【投稿】貨幣の暴走をどう止めるか

【投稿】貨幣の暴走をどう止めるか
                     福井 杉本達也 

1 米経済は底打ち?-クルーグマンはオバマ政権をヨイショ
 米労働省が発表した7月の雇用統計によると、失業率は6月より0.1%改善し、9.4%だったという。また、企業の4~6月期決算は予想外の堅調さで、ゴールドマン・サックス、JPモルガン・チェースやシティグループなど金融大手も黒字を維持したと報道されている(日経:2009.8.2、 8.8)。これを受け8月12日の米連邦公開市場委員会(FOMC)の声明は、「収縮ペースが減速している」から「横ばい状態である」に上方修正した。国債買い入れ期限については、9月末から10月末に延長することを決め(ロイター:8.13)、何でもありの「量的緩和策」からの出口戦略を模索しだした。NYT紙上でのポール・クルーグマンは「Averting the Worst」として「結局、我々は第二の世界大恐慌を経験せずに済みそうである。何が我々を救ってくれたのか?その答は、基本的に、大きな政府である。政府が1930年代とは非常に異なる役割を果たしたことにある。…我々は最悪の状態を回避したようである。もはや全面的な惨事が発生する可能性は低そうである。 そして、大きな政府が、その長所を理解している人々に運営されている大きな政府がその理由なのである。」(NYT2009.8.10 訳abetchy blog)と述べている。しかし、同一人物がわずか1ヶ月前の6月の雇用統計発表直後のNYTでは「大統領、私のメッセージは次の通りだ。今すぐ、経済チームと政治チームに追加的な刺激策を練らせるべきだ。なぜなら、そうしないと、あなた自身が1937年型の大不況に直面するからだ。」(NYT:7.3)と語っていたのだからほとんど信用できまい。
 今、政府による財政支出が必要なことの評価は別として、クルーグマンの経済理論の無責任さについては白川日銀総裁が中国要人を前に名指しで皮肉混じりに批判している。「1990年代後半以降、日本の政策当局に対し、国内外のエコノミストや国際機関から様々な政策提言がなされたことは記憶に新しいと思います。…典型的な政策提言としては、『日本銀行が行うべきことは、高めの目標インフレ率を設定し、その目標を達成するため、実物資産を含めてあらゆる資産を購入することだけである』、『日本銀行は財政赤字のマネタイゼーションを行うべし』などがありました。中でも、最も有名な提言の1つは、『無責任な政策にクレディブルにコミットすべし』というものです。」(8.8日銀総裁上海講演・参照:日経:8.13)。元々、当時の無意味な「量的緩和」「インフレターゲット」の提言は円金利をゼロにして日本資金の米への収奪を仕組みたかっただけであろうから、その意味では時の金融資本の意向に忠実な“首尾一貫した”ノーベル経済学賞“屋”ではある。

2 「偽りの夜明け」?
 米国の場合、2008Ⅱ期―2009Ⅱ期のGDPの年間減少幅は-5,229億ドルで-3.9%、内訳は、個人消費が-1,705億ドル(-1.8%)、民間投資が-5,546億ドル(-27.4%)、純輸出が-1,367億ドル(-28.7%)で政府支出が552億ドル(2.2%)のプラスとなっている(www.recovery.com)。今後、2009年度予算の39,980億ドル、2010年度の35,910億ドルの財政支出が本格実施されれば多少とも景気悪化の下支えは可能であろう。しかし、これは米国債の消化の95%が中国や産油国、ブラジル、ロシアなどに頼っており、無事、ファイナンスされての話である。また、米住宅ローン問題はくすぶり続けており、当初は信用の低いサブプライムローンが中心だったが、ここに来て、信用力の高いプライムの焦げ付きが目立ち始めている。景気低迷で失業が増え。 プライムの延滞額は4-6月で13.8%も増加している(日経:8.10)。財政支出はあくまでもフローの話であり。住宅価格などストックの下落を補てんするものではない。いかなる「大きな政府」も、約350兆ドル(水野和夫氏)~1000兆ドル(吉田繁治氏)と見積もられるキャピタル・ロスを総額わずか3~4兆ドルの財政支出で埋め合わせることは不可能である。伊東光晴氏はGDPの2倍・1,000兆円を超すキャピタル・ロスが発生した1990年代の日本の不況対策を「このように大きな投機の失敗による不況の進行下での政府支出増は、民間企業の在庫減・投資減によって相殺され、社会全体の投資増とならず、波及は急速に減衰して、景気を上昇させる効果は期待できない」(『現代に生きるケインズ』2006.5.19)と総括している。米国の住宅価格はまだ15~20%下落するとの指摘もある。これまで以上の下落幅以上である。そもそも、年間新規着工件数が50万戸台というのは低すぎる。日本でも100万戸前後である。人口で比較すれば200万戸以上が正常値である。「景気底打ち祭りが偽りの夜明けになりませんように」(blog「朝のドラめも」8.13)と皮肉られても仕方はない。オバマ政権に『医療制度改革』を断行できるだけの力があれば「底打ち」だが、残念ながら期待薄である。

