【投稿】「成長なき安定」へどう軟着陸するか
福井 杉本達也
1 取り敢えず「安直」しかない
11月25日・ドバイ発金融危機の激震が世界を走った。ドバイがアングロサクソン金融資本のアラブ石油資金吸い上げの中継センターとなっており、結果、英金融資本が債務の4割近くを持つことから、ユーロがつられて下落し、円は一時84円台の独歩高となり、円に対して集中的なデフレ圧力が加わった。これに対応し、鳩山政権は12月8日に7.2兆円規模の2009年度補正予算を決定した。緊縮の財政政策を転換する方針を示したのであるが、中身は、景気悪化による税収落ち込みによる減収分の地方交付税3兆円、エコポイント・エコカー補助金、住宅版エコポイント、中小企業向け融資保証枠10兆円、住宅支援機構金利引き下げなどであり、財源は旧政権の補正見直しで捻出した2.7兆円のほかは、国債の増額で賄うこととなる。8日のTV・モーニングショーではこれでは旧政権の補正予算と変わらないとか、わずか衆参8議席の国民新党や12議席の社民党に振り回されているとの発言や、「連立」とはそんなものだとの達観論も飛び交っていた。
11月20日に菅戦略相はデフレ宣言をしているが、宣言をして何もしないのではどうしようもない。GDP=民間消費+民間投資+政府支出+((輸出)-(輸入))であり、デフレ下で賃金が下落し民間消費が縮小、設備投資も減少する中で政府支出を一気に減らせばデフレを加速させる。エコカーなどは『エコ』でも何でもなく、単なるトヨタなど自動車産業への補助金であるが、取り敢えず「安直」だが、亀井大臣の「政府支出をやるしかない。…経済学者、エコノミストが『ああでもない』とテレビで言っているでしょう。…あんな御託で、経済が動くわけではないのです。…毎日仕事もない困っている人の状況とか、…そういう人たちに仕事を出すにはどうしたら良いか、ということを考えないと。」(金融庁大臣会見2009.12.1)という言葉が正解である。
2 「市場との対話」とは市場という「強盗との対話」である
「市場」とは「自由経済の牙城」ではなく国際金融資本という「強盗の牙城」ことである。12月4日にみずほ証券の誤発注に対する地裁判決が出たが、2005年12月8日午前9時27分~37分というわずか10分間で400億円という途方もない金が抜かれてしまった。強盗に対しては一瞬たりとも隙を見せてはならない。緩やかな円高は国民経済にとって好ましいことではあるが、為替相場の激変は金融資本の暴力である。藤井財務大臣のように「(市場は)自由経済の牙城だ。安易に介入しない」(「ガイトナー米財務長官との会談」日経:2009.9.26)などと間抜けな発言はしないことである。
ブログ『厭債害債』は「中国は、おそらく巨額の介入によって事実上のドルペッグを最近維持しているから、このドル安局面では円に対しても自国通貨安となっている。日本が輸入するものに関してはデフレを輸出していることになるわけだ。そういう政策によって、中国は競争力を維持し、景気維持につなげている。…これほどまで明確に自国優先のスタンスを示されるとかえって清清しい。翻って、日本では株がぼろぼろになろうが為替がドル安になろうが、政治のほうからはマジメに考えている雰囲気が伝わってこない。介入は無駄だというのはある種の正論だ。…即効性のある対策などないというのもその通りだろう。しかし、あらゆる局面であらゆる手段を使って国民の利益つまり国益を守る事が政治の最優先課題だと思う。今の政権には『国益』という観念が希薄なように思える。」(『厭債害債』2009.11.27)と書いている。
この間、三菱UFJが1兆円、三井住友が8,629億円、みずほが5,160億円、野村が4,350億円、日立が4,156億円など大企業は軒並み桁外れの増資を行っている。これで株価が下がらなければ七不思議である。しかし、政府が株価は下がるものと達観していたのでは金融資本に突っ込まれる。たとえば9~11月にかけ、マスコミは日本の財政危機を煽り長期金利を高めに誘導しようと試みてきた。「長期金利、上昇圧力じわり」、「国債大量発行くすぶる不安」、「『新規国債発行50兆円』など具体的で巨額な数字が出てくると、『投資家はひるまざるをえない』」(日経:10.21)などと書き綴ってきた。「財政規律が失われたとみれば、長期金利が上昇する」(日経社説:11.21)というのは一種のフィクションであり、「10年債利回り1.27%に低下」(日経:12.09)したように、現在のカネ余りの状況下において国債以外に安定した運用先がないというのが事実である。事実とフィクションとの乖離とはマスコミを使った金利操作であり、カネ余りの状況下にあって、投機の機会を窺がっているのである。
3 ドバイ・ショックはなぜ起ったか。
