【本の紹介】『貧者を喰らう国 中国格差社会からの警告』
阿古智子著 新潮社 2009年9月20日発行 1400円 + 税
<<「世界エイズデー」>>
第22回世界エイズデーを翌日に控えた11月30日午前、中国の胡錦濤国家主席と李克強副総理は、国家会議センターを訪れ、エイズ予防・治療ボランティア活動に参加し、胡総書記が「エイズは全人類共通の敵であり、エイズの予防・治療は全人類共通の責任だ。国際社会と交流・協力を強化し、エイズという世界的な試練に共同で対処し、エイズ予防・治療事業の効果的な推進に積極的に努めていきたい」と述べ、そして当日の12月1日には北京地壇医院に足を運び、エイズ予防・防止事業を視察するとともに、その第一線で奮闘する研究者やボランティアに心からの挨拶と感謝を伝え、「エイズ予防・防止には社会全体の幅広い参加が必要だ。エイズ予防・抑制の知識を踏み込んで宣伝し、公民1人1人が関連知識を把握し、患者1人1人が迅速に救済されるようにしなければならない」と指摘した、という。
中国衛生部が11月30日に発表したところによると、中国で1985年に初めてエイズ患者が確認されてから2009年10月末までに、確認されたエイズウィルス(HIV)感染者とエイズ患者は合わせて31万9877人で、その中でエイズ患者は10万2323人、死亡した人は4万9845人、今年、エイズウィルスに新たに感染した人は4万8000人であった。中国衛生部エイズ予防処の孫新華・処長によると、HIV抗体検査未受診のため、自分が感染していることを知らない人々を含めると、エイズウィルス感染者総数は約70万人と予測されることを明らかにしている。
孫処長によると、中国政府はエイズ予防治療業務を重視し、2006年に「エイズ予防・治療条例」を公布・施行し、条例では、政府および関連部門、工会(労働組合)・共産主義青年団・婦人連合会など各団体、住民委員会や村民委員会など組織・個人のエイズ予防治療業務における職責と義務が規定されている、という。そして条例では、それまで数年間すでに実施されていた「四免一関懐」(四つの免除と一つの援助)政策を制度化している。四つの免除とは、
(1)生活困難を抱える農村・都市部のエイズ患者に対する抗ウィルス薬の無料提供
(2)無料相談・検査の実施
(3)HIVに感染している妊婦に対する母子間感染防止薬および検査試薬の無料提供
(4)エイズ孤児に対する学費免除
であり、一つの援助とは、
生活困難を抱えるエイズ患者を、政府による福祉の対象に組み入れるというもので、エイズ予防・治療宣伝業務を強化し、エイズ感染者・患者に対する差別撲滅が企図されている。
<<ねずみ算式感染拡大>>
以上はあくまでも中国当局者の、エイズ=HIV感染の予防・治療に対処する基本姿勢を示したものである。ここに紹介する本の著者の阿古智子氏は、2006年に「エイズ予防・治療条例」が公布・施行された後の2007年に、HIV感染者が30万人とも言われるほど多いことで知られる河南省の現地に飛び込まれ、長期間、幾度にもわたる精力的なフィールドワークによって明らかにされた実態が対置されている。
この本の「第1章 エイズ村の慟哭」が提示するものは以下のような実態である。
「2007年8月、河南省の省都・鄭州市を出て、長距離バスで約2時間行くと、同省東部にある商丘市雎県の東関南村に到着した。・・・東関南村では人口700人余りのうち、170人は売血で、20人は輸血によっでHIVに感染し、すでに40人以上が亡くなっている。河南省は中国でも売血によるHIV感染者が多いことで知られているが、それは、1990年代初めから半ばにかけて、省や市・県の衛生部門が血液銀行の開設を奨励し、農民に売血を呼びかけたからだった。当時、雎県の共産党委員会書記は、「ゆとりある生活を早く実現したいなら、献血に行こう」とテレビを通して語りかけている。国道両側の家屋の壁には、「売血による地域振興」というスローガンが、刷毛で大きく善かれた。
こうして、1990年代半ばには大規模かつ組織的な血液売買が横行したが、採血は不衛生な環境で行われていた。多くの血液ステーションが作業を早めようと、同じ針を使って多数の人から採血したり、遠心分離機の殺菌を怠ったりしでいたため、ねずみ算式に感染が広がった。
河南省の農村で5年間、医療活動に従事していた北京佑安医院の張可医師は、省内のHIV感染者を約30万人と推定している。1990年代半ばの短い期間にこれほど急激に感染者が増加したのは、都市開発偏重の経済政策によって格差が拡大し、発展から取り残される一方の地域において、地方政府が血液売買を促進したからであった。」
ここにはまさに地方政府・共産党も直接関与していた血液ビジネスの実態が明らかにされている。
<<「口頭文書」>>
一方、こうした実態を目の当たりにした多くの医療従事者たちがこの問題に警鐘を鳴らし、患者自身も中央政府に直接訴えるため、北京にまで何度も足を運んでてきたのも事実である。しかしことごとく撥ね付けられる。