3 日本は選挙用の“ご祝儀相場”
 一方こうした、米国の状況をにらんで日本の株価も一時期10,500円台を回復した。しかし、足元の設備投資指標は7月の工作機械受注率が前年比72.2%減というなべ底に残ったみそ汁のような惨憺たる状況にある(日経:8.11)。8月11日付の日経『大本営発表』記事は「増収増益 100社超す」「外食や日用品健闘」とあたかも選挙前に景気が回復したかのような見出しであるが、中身が「セルフ式うどん店のトリドール」「王将フードサービスのギョーザ」「ユニ・チャームのおむつ」では迫力に欠ける。確かに「餃子の王将」は儲かっているのであろうが、日本を代表するような企業ではない。そもそも、日本の株価は年金資金によって政治的に買い支えられている。年金資金117兆円のうち92兆円が市場運用分でその12%が国内株式・10%が外国株式に投じられており、2008年度の運用実績は9.6兆円の大幅損失であった(日経:7.2)。さらには、2009年度当初予算の7兆4000億円の公共事業契約の前倒し発注が進んでおり、6月末で55.8%になるなど、選挙直前にした国民の実感とは益々かけ離れた景気の粉飾が進んでいる(Nevada blog 2009.8.12)。

4 “なんちゃって”会計基準による粉飾決算
 ところで、米景気には粉飾はないのであろうか。もともと全面時価会計を主張していたはずのIASB( International Accounting Standards Board国際会計基準審議会)は昨年の金融危機の真っ只中に保有目的区分の変更基準を緩和した。今回さらに①証券化商品などの最上位優先部分(いわゆるスーパーシニア)については債券と同様償却原価の対象となる(償却原価対象=満期まで保有するので途中で売らないので価格変動がないという名目で時価評価しない)旨明記。②組み込みデリバティブのある金融商品は主たる契約(たとえば債券)の内容にしたがって区分することができることを明記するとした。ようするに、IASBは信用リスクやデリバティブ組み込み系の損失を隠す方向(=時価評価しない)でまさに、「なんでもあり」の改正をしようとしているのである。もっとも「時価会計」の導入はあらゆる資産を市場取引の対象として叩き売り、あるいは自らの懐に入れようとする強欲ファンドの要求によるものであるから、元々“基準”として無節操であり、それを反転させたところで同様ではあるが。これでは、米金融機関の赤字は表面化しない。株価が上昇するはずである。

5 貨幣の暴走をどう止められるか
 そもそも、今回の金融恐慌で最も被害を受けた(今後受ける)層は中産階級である。実体経済が頭とすれば本来尻尾であるべき金融が実体経済を振り回し、米自動車産業などは壊滅状態である。GMを始め米国内の多くの工場が閉鎖される。トヨタと合弁のカリフォルニア・NUMIIも閉鎖される。米中産階級を代表していたUAWの労働者は医療保険もない「盲腸の手術が300万円」という社会に放り出される。その一方で、当事者である金融資本は膨大な国民の税金を突っ込んで救済され、金融資本の元締めは損失の多くを回収し、番頭の経営者は巨額の退職金を受け取っている。日本でも派遣労働者や日系人などが真っ先に首を切られた。
 水野和夫氏は金融が実体経済を振り回す根源を、実物投資では満足なリターンをもとめられなくなったことにあるとする(『現代思想』2009.8「近代の終焉と脱“近代”経済学」)。先進国に投資機会がなくなってきたのは、粗鋼消費量を見ても分かるとし、1974年のピーク1トン/1人当たりで頭打ちとなっている。後は、サービス経済のウエイトや商品の付加価値を高めることでGDPという数字を膨らませてきただけである。「カローラ」を「レクサス」に換えただけであり、自動車という移動手段の根本原理は変わっていない。現在のような2%以下の世界的低金利では長期投資によるリスクを考慮すれば資本のリターンはゼロに近く、水野氏の計算ではこうした過剰マネーが100兆ドルもある。中国やインドなどの新興国の開発投資に経済規模(20兆ドル)の3割=6兆ドル程度振り向けたとしても残り95兆ドルが国民国家の枠組みを超えて投機に動いてしまう。

