【投稿】都知事選・石原三選を許したものは何か 

【投稿】都知事選・石原三選を許したものは何か 

<<石原「楽勝」ではなかった>>
 先の統一地方選で最大の焦点の一つであった都知事選の結果は残念なものであった。あの驕りと傍若無人、唯我独尊、都政の私物化、軍国主義と差別意識丸出しの知事が再選されるとは情けない、と多くの心ある人が感じていることと思う。「ごめんなさい」のひとことから出発した石原立候補の第一声は、これまでの姿勢では「再選危うし」という危機感からきたものであったが、当確が報道されるやたちまち傲慢で饒舌な姿勢に逆戻りして元の木阿弥。このような結果を許したものはいったい何であるのかについて、問い直すことが改めて必要なことと思われる。
 まず投票結果だけを見てみると、以下の表から分かるように、石原陣営は決して「楽勝」と言えるものではなかった。

都知事選   前回           今回
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投票率    44.94%       54.35%      9.41%増
投票総数   444万票        556万票       112万票増
 石原    308.7万票、     281.1万票    27.6万票減
 反石原   118.1万票      232.2万票   114.1万票増
 (樋口    81.7万票) (浅野 169.3万票)
 (若林    36.4万票) (吉田  62.9万票)
石原-反石原=190.6万票       48.9万票

 前回に比べ、投票率が9.41%増大し、投票総数が112万票増えたにもかかわらず、石原票は逆に27.6万票も減り、浅野・吉田の反石原票は倍増し、114.1万票も増えている。その差は50万票を切っている。前回の楽勝とは雲泥の差である。石原票の1割弱、25万票が反石原の統一候補に移動していれば逆転勝利は可能であったことをはっきりと示している。統一候補を擁立できていれば、当然、選挙ムードも取り組みも熱意も変わり、投票率もさらに数%は上がり、反石原陣営が楽勝しえていた現実的可能性が存在していたと言える。

<<ほくそ笑む安倍・石原>>
 選挙前の三月に、山口二郎・北海道大学教授が「選挙の最大目的が石原を引きずりおろすことにある以上、民主主義を愛し、人間の尊厳を貴ぶ市民は反石原の一点で結集、協力すべきである。その際にはより幅広く市民の支持を得られる候補にまとまることが必要となる。
 共産党のポスターに、「日本には確かな野党が必要です」と書いてある。しかし、共産党が独自候補の擁立にこだわって、反自民、反石原の票を分散させるという行動を続けるならば、共産党が、その意図とは別に、自民党や石原の増長をもたらすという結果になる。そうなると、安倍晋三や石原は、「自民党・石原には確かな野党が必要です」とほくそ笑むことだろう。逆に、都知事選挙において反石原の広範な協力が実現できれば、そこから自公連立政権の悪政に終止符を打つ可能性も広がるに違いない。残された時間は短いが、心ある市民と共産党との対話の可能性をぎりぎりまで追求したい。」(週刊金曜日3月9日号)と訴えた。山口氏はそのように行動されたことは間違いないと思われる。そして多くの市民レベル、勝手連レベルでの統一候補への模索が追及された。
 ところがこれに対する共産党からの反応は、予想通りとはいえ、まったく期待を裏切るものであった。「赤旗」3月21日付で、植木俊雄・広報部長は「誰を知事にするかは都民が決める」として、浅野の政策は石原と「うり二つ」であり、石原から浅野に代えても意味はなく、「確固たる立脚点」を持つ吉田こそ「都政を転換」させるにふさわしいというものであった。当然、執拗な反浅野のネガティヴ・キャンペーンが継続された、
 投票日直前の4月、山口氏は再び、「東京都知事選挙に向けた反石原勢力の結集について書いたところ、特に共産党やその支持者から大きな反発を受けた。この文章は投票日直前に掲載されるので、あえて私の意図をもう一度書いておきたい。」として、「まず大前提として、私は共産党を敵視する意図はまったく持っていない。むしろ、この1年ほどは、共産党と近い関係にある全労連系の労働組合や民医連などの団体にも呼ばれて話をする機会も多く、これらの団体の人々は仲間だと思っている。・・・ただ、これからの国政選挙や憲法改正に反対する国民的な取り組みの中で安倍政治を倒すためには、自公政権の悪政に反対する者の間に最低限の相互了解や信頼が必要である。そのためには、最大の敵が誰であるかという認識を共有することが不可欠である。選挙に勝つこと、政権交代を起こすことによってしか、政治は変わらない。これから我々は何をなすべきか、真剣に考えなければならない。」(週刊金曜日4月6日号)と問題を提起している。

<<「支持の形はどうでもいい」>>
 選挙の結果は、反石原陣営の分裂こそが、あきらめムードと無力感、石原再選をもたらしたものであったことを明らかにした。共産党のわが党第一のセクト主義は、多くの心ある人々から愛想を尽かされ、革新統一にとっての否定的存在としてしか映らない姿に自らを追い込んでいる。石原氏に自民党推薦を拒否された中川幹事長の「支持の形はどうでもいい。石原が勝つことが重要だ」という姿勢とは対照的である。問題は、それでも石原陣営にとってはひやひやものの選挙結果であったということは銘記すべきであろう。
 週刊金曜日4/13号は「誰が石原氏を選んだのか」(対談:落合恵子・筑紫哲也)の中で、石原氏は圧勝したとして、その原因について、都民に切実な要求がない、生活が良く関心がない、地域社会がない、石原氏は父権性の人、大黒柱をほしがっている、等の諸点を上げている。こうした視点に対して、週刊金曜日4/27、5/4合併号・論争欄で渡辺知美(22歳、大学院生)さんは、この「何が石原氏を勝たせたのか」の「切実さがない」「寄らば大樹の陰」に違和感を感じるとして、「切実さがない」というが、「安心して生活できる仕事、・・・切実に何とかしてほしい。でも、こうしたことをすくい上げることは争点になっていなかったように思います。今必要なのは「正しい解決方法を教えてあげる」のではなく、「一緒に悩み、感覚を共有し、ともに実行していく」ことなのではないでしょうか」と選挙の争点上の問題点を指摘している。このことは、たとえ統一候補を獲得しえたとしても、それ以上に若者や無党派層を大きく結集できうる政策・争点が問われていると言えよう。山口氏が言うように、まさに「これから我々は何をなすべきか、真剣に考えなければならない。」
(生駒 敬)

 【出典】 アサート No.354 2007年5月19日

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