【投稿】「カネが全てではない」…統一自治体選挙・特徴的な首長選から…
福井 杉本達也
1.「資本」は逃げるが「住民」は逃げることができない(夕張市長選)
夕張メロンで有名な夕張市。今統一自治体選挙の「財政再建団体」下の市長選では、道内外の7人が乱立し、全国的に注目を集めたが、地元出身の元会社社長藤倉肇氏が当選した。「古里の窮状を見かね、立て直したいとの熱い思いに有権者が共鳴し、市再建を委ねたといえる。…どん底の地域社会・経済を再生する滑り出し役を務める。国の管理下という限られた裁量の中でいかに再生の道筋をつけるか、藤倉氏への期待は大きい」(愛媛新聞:4.24)と報道されている。コートも脱がずに後藤健二前市長と対談するみのもんたの威圧的なTV取材に代表されるように、昨年6月に前市長が、財政再建団体申請を表明して以来、「夕張市」の名前は全国最悪の自治体のような扱いを受けてきた。宋文洲氏の『単刀直入』では「どうせ皆で借金するなら、どうにもお手上げになるまでは無理して解決する必要もありません。「赤信号、皆で渡れば怖くない」なのです。子供に金銭を与え続けるといつまでも成人しません。…中央が地方の財政に資金を投入し続けると地方はいつになっても自立しません。最後は必ず全国民の税金で始末してもらえると思えば、慌ててコスト管理して、あえて近所の人々の反発を買うことはありません。」(NIKKEINET:2006.6.26)と夕張市の財政運営を批判している。
しかし、はたして事実はそうであろうか。かつて、夕張は炭鉱の街として栄え人口11万人を数えたが、国のエネルギー政策転換により、60年代から次々と炭鉱が閉山され、最後の三菱南大夕張炭鉱が90年に閉山した。閉山により、会社が設置したインフラを市が買収することとなる。82年には夕張炭鉱病院を市立病院にするため40億円を負担している。さらに北炭は鉱山税61億円を未払いのまま計画倒産。炭鉱住宅・上下水道設備なども市が買収し、閉山対策費は総額583億円に達した。このため、観光事業へとシフトするべく、中田鉄治市長時代にテーマパーク、スキー場、映画祭、企業誘致により地域経済の再生、雇用創生などを図ったが、これが、逆に過大な投資となり、市の財政を圧迫していった。産炭法が2001年に失効したことなどで、財政状況がさらに悪化し、ほぼ破綻(はたん)状態になった。各種基金や金融機関からの借り入れという形をとって自転車操業状態で急場をしのいできたが、これが「粉飾」・「ヤミ起債」といわれる。
当初、国・道とも、責任を夕張市に押し付けるのみで、自らの責任を回避する姿勢であったが、昨年11月に行われた住民説明会で、「情報公開もせずに負担だけ押し付けるのか」という住民の強い反発により説明会が流れる事態ともなり(日経:06.11.19)、結果的に道は、再建期間短縮等の観点から、赤字額の360億円を年0.5%の低利で融資(市場金利との差額は道が負担)、国も地方交付税交付金などによる支援を打ち出した。 これにより、再建期間は18年間の見込みとなった。財政再建計画は3月6日に総務相の同意を受けた。早期退職希望者が130人を超え、全職員の約半数の152人が3月末で退職した。また、市が保有する観光施設31施設の内29施設を運営委託、売却、廃止された。市民負担も、市民税が個人均等割3,000円から3,500円に、固定資産税が1.4%から1.45%に、ごみ処理は有料化、施設使用料も5割増、下水道使用料が10m3あたり1,470円から2,440円に値上げ、図書館は廃止。市内で唯一の老人ホームは、2008年度に廃止される予定。しかし、住民の反発などもあり、小学校の1校統合は再検討中である。
産炭地など鉱山地帯が終掘後自治体として維持された成功例は、映画「フラガール」で有名となった日立グループの常磐炭田など、世界的にも極めて稀(まれ)である。三井系や三菱系の炭鉱資本ように「資本」は“食い逃げ”できるが「住民」は逃げることができない。特に高齢者は町を出て行くことはできない。確かに夕張市の施設は身の丈に合っていなかったが、多くの失業者を抱える中で一気に縮小できなかったのである。『財政再建団体』は資本や国・道の替わりに、必死になって“身の丈以上の背伸びをして”地域経済を支えようとした『結果』である(この辺りの事情は「夕張財政破たんの本質とは」吉田博『地方財政』2007.2に詳しい)。結果のみを批判する者には別の意図が隠されていると思わざるを得ない。
