【本の紹介】ブレア労働党の新しさと危うさ
「ブレア時代のイギリス」 山口二郎著 岩波新書 2005年11月
本書において著者は、社会民主主義の新しい路線である「第3の道」を掲げて、1997年5月18年ぶりに保守党から政権を奪い返したブレア労働党政権の姿を、福祉政策・民主主義と地方分権・外交政策・政治戦略の各分野について具体的に分析する。その分析を通じて、著者はイギリスにおける「新しい社会民主主義の実験」とも言える「ブレア時代のイギリス」の姿を描くと共に、ブレアの光と影を明らかにする。そして、終章<ポスト新自由主義時代の「左」と「右」>において、社会民主主義と新自由主義の対抗軸の在り処をさぐろうとされているのである。
<ニューレーバーの政権前夜>
第一章は、1997年の政権奪還までのイギリス政治について書かれている。象徴的な二大政党制の国として理解されているイギリス。旧来の社会民主主義と福祉国家政策が経済の停滞を生み、サッチャー保守党に労働党が政権を追われたのが、1979年。サッチャーの新自由主義に、国民が不満を募らせていた15年後、イギリス労働党はニューレーバー(新しい労働党)として、生まれ変わる。1994年、41歳のブレアが労働党党首に就任するのである。
1994年から1997年までは、政権奪還をめざしてのブレアによる労働党の転換が行われる。その第1は、党綱領第4条の改正であり、生産手段の国有化条項の削除が焦点になった。これが、旧来の社会主義路線・福祉国家論からの決別を示すことになる。また、本来野党である労働党の党内論議を公開し、メディアの前で行い、それを主導することで、ブレアに対する党内外からの信頼も人気も高まるという経過をたどる。従来労働組合が大会代議員の多数を確保できる規定なども紆余曲折ありつつも改正され党内改革も進んだ。保守党に勝つためにはブレアしかない、という空気も存在し、左派と言われるグループもこの流れを進めないわけにはいかなかった。「彼らの多くは伝統的な左派的理念を持っていたが、同時に政党は政権につかねば意味はないという現実感覚も兼ね備えていた。」–日本の社会民主主義派には、この感覚は極めて希薄だ。
第2は、政策面における「脱社会主義化」と「グローバル化への対応」である。
「脱社会主義化とは労働党の伝統であった国有化や『大きな政府』路線と決別し、市場経済を前提としながら、その中で社会主義や公平を追求する路線である」
そして、グローバル化への対応とは、従来の福祉国家論による弱者救済の枠組みでは、福祉予算の肥大化が進み、資本や富裕層が負担を嫌って国際化していくという流れの中で、旧来の福祉国家路線が放棄され、グローバルな競争の中でも、自立して働くことができる人間を育成するための雇用政策の柔軟性であり、教育の重視であった。
<福祉政策はよみがえったか>
第2章で著者は、政権を取った労働党の福祉政策を検証する。低所得層中心の減税政策・自立のための子育て支援、雇用政策の重視、医療改革、社会的排除から社会的包摂へ、そして、教育政策の光と影である。
特に興味を引くのは、雇用政策の重視と教育改革であろう。
仕事に就いて自立する意欲のある人を支援する政策の整備がされているという。65歳以下の男性、60歳以下の女性が対象で、就労していないか、週16時間以下の就労をしている場合、求職者給付が行われる。日本では失業給付にあたるだろう。しかし、モラルハザードを防ぐため厳重な条件がある。申請を出したあと面接を受け、失業者給付のルール説明を受け、探している仕事の種類に応じた相談、訓練、情報を得ることができる。月に2回「ジョブセンター・プラス」に出向き、面接を受けなければならない。これを怠ると減額される。就労自立支援と給付がリンクされている。
さらに、若者の就労対策として「ニューディール・プログラム」があり、18歳から24歳の若者に対して、最初4ヶ月間、個人アドバイザーによる指導を受けることができ、その後6ヶ月間の就業訓練、ボランティア活動、フルタイムの技能訓練、環境保護団体での就業の4つから選択する。活動中は失業給付に相当する給付を受けることができるというわけである。
これらに共通するのは、単なる貧困対策ではなく、あくまでも自立の意志が問われていることであり、意志にあるものには、給付を行うという姿勢である。
<労働党の教育政策>
教育面では、労働党は予算を大幅に増やすとともに、競争の側面を強めている。これは大いに議論のあるところであろう。
労働党の教育政策の特徴は、以下の2点である。第1は、経済政策の一環としての教育改革と言う位置づけである。グローバルな経済競争が激しくなると、国の競争力を高めるためにも労働力の質が問われる。教育への投資は経済政策でもある。中等教育の強化による基礎学力の向上が求められた。
