【追悼】鈴木市蔵さん、ありがとう

【追悼】鈴木市蔵さん、ありがとう
                       小坂 貢

 2006年1月29日、鈴木市蔵さんが亡くなられた。享年九十五才。
 鈴木さんといっても、いまや大方の人々はご存知あるまいが、朝日新聞社編(1990年12月10日発行)・「現代日本朝日人物事典」によると
  「鈴木市蔵。1910年3月25日生れ。神奈川県真鶴町生まれ。鉄道教習所卒。戦前から全協などの運動に加わり、何度か検挙された。1934(昭和9)年、国鉄品川電車区に就職。戦後は国鉄総連合の結成に参画、副委員長として左派をひきいた。47年「二・一スト」のトップリーダーのひとり。日共にあっても幹部会委員にまでのぼり、62年には参議院議員に当選したが、64年「部分的核実験停止条約」に党議に反して賛成票を投じたことから除名され、志賀義雄と共に、日共(日本のこえ)を結成した後、フリーの立場で、政治評論などの執筆活動を続けている。」とある。
 
 私が初めて鈴木さんを知ったのは、「二・一スト」の新聞報道写真と、ニュース映画での映像を通してであった。国鉄の制服のよく似合う、ハンサムで精悍な風貌、声のよく通る、雄弁な演説と、時の占領軍総司令官マッカーサーの「スト中止指令」を、口惜し涙にくれながら、ラジオで放送する伊井共闘会議議長の姿は、未だに瞼に焼き付いている。
 しかし、十七歳になったばかりの当時の私には、労働組合も、共産党も全くの門外漢であった。
 その私が、「二・一スト」から四年後、「日共」に入党し、その後十三年間という月日を健闘したあげく、63年(昭和38)に除名され、これも「二・一スト」の余波で根こそぎつぶされた「全財務労働組合」を、数年かかって再建した「全国税労働組合」からも追放されるという皮肉な運命を迎えることになった。
 その翌年、とある洋菓子メーカーの社長の好意でアルバイト中の私に、故八木茂君(元日共機関紙「アカハタ」記者)と秋田三男君(元法律事務所員)から電話がかかってきた。“オイ!手伝うてほしいことがあるんや、オッさんを助けてほしい”。聞けば「日本のこえ」大阪事務所常任への誘いである。「オッさん」とは志賀義雄御大のことだった。
 私には、「獄中十八年」を貫いた志賀義雄さんは、まさに「雲の上の人」であり、鈴木市蔵さんも、労働運動、共産主義運動の大先達であった。
 当時、志賀さんは六十三歳、鈴木さんは五十四歳、東京から赴任した事務長をつとめた津京さん三十五歳、私三十四歳、八木君三十三歳、秋田君三十一歳と、皆まだ若かった。
 しかし「代々木」共産党の反党分子に対する攻撃は凄まじく、かつての大幹部である志賀、鈴木両氏を悪しざまに「裏切り者」「ニセ共産党」の悪罵はおろか、抹殺すべき「蛆虫」扱いであった。
 “くそっ!今に見ておれ”、まだ若かった私たちは、歯がみしながら反撃を開始した。
 志賀さんも決意した。次期総選挙に立候補する準備である。若い、といっても私たちと同年輩の、皆「ヤメ共」を数名誘い入れ、大阪市大、阪大を中心とする「民学同」の学生諸君の加勢を得て、67年(昭和42)の第31回衆議院選挙で「代々木」共産党を主敵として、彼らをを打ち負かすこと。目標は出来た。元気百倍、約三年余の呻吟、苦汁の成果は、当選はもとより二の次、「代々木」に勝つことを目指したのであった。
 多勢に無勢、仲間たちは「ポスター貼り」から「立看板」、「演説会場の設営」、演説の「前座」、「弁士」と一人数役をこなしながら、そうだ、時には警察にも捕まっても闘い抜いた。
 総選挙の結果は、約三万八千票対三万。選挙事務所に押しかけた新聞記者は三十名ぐらいだったと思う。志賀さんが温顔をほころばせて登場した時、私はびっくりした。記者連中が「志賀先生!」と一斉に叫ぶや否や、ワーッと泣き出したのである。私のそばにいた八木君が小声で「小坂!うつむけ、泣いたふりをしろ」、「代々木」に勝った、その内心の喜びと安堵感が私たちの表情に正直に現れていたのだろう。私は八木君の指示に従って、机上のそろばんに手をかけたものだ。
 そこへもう一撃! 大阪一区から立候補して当選した自民党の大物・菅野和太郎氏から、「志賀君、残念だ・・・」に始まる長文の友情あふれる電文が読み上げられたのである。
 新聞記者のすすり泣きは、やむ間もなく、自然と私の瞼にも涙がにじみ出たことが思い出される。美しい光景であった。
 “闘い終わって、日が暮れて”、そして我々は大阪事務所を残して、それぞれの道を歩んだが、私が国税労働運動で受けた数々の弾圧処分、国家公務員法違反によるーー戒告、停職一ヶ月から三ヶ月の量刑と集大成の刑事事件(暴力行為等処罰に関する法律違反と建造物侵入事件)での最高裁までの戦いの結果、税理士試験での特例不適用という、当時の非人間的待遇を、鈴木さんは真剣に心配し、国鉄時代の同年輩の友人、近藤計理士(後、公認会計士に移行)を紹介頂き、近藤先生にもお世話を蒙ったことをいまさらながらに有り難く、御礼申し上げる次第です。鈴木さん、いろいろとご苦労様でした。
 どうかごゆっくりお休みください。志賀さんによろしくお伝えください。私の酒飲み親友だった八木君とも碁を打ち、飲んでやって下さい。--合掌ーー

 【出典】 アサート No.339 2006年2月25日

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