2.「財政再建」のみを優先するな(あわら市長選)
北陸の代表的温泉郷芦原温泉のある福井県あわら市では任期1年を残した松木前市長が突然辞任し統一地方選挙中の選挙となり、中学校の統合反対を公約とした橋本前市議が400票の小差で当選した。あわら市は2004年にJR芦原温泉駅のある金津町と芦原温泉のある芦原町が合併して誕生した市で、人口は3万1千である。合併当初は元金津町長の松木氏が無投票で市長に当選し、合併の旧町間のしこりも少ないかに見えたが、当選後、松木市長が合併協定を破り2校ある中学校の統合を打ち出したところから、隠れていた旧町間の感情が表面化した。3月には市長のリコール運動までに発展する中での先手をとった辞任・選挙劇であったが、合併後の行政実績と財政再建を優先し、2校「存続なら“第二の夕張”」とする松木前市長に対し、橋本氏は2校存続で「理想の教育環境守る」との1点のみで選挙戦を闘った。
あわら市の中学生総数は950人である。生徒数が500人を超えると生徒の個別把握が難しくなる。あわら市の隣接町(現在は合併により市)では、生徒数1300人を超える中学校があったが、近年、生徒の放火による中学校体育館全焼事件があり、この衝撃的な事件を契機にもう1校中学校を増設している。松木氏は25年後には少子化の影響もあり500人程度になり1つの学校で十分だと訴えたが住民の理解を得ることはできなかった。「財政再建」のみを優先し、住民サービスをどんどん切り捨て、住民に負担を転嫁していくならば地方自治はない。財源が不足する中にあっても、自治体が提供するサービスの何を切ってはならないのかが厳しく問われた選挙戦であったといえる。
3.「札束」で住民の安全は売り渡せない(東洋町長選)
高知県の東の端、漁業中心の地区と農山村地区に分かれ、有権者数3,000の人の東洋町は高レベル核廃棄物処分場の誘致問題で揺れた。4月22日投票の町長選では反対派の澤山保太郎氏が得票率70.5%の大差で田嶋前町長を破り圧勝した。澤山新町長は公約どおり応募取り下げを表明し、当選翌日の23日、応募撤回の文書を原子力発電環境整備機構と資源エネルギー庁に郵送した。
06年3月、田嶋前町長は助役に「金儲けの話がある」と切り出し、町会議員と執行部との間で勉強会の形で秘密に協議されていた。これが9月20日の高知新聞報道で暴露され一気に問題が表面化した。応募ではなくて理解を深めるための勉強をするという言い方だった。しかし、さらに今年1月10日、前町長が文献調査を 原環機構に1年前にすでに内緒で応募しており、原環機構から受理を拒否されていたことがマスコミに暴露された。その暴露を受けて、前町長は議会での反対を押し切り一方的に1月25日に文献調査に応募してしまった。そのような事情を承知の上で国が応募を受理することはあるまじき行為である。財政難に苦しむ自治体の弱味につけこんで処分場を押しつけるため、文献調査の段階で2年間で20億円という多額の交付金をちらつかせ、ともかくも応募させてしまおうというのが、「公募」のしくみである。3月に国は原環機構に調査の認可をした。田嶋前町長はリコールの動きが本格化する中で、国や電力会社の支援を受け、4月5日に辞表を出し選挙戦に打って出た。今回の東洋町の選挙はする必要の無い選挙であった。24日の閣議後、甘利経産相は「(有権者が)誤解をしたまま賛否が諮られると、当然こういう結果が出る」「(処分場は)保管施設で、安全性は120%確保されている」「処分場がなくても生活を維持できるという誤解は、解いてもらわないといけない」(朝日:4.25)と述べたが、この住民を無視した言葉こそ、わが国・国家行政の腐敗堕落と原発行政の無策を象徴している。廃棄物問題を棚上げにしたまま建設が進められてきた原発は、「トイレなきマンション」と言われて続けてきた。原発の建設・利用を推し進めながら、「札束」で、どこかの地域に廃棄物を押し付けようとする倫理が問われた選挙であった。
【出典】 アサート No.354 2007年5月19日