【本の紹介】『税を直す』
著者 立岩真也・村上慎司・橋口昌治
発行 青土社 2009年9月10日発行 2,200円+税
<<菅首相の迷走>>
何が何でもとにかく10%以上の消費税増税にしがみつき、年収200万、300万、350万、400万と日ごと場所ごとに基準が変わる戻し税や食料品などへの軽減税率などその場その場で思いつくままに発言し、そのあまりのブレの大きさと不用意さに大反発を食らい、迷走の果てに、今度は消費税論議にまったくふたをし、参院選大敗北を自ら招いてしまった菅首相を先頭とする民主党政権の人々、このあきれた思い上がりもはなはだしい人々は、そもそも税制論議などはなから真剣かつ十分にに精査・検討・論議などまったくしていなかったことを暴露してしまった。年収400万円以下となると納税者の8割以上にも達するという、これらの人たちが1年間に支払った消費税全額をすべて集計して還付するなどという、まったく非現実的で膨大な経費がかかり、30%以上の消費税にしなければ逆に減収をさえ招きかねない、何のための増税なのかその目的をさえ疑われる、その場しのぎの思い付きで、とにかくこの選挙戦を乗り切ろうなどという政治姿勢そのものが、投票権を行使する有権者を冒涜する浅はかな行為であったといえよう。当然の厳しい審判を受けたわけである。
ここに紹介するのは、昨年9月に発行されたものであるが、政権交代の意義を実りあるものとするために、ぜひともこのような民主党政権の人々に頭を冷やすために精読してもらいたい一書である。もちろんそのためだけに紹介するものではなく、税の累進性を強める、という所得再配分にとってごく当たり前のことが税制論議から抜け落ちていることを丁寧に検証し、累進課税に対して常に持ち出される常套句的反論を事細かに取り上げ、その問題点を丹念に検証し、反論し、本来あるべき当たり前の「税の直し方」を提起している、非常に意義深い問題提起の書である。
<<税の大きな目的と意義>>
著者の立岩氏は、本書の冒頭、「はじめに」において「予算を増やさねばならない。しかし難しい。だから増やせない。節約し、減らせるところを減らさざるをえない。しかしそれも限界があるから消費税だとか目的税だとか。そんな具合になっている。だが、その前に、多くを得たところから少ないところに移すことをするのがよい。基本的には、ただそれだけのことを述べる。」とその立場を明確に宣言している。
さらに著者は、「序 要約的な短文」において「この国の政府にはお金がないと言われる。しかし、税金を上げる前に、無駄使いを減らそうということになる。たしかに不正な使用はなくすべきではある。ただ冷静に考えるなら、それで節約できるのはたかがしれている。次に、私自身は、支出しなくてもよいあるいは減らしてよい費目が多々あると考えるが、そこは意見が分かれるところだろう。そして、みなが知っているように、削るべきでない社会保障・医療に手がつけられてしまっている。
そこで、仕方ない、消費税を上げるしかないということになる。所得税等では現実には取りはぐれが出てしまうのに対し、金を使えば自動的に支払うことになるから、この税の利点はある。私は絶対反対という立場には立たない。
けれどもそれよりすべきこと、できることがある。つまり、課税の累進性、つまりたくさん持っている人がたくさん税を出す仕組みをきちんとさせればよい。多くの人が忘れているが、そして少なからぬ人が知らないことなのだが、この国はしばらく前に累進性を緩めてしまい、そしてずっとそのままにしてきた。さしあたり課税の仕方をもとに戻すだけでもかなりのことができる。だからそうすればよいと思う。」と述べる。
「第1章 分配のために税を使う」においても「そこで、言いたいことはきわめて単純なことである。市場において多くを得てしまったところからそうでないところに財を金を移転することが税の大きな目的であり意義であり、それをしかるべく行なうべきである。そのことによって、必要だが足りないとされてしまっているものを得ることができる。
具体的にどうするか。今どうするか。はっきりしている。一つに、税の累進性を強めることである。それは穏当でないと言う人がいる。まったく穏当だと思うが、いくらかそれを受け入れ、ひとまずは以前の税率に戻すというのでもよい。それ以前に、何度もその率が切り下げられてきたことを知らない人もいるのだから、まずそれを知ってもらいたいと思う。」と述べる。
<<反射的な反論>>
