【本の紹介】『[新訳]大転換 市場社会の形成と崩壊』

【本の紹介】『[新訳]大転換 市場社会の形成と崩壊』
         カール・ポラニー著  訳者 野口建彦・栖原学
    発行 東洋経済新報社 2009年7月2日発行 ¥5,040(税込)

<<市場原理主義への「もっとも強力な批判」>>
 ここに紹介する『大転換』は、古典的名著の新訳であり、632頁に及ぶ大著である。第二次世界大戦中の1940年代初頭に書かれ、1944年に発行されたものであるが、「半世紀以上を経てもなお、多くの点で新鮮である。実際、本書は、二一世紀初頭のグローバル社会が直面するディレンマを理解するのになくてはならない本なのである。かくも長く読み継がれるのには十分な理由がある。『大転換』は、各国社会およびグローバル・エコノミーは自己調整的市場によって組織できるし、また組織されねばならないという市場自由主義の信条に対して、これまででもっとも強力な批判を提供しているからである。」(ポラニー研究者でもあるフレッド・ブロックの「紹介」より)
 筆者は、このような本書の存在をこれまで知らなかった。筆者の不明もさることながら、その理由の一つが、本書の長文の紹介文を書いているF・ブロックが「『大転換』が1944年に初めて出版された直後に、アメリカ合衆国とソヴィエト連邦との冷戦が激化し、そのためにポラニーの提言の重要性が理解されにくくなってしまった。資本主義を擁護する者とソヴィエト型社会主義を支持する者とに完全に二極化した論争のなかでは、ポラニーの入り組んだ含蓄ある主張の入り込む余地はほとんどなかったのである。」と指摘していることと関連していると思われる。それが1990年代初頭のソ連型社会主義の崩壊、冷戦時代の終焉と相前後して、サッチャリズム、レーガニズム、新自由主義、さらにグローバリズムを背景とした規制緩和と自由競争原理主義が、社会主義の存在を意識し、考慮する必要がなくなり、今やわが世の時代と、弱肉強食の論理を剥き出しにしたのであった。しかしそうした市場万能論の破綻が、昨年来の世界経済恐慌の深化にともなって明らかになり始め、それ故にこそ、今再び、ポラニーの著作がそれにふさわしい注目を集めはじめているのは当然のことといえよう。
 著者のカール・ポラニー(1886-1964)の略歴は、同書によれば以下の通りである。
 1886年オーストリアのウィーンに生まれ、幼少期にハンガリーのブダペストに移住。1906年ブダペスト大学進学。1908年文化運動組織「ガリレオ・サークル」を結成。1918年「ハンガリー革命」により、自由主義勢力連合政権の法相となる。1919年右派民族主義政権の誕生により、ブダペストを去り、ウィーンに亡命。1922-24年ミーゼスとの「社会主義経済計算論争」に参加。1924-33年ウィーンの総合誌『エスターライヒッシェ・フォルクスヴィルト』の編集主幹を務める。1933年ナチス政権の出現により、ウィーンからロンドンに亡命。1934-40年オクスフォード大学・ロンドン大学の成人教育プログラムである「労働者教育協会」の講師を務める。1941-43年アメリカのヴァーモント州にあるベニントン大学の客員研究員となり、本書を執筆、1944年アメリカで、45年イギリスで出版。1947-53年カナダに移住し、コロンビア大学客員教授を務める。1953-58年経済人類学の研究プロジェクトに従事。1958年『初期帝国における交易と市場』を出版。1958年マジャール語の詩集『鋤とペン』を妻イローナと英訳し出版。1961年ハンガリー訪問。1963年ハンガリー再訪。1964年没す。

