【投稿】福井豪雨を検証する 福井 杉本達也
さる7月18日の福井豪雨により、福井県の北部5市町は一級河川足羽川の福井市中心部における決壊をはじめ甚大な被害を被った。死者3名、行方不明者2名、家屋の全壊84世帯、半壊139世帯、床上浸水4319世帯、美山町を走るJR越美北線は橋梁流失5カ所で復旧には数年を要する等々すさまじいものであった。7月29日時点の被害集計では福井市が487億円、その他5市町で167億円と見積もられ、今後調査が進むにつれさらに膨れあがるものと思われる。
災害の原因は福井県上空へ南下してきた梅雨前線に南からの湿った空気が吹き込み、1時間に88㎜(美山町)という過去最高の年最大時間雨量の1.5倍もの記録的な集中豪雨が足羽川流域のきわめて狭い範囲に降ったことにある。池田町を源流とする足羽川は同町下池田付近で既に道路に越水する状態となり、美山町に入ってからは谷全体を濁流が埋め尽くし、同町高田大橋付近では通常30mの川幅が農地・道路部分を含め300mもの濁流と化して流れる状態となった。美山町の谷部を抜けた濁流は福井市安波賀地区の扇状地で氾濫しつつ平野部に入り福井市街地入口の橋脚等で堰き止められ、最も堤防高の低かった左岸の同市春日町で決壊し、市街地中心約4平方キロメートルが水没することとなった。
足羽川は福井市街地の西で日野川に合流し、さらに日野川は北に流れて九頭竜川本流に合流して三国町で日本海へ注ぐ。福井市はこの3河川の氾濫域に位置しているが、ここ数十年の河川改修技術の進歩により、足羽川が決壊するとは福井市民の誰もが予想しなかった。では、なぜ足羽川の堤防決壊はなぜおこったのか。
国交省によると、決壊地点の約8キロ上流で、当時毎秒1900トン程度の水量があったと概算している。現在工事中の足羽川の河川整備計画でも毎秒1800トンの水量しか想定しておらず、数時間内の集中豪雨による急激な河川の増水に未改修区間の市街地の堤防は対応できず足羽川の決壊は避けられなかったといえる(毎日:7月25日)。
水害当初、県・学者とも決壊の要因を確率洪水で説明しようとする論調であった。福井大学の荒井教授は「従来の河川整備は150年に1度の豪雨を想定するなど、過去の最大降雨量に耐えられるよう設計が行われてきた」が「これまでの範囲では足りなくなってきている」とし、どんな豪雨でも決壊しない堤防やダムによる洪水対策を福井新聞にコメントしている(福井:7月19日)。しかし、確率洪水の計画値を200年、300年とレベルを上げていったとしても想定外の集中豪雨に対応できるという保証はない。全ての水を河道に集める洪水処理対策はハード優先の考えであり、それがさらに洪水最大流量を増大させる。県は7月23日には「短時間に大量の雨が降った今回の豪雨は、国の基準の限界を示す」として「200年に1度」という確率洪水を訂正した(福井:7月24日)。
これまでの河川事業の思想は、降った雨水を川に集めて、海まで早く安全に流すことを基本とするものであった。しかし、元河川審議会委員・水資源開発審議会会長の橋裕東京大学名誉教授は「治水事業は大きな成果を上げてきたとはいえ、ひとつの限界に達している。…もはや堤防をより高く、河幅をより広げることは現実的でないとともに、土地問題への圧迫もあり、投資に対する治水効果としても疑問がある。…自然としての川の本性とその機能尊重する方向に転換する時機に立ち至っている。」と河道主義からの脱却を提言している(「科学」1999年12月)。
東海水害後の2000年12月、河川審議会計画部会は堤防やダムといった河川構
造物一本槍の河川事業の大転換を図る「流域での対応を含む効果的な治水の在り方」と題する中間答申を出している。答申では「近年頻発している集中豪雨等により極めて甚大な洪水被害を受けたところでは、その規模の洪水に対応できるよう河川改修を行った場合に、下流が流出量の増大に対応できない事態や、地域の基盤である宅地や農地の大半を堤防敷地として失ってしまうような事態を生ずるため」、これまでの連続堤方式による河川整備ではなく、河川の氾濫を前提として、「氾濫区域において、浸水区域や浸水深の実績についての情報を公開」するとともに、「建築物を新築する場合の制限」等の「土地利用方策を組み合わせた対策」を提案している。
2003年2月には上記答申を織り込んだ社会資本整備審議会河川分科会の答申が出されているので、同答申の「主要な施策展開」に沿って今回の福井豪雨の課題を検証してみることとする(美山町・池田町・鯖江市等の土砂災害については、砂防ダムのない福井市の浄教寺川や鯖江市の河和田川の被害が大きかったことなど、ダムの効果があったといえるが、別な角度からの検討が必要であろう)。
