【投稿】末期症状の安倍政権と従軍慰安婦問題

【投稿】末期症状の安倍政権と従軍慰安婦問題

<<「閣僚に忠誠心が足りない!」>>
 統一地方選、参院選を目前に控えながら、安倍政権はやることなすこと全て裏目に出だし、混乱の極みに達していると言えよう。与党自民・中川幹事長が「閣僚に忠誠心が足りない」とぶちまけ、「当選回数は問題ではない。かつて仲良しグループだったかどうかも関係ない」、「首相が入室したときに、起立できない政治家、私語を慎まない政治家は、美しい国づくり内閣にふさわしくない」と安倍首相を軽んじる雰囲気に露骨な怒りを表明した。本人のこれまでの”非行”を棚に上げて何をかいわんやであるが、こうしたことを本気でくそ真面目に語らざるをえないと言う、こんな発言がマイナス効果にしかならないことも自覚できない、来るとこまで来たのかという前代未聞の事態である。
 政権発足早々から、政府税調会長や行革担当大臣の醜聞での辞任、柳沢厚労相の「子どもを産む機械」発言、首相自身を含めて農水相をはじめ次から次に出てくる政治資金収支報告書や事務所費に関する不正や疑惑の数々、防衛相、外相、文部科学相らの閣内不一致の発言、放言の数々、枚挙に暇のないほどボロボロ、ガタガタ、満身創痍の状態である。そしていくら首相が否定しても、参院選前の内閣改造の可能性が語られる始末である(3/1、自民・丹羽雄哉総務会長)。そのタイミングは、予算成立後の3月下旬、首相が訪米する5月の連休明け、国会が閉会する6月下旬のいずれかだなどとささやかれているという。
 首相本人は、求心力も指導力も発揮できない自らの非力な現状を打破しようと、自らのよりどころをあらためて保守反動の右派回帰路線、戦後民主主義の成果に敵対心をあらわにし、その成果を奪い取る路線に軸足を設定、内閣の結束の乱れを、憲法改定のための準備法案としての「国民投票法案」の早急な成立によって政府・与党を結束させ、3月中に法案の衆院通過を経て、5月3日の憲法記念日までには成立させると声高に言い始めた。その行き着くところ、憲法改正を前面に掲げて参議院選挙を闘う、その最大の争点にしたいなどと言い出したのである。その危険な路線の暴走の可能性は依然として高いが、しかしそれでも、5月3日にこだわるのは無理があると判断したのであろう、「基本的には法案は成立すればいい。いつまでにというよりも成立することが大切だ」と表現を変えだした。

<<人権メタボリック症候群>>
 その他のこの政権が直面する政策課題についても、この政権の軽さといかがわしさは、次から次へとさらけ出されている。資本の要求を露骨に代弁した残業代不払いを合法化するホワイトカラー・エグゼンプションなる労働法改正は、いったん提出を決めながら、土壇場で労働界はもちろん、各界各層からの猛烈な反発を恐れて首相自ら見送りを発表せざるをえなくなった。とりわけ首相が力瘤を入れた教育改革については、教員免許の更新制やいじめる子供に対する登校停止処分などを目玉とする教育再生会議の第一次報告を性急にまとめさせたが、これとてさまざまな反発に直面して迷走状態、教育三法の策定へ答申づくりを督促された中央教育審議会はまとめきれずに両論併記、という事態である。修正取り引きの共謀罪、最低賃金法改正案、社保庁改革法案等々、いずれも迷走、そしていまや格差是正・「再チャレンジ」政策など単なる思い付きでしかなかったかのように放擲されている。もちろん、この軽さといかがわしさの中にも、民主主義と基本的人権、労働基本権を出来るだけ徹底して切り縮めると言う姿勢だけは一貫されている。
 その象徴が伊吹文部科学相の「人権メタボ」発言であろう。独自の民族的存在であるアイヌ系住民や在日韓国・朝鮮人の存在を無視した「(日本は)大和民族が統治した同質的な国」発言に引き続いて、昨年12月に改正された教育基本法に触れて、同法の前文に「公共の精神を尊び」という文言が加わったことについて、これは「日本がこれまで個人の立場を重視しすぎたため」だと個人の自由を抑制する狙いを明らかにし、さらに「毎日バターばかり食べていれば、皆さんはメタボリック症候群(内臓脂肪症候群)になる。人権だけを食べ過ぎれば、日本社会は人権メタボリック症候群になる」と発言したのである。そして安倍首相自身がこの発言について、「特に問題あると思わない。権利には義務がつきもの」と平然と肯定し弁護したのである。この首相にしてこの文部科学相ということであろう。
 この発言に対しては2/27、アムネスティ・インターナショナル日本は安倍首相と伊吹文部科学相に人権否定の発言として申し入れを行い、
「『権利に義務がつきもの』という考えはその通りです。しかし、市民が持つ権利とセットになっている義務を負っているのは、国家、政府です。市民の権利を実現するための義務を、国家、政府が果たさなければならないのです。それが『権利には義務がつきもの』の意味であり、国際的な人権基準の基本的な考えです。その責任当事者である総理大臣と閣僚が、『権利には義務がつきもの、そのためには規律が必要』と述べて市民の規律重視を打ち出すという姿勢は、自らの責任を放棄し、市民の権利を無視する態度に他なりません。」と明確に指摘している。この視点は多くのマスメディアにも欠落している視点である。

