【書評】『人はなぜグローバル経済の本質を見誤るか』 

【書評】『人はなぜグローバル経済の本質を見誤るか』 
   水野和夫著 日本経済新聞出版社 2007年3月14日 2200円+税
                               福井 杉本達也

 2006年の米国の貿易赤字は7636億ドルと5年連続で過去最大の赤字を記録した。対中赤字は5年連続、対日赤字も2年連続となっている。バーナンキ議長がCBOの推計として挙げた数字によると、連邦の債務の国内総生産(GDP)に対する比率は06年の37%から30年には100%に急上昇する。国の借金と経済規模が並ぶのは第二次世界大戦時以来という。(日経:2007.1.27)今、米国は、自国では必要な資金を調達できない経済となってしまっている。年間8800億ドルの債券を売り、資金調達しなければならない。赤字金額は、イラク・アフガン戦費調達のため、年々増えている。この赤字をファイナンスするのが、貿易黒字国の日本と中国であったが(約40兆円:米国の必要額の40%)、直近の1年では、産油国マネーが、3190億ドル(32兆円:米国の必要額の32%)をファイナンスするようになっている。つまり、米国は毎年約100兆円の資金流入がないと金利が跳ね上がり株価が暴落してしまう可能性がある。2005年に米経済学会は「アメリカの国際収支の維持が困難であること、ドルの大幅減価が必要であること。ドルが十分下落すれば、現地通貨建てである対外資産のドル表示総額が大幅に上昇する一方、ドル建ての対外債務は総額が変わらないので、アメリカは純債務国から純債権国へと変身できる。」とするハードランディング・ストーリーを描いている。(日経:2007.5.6)
米の対外不均衡は恐ろしい状態にまで積みあがっている。常識的には米経済学会の指摘どおりであろう。しかし、現実は、さらに急速に過去の最大値を更新しようという純債務国に今なお資金は流入し続けている。これをどう解釈するべきか。水野氏は「米対外不均衡問題は、米国が輸入を抑制すれば、是正に向かうという従来の常識が、グローバル化で覆った。」(水野・2006.5.31)という。「外国から対米投資が十分行われている限りにおいて、米国は所得を上回って消費をすることができる」のであり、米国への「資本流入を進めるための戦略は…①金融の自由化を進め、かつ②米国の海外資産価値を高めるべく、外国の内政にも影響力を行使すること」=「米国の『帝国』化」であるとする。「主権国家を前提とした『覇権国家』を目指すことは米国にとってもはや意味がない。日本の資産を安く買って高く売却するには、外国の銀行に対して不良債権の基準を厳しくするよう要求することができる『帝国』でなければならない。」「世界のルールが国民国家のルールから帝国のルールに変わってしまった。日本は、自らの意思で対外投資するという立場から、自国の貯蓄を相手国に利用されるという立場に置き換えられてしまった」というのである。三菱UFJ証券参与という証券業界のチーフが本書を書いたという意味は大きい。
 水野氏の指摘は早くは、吉川元忠氏によって「新『帝国循環』の時代」として、「世界最大の経常赤字を続けている国が、異常な低金利という日本側の『自滅』にも助けられて、赤字をはるかに上回る規模の外国資金を引き寄せ、結局はこれを原資として巨額の対外投資を行う。アメリカはふたたび『帝国』として世界マネー移動の中心軸を形成することになった」(『マネー敗戦』:1998年)と分析されている。98年時点の吉川氏の場合には、『敗戦』は避けられないとしつつも、なんとか日本経済の自立=円の活路を見いだそうとする意志があるが、水野氏のそれは「帝国」支配への諦めの意識が強い。この10年、特に小泉内閣以降の厳しい現実が強く反映しているといえよう。その諦めの意識が、「新しい中世」論への逃げ込みとなっているが、これはいただけない。「95年以降、米国の『強いドルは国益』(ルービン財務長官(当時))はグローバル化とドルの間に蜜月関係が存在していたが、それは例外的な関係であったことになる。グローバル化を推し進めていけば資本の論理(グローバリゼーション)と国家の論理(ドル本位制)が衝突するのが必然である。」とするが、あくまで、米「国家」=ドルあってのグローバル化でありその逆ではない。
 また、『ドメスティック企業』(中小企業・非製造業)についても、「長期停滞に陥っているのは国民国家と運命共同体であったからであり、グローバル企業が高成長を実現できたのは国境を容易に超えることが出来るからである。」とし、「改革が進んでいないから、中小企業・非製造業はマイナス成長が16年も続いている。」と突き放した見方をしているが、はたしてそうなのか。3%もの金利差を収奪され続けていてプラス成長もないであろう。『経済学批判』が必要なのではないのか。
田中宇氏によると「5月18日からドイツで開かれたG7の財務相・中央銀行総裁会議に、アメリカのポールソン財務長官が欠席した。『G7会議の直後の日程で、中国の代表団が訪米し、2度目の米中戦略会議が開かれるが、ポールソンはこの準備に忙しいのでG7に出る暇がない』というものだった。米財務省は、G7より中国との2国間会議の方が重要だ、と宣言したのである。ウォルフの記事によると、今の世界経済にとって最も重要な課題は、巨額の外貨を貯め込む中国に対し、いかに金を使わせるかということであり、そのため中国が入っていないG7より、米中交渉の方が重要なのだという。」そのすぐ後に「中国の空母建造に協力を申し出たアメリカ」という冗談とも本気ともとれる記事がある。(田中宇:「中国の大国化、世界の多極化」2007.6.5)
 米国は日本に対し、グローバルスタンダードを押し付けてきたが、中国は米国の圧力には屈しない。中国が元の切り上げに抵抗を続けるのは、日本を反面教師として見ているからである。米国は日本の金利を無理矢理下げさせてドルを還流させてきた。しかし中国は日本のようには行かない。6月8日には、日本の金利は1.92%まで上昇した。米国の金利も8日は5.24%まで上昇した。世界的に金利が上昇すると、米国への資金流入に変調をきたす恐れがある。米国がこれ以上金利を上げることができず、日本とユーロが利上げ基調に変われば、ドル債の購入を誘っていた金利差が縮小する。減価する通貨「ドル」を守るために産油国が買い続けるのかどうか?米国への資金還流が、維持可能でなくなる日も近づいているのでは。 

 【出典】 アサート No.355 2007年6月16日

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