【本の紹介】成績主義批判の現在
–「虚妄の成績主義」と「内側から見た富士通」–
2冊の本の紹介を通じて、「成績主義賃金」の批判の現在について考えてみたい。 『虚妄の成績主義–日本型年功制復活のススメ–』(高橋伸夫 日経BP社 2004年1月)と『内側から見た富士通–「成績主義の崩壊」–』(城 繁幸 光文社 2004年7月)の2冊である。2冊とも大いに話題となって雑誌などでも取り上げられ、ビジネス書としてはかなりの販売数が出たと思われる。それだけ成績主義賃金制度に対して不安や混乱・疑問が溢れていることの証左でもある。
「虚妄の成績主義」の高橋教授は、連合の機関誌「連合」10月号の特集『どこまでやる気・・・「成果主義」』にも、問題提起を掲載されているし、一方の「内側から見た富士通」の城氏は、文芸春秋11月号に、富士通凋落の責任は経営者にあるとの一文を寄せられるなど、話題の本でもある。
前書は、かねてより成績主義的賃金制度に反対の論陣を張ってきた高橋教授が実際に企業人事担当者とのヒアリングを通じた企業の実態、人と仕事との関係において、賃金の高い低いよりも、より達成度の高い仕事をし続けられる企業環境の確立こそが必要であるという観点でから、明確に成績主義賃金を批判したものであり、「日本的年功制」が持つ優位性を解明し、積極的に年功制を擁護されている。一方、後書は著者本人が、富士通人事部に在籍した経験を持ち、成績主義によって如何に企業が蝕まれていったかを、経験を交えて解明しようとした内容をもっている。
いずれも、進行している「成績主義重視の人事制度の流れ」に批判的であることは共通しているが、前者が短期的な業績・成績にのみを重視した制度では、企業存続の基礎としての人材育成ができないこと、仕事そのものは賃金の高い低いではなく、「仕事のやり甲斐」と未来を托せる会社と感じられることによって遂行される、そういう意味で積極的な「長期雇用と一定の年功制」の必要性を結論としているのに対して、後者は、管理職評価の実施、評価の公開などを必要不可欠とした上で成績主義導入には時代の流れでは、との結論を行っている。
方向性は異なるものの、現在進行している「成績主義賃金の導入」が、好ましい結果を生むことなく、むしろ一時期企業経営者からもてはやされた空気から脱して、冷静な議論が必要な時期に至っていることを示しているように思える。
<「虚妄の成果主義」>
著者は、「はじめに」において、端的に結論を述べている。
「私がこの本で主張していることは簡単なことである。日本型の人事システムの本質は、給料で報いるシステムではなく、次の仕事の内容で報いるシステムだということである。仕事の内容がそのまま動機づけにつながって機能してきたのであり、それは内発的動機づけの理論からすると最も自然なモデルであった。他方、日本企業の賃金制度は、動機づけのためというよりは、生活費を保障する視点から賃金カーブが設計されてきた。この両輪が日本の経済成長を支えてきたのである。「賃金による動機づけ」という呪縛から抜け出してしまえば、本当のことが見えてくる。今からでも遅くはない。従業員の生活を守り、従業員の働きに対しては仕事の内容と面白さで報いるような人事システムを復活・再構築すべきである。それは『日本型年功制』の究極の姿である」と。
第1章では、流行に乗って成績主義を導入してみたものの、むしろ矛盾が噴出している実態が語られる。1年で成果を出すために低い目標を設定する社員の急増、マニュアルに従い、点数をつけたものの出てきた結果は、本人も周囲も納得できないもので、評価した上司は「マニュアルを作ったヤツが悪い」と居直る。逆説的だが、窓際族的に集められた部署が心気一転がんばって成績がダントツとなり、辞めさせたいのに、できなくなった会社などなど。
成績主義と連動している年俸制についても、この制度を導入する会社には、二つの種類がある。一つは新しくできた会社などで、中途採用者が多く長期雇用が始まっていないケース。しかし、新入職員を採用するようになると、年功的要素を含む制度に移行していく場合が多い。(「自前で人を育てられない新興企業は年俸制を志向する」)もう一つは、成績主義とは名ばかりで、賃金を自由に切り下げる事が目的であったり、業績が下向きになった場合など社員のせいにしてしまう会社に多いという。
著者が主張するのは、前述のとおり、成績と賃金を連動させても、それだけで業績が上がり、優秀な社員が集まるという理論的には成り立たない。それは、2章以下において述べられる。成果主義的な試みは、欧米でも100年以上も前から導入・検討されてきた経過があって、金銭的動機は業績には逆に悪影響を与えるとすでに結論がでているとしている。
<「内側から見た富士通」>
「虚妄の成果主義」にも例示された成績主義の失敗例、それを内部告発的に富士通について語られるのが、「内側から見た富士通」であろうか。(著者はすでに同社を退職)