<<「万が一負けても」>>
 こうしたことの当然の帰結として、今や安倍内閣の支持率下落に歯止めがかからない事態である。各メディアの世論調査では不支持が支持を上回る逆転が相次いでいる。このままでは参院選では過半数割れしかねない、敗北の責任を取って総辞職という危機感が現実のものとして実感されたのであろう、小泉前首相が「鈍感力が大事。いちいち気にすることはない」と指南役を買って出、3/7には、安倍首相、小泉前首相、中川幹事長の三者懇談が持たれ、小泉氏は首相に「自信を持ってやりなさい」と助言し、7月の参院選について敗北を前提にしたのか、「万が一負けても参院選は政権選択の選挙じゃない。堂々と胸を張って『野党の主張にも耳を傾けてやります』と(言えばいい)」と述べる事態に立ち至っているのである。参院選を戦う前から敗北を前提にしているとはあきれたものであるが、政権発足後半年も経たないうちにすでに安倍政権は末期的症状に冒されているのである。
 しかしそれでも前首相に励まされたおかげか、安倍首相は「支持率のため政治をやっているわけではない」と繰り返すようになり、支持率低落の焦りから一転強気姿勢に転じ、中川幹事長の「絶対的な忠誠」発言を逆手にとって、郵政造反組であった衛藤晟一・前衆院議員の復党を「思想信条をともにする同志」としてゴリ押し、それでも復党審査では、賛否は7対7、欠席者3人の書面提出でやっと賛成多数というきわどさである。
 問題は、その「ともにする思想信条」が従軍慰安婦問題であり、それと関連する「河野談話」見直し問題であったところに、安倍内閣のいかがわしさを際立ててしまったところにある。
 首相はこの3/1に、「1993年の『河野談話』が認定した強制性を裏付ける証拠はないと考える」と語り、3/5には従軍慰安婦に対する公式の謝罪を要求する米国下院の決議が通過しても日本政府が再び謝罪することはないと発言したのである。さらに首相はこの日、自身の発言を批判する野党議員に対し「あなたは日本を見下げているのか」と受け答えたのである。多くの女性を性的奴隷として戦場に拉致・連行した過去を反省する姿勢や態度さえ表さない、なんともやりきれない愚劣極まりない発言である。
 こうした首相の発言に力を得て、3/8、自民党の有志議員でつくる「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」会長の中山成彬・元文部科学相は、首相官邸で安倍首相と会い、従軍慰安婦問題をめぐる93年の河野官房長官談話が「数々の誤った認識を生んでいる」として、政府に事実関係の再調査を求める提言を手渡す事態となっている。

