【再録】「旗」と「萃点」
2007年03月24日付の朝日新聞【天声人語】に、作家の城山三郎さんが亡くなられたことに触れ、同氏の「旗」という詩が紹介されていた。「旗振るな/旗振らすな/旗伏せよ/旗たため……ひとみなひとり/ひとりには/ひとつの命」(『城山三郎全集』新潮社)。この詩に、筆者はわが身を振り返ってある種の感動をさえ覚えさせられた。
それは、一つは自らのこれまでの思考・行動のあり方に対する反省でもあり、今後への示唆・自戒でもあったからである。しかしそれはまた、ニッポン人脈記「安倍政権の雰囲気」に見られるような、最近の朝日新聞がことさらに安倍政権に擦り寄るかのような論調を展開していることに危惧を覚えざるをえない、小泉・安倍政権と連なる一つの時代的な転換点の最中に置かれているという時代感覚のせいでもあるようにも思える。それは言い換えるならば、昭和史を鋭く検証し追及されてきた保阪正康氏の言う、「笑顔の国家管理システム」から「恫喝の国権至上主義」への移行、あるいはまた、「国策捜査」で脚光を浴びる佐藤優氏の言う、国際協調的愛国主義から自国中心的ナショナリズムへの転換、というなにやらおぞましくも危なかしい移行期の時代の反映でもあろう。
こうした移行や転換を図らんとする論調、雰囲気、勢力、等々に対して、こうした移行や転換に抵抗し、これを阻止しようとする人々の力が、幅広い、裾野の広い多くの人々の支持や励まし、支援があるにもかかわらず、何かしらもの足らず、歯がゆく、いかにもか弱く、互いにいがみ合い、結集されてもおらず、頼りない。こうした状況への警鐘が、この「旗」という詩に込められていると感じられ、感動をさえ与えたように思われる。その警鐘は、「旗振る」ばかりで、その旗の下についてくることしか期待しない、違う旗には排除と一方的決め付け、罵倒、毛嫌いでしか対応できない、そうした対応が誰をもっとも喜ばせているかということにも考えが及ばない、そのような宗派的閉鎖的思考・行動様式がいまだに目に余るからでもあり、そうした事態への厳しい視線だとも言えよう。
同じ文脈の中で、また朝日新聞を引用して恐縮だが、2007年02月20日付「多様なものが共生する視点」(大江健三郎 定義集)の中で、昨年七月に亡くなられた鶴見和子さんが、「多様なものが共に生きる」という視点、「異なるものが異なるままに共に生きる道を探求する」という曼荼羅の思想、「私は、わが去りしのちの世に残す言葉として、九条を守ってください、曼茶羅のもっている知恵をよく考えてください。」と最後の講演で述べられたことが紹介されている。要約すればこれだけのことであるが、示唆する中身は思想的政治的、哲学的に深いと言えよう。
鶴見氏はこの南方熊楠の言う「曼荼羅」の中で、周知のようにこれは熊楠の造語だと思われるが「萃点」という、「さまざまな因果系列、必然と偶然の交わりが一番多く通過する地点」を取り上げ、「この萃点を押さえて、そこから始めるとよく分かる」と述べ、さらに「萃点移動」というものについて触れ、「南方の場合には、移動するのよ。『萃点移動』と私はいうんだけれどね。萃点はいつでも一つではないのよ」、「萃点は移動してもいいというゆとりが彼の中にあるということ。固定しなければならないという考えではないということよ。」と述べている。萃点は固定したものではなく、変化し、移動する、しかも一つではない、と言う。これはあまり注目されていないように思われるが、非常に重要な視点だといえよう。
大江健三郎氏は、「憲法九条の会」を呼びかけた理由の中で「一番はじめに、私はこの会がどうなるか考えていた。それは教育基本法と結びつけて考えたいが第一。二番目にすい点というのがある。たくさんのものが集まっているところという意味だ。ある方向に運動をしようとする、声を発する。どんどん声を発していけば、声を直線と考えれば集まる点があるだろう、黒々とした点がある。それをすい点といっている。」、「いま4500の声が発せられて、それはどんな党派にも属していない。日本共産党にも、社民党にも属していない。ただ、日本人として憲法の権利と義務をになっているものとして、運動を始めている。党派的なものの考え方、党派による指導性を考えることをやらないで、一人ひとりの声が重なって真っ黒になってくる点がある、すい点がある。そこを支えにして、九条を廃止するかどうかの国民投票があれば、そこではっきりした力をみせてやろうというのが私の考えだ。」と述べている。さらに大江氏は「蛇足だが」と述べて、「九粂の会は日本共産党の指導下にある、憲法行脚の会は社民党の影響下にあるという言い方をした新聞があった。三木睦子さんは、二つの会は同じ方向で協力するのではないかといった。この記事を読んで感じたのは、最初の呼ぴかけが理解されていないと思った。私たちは、どの党派にも属していない人間が自分の声を発した。同じように自分たちの声を発した人が日本中に広がるだろう、そして九条の会が始まると考えていた。」と結んでいる。
ところで冒頭に紹介した城山三郎さんは、佐高信さん、落合恵子さん、姜尚中さんや辛淑玉さんらとともに「憲法行脚の会」の呼びかけ人となって、やはり憲法改悪に反対する運動を闘って来られた。その存在は貴重であり、さらに拡がることを期待したい。すべてを自分たちの主導下、指導下に囲い込み、それ以外の存在を認めない、自分たちの主導下にない存在には手を携えることさえせずに見下し、結果として広範囲な多くの人々の結集を妨げるような、そんな運動であってはならないだろう。
大江氏の萃点には、「萃点はいつでも一つではない」という視点、「萃点は移動してもいいというゆとり」があるのかどうかは定かではないが、運動の強さと広がりにとっては当然そうあってしかるべきであろう。
「旗」と「萃点」が偶然結び合わせた、筆者の願いでもある。
(生駒 敬)
<「季刊唯物論研究]」 第100号 2007/05より再録>
【出典】 アサート No.356 2007年7月21日