ドバイは石油代金の中継基地である。ドバイからロンドンを経て世界に流れている。産業革命・フォードシステム以来、大量生産・大量消費という「規模の拡大」「成長」を絶えず追い求めてきたが、産業資本で行き場の失った余剰資本は金融に流れ込み、米経済でITバブルを生み出し、最終的に100兆ドルを超える膨大な資金は金融バブルを創出し、リーマン・ショックで崩壊した。しかし、金融資本は国有化という国家の庇護下に逃げ込み、再びその鎌首をもたげてきている。米FRBはゼロ金利でドルをばら撒き続け金融資本を支え続けており、ドルキャリーでドルが大量に米国から世界に、特に新興国や資源国に流出しており、バブルの輸出を行っているのである。しかし、この成長モデルは既に賞味期限が過ぎている。トービン税課税案など、国際金融資本を規制する動きは強まっている。金融資本は世界的に規制が強まる中でも、飽くなき投機機会を探し求めている。
4 幻想の「成長戦略」=「トリクルダウン理論」
経団連は民主党の国家戦略を「本当に成長戦略を考えているのか」とし、小峰隆夫法大教授も「そもそも経済のパイを増やす発想が乏しい」(日経:2009.11.27)と批判する。日経のコラム『大機小機』が「2002年に491兆円だった名目の国内総生産(GDP)は、07年に過去最高の516兆円に達した。ところがこれは10年前の1997年の数字にほぼ一致する…日本経済は10年間、尻尾をくわえて同じ場所でぐるぐる回っていたことになる」(日経:11.19)と書いているように、経団連が支持し、小峰氏も理論的に荷担した「構造改革なくして成長なし」と唱えていた自民党政権下においてこそ経済はゼロ成長だったのである。
ところで、そもそも『成長戦略』は可能なのだろうか。横国大の中村剛治部氏は「1980年代以降、ポスト工業化段階へ移行=成熟経済化、知識経済化」し、成長経済の米英型モデルとして「グローバル化、ものづくりより、金融主導型成長モデル」になったとし、米では金融がGDPに占める割合は2割を超え、英では32%を占めるまでになったとしている(「グ口一バル経済の第2段階と日本経済・地域経済の展望」2009.11.27)。その肝心の最後の金融主導型成長型モデルが崩壊したのであるから、新たな成長戦略モデルがあるとは思えない。中村氏は新たな成長部門として医療、福祉、環境産業や水や鉄道などの公共的インフラシステムなど内需型産業の『輸出』などを提案するが、電気や内燃機関といった20世紀の成長を主導した技術と比較すればその小粒さはいなめない。そもそも、医療や福祉というサービス産業・つまり生産=即消費という産業が主要な成長モデルとなるとは考えにくい。IT産業にしても、情報伝達手段であり、NC工作機械を例にとってみれば、ワークを加工する部分が付加価値を直接生み出す部分であり、情報を伝達する部分はいかに「早く、ムダを少なくする」かという付随的部分にすぎない。金融はこのITを最もうまく活用したものであり、情報を0.1秒でも他の競争者より先に取得し、利益を得るかということである。これはロスチャイルドがワーテルローにおけるナポレオンの敗北を馬車でいち早くロンドンに伝えたという逸話と中身はほとんど変わらない。「馬車」が「IT」に変わっただけであり、他の競争者に先駆けて利益をいかに「早く」掠め取るかということであり、基本的には「ゼロ・サムゲーム」である。
5 「成長なき安定」へどう軟着陸するか
水野和夫氏は「74年以降は、資本の利潤率は先進国で一斉に下がり始め、実物投資をしても儲からない…経験的には長期金利が2パーセント以下で10年以上長期化すると、実物投資が見合わない」(「近代化の終焉と脱近代経済学」『現代思想』2009.8)と指摘しているが、ゼロ金利の状況下では新興国以外では新たな実物投資の機会はほとんどない。水野氏の計算では、その新興国の投資は年間6兆ドルもあればよいとしており、あるのは再び新興国で金融バブルを起こすか、英国が主導する「排出権取引」といった「空気」に値段を付けて競争者の付加価値を掠め取るという詐欺商法だけである。伊東光晴氏は福祉、教育、学問、文化、芸術等のものをつくらない投資により過剰生産力を高めない社会=「成長なき安定」を提唱する(『日本経済を問う』岩波書店)。また、田中優子氏も価値観は『勝ち負け』と『お金』あるのではないとし、江戸時代が16世紀の戦国から和冦・大航海・朝鮮侵略というグローバリズム・暴力の時代から1640年以降の平和外交と内需産業の育成への方針転換を行った例を引き合いに「人間生きていくために際限なくむさぼる必要はない…自分の能力ではどこまで暴力的にならず、他者を侵さずに生きてゆけるのか…『配慮と節度』『分』が高度に文明的なありよう」(『未来のための江戸学』小学館新書)だと指摘する。35兆円もの需給ギャップ(過剰生産力)を政府支出によって埋め合わせることは不可能であるが、一方、今、超緊縮財政でいきなり政府需要を絞り込めば不況を深刻化させる。経済恐慌は「文化」を疲弊させ「外交」努力を放棄させ「暴力」につながる。3党連立政権の国家戦略の課題は「自由競争」と「暴力」・「グローバリズム」の嵐の中で、途中難破せずにどう新しい価値観の社会に軟着陸できるかにかかっている。
【出典】 アサート No.385 2009年12月19日