第2は、社会正義を実現するための教育政策という位置づけであり、能力はあっても貧困のために力を発揮できないことはあってはならない、と言う意味で不公平、不平等をなくすために質の高い教育が必要だというわけである。これは、公正や平等という労働党の強い伝統でもある。
労働党は、政権発足以来教育予算を増やし、2008年には政権発足時から教育予算を2倍にするという施設の改善、教員の増員と待遇改善も進められた。しかし、一方で、教育の「成績主義的」側面も強化され、締め付けも強化されているという。全国の学力テストの平均点がホームページで公開されたり、まともな授業ができない学校は最悪の場合廃校にするというわけである。
著者は、経済政策の一環としての競争力強化の教育政策という側面と、公平・平等を実現するの教育政策の二つの側面を持った労働党の教育政策について「前者との関連については、過度の成果主義、中央集権的な統制と評価という弊害が現れているが、後者との関連では、機会の平等を実質化するための様々なプログラムという特徴が指摘できる。・・・この両者の並存について労働党自身自覚的な説明・整理はつけられていない」としている。
<「政治の人格化」–民主主義の危機>
第3章は「民主主義の危機と好機」と題され、圧倒的強さをもったブレア労働党が、ある意味での独裁的側面を持つに至った問題について分析されており、「政治手法の面でブレアや労働党の新しさと危うさ」に焦点をあてている。
18年ぶりに労働党を政権に復帰させたブレアの政治には「民意を反映したダイナミックな政治の変化という側面と、権力者が巧みなイメージ操作で国民の情緒的な支持を集めるという新しい側面が混在」しており、ブレア政権が何らかの政策を推進しようとする時、これを掣肘・阻止することは極めて難しいという。「選ばれた独裁者」と呼ばれることもあるという。特徴的なのは、イギリスのイラク戦争参戦の決定である。
著者は、ブレアが強いリーダーになり得た要因として、労働党の歴史的経緯、イギリスの政治制度、ブレア個人の資質を挙げる。
歴史的経緯とは、党首就任以来、党綱領第4条(国有化条項)削除にいたるリーダーシップ、政権交代の可能性はブレアしかないという労働党支持者の意識であり、政治制度としては、完全小選挙区制の下で政党の中央集権化がある。そして、ブレアの人格・資質である。
この章では、政治家個人の人格的要素の重要性が高まっていることについて、著者は焦点をあてている。
「政治において政治家個人の人格が大きな意味を持つようになったという変化は、政党の衰弱と表裏一体の現象である。」と著者はいう。20世紀末より、政党の土台を構成した社会の利害対立が見えにくくなり、職業政治家の集団としての政党が長期間存在することで既成政党は既得権を守るだけの保守的な存在でしかない、という否定的なイメージが広まっていく。
こうして従来の政党や組織を政治行動の単位とする代表民主政治に対する不満が高まると、リーダーは直接国民の支持を獲得しようとする。民意を政策決定過程に直接伝えることで、ダイナミックな政策転換を図るようになる。このようなリーダー個人の魅力やイメージによって国民の支持を動員して、選挙の勝利、重要政策の推進を図る政治の手法拡大を「政治の人格化」と呼ばれる。
そして、「政治の人格化」が進むと、利益圧力団体や官僚組織を超えて、直接国民に訴えかける手段としての「メディア戦略」が決定的な意味をもつことになる。
実際、ブレアの場合も、党首就任後は、党綱領改正問題で、メディアを活用し、「難題を解決するリーダー」のイメージを確立する。党内には「コミュニケーション総局」が力をもち、演説、コメント、談話など、すべてブレアの言動は、ここでコントロールされた。労働党がイデオロギー政党ではなく、ブレアというリーダーを軸に結集した新しい政党であるという最新の情報管理が行われたという。
従来の勤労階層から新しい支持者獲得にあたって、ブレアは、こうしたイメージ戦略で、いわば「反既成政党」政治を展開し、ニューレーバー(新しい労働党)支持を強固にしていくのである。
ブレアの「反既成政党」政治は、日本における小泉政治に酷似しているといえる。自民党をぶっ壊すと既成政党を否定し、改革のリーダーのイメージを作りあげた。国会で郵政法案が否決されると、国会を解散し、直接国民の判断を仰ぐのだと総選挙で「民意」を問い信任を得ると言う手法。その過程では、メディア戦略が仕組まれていた。
著者は、こうした「政治の人格化」過程については、合法性を無視したところからは独裁が始まると、その危うさを指摘する。
一方、ブレア政治は、その独裁的側面の対極に、地方分権の実現やNPO・NGOの活動促進・支援策を強めているなど、民主主義の活性化を進めている事も指摘されている。
<ブレアの外交–イラク戦争への参戦をめぐって>
