 気仙沼横丁」だった。(翌日南三陸を離れる日、古川方面に続く本吉街道沿いにも仮設商店街「南三陸さんさん商店街」を発見。ここは、30軒くらいの店があり、観光客もたくさん訪れていた。)
この日は、発達した低気圧が東北地方を通過中で終日雨、夜には更に雨脚が強まるとのことだった。
写真2 仮設商店街 南三陸さんさん商店街
雨で町内冠水続出、基盤整備の遅れ
夕方から雨脚は強くなり、早々にテントの中に。小さな台風という感じ。夕刻キャンプ場に向かう頃には、戸倉小学校前の道路が冠水をはじめ、何とか通過したが、その後通行止めとなった。翌日は、雨が上がったが、川が増水し、南三陸町中心部に入る手前で通行止め、なんとか迂回して、「さんさカフェ」に向かう。
堤防や水門が破壊された上、水関係施設も破壊されている中、少々の雨でも町内に、冠水箇所ができるらしい。下水幹線など社会資本部分の損傷も大きいということ。これから、梅雨や台風シーズンを迎えることを考えると少々不安になる。地震の影響で、地盤全体が下がっていることも、冠水箇所が続出する原因との話もある。(この日は、震災ボランティアに行く予定だった。しかし、前夜に雨のため国道45号も通行止めなどの情報があったので、前日の段階でボランティアは断念した。翌日、なんとか町内中心部に入ってみて、カッパを着て瓦礫整理にあたっているボランティアさんの姿をみて、ちょっと恐縮。)
家なき市街地に立って
復興商店街が出来ているが、残念ながらそこで売られていた海産物などは、岩手産や北海道産が目に付いた。地元南三陸町はじめ、三陸地方は漁業が盛んな地域であったが、まだまだ、地元産の海産物は出回っていない。漁業資源と観光資源など、就労という点でも、まだまだ道遠し、というところであろう。
宮城県が、県内の仮設住宅に生活する人たちの、生活・就労アンケートを行ったらしい。詳細は把握していないが、失業率や生活不安など、かなり厳しい内容であったという話だ。生活の再建の第一は、仕事の確保であろう。高台移転など住居の確保、仕事を中心とした生活再建が求められている。箱ものの再建以上に、これは困難な事業になると感じた。
南三陸町を中心に、2泊3日の旅であったが、5月時点での現地の雰囲気を伝えることができただろうか。家なき市街地に立って、再度自分に出来る協力とは何なのか、そして、このような災害の事実を前にして、日頃の悩み事など、些細なことのように覚え、心が落ち着いたという面もあった。
いよいよ夏を向かえ、東北支援でと観光旅行も良いだろう。そんな折には、少々足を伸ばしても、被災現地を訪ねられることを願う。(2012-06-17佐野秀夫)
写真3 被災したビル跡に「がんばれ南三陸町」のメッセージ
写真4 橋脚だけが残る気仙沼線(歌津町の伊里前福幸商店街から見る)
PS:報道によると6月15日から「公立志津川病院」の解体工事が始まったとのこと。病院は、現在、内陸部の登米市に仮設病院として存続している。
【出典】 アサート No.415 2012年6月23日