<<ポラニーの中心的命題>>
 この『大転換』にはまた、2001年のノーベル経済学賞受賞者であり、現行のグローバリズムがもたらす様々な弊害に警鐘を鳴らしてきたジョセフ・ステイグリッツがこれまた長文の「序文」を寄せており、次のように述べている。
 「ポラニーの提起した中心的命題は、次のようなものである。すなわち、自己調整的市場はけっして機能しない。また、自己調整的市場の欠陥は市場内部の作用においてのみならず、その作用の影響--たとえば、貧困者にとっての影響--においてもきわめて重大なため、政府の介入が不可欠となる。さらに、そうした影響の大きさを決定するに際しては、変化の速度がもっとも重要である。ポラニーの分析が明確にしているのは、トリクル・ダウン・エコノミクス--貧困者を含むすべての人々が経済成長の利益にあずかることができる--という通説には、ほとんど歴史的裏づけがないということである。彼はまた、イデオロギーと特定の利益集団との相互関係を明らかにし、自由市場イデオロギーがいかに新しい産業の利益集団の手先となってきたか、こうした利益集団は自分たちの利益を追求する必要が生じた場合、随時政府の介入を求めつつ、このイデオロギーをどれほど都合のいいように利用してきたかを明らかにしている。」
 その典型例として、ステイグリッツは、「IMFの一貫性のなさ-自由市場体制を信頼すると公言しながら、いつも決まったように為替市場に介入し、また、公的機関でありながら、外国の債権者救済のために資金を供給する一方で、国内企業の倒産を招くような高金利を要求する-は、一九世紀のイデオロギー論争において予示されていた。実のところ、労働市場でも商品市場でも、自由市場というものはけっして存在しなかった。皮肉なことに、今日では、ほとんどの人が労働については、自由移動を主張することすらせず、また先進工業諸国は発展途上諸国に対して、保護主義や政府助成金の弊害を説きながら、発展途上世界の比較優位を代表する財・サーヴィスへの先進工業諸国の市場開放よりも、途上諸国の市場開放を頑強に主張してきている。」と指摘している。
 トリクル・ダウン論は、富める者が富めば、貧しい者にも自然に富が浸透(トリクルダウン)するというもので、日本においては竹中平蔵元総務相が、「市場競争で富が集中しても,その富のおかげでやがて国民全体が潤う」と言ってのけた、小泉・竹中の構造改革の正体をなす論でもあった。「金持ちを儲けさせれば貧乏人もおこぼれに与れる」ということから、「おこぼれ経済」とも揶揄されながらも、未だに日本においては幅を利かせており、スティグリッツが、『世界に格差をバラ撒いたグローバリズムを正す』において、「トリクルダウン効果が有効だという幻想だけが残っているのは興味深い」と述べているところである。

<<ニュー・ディールの評価>>
 ポラニーのさらに重要な問題提起は、民主的選択肢としての市場への介入・規制の問題である。
 「ポラニーは、第二次世界大戦中に『大転換』を執筆したにもかかわらず、将来については依然として楽観的であって、国際紛争の悪循環を断つことは可能であると考えていた。その重要な一歩が社会生活は市場メカニズムに従うべきだとする信念を覆すことであった。ひとたびこの「時代遅れの市場志向」から解放されれば、一国経済とグローバル・エコノミーの双方を民主政治に従わせる道が開けるのではないかと考えた。ポラニーは、ルーズヴエルト大統領のニュー・ディールをこうした将来の可能性のモデルと考えた。すなわち、ルーズヴェルトの改革は、アメリカ経済を依然として市場および市場活動に基づいて組織するものの、新たな一連の規制メカニズムによって人間と自然を市場諸力の圧力から守ることができるようにするものであった。民主政治を通して、年長者は、社会保障制度の恩恵によって所得を稼ぐ必要がないようにすべきだという国民の決定がなされたのである。同様に、民主政治は労働者が「全国労働関係法」を通じて強力な労働組合を結成する権利を拡大した。ポラニーは、こうした試みこそ、社会が民主的手段によってある種の経済的脅威から個人と自然を守ることを決定するプロセスの出発点だと考えた。」(F・ブロックの「紹介」より)
 そして同時に、危機への解決策を提示できない場合、社会に何がもたらされるかということについて、警告を発している。ポラニー自身の言葉によれば、「ファシズムが強力な政治勢力として登場する局面に近づいた国にはいくつかの兆候があったが、それは必ずしもファシストの運動の存在それ自体というわけではなかった。少なくとも重要な前触れであったのは、非合理主義哲学、人種的審美学、反資本主義的デマゴギー、異端的通貨学説、政党制への批判、「既存体制」その他名称は何であれ現存の民主主義的機構に対する非難の蔓延であった。」(第20章 社会変化の始動)と指摘する。
 「ポラニーは、自由放任の経済を志向する運動は安定性をつくりだすための対抗的運動を必然的に招来すると述べている。たとえば、一九二〇年代(もしくは、一九九〇年代)のアメリカ合衆国に見られるように、自由放任を支持する運動がきわめて強力なとき、投機の行き過ぎや不平等の拡大は繁栄の持続のための基盤を破壊するのである。ポラニーは総じて保護主義的な対抗運動に共感を寄せているが、そうした運動が時折危険な政治的・経済的な行き詰まり状態を生み出すことも認識している。ヨーロッパにおけるファシズムの台頭についての彼の分析は、自由放任を志向する運動も保護主義的な対抗運動も、そうした危機への解決策を提示できなかったがゆえに緊張が増大し、その結果ファシズムが力を増して権力を奪取し、自由放任と民主主義をともに捨て去ったことを指摘している。」「ポラニーの見るところ、市場自由主義のきわめて根深い欠陥は、人間の諸目的を非人間的な市場メカニズムの論理に従わせるところにある。彼は、それに対して次のように主張する。人間は、民主的な統治手段を用いて、個人ならびに集団の要求を満たすために、経済を統御し方向づけるべきである。ポラニーは、こうした課題に取り組まなかったことが二〇世紀における大きな苦難を生み出したことを示した。新しい世紀に向けての彼の予言は、きわめて明確である。」(F・ブロックの「紹介」より)