イギリスのイラク戦争への参戦は、労働党政権によるものでもあり、我々の期待に反するものであった。しかも、大量破壊兵器の虚偽情報により決定がなされたことが明らかになり、ブレア労働党の汚点となった。本書では、米英協調というイギリスの外交の基本的スタンスを明らかにしながらも、なぜ危険を冒しても参戦したのか、という疑問の解明に三つの議論を紹介するに留めている。第3の解釈として、すでに米英軍の一体化(技術面・情報面)が進んでおり、共に参戦しないならば、今後「軍事力の行使」ができなくなる、という事情があったという現実を指摘されている。
未だ著者にも疑問は解けないという上で、参戦決定前からフセインが悪の温床であるというキャンペーンが浸透し、「大量破壊兵器の証拠があり、国連決議があれば」参戦に74%が賛成していたという事実がある。一方「証拠もなし、国連決議のない」場合は、63%が参戦に反対、という世論の状況であった。
結果は、後者であることが明らかになり、2005年の総選挙は、労働党が苦戦する原因になるわけである。
<ブレア政治の旧さと新しさ>
第5章では、ブレア政治の8年間について、イギリス国内の肯定論、否定論、現実的アプローチ派の三つの評価を紹介されている。
「第3の道」路線が、新自由主義路線の部分的吸収と旧来の社会民主主義路線からの転換という、ある意味折衷的な側面を持っているため、外交面での評価を別としてもブレア政権への評価は、政権与党であるが故に党内外両面から厳しいものがあるようだ。
「半分もできていない」と「半分も達成している」との評価の違いは、事実よりも評価する側のスタンスの違いとも言えるからだ。ただ、保守党政権になるよりは、「鼻をつまんでも」労働党に投票しよう、というのは、2005年総選挙では通用したが、すでに限界ではないかと指摘される。
<ポスト新自由主義時代>
終章において、著者は日本とアメリカを例に、新自由主義が未だ命を永らえている現実に対しての分析と社会民主主義派への提言を行っている。
分析の手法として、「生存のリスク」と「生活のリスク」を取り上げる。生存のリスクとは、戦争やテロ、犯罪など秩序を破壊し、生命や身体に対する脅威となるリスクである。「生活のリスク」とは、社会経済的なリスクであり、人間らしい生活を脅かす失業やインフレ、医療・教育の荒廃などを現している。
すでにサッチャーの18年によって、新自由主義の限界を認識した国イギリスでは、保守党ですら、「小さな政府論」を看板にしていない。では何故日本やアメリカでは、未だ新自由主義が跋扈し、リスクの社会化を目指す社会民主主義が支持を得ていないのか。
特にアメリカでは、テロに対する不安、まさに生存のリスクを訴えてブッシュは生き延びている。新自由主義や小さな政府論は、テロや戦争の危機・緊張を訴えることで生存のリスクを強調し、生活のリスクを隠蔽するのである。さらに、リスクをめぐる情報提供に権力が介入する。ブッシュによるメディアへの介入が強められている。
日本では、靖国参拝や拉致問題、中国との関係悪化などのリスクの意図的な惹起によって、国内の生活のリスクを覆い隠し、官僚批判・公共政策の批判により新自由主義が、一定受け入れられていると分析されている。
本書全体を通じて、著者はブレアの挑戦について、やや前向きな評価の立場に立たれているとは言え、これが21世紀社会民主主義のモデルであるとは、言い難いとされる。それは、特に平等についてある。
それは労働党の雇用政策について象徴的である。結果の平等でなく、スタートラインとしての機会の平等を保障するべきであり、その後に来るのは、メリトクラシー(能力業績主義)である。「ニューレーバーの考える平等とは、メリトクラシーの中での公平な競争に主眼が置かれている。・・・『格差解消としての平等』ではなく、だれもが同じスタートラインに立ち、同じ条件で競争するという『可能性における平等』が彼らの考える平等である。」
競争には必ず敗者が生れる。競争の中では、敗者になるリスクが一層強まる。不安が増大することになる。この問題にブレアの労働党は正面から向き合っていないと著者は批判するのである。「メリトクラシーの文化を共有する者だけの機会の平等から、より多様な生き方を許容する社会にできるかどうか、今後の労働党政治の課題である。」
<日本政治のイギリス化>
長いあとがきの中で、小泉自民党が圧勝した2005年総選挙について分析も行われている。詳細は本書を読んでいただきたいが、イギリス労働党ですら18年の野党生活に耐えて復活を果たしたのであり、日本の民主党も長期の野党時代を覚悟できないなら、新たな野党を作るしかないと結ばれている。政治において一番必要な信頼と言う問題において、野党第一党が今回の偽メール事件で大混乱に陥っている姿は余りに情けない。ブレアと逆の立場から「政治の人格化」を推し進めた小泉路線を理解する上でも、是非本書を読まれることをお勧めしたい。小泉政治の光と影もまた浮かび上がるに違いない。(2006-03-21佐野秀夫)
【出典】 アサート No.340 2006年3月25日