【投稿】在日外国人献金問題の本質
前原外務大臣が在日コリアンから、過去5年間に20万円の政治献金を受け取っていたことが明らかとなり、前原大臣は時を置かずに辞任した。さらに菅総理大臣も同様に政治献金を受けていたことがセンセーショナルに報道された。
しかし、直後に東北大震災が発生し、この問題は宙に浮いた形となっている。そのため当面これが国会で論議される見通しはないが、くすぶり続ける火種として存在しているのは事実であり、「政治休戦期間」を利用して、この問題の本質を見ておかなければならない。
<日本の民主化と在日朝鮮人政策>
1910年の併合以来、植民地支配下の朝鮮人(及び台湾人)は、様々な差別を受けていたが、普通選挙法施行後の1925年以降は「内地」在住の者に限り、参政権(国政、地方の選挙権・被選挙権)を保持しており、少数ではあるが衆議院議員や地方議員も存在していた。
しかし1945年日本の敗戦で民主化が進められ、政治の分野では同年12月の衆議院議員選挙法改正で「婦人参政権」が確立する一方で、朝鮮人、台湾人の参政権は停止されたのである。
この時点では、在日朝鮮人は日本国籍を有しており、参政権を剥奪される法的根拠は存在しない。また日本国籍を離脱したとしても、GHQ管理のもと策定が進められる新憲法は「内外人平等」などを規定しており、当初案どおり制定された場合、朝鮮人が日本国内に於いて相当の政治的発言力を持つこととなるのは明らかであった。(1945年「内地」人口7200万人、朝鮮人は200万人であり、46年予定の衆議院総選挙で参政権が行使されれば、10人程度の当選者が出ると見積もられていた)
こうした展開に驚愕した戦後支配層は、憲法草案から外国人保護条項を削除させ、参政権も停止したのである。このように在日朝鮮人は政治的に外国人として扱われていくのだが、当然の権利として民族教育を推進しようとしたところ、日本政府は「朝鮮人はまだ日本国民なのだから日本の公教育を受けなければならない」と民族学校閉鎖という暴挙に出た(1948年阪神教育闘争)。
これ以降、在日コリアンは1952年サンフランシスコ講和条約の発効を踏まえ、日本国籍からの離脱が確定、外国人登録法管理下に置かれるのだが、その後も「ある時は外国人」「ある時は日本人」として、権力の都合のいいように扱われてきた。
<参政権確立が必要>
こうした状況に対して在日コリアンは、粘り強い取り組みで権利を徐々に拡大し、1991年日韓協議を踏まえ入管特例法が施行された。これにより講和条約発効前から日本に居住し、発行後日本国籍を喪失した在日コリアン(および中国、台湾人)とその子孫に特別永住者という在留資格が確立された。これで旧植民地出身者と他の外国人は法律上明確に区分されることになったのであるが、それが法律全般に反映されまでには至っておらず、その最も顕著な例が参政権なのである。
政治資金規正法第22条の5では「何人も,外国人,外国法人又はその主たる構成員が外国人若しくは外国法人である団体その他の組織・・・・・から,政治活動に関する寄附を受けてはならない」としており、杓子定規に解釈するなら前原氏らが受け取った献金は「違法」と言える。
しかし、同法の外国人規定は、述べてきたような在日コリアンの形成史と処遇を抜きに、一括りにする極めて乱暴なものであり実態から乖離し、入管特例法との整合性からも問題がある。
昨年は韓国併合100年であり、両国関係、在日コリアン問題に関するさまざまな論議がなされてきた。それにもかかわらずこうした問題が惹起する現状は、100年を経ても、日本社会の排他性、差別性が解消されていないことを如実に物語ることとなった。
ようやく法的地位は安定した。しかし義務は日本人並みに課すが、権利は制限するという社会的排除ともいえる状態は現在も続いているのであり、その矛盾が噴出したのが外国人献金問題だと言えよう。すなわち、今回の献金問題の本質は、在日外国人の政治参加すなわち広義の参政権の問題に他ならない。
したがって、抜本的な解決は外国人の参政権確立以外にないのであるが、今後論議される過程で問題が、政治資金規正法の範疇に矮小化される恐れがある。そもそもザル法である政治資金規正法を錦の御旗の如く振りかざすことは論外である。
<問われる政治家のモラル>
例えば、今回のケースは通名での寄付が問題となっているが、そうした事案の発生は当然考えられることであるにも関わらず、本文にも施行規則にも確認規定は存在しない。福田元総理が在日系企業からの献金を受けていたことが明らかになって以降も、個人献金は続けられてきたわけである。これは疑似日本人として「通名での寄付は黙認する」という暗黙の了解としか解釈できないし、政治家がそれを期待しての措置だったのではないか。
また法の趣旨は「国政が外国の意向に左右されてはいけない」とのことだろうが、個人献金でそんな事態は現実に発生しないことは、政治家は百も承知だったのだろう。(外国機関から工作資金を援助される方がよほど問題である)
こうした姿勢は「故意か否か」以前の問題である。在日コリアンが何故通名を使用せざるを得ないかを考慮することなく「いただけるものはいただこうと」という考えなら、倫理の欠落以外の何物でもない。
もし「本名での寄付をお願いすることを周知徹底する」などというレベルの彌縫策が取られても、フィギィアスケートロシア代表の川口悠子選手や白慎勲参議院議員を見ればわかるように、本名で国籍は判断できない時代である。
今回の問題では、野党はこぞって鬼の首を捕ったように批判をしている。自民党はともかく、地方参政権に賛成してきた公明党や社民党までが調子に乗って同調しているのは、見ていてあいた口がふさがらない。しかし実際は「禁じ手」が使われた以上、今頃眼の色を変えて自らの収支報告書を点検している議員が多数いるはずである。
基本的人権にかかわる問題を政争の具とすることは言語道断であり、国会再開に際しては、正面から参政権問題が論議されることが望まれる。(大阪O)
【出典】 アサート No.400 2011年3月26日