<<ポラニーの政治的立場>>
 ポラニーの社会主義についての理解、定義は実に新鮮であり、刺激的である。
 「ポラニーの政治的立場を一般的な基準によって判断することは難しい。彼はケインズの市場自由主義に対する批判の多くに同意しているが、けっしてケインジアンではなかった。彼は生涯を通してみずからを社会主義者であると考えてはいたが、マルクス主義の主流派を含むすべての経済決定論とは明確に一線を画していた。資本主義と社会主義についての彼の定義そのものが通常の理解とは異なっているからである。」
 「ポラニーは、社会主義を次のように定義する。すなわち、「社会主義とは、自己調整的市場を意識的に民主主義社会に従属させることによって、自己調整的市場を超克しようとする産業文明に内在する性向である」。この定義は、社会主義社会の内部で市場が引き続き果たす役割を容認している。ポラニーは次のように述べている。すなわち、あらゆる歴史的局面において得られる可能性はさまざまである。なぜなら、市場は多様な方法で社会に埋め込むことが可能だからである。実際、ある方法は他の方法にくらべて、生産量を拡大し革新を促す能力という点においていっそう効率的であろうし、別の方法は市場を民主的な方向に従わせるという点においていっそう「社会主義的」であろう。しかし、ポラニーは次のように示唆する。効率的でしかも民主的な方法は、一九世紀および二〇世紀においてもあったはずだ、と。」(F・ブロックの「紹介」より)
 さらに意義深い分析が、ロシア革命についてなされている。
 「四半世紀に及ぶロシアの歴史を振り返ってみれば、われわれがロシア革命と呼ぶものは実は二つの別々の革命から成り立っていたように思われる。すなわち第一の革命は、伝統的な西ヨーロッパの理想を具現したものであるが、第二の革命は、一九三〇年代のまったく新たな展開の一部を構成したものであった。一九一七-二四年の革命は、実際イギリスのコモンウェルスやフランス革命のモデルに従うヨーロッパにおける政治的大変動の最後のものであった。他方、一九三〇年前後の農業集団化とともに始まった革命は、一九三〇年代にわれわれの世界を転換させた大きな社会変動の最初のものであった。というのは、第一のロシア革命は、絶対主義、封建的土地所有、人種的抑圧の解体を達成したもので、それは一七八九年の理想の真の継承であったが、第二の革命は社会主義経済の樹立だったのである。結局のところ、第一のものは単にロシアの出来事であって、長期にわたるヨーロッパの発展をロシアの土壌のうえに実現したものであったのに対し、第二のものは、地球上で同時に生じた普遍的転換の一部を構成していたのである。
 一見すると、一九二〇年代のロシアはヨーロッパとは切り離されており、独力で道を切り開いたかのようである。しかしもっと仔細に分析すれば、この見方が誤りであることがわかるだろう。というのは、二つの革命の間の歳月においてロシアに一国社会主義の決断を迫った条件の一つが国際システムの破綻だったからである。一九二四年にはすでに、「戦時共産主義」は忘れられた事件となっており、ロシアは外国貿易と主要産業に対する国家管理を維持しながらも、再び自由な国内穀物市場を成立させていた。ロシアは今や、外国貿易を拡大しようと躍起だった。貿易は主として穀物、木材、毛皮その他いくつかの有機原材料の輸出に依存しており、そうした商品の価格は、貿易の全面的な崩壊に先立つ農業不況の過程で大きく下落しつつあった。ロシアが有利な条件で輸出を展開できなかったことが機械の輸入を制約し、したがって国内工業の樹立を妨げた。このことがまた、都市と農村の間の交換条件に好ましからざる影響を与えて、いわゆる「鋏状価格差」をもたらし、それによって都市労働者の支配に対する農民の敵意を掻き立てた。このようにして、世界経済の解体がロシアにおける農業問題に対する一時しのぎの解決策による緊張を増大させ、コルホーズの到来を早めたのである。ヨーロッパの伝統的な政治システムが安全と信頼をもたらさなかったことも、同じ方向に作用した。というのは、このような状況が軍備の必要性を高め、したがって強制的工業化の負担を増大させたからである。一九世紀的なバランス・オブ・パワー・システムの欠如は、世界市場がロシアの農業生産物を吸収できないこととあいまって、ロシアがやむなく自給充足型経済の道を選択することを強要したのである。一国社会主義は、市場経済が世界各国間の結びつきを生み出すことができなかったがゆえにもたらされた。ロシアの自給自足体制と見えたものは、実は資本主義による国際主義の消滅にほかならなかった。」(第20章 社会変化の始動)
 汲めども尽きせぬ、なくてはならない書籍に接した感がある。
(生駒 敬) 

 【出典】 アサート No.381 2009年8月22日

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