(1)「流域・氾濫域での対応を含む効果的な治水対策の実施」では「流域における
保水・遊水機能を確保する」ことがあげられている。ここ数十年福井市周辺部では農
地をつぶし大規模な区画整理が行われてきた。破堤の直接的な原因ではないものの保
水能力は確実に低下していた。特に今回越水した荒川(決壊箇所対岸で足羽川と合流
する)上流では東部第6区画整理事業をはじめ急激な宅地開発が進んでいた。また、「都市計画との連携」もあげられている。今回、足羽川に隣接していないが元々地盤高が低い市南部のみのり地区にまで濁流が流れ込み、被害が拡大した。本来的には宅地に不向きな場所が区画整理により宅地化されていったものであり、行政主導の無計画な都市のスプロール化が被害の拡大をもたらしたといえる。みのり・月見地区では足羽川の破堤前に既に内水により浸水していた。次に、「輪中提、宅地嵩上げ等の対策や土地利用規制等」があげられている。輪中堤は市街地では用地の確保が困難であるが、宅地の嵩上げは公民館などは可能であろう。今回は避難場所としての豊(みのり)公民館自体も水没している。また、市南西部に位置するみどり図書館も内水で浸水し地階が水没したが、元々沼地跡の深田を区画整理し、その事業費を生み出すために無理矢理保留地を設定した場所に用地を選定することを含め公共施設の安易な配置が問われている。鯖江市では北中山公民館のように周囲より1.5m程度嵩上げしてあったため鞍谷川(日野川-浅水川の支流)からの浸水を免れた公共施設もある。
「流域上流部の大半を占めている森林については、その洪水緩和機能が、中小洪水においては発揮されるものの、大洪水においては顕著な効果が期待できない」と指摘しているが、今回の豪雨における森林の役割については今後の検討課題といえる。
(2)「治水施設の信頼性の向上と治水事業の一層の効率化」としては、まず堤防が
「その機能を発揮されなければならない」。しかし、決壊の1時間半前には市街地の
堤防は決壊限界の計画水位10.2mをオーバーする10.36mとなっていた。堤
防高は10.6m(市街地・九十九橋)あるが、計画水位より上は土盛してあるだけ
の状態であり、どこで決壊してもおかしくない状況にあった(福井:7月20日)。
堤防を強化すべきとの意見があるが、家屋が連たんする市街地中心部において堤防の嵩上げは不可能といってよい。決壊した地点の「堤防」の評価については「洪水災害調査対策検討会」の調査を待つしかないが、今回の決壊により市街地での治水事業は袋小路に入ったといってよく、今後の対策は困難を極めることは間違いない。次に「治水事業の重点化」としての「ダム建設」があげられている。足羽川ではその支流の部子川(池田町)に足羽川ダムの建設が計画されている。しかし、もともと上流部は河川の全流域面積に対してダムが支配できる流域面積は小さいため、下流に発生する洪水の一部を貯留できるにすぎない(高橋裕編『水のはなしⅠ』)。しかも、その流域は今回の集中豪雨を受けた地域全てを含むものではなくかなりズレがある。仮にダムがあったとしても今回のような短時間の集中豪雨による水害が防げたかどうかは疑問としなければならない。
(3)「被害の最小化のためのソフト施策の実施」については、「都市域を中心に新たに居を構えた住民の多くは、自ら居住する周辺の土地が本来浸水被害が起こりやすい氾濫区域であるのか否かについて、十分な知識を有していないのが実情である」。
そこで、まず「わかりやすい防災情報の提供」としては、今回は足羽川が決壊するまで情報が伝わらなかったというのが実情のようである(「地元SOS届かず」福井:7月26日)。わかりやすいという点ではCATVとインターネットによる決壊箇所のライブ中継が行われた。しかし、ポイントの情報であり、浸水地域全体がどうなっているかは掴み切れない。また、福井市はインターネット上で浸水区域の区域名を流している。足羽川の河川情報としては決壊地点上流約8kmの福井市脇三ヶ町天神橋の水位図がインターネット上でリアルタイムに手に入る。こうしたポイントが市街地にもあり、CATVなどでも常時流されていれば情報の質も格段に高かったのではないかと思われる。
「浸水想定区域の公表」、「ハザードマップの作成と周知の支援」については、国交省が管理する九頭竜川・日野川部分の浸水想定区域図を2002年3月に策定しているだけであり、県の管理する足羽川についてはまだ策定されていない(国交省が1999年に作成した市街地の洪水氾濫シミュレーションはインターネット上で閲覧可能)。2001年に既に水防法が改正され作成の義務があるが対応は遅れている。7月20日付けの毎日新聞によるとハザードマップを作成している市町村は全国の3割にもならない。