同社は、1992年にバブル崩壊も重なり、初の単年度赤字に転落する。シリコンバレーに同社調査団を派遣し、エンジニア達が成果に応じた報酬を受けて高い成長を実現していると、成績主義の導入を決定した。翌年1993年から管理職の年俸制を導入、1997年には中堅社員以上に、そして1998年に等級制度を一般社員に導入し、資格制度を廃止、システムは全社員に適応されることとなった。
しかし、この制度の導入と正反対に、2001年のITバブル崩壊後、大規模リストラを断行した後も、ひとり富士通は2年連続最終赤字1000億円を越えることとなった。その最大の原因こそ、誤った成果主義の導入であったと著者は言う。
富士通の成果主義のシステムは著者によると以下の通りである。
基本は目標管理制度ということになる。全社の目標、部門の目標が立てられ、部員・社員がそれぞれ目標を設定し、その結果が評価の対象となる。その結果が賞与や昇給額に反映される。さらに裁量労働制が導入され、費やす時間ではなく結果を出す事が求められる。
ただ、こうしたスーパーパフォーマーを生み出すはずだった夢は、2000年に入ると業績悪化となって現出。株価も10分の1にまで下落する。一方で人件費総額は2割アップし、成績主義にも関わらず、従業員の離職率が増加、優秀な人材ほど会社を去っていく、新卒社員ではない中途採用応募者の質・量共に低下する。導入前には溢れていた全社一丸といった愛社精神も低下しはじめた。
どうしてダメになったのか。ここからが本書の核心となる。そこには余りにひどい富士通の実態がある。
<社員はこうして「やる気」をうしなった>
評価は、SA・A・B・C・Dの5段階評価なのだが、あらかじめ人事部により中学校の成績のように割合が決められていた。成果よりも評価の割合が優先したためがんばってもBという評価が出るなど、矛盾が噴出した。また、優秀な大学出身者にはあらかじめ幹部候補生として、いい評価が振り当てられる。目標シートは評価の際、チェックもされず、残業時間と有給休暇・勤怠のみで査定が行われていた。同じ営業部でも販売部門と保守点検のサポート部門ではあらかじめ評価が決まっていた。勢い裏方的で地味な部門の評価は低くなった。
制度導入後、数期が経過するとはっきりと特徴が現れてくる。製品品質が低下しはじめ、はっきりと社内の空気が変わってきたという。1割と言われる「できる社員」は、裁量労働制を選択し時間外手当を失ったが、それ以上を賞与のアップで稼ぎ、普通の社員は時間外労働を「作り出し」、残業手当を積み上げた。その結果、人件費は2割アップとなったが、業績は落ちていったという。
「こうして社員は、まじめにやっても結局は疲れるだけになった。」という。その後、不満の解消を目的に「評価割合の解消」が行われたが、これが逆に誰でもAが付くというような「評価のインフレ状態」を生み、さらにボーナス原資は限られているために、上位評価を受ける社員の賞与も知らない内に減額される事態となり、これらの優秀とされる人材も、富士通に見切りをつけ、転職が続出する。
さらに具体的な実態が語られるのだが、これが「富士通の成績主義賃金制度の実態」であった。
著者は、経営者・管理する側が自らには役職賃金として年功で積みあがった高給を確保する一方で、社員には欠陥だらけの「富士通型成績主義」を強要してきたとし、「富士通凋落」の全責任は経営側にあると断じている。
<日本型成績主義の確立>
著者によれば、大企業は所謂団塊の世代に続いて、1980年代後半に入社したバブル期の大量採用社員が存在し、一定の年功賃金体系を維持し続ければ、給料・年金・健保負担など人件費負担は増大するばかりであり、人件費カットのために飛びついたのが成績主義であったとの結論である。ただし、年功制と成績主義とどちらがいいか、という論点は不毛であり、富士通の経過を踏まえて、「日本型成績主義の確立」が必要であるという。まず目標管理制度を廃止し、評価の専門家を育成し、評価のズレをなくす。成績は公開する、などである。
著者は1973年生まれの30代。若い世代の代表である。高給が保障されているのに働かない中高年社員に対して批判的であり、若い世代が成績主義の恩恵を受けていないという発想の原点があるように思える。
<成績主義幻想を捨てよ>
偶然だろうか、両著にはよく似た文章がある。高橋教授は、第4章を「未来の力の持つ力を引き出す」と題され、「未来には力があるのだ。日本型年功制は、その『未来の力』を引き出すために設計・運用されてきた。」と語る。一方、城氏は、「人間はなぜ働くのかと聞かれれば、それは「未来」のためだろう。・・・しかし富士通には未来はなかった。・・富士通を辞めた人たち何人かに会ったが、彼らも口をそろえて『あの会社には未来がない』と言った。」と。
二つの書物の結論にかなりの違いがあるものの、「成績主義幻想」から脱すべきだ、という共通点はある。民間企業の7割が何らかの成績主義を導入しているという現実とそれとどう向き合うか、という点において、大いに参考になると言える。
特に、こうした民間の流れを受けて、公務員にも評価制度の導入や成績主義的賃金体系を導入しようという公務員制度改革が動き出そうとしている現在、正面から受けて立つためにも。(佐野秀夫)
【出典】 アサート No.323 2004年10月23日