【コラム】ひとりごと—統一地方選挙雑感

【コラム】ひとりごと—統一地方選挙雑感

統一地方選挙前半、大阪では橋下知事が率いる「大阪維新の会」が大勝を収めた。震災の影響もあり「静かな」選挙戦となるなか、投票率アップこそが勝利の条件としていたにもかかわらず、低投票率のなかでの勝利となった。マスコミは、この勝利を「既成政党への不信感」の表れだと評価している。勝った側は「大阪都構想は信認された」と評価する。果たして本当にそうだろうか。維新の会の主張は理解されたのか。「不信」とは何なのか。
結局は、小泉郵政選挙や民主党政権交代選挙から続く、何とかしてくれそうな人(勢力)への「何となく」の支持があっただけではなかったか。当時も、郵政改革やマニュフェストへの支持が勝利に結びついたわけでは決してなかった。もちろん、候補者や政策をじっくり吟味したわけでもなく、マスコミが取り上げる「リーダー」の応援やマスコミが作り出す雰囲気に引っ張られただけではなかったか。何らの実績や基盤のない候補者が、橋下が応援しているというだけで当選する様をみていると、小泉チルドレンと持ち上げられながら、「使い捨て」られた数多くの前国会議員を思い浮かべざるを得ない。
ただ今回は、小泉の疑似「政権交代」や民主党の初の「政権交代」が期待はずれに終わり、一方で閉塞感そのものは全く払拭されない中での、新たな勢力の勝利であることには間違いなく、その意味ではナチズムの台頭にも似た、極めて煽動的なムードの中での空恐ろしい事態が訪れたともいえよう。
次に仕掛けてくる知事・市長のダブル選挙も恐らく維新の会が勝利することだろう。しかし、悲観はしていない。ある程度の枠組みの「変化」はできても、政策はない中で決して「改革」はできない。巧みに目立つ施策は打ち出されようが、今までのように思いつきの刹那的なものでしかなく、いつか飽きられることとなろう。所詮は理念なき集団、自壊の道を歩むことは容易に想像できる(堺市長が早々に離反したことは記憶に新しい)。
しばらく「旋風」は続き、「冬の時代」が到来することになるが、今は嵐が過ぎ去るのを待ち、地力を蓄えておくしかない。決してブレることなく、中間団体、労組などの運動体を再生させる地道な活動を積み上げながら、橋下に対抗しうる「旗」を打ち立て、「その時」を迎えようではないか。ポピュリズムに反撃するにはポピュリズムしかない。我々もそういった戦略を持たなければならない時代が来ているのである。
(大阪 江川 明)

【出典】 アサート No.401 2011年4月23日

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