6 GDP価値観からの脱却を
 これまでは、英国のインド経営(インドの1人当たりGDPは270年間下がり続けてきた)や米英の産油国(石油の実質価格は1974年まで1世紀にわたり下がり続けてきた、また1990年代も低下した)等との不等価交換により途上国の資本蓄積を阻害し続けてきた(水野)。また、1990年の冷戦の崩壊によって、ロシアや中国などが金融資本の草刈場=「ニュー・フロンティア」になると“期待”された。ところが、中国の“思わぬ”経済的成功とプーチンの国際金融資本の締め出しによって立場が逆転してしまった。これまでは15%の豊かな国と85%の安く資源を売る国があったが、80%が高所得国の仲間入りを果たそうとしているのである(水野)。行き場を失った余剰資金の「投資先」は投機しかない。投機によってGDP成長を図ろうとするものである。購買手段あるいは流通手段としての貨幣(Geld)ではなく、G(貨幣)―G´(貨幣´)―G”(貨幣”)の自己増殖の運動である。金融資本の論理は今日買って明日売る中でキャピタル・ゲインをあげることである。そこでは労働は重要では無い。1995年以降の金融資本の暴走は「利潤極大化のもと万国の資本家が一致団結したこと」(水野)である。しかし、そこには抽象化された価値の増殖があるのみで実態的な人間の生活の改善はもはや無い。
 経済=「エコノミー」とはギリシャ語の「オイコノミヤ」を英語化した言葉あり、エコノミーとエコロジーの共通語源である「オイコス」は人(生命)の住む場所の意味であり、「ノモス」はその場所の掟や習慣・法律の意味している。アリストテレスは経済学を「オイコノミカ」と称したが、「オイコノミカ」とは社会全体(共同体)が幸せになる方法のことである(本山美彦blog「伝統の復権」)。つまり、「経済」とは社会の一部分を切り取って見たものでしかない。ところが、現代(近代)は社会(共同体)からこの「経済」を突出させ、社会の様々な制度を経済に従属させてしまったのである。
 かつて、小泉首相は「構造改革なくして経済成長なし」を呪文のように連呼し、自民党は今回の選挙のマニフェストでも「1人当たり国民所得を世界トップの100万円増」(円高公約?)「2%の経済成長」を掲げ、相も変わらず「経済のパイを大きくして配分を考える」という論理にしがみつくが(党首討論8.12)、もはや金融資本を肥大化させるためだけのGDP(国富)の数値に何の意味もない。1776年にアダム・スミスが『国富論』を出し、この二百数十年間一貫して“経済の成長”・“生産性の向上”・“効率”・“生産力の発展”を追求してきたが、「成長すれば豊かになるという近代的価値観からの脱却」(水野)こそもとめられる。「国富」という数値(GDP)=抽象的価値=交換価値という経済「学」?がこの二百年追い求めてきた“概念”の根本的修正が求められている。
 その場合、当然「貨幣」の自己増殖運動をどのように人間生活の枠内に閉じ込めうるのか。例えば、水野氏は「領土拡張的『帝国』」(EUあるいは上海協力機構・ASEAN+3・米州機構などを指すのか?)が働く労働者側に立つことで金融資本の『帝国』の横暴を規制することを提唱する(水野氏の『帝国』とは国民国家を超えた政治体制を指す)。一方、伊東光晴氏は福祉、教育、芸術等のものをつくらない投資により過剰生産力を高めない社会=「成長なき安定」を提唱するが、また、「シュンペーターと同じく、『成長なき資本主義は存続可能か』との問いに」(『日本経済を問う』2006.11.29)懐疑的でもある。もちろん「成長なき」とはいっても、英国が主導するような新興国の「チャレンジ」を低成長に抑え込もうとする「地球温暖化論」を利用したトリックなどは道義的に不正であるばかりでなく、80%の仲間入りを目指す新興国には受け入れられまい。衆院選後、日本はアングロサクソン金融資本の暴走とは一線を画し、こうした課題にこたえる未踏の位置に立たなければならない。 

 【出典】 アサート No.381 2009年8月22日

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