「河南省東部・周口地区防疫所技術員だった王淑平は、1994年、売血者400人の血液検査を実施した。そのうち15%がエイズに感染していたため、ただちに河南省の衛生局に対策を訴えたが、衛生局は何の対策も講じなかったため、エイズ研究の第一人者であった中国予防医学科学院院長の曾毅に再検査を依頗したところ、結果は同じであった。
北京の曾毅の働きかけもあったのだろうか。この後すぐに、中央政府は河南省に売血禁止の指令を出したといわれている。しかし、河南省政府はそれに従うことはなく、王淑平は脅迫の電話を受けたり、棍棒を持った暴徒に乱入されたりした挙句に、職場から解雇された。彼女は現在中国を離れ、アメリカで検査の仕事をしている。」
「呉麗の紹介で会った別の輸血HIV感染者の馬秀(仮名)は、カルテの開示や生活補助費の値上げを要求したが、公安局長及び共産党政法要員会副書記が直々に対応し、「3つの不可能」という方針を掟示したという。すなわち、(1)河南省ではエイズ関連訴訟は立件しないという「口頭文書」が出されている、(2)カルテは開示できない、(3)生活補助費は上げられない。
「口頭文書」というのは、上級機関から下級機問に出される特別な指示であり、下級機関は拒否することができない。「口頭」であるから、何らかの状況で問題が取り上げられるとしても、証拠書類となる文書が残ることはない。権力側が、やましいことがある場合に使う常套手段であり、明らかに透明性を欠く制度である。」
「政府も役人も頼れない。法も裁判も機能しない。隣にいるのが、慈善家なのか、ペテン師なのかも分からない。昨日まで被害者だったほずの人が、今日には犯罪者に転落してしまう。「信頼」「正義」「互助」などの人間性が失われ、社会が崩壊していく恐ろしい現実を前に、筆者は暗澹たる思いにとらわれた。」
「口頭文書」とは、あきれるばかりであるが、ここまでして「被害者たちの正当な権利さえ認めず、他の感染者を買収して傷害を負わせようとしたり、恐喝罪などの罪をなすりつけようとしたり、不正な力を行使してでも被害者たちの動きを封じ込めようとする」腐敗した権力の実態が明らかにされると情けなくなるばかりである。
著者は「エイズは今や、死に至る病気ではない。体をいたわり、生きながらえることが彼女たちにとって最も大切なことであるが、裁判所にも政府にも、自らの言い分をまったく聞き入れてもらえない現状を前に、自暴自棄になっている者も少なくない。エイズが恐ろしいのは、病気そのものではなく、それがもたらす人間の腐敗や差別、そして、憎悪や絶望なのだ。」と訴えている。この訴えや警告は、日本にも世界にも向けられたものといえよう。
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ここで改めて、この本の目次を紹介しておこう。
第一章 エイズ村の慟哭
不満を爆発させる輸血感染者/政府も関与していた血液ビジネス/生かされなかった他国の経験/「政績」重視の中国政治/裁判で解決できない理由/「上訪」―中国特有の陳情制度/医師やNGOへの圧力/「被害者」が「犯罪者」に転落する理由
第二章 荒廃する農村
戸籍制度が規定する「農民」/不公平な農業税制度/烏蘭蘇村の農民たち/「村民自治」の現実/農民負担問題/農村税費改革/自治の後退/崩壊する集団灌漑システム/困難な利害調整/民営化の弊害/土地をめぐる争い/娯楽、人間関係の変化
第三章 漂泊する農民工
若者のいない村/第二世代の農民工/複雑なアイデンティティ/露天商の厳しい現実/「市民」不在の無法地帯/戸籍制度の変遷/難航する戸籍制度改革/「勝ち組」が支配する社会の現実
第四章 社会主義市場経済の罠
毛沢東時代の土地改革/「先富論」と農村の土地制度/失地農民の出現/失地農民の行く末/「重慶茶館爆破事件」と「補償金離婚」/小産権の出現/錯綜するエゴイズム/私有化は可能か/「社会主義市場経済」はなぜ機能しないのか
第五章 歪んだ学歴競争
格差を助長する大学入試制度/「自力更生」と競争原理/点数は金で買える/豪華すぎる実験モデル高校、ブランド化を図る重点高校/さまざまな公私協同学校/高額化する大学の学費/壊れていく子どもの心/なぜ親を殺さなければならなかったのか/「自分」を表現したい
著者略歴は以下のとおりである。
あこ・ともこ 1971年生まれ。大阪外国語大学中国語学科卒、名古屋大学国際開発研究科修士課程修了、香港大学でPh.D.取得。在中国日本大使館専門調査員、姫路獨協大学助教授、学習院女子大学准教授を経る。
第一章を紹介しただけであるが、「貧者を喰らう国」の実態がこれほど広く、深くフィールドワークされた本書は、日本では他に類例を見ない価値ある一冊といえよう。
著者の姿勢は、「中国社会は深く入り込まなければ表面を撫でるだけで終わってしまう。地域の集団のメンバーにならなければ問題は見えてこない。逆に仲間としての関係性が得られれば、さまざまな情報を共有することができる。」「弱者を理解することは、人の痛みを自分の問題としてとらえる姿勢を持って共に感じ、考え、もがく中で得られる感覚や視野を大切にしなければならない。」という言葉に良く表れている。
(生駒 敬)
【出典】 アサート No.385 2009年12月19日