【投稿】「反戦の母」シーハンさんを決別させたもの 

【投稿】「反戦の母」シーハンさんを決別させたもの 

<<「熟考を重ねてきた結果」>>
 すでに報道されていることではあるが、大手メディアでは詳細が不明であり、日本の現状に照らして、とりわけ反戦・平和運動、憲法改悪反対運動に共通の問題が鋭く提起されているのでは、という視点から、「反戦の母」シーハンさんの引退が問いかけるものを捉え直してみたい。
 米兵であったわが息子をイラクで亡くし、05年8月からブッシュ大統領との面会を求めて大統領のテキサス州クロフォードの自宅農場前に座り込みを続け、米軍のイラク撤退を掲げ、全米各地で抗議運動を続け、「反戦の母」として反戦平和運動の象徴的存在となってきたシンディ・シーハンさんが、そうした活動からの引退を表明した。5/28、戦没将兵追悼記念日の朝であった。
 その引退表明に、「目立ちたがり屋の尻軽女、厄介払いでせいせいしたでしょう」といった挑戦的な表題をつけながらも、そこに至るまでの決断は「胸が引き裂かれる」ものであり、「それは、衝動的な思い付きではなく、この1年間熟考を重ねてきた結果」であり、「じっくりと、そしてまったく意に反してやむをえず行き着いた結論」であることを明らかにしている。

<<「右か左か」ではない>>
 彼女が指摘する最大の問題は、反戦・平和運動の最も重要な課題は、「右か左か」ではなく、「正しいことか、間違っていることか」であるにもかかわらず、この問いかけには誰も答えず、所属するあるいは支持する党派の枠内でしか物事を見ようとしない、党派性、別の言葉で言えばセクト主義の問題である。
 彼女は言う。「私は過激派だとみなされています。それは、民主・共和両党が同様に支持した虚偽に基づく戦争によって何十万もの人々が死んでいる時、党派的政治は決別されるべきだと私が確信していることからきています。相手の政党に対して、問題に鋭く切り込み、レーザー光線のようにさまざまな嘘、虚偽の説明やご都合主義に照準を合わせられる人々が、いざ自分の属する政党となると、そうしたことを認めることを拒否するのです。これは私にとっては驚きです。どの政党の側に立っていようと、無条件的な支持は危険です。・・・私が悪魔にしたてられるのは、私が人を見るときに、その人の党の所属や民族など気にせずに、その人の心をこそ見ることからきています。」
 この指摘は、そのまま日本の現状にも当てはまるものである。

<<「あのグループとは」>>
 彼女はさらに言う。「私はまた、平和や人間の命よりもしばしば個別的なエゴが上位におかれるような平和運動の中で活動を試みてきました。このグループはあのグループとは一緒に活動したくはない、あの人が行くなら私はそのイベントには参加したくない、何故シンディ・シーハンばかりがどこでも注目されるのか、といった運動です。平和運動とは言うもののこのようにいがみ合った状況の中で平和のために活動することはきわめて困難なことです。」
 これもまったく普段の日常の活動でよく見られる光景である。運動が幅広ければ、そうした状況が一部に見られても容認も包容も出来る範囲であろうが、それが主流となってしまったような観のある日本では、平和運動、護憲・憲法改悪反対運動ではごくありふれた光景になってしまってはいる。しかしこうした状況の継続は、反戦・平和の運動が本来持つべき徹底した幅の広さや裾野の広がりを自ら閉ざし、党派間のいがみ合い、罵り合い、悲観主義をしかもたらさないものである。シーハンさんが指摘しているのは、問題はこうした運動の状況が、システム化し、体制内化してしまっていることへの警鐘と言えよう。

<<「消耗し尽くされてしまう前に」>>
 シーハンさんは最後の「さようなら、アメリカ」という言葉の前で、「これはアメリカの反戦運動の「顔」としての私の辞職願です。これは私の「転向」のためのものではありません。なぜなら私は、古き良きアメリカ合衆国と言う帝国に傷つけられている世界中の人々を支援するのを断念するつもりは決してないのです。しかし私は、こうしたシステムの枠内で活動することを終わりにし、むしろこうしたシステムの外に出ます。このシステムから支援を受けるにはさまざまな抵抗が覆いかぶさり、活動を支援しようとする人々を消耗させてしまいます。私や私が愛する人々、私に残されたものまでがすべて消耗し尽くされてしまう前に、私はこのシステムの外に出ようとしているのです。」と述べている。日本でもいかに多くの心ある人々が「消耗」しているかということを想起させるものである。

<<セクト主義という業病>>
 「9条ネット」という「あらゆる憲法擁護勢力の共同候補の擁立ないし選挙協力の実現」をめざす団体が、共産党、社民党にも選挙共闘の申し入れをしながら、元レバノン大使の天木直人氏等を参院選の公認候補として擁立して活動している。これに対して、日本共産党は5/1付け「しんぶん赤旗」で、「「9条ネット」とは、ことし2月に「憲法擁護」を看板にして、参院選にむけて立ち上げられた政治団体です。しかし、その実態は新社会党委員長らを国会に送ろうという運動団体です。・・・新社会党の「別働隊」のようなものです。・・・「9条ネット」と新社会党は、先の東京都知事選で浅野史郎氏を支援しました。浅野氏は、改憲勢力である民主党が支援した候補者であり、マニフェストにも「憲法」の言葉がなかったことは周知のことです。・・・新社会党は、「部落解放同盟」(「解同」)と密接な関係があります。・・・(解同は)日本の民主主義にとって決定的な害悪を流してきました。」と、実に共産党特有の党派的でセクト主義的な悪罵を羅列している。たとえいまだ萌芽的で小さな組織であっても、またそれが既成の組織であっても、さらにいえば保守勢力であっても、平和と九条擁護など、共有できる目標を掲げ、ともに闘い協力し合おうという姿勢を明確にしている限り、悪罵を投げつけ排除するのではなく、ともに闘い、結集できるさまざまな形態を模索し、協力の輪を広げ、もっとも悪質な改憲・復古・反動勢力をこそ孤立させていく、そのような姿勢こそが求められているのに、逆である。日本の左翼に深く根付いたセクト主義という業病を克服しなければ、事態は前進しないし、自らを「消耗し尽くしてしまう」であろうし、多くの心ある人々から「決別」されてしまうであろう。
(生駒 敬)

 【出典】 アサート No.355 2007年6月16日

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