<<「強制性はなかった」>>
 首相は一方で、「河野談話は基本的に継承している」と言いながら、「狭義の意味で強制性を裏付ける証言はなかった。いわば官憲が家に押し入って連れて行くという強制性はなかったということだ。」と河野談話を否定しているのである。首相は、首相に就任する以前は河野談話を公然と非難していたが、首相に就任すると一転して河野談話をしぶしぶながらも認めざるをえなかった。ところがこの間の政権運営のつまずきから、またもや右翼返りで反転攻勢に出ようとしたのであろう、ところがこの発言は世界的なブーイングの対象となってしまった。
 そもそも、1993年8月に発表された河野洋平官房長官(当時)による談話は「日本軍の慰安所は軍が設置した。軍慰安婦の募集は、主に軍の要請を受けた民間業者が行ったものの、虚偽の甘言や強制によることが多く、官憲が直接加担したこともあった」として、日本政府の関与を公式に認め、同時に、談話の背景となる調査結果をまとめた内閣官房外政審議室の文書も発表し、その結果、明らかになった事実として、
 ――慰安所の開設は、当時の軍の要請によるものだった。
 ――慰安所の経営・管理は、軍が直接経営するか、民間業者の場合も、軍は直接関与した。
 ――「慰安婦」は、外出時間や場所が限定されており、「戦地においては常時軍の管理下において軍と共に行動させられており、自由もない、痛ましい生活を強いられたことは明らか」だ。
 政府は、こうした結論を根拠づけた当時の公文書も明らかにしたのである。
 だが首相は、この「河野談話を継承する」としながらも、「日本政府の直接的な責任を認めてはならない」と主張しているのである。首相は3/5の発言で「米国で決議が話題になっているが、事実誤認があるというのが私どもの立場だ。決議があったからといって、我々が謝罪するということはない。決議案は客観的事実に基づいておらず、日本政府のこれまでの対応も踏まえていない。米議会内の一部議員の動きを受けて、引き続き我が国の立場の理解をえるための努力を行っている。下院は判断していない。まだ案でしかない。」と述べている。

<<「過小評価するのは誤り」>>
 首相が問題にしている米下院の決議は、「慰安婦」の虐待および被害の償いのための民間基金「アジア女性基金」の権限が2007年3月31日に終了し、基金は同日付で解散される。このため、以下、下院の意思として決議する。として
日本政府は、
(1)一九三〇年代から第二次世界大戦を通じたアジア太平洋諸島の植民地支配と戦時占領の期間、日本帝国軍隊が若い女性に「慰安婦」として世界に知られる性奴隷を強制したことを、明確にあいまいさのないやり方で公式に認め、謝罪し、歴史的責任をうけいれるべきである。
(2)日本国首相の公的な資格でおこなわれる公の声明書として、この公式の謝罪をおこなうべきである。
(3)日本帝国軍隊のための性の奴隷化および「慰安婦」の人身売買はなかったといういかなる主張にたいしても明確、公式に反論すべきである。
(4)「慰安婦」にかんする国際社会の勧告に従い、現在と未来の世代に対しこの恐るべき犯罪についての教育をおこなうべきである。
 というものである。アジアと世界の平和と人権、日本の信頼回復のためには当然の決議内容と言えよう。この決議に安倍首相が噛み付いているわけである。この安倍発言によって、同決議案の共同提出議員数が逆に増加、新たに十人が加わり、現在三十六人になっているという。3/9、シーファー駐日米大使でさえ、「決議案は拘束力のないものだが、この問題の米国での影響を過小評価するのは誤りだ」と述べ、「米国には、河野談話からの後退を望む日本の友人はいない」とも語り、河野談話の見直しを模索する自民党内の動きを批判している。
 ニューヨーク・タイムズは6日付の社説で「日本は1993年の謝罪談話を見直すのではなく、より拡大しなければならない。また日本の議会は従軍慰安婦問題に対して率直に謝罪し、生存する被害者に十分な公式の賠償をするべきだ。安倍首相をはじめとする日本の政治家が過去の恥ずべき行いを認めるのがその過ちを克服する第1歩であることを悟るべき時だ。」と述べている。
 5月訪米を前にして、首相は火消しに躍起となっているが、今や遅しと言えよう。
(生駒 敬)

 【出典】 アサート No.352 2007年3月17日

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