【日々雑感】—65年目の「8月」に思う— 

【日々雑感】—65年目の「8月」に思う— 

 私は、大阪市内の某製薬会社に30年勤め、リストラで早期退職を余儀なくされて、その後いろんな会社を転々として、今は少額の年金暮らしの66才。年金だけでは食ってゆけないので、新聞配達をアルバイトに日々生き恥をさらしております。
 生駒氏、佐野氏のお勧めで、今回投稿させていただくことになりました。
 さて、毎年8月といえば、各メディアが一斉に、平和的な良い子になって、反戦を謳い報道するといわれていますが、それはそれで大変良い事だと思います。茶化す気は毛頭ありませんが、普段の報道でも、しっかりとした報道をしてもらいたいものだと思っております。
 私は、約30年、組合民主主義を願い、御用組合と言われる組合幹部と闘い、会社からも組合からも疎んじられ、いじめられてきたからでしょうか何か私の性格の中に、素直に物事を信じられない性格が形成されてきたように思います。これは私にとっても不幸なことだったかも知れません。息子にも「お前はお父の性格を、どう感じているか知らないが、お父の悪い面は、反面教師としてとらえ、お前のこれからの人生に生かしていってくれ」とは言っております。
 話は横にそれましたが、8月に入ってからの朝日新聞やNHKの番組は、本当に良い報道をしておりますね。日々の忙しさに感(かま)けて、切り抜きもしなかったことが悔やまれます。
 先日のNHKの吉永小百合さんの詩の朗読で、「生ましめんかな」という詩には感激しました。被爆した人々が横たわるあの生き地獄の中で、一人の女性が産気づいたのです。その時に、被爆して息も絶え絶えのお婆さんが「私は産婆をしておりました」と名乗りでたのです。そしてみごとに赤ちゃんをとりあげ絶命されたというものでした。驚くべきことにその赤ちゃんが、立派に成長なさってテレビに出ておられたのです。こういう事実は、何度でも良い、しつこくても良い、語りついでもらいたいものです。これからの若い世代の成長に役立つものですから。
 8・6、8・9、8・15、という日は、人々が心を新たに、反戦を誓い合う日にしたいものです。
 私の亡き母は、5人の子供を育て、上の2人は、四国の田舎に疎開させておりました。下の姉2人と私が、大阪大空襲にみまわれました。母は乳飲み児の私を背負い、姉2人の手を引いて、頭から布団をかぶって、淀川の堤防を逃げました。1人として我が子を死なせてなるものかとの思いだったそうです。私の頭には、その時の爆風で割れた傷口を縫った跡が今も深く刻まれております。布団の綿を引きさいて大きく割れた傷口に押し込んだそうです。
 逃げる途中で後方から「助けてー、助けてー、」と叫ぶ声に振り返ると、胸まで泥沼に浸かってしまって、もがいている婦人がいたそうです。亡き母は、思わずひき帰し、渾身の力で、その婦人の手を引っ張り上げ、後ろも見ずに私と姉2人をともなって、堤防を逃げ延びたと、よく話してくれました。助けた人が女性だったという以外、どんな人だったかもわからないと言っておりました。
 「お母さん、本当に良いことを、しなすったねえ。私は、あなたの子供に生まれて本当に良かった。あなたの子供であることを誇りに思って生き続けますよ。」という思いで毎年8月を迎えております。(早瀬 達吉)
                <表題は、編集委員の責任で加筆しました。> 

 【出典】 アサート No.393 2010年8月28日

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