「第2章 何が起こってしまったのか」において「変化は、消費税導入にあたっての騒動に比べれば、いつのまにやら、静かに、起こった。税率の変更は、段階的に、だがわりあい短い期間になされた。まずたしかに今では高いと思われるかもしれない税率が高いとされ、低くされるのだが、次にはその低くされた税率が高いとされ、といった具合に引き下げられていった。それがもたらしたものは小さくはなかった。消費税導入前の最高税率は七〇%だったが、導入後五〇%に、一九九四年改正でさらに三七%にまで引き下げられた。」と述べ、最高税率の引き下げが自民党政権時代に意図的、計画的、短期間のうちに実行され、具体的には、「最低税率一〇・五%から最高税率七〇%の一四区分だった所得税は、一九八七年に、最低税率一〇・五%から最高税率六〇%の一二区分になった。次に一九八八年、一〇%から五〇%の五段階。そして一九九九年、一〇%から三七%の四段階になった。」経緯を明らかにする。
そこで、税の累進性を強化すべきだ、あるいは以前の状態に戻すべきだと提起すると、税の専門家なる人々ほど、あるいは財務省幹部から、聞き覚えのある反論がさまざまに繰り出される。
「累進性を強くすればよいというと、ほとんど反射的に、ある人々から言われるのは経済によくないという話だ。・・・それよりはもっともな理屈も言われる。一つは、勤労意欲、事業意欲、労働インセンティブである。累進性が強化されると人は働く気をなくし、かえってよくないというのである。・・・もう一つが、国境・越境のこと、例えば、税を上げれば富裕な人たちが国外に逃げていってしまうという話だ。」
著者は、それは本当にそうなのだろうかと疑問を提起し、思索的で綿密な議論を展開し、その論拠や根拠が実ははっきりしてないことを、懇切、丁寧に論じていく。
<<税の累進性の強化>>
「第2部 税率変更歳入試算」において、現時点の最新統計データに基づいて、二〇〇七年の「民間給与実態統計調査」と「申告所得税標本調査」を用いた試算を行ない、「試算結論を概略すると二〇〇七年の税率で給与額に関する源泉所得税が八兆七五七四億円、申告所得税が三兆七〇七人億円であったのに対して、一九八七年の税率に戻した場合、源泉所得税が一二一兆九八四六億円、申告所得税が五兆二四〇〇億円となり、六兆七五九四億円の増額となる。」ことを明らかにしている。つまり、一九八七年の累進税率構造に戻すことで、源泉分と申告分を合わせて六兆七五九四億円の増額が可能になることを示している。
これは所得税に関してだけのことであるが、立岩氏は、より広く税の累進性をとらえ、「税の累進性を強化してよい。むろんそれは、個人のその年々の収入に課される税の累進率だけを指すのでなく、資産・遺産も含めてのことである。また、様々に存在し指摘される不合理を正すことによって得られるものも大きいはずである。よく言われるように、様々に複雑な控除等も整理すべきはした方がよい。消費の場面での徴税も、うまく機能させることができるなら、否定するものでもない。「累進消費税」と呼ばれる案もある。それらとともに、所得税については累進性をいくらかもとに戻すぐらいのことはできるし、した方がよい。それは効果的で現実的な案である。
所得税の税率を戻すだけで年に数兆円にはなる。その数倍あった方がよいとして、さらにどこからどれだけを得て、何に使うか、具体案は様々に考えられようが、基本的に得たものは、所得保障と福祉・医療といった社会サービスのために使う。前者は当然直接人に渡る。後者かはとんどもその仕事に就く人が得る。それで今起こっている問題のかなりの部分について、だいたいのかたがつくと考える。すぐに具体的にできるしすればよいのはこのことである。」と強調する。
今回の参院選では、自民党でさえ、路線転換をしたのであろうかと思わず目を疑うが、そのマニフェストに「個人所得税課税については……高所得者の税負担を引き上げるとともに、歳出面も合わせた総合的取り組みの中で子育て等に配慮して中低所得者世帯の負担軽減を図ります」と公約せざるをえないほど、税制は弱肉強食の自由競争原理主義が支配し、金持ち優遇税制が野放しになされているのである。
「税を直す」ことが喫緊の課題である以上、「多くある人は、少なくある人よりも、より多く負担する」という当たり前の税制を確立することの重要性を論じた本書は、貴重な問題提起といえよう。
(生駒 敬)
【出典】 アサート No.392 2010年7月24日