「地下空間における浸水被害」については、今回、福井商工会議所ビル地階が水没し約6億円の被害となった。しかも、全ての電気設備等が地階に設置してあったため一時は電話も通じない状況に置かれた。これが足羽川右岸で決壊した場合、県庁、市役所、JR駅、商店街、地下駐車場等地下構造物を多数抱え甚大な被害が予想される。
また、携帯電話も中継機が水没するなどの弱点もある。
洪水に関わる情報の提供については、国交省の検討会が今年3月に作成した「的確な理解に繋がる洪水渇水の情報提供について」がより詳しい。河川や堤防の情報提供のあり方について、「水位は、住民にイメージしやすい橋の桁下等からの高さで表現」し、「堤防が周辺より低くなっていたり、流下を阻害するような橋梁等の重要な水防箇所について、その箇所での水位と、そこで発生するおそれのある氾濫などの現象とあわせて提供」するように求めており、今後の参考とはなる。また、居住地等の浸水情報についても、「被害の形態の違いにより住民の行動が切り替わることを念頭に、与えられた情報が住民のアラームに繋がるように、路面浸水、床下浸水、床上浸水等の浸水深さでランク分けを行い提供」するよう求めている
被災者が一番困るのは住居の問題である。今回福井県はいち早く住宅再建に向けての独自制度を打ち出した。内容は全壊400万円、半壊で200万円、一部損壊・床上浸水で最高50万円を補助するとしている。この他、義捐金で被災全世帯に一律2万円から10万円の一時金を設けた。全壊、一部損壊の住宅については被災者生活支援法による補助の上乗せとなる。住宅再建対策は早ければ早いほどよい。逆に言えば、被災者生活支援法の中身がとても住宅を再建できるほどのものではないということである。また、火災保険では風水害では最高300万円までの保障となっている。さらに、福井県は自動車社会といわれており、今回の災害でも多くの自動車が流失したり水につかったりした。1家で4台もの車が水につかったというところもある。しかし、車両保険に入っていない限り保障はない。
また、災害救助法の欠陥も浮き彫りになってきた。応援要請の費用負担を誰がするかということがネックとなっている。自治労福井県本部では7月24日・25日、災害により発生した半年分・1年分ともいわれる大量のゴミ処理のために大阪府をはじめ近隣11府県・82団体にゴミ収集車334台、応援要員987人を要請した。ゴミの処理は機械力を必要とし専門性も高い。被災者の疲労がピークに達した災害1週目での専門職員による支援はタイムリーなものであった。また両日に延べ1万8千人ものボランティアが被災地に入り泥出し作業をおこなったことにより福井市・鯖江市等の被災者はようやく日常的な生活を確保できることとなった。
河川法は1997年に大改正が行われ「河道主義からの脱却」へと大きな一歩を踏み出した。しかし、被害最小化のためのソフト対策をはじめ都市計画・災害救助法・保険制度等々各種の制度はまだこれについて行っていない。行政も住民の意識もまだ「河道主義」というハード優先の思想の中にある。琵琶湖博物館の嘉田由紀子氏は高橋裕氏との対談の中で「河のもつ危険な面と共存しているということを、私たちは忘れてきています。ここ数十年、行政は“堤防をつくれば安全です”と宣伝をしては堤防をつくり、住民は“それが完成したらもう安全なのだ”と信じました。しかし、これは行政と住民がお互いにつくってきた架空の安全神話のように思えてなりません。…“50年確率”よりも“100年確率”のほうが善であると判断してきました。…もしも100年に一度のことがおこるとしたら、50年に一度のことよりも社会としてはずっと危険です。」(『科学』1999年12月)と述べている。この1世紀の治水事業により河川を連続高堤防で囲い、氾濫原を開発してきた。開発すればするほど浸水を防がなければならないので豪雨時の河川への流出率は増加し災害の危険性は高まる。氾濫原の開発は土地所有権の全面的な自由化の過程でもあった。しかし、河川の氾濫原について土地利用の規制を行うとことは是非とも必要である。そのためには、浸水のおそれがある土地についてハザードマップにより情報を公開することが必要である。それによって地価が下がる地域もあろうし、土地所有者の理解もなかなか進まないこともあろう。しかし、これ以上無計画な土地所有権の全面自由化を進めることはできない。河川にももっと自由度を与える必要がある。
【出典】 アサート No.321 2004年8月21日