【雑感】  (大木 透)

【雑感】  (大木 透)

作家の辺見庸が新潟での講演中に脳卒中で倒れたらしい。その後の病状について報道がないのではっきりしないが、その原因のひとつに、彼の極度のストレスがあったであろうことは、世界3月号の彼の文章からもうかがい知ることができる★彼はピースパレードに参加したときの感想をこう書いている。「・・こんなデモ(主催者は、デモの語感は不穏だとでもいうのか、ことさらに『パレード』と称していた)に加わったこと自体、軽率にすぎた気さえしてくる。なぜそんなに平穏、従順、健全、秩序、陽気、慈しみ、無抵抗を衒わなくてはならないのだ。犬が仰向いて柔らかな腹を見せて、絶対に抗いません、どうぞご自由にしてください、と表明しているようではないか。」★彼のこうした気分は傍目にもよく分かる。こうした不満が次のステップを産み出し、より実効的な運動に発展するであろうことも。しかし、これはあくまでも可能性であって、組織する側の注意深いねばり強い努力を必要とする★これを読んで、私は、今、古色蒼然たる記憶のなかから、60年安保や70年安保のいわゆる大衆行動のプロセスのことを思い出している。フランス式デモという道路いっぱいに手をつないで行進するといった大きな盛り上がりが出現するまでの、あのじれったいような惨めな少人数の大衆行動のことを。思えば、この時、十数回にのぼる統一行動の後に、はじめて、大規模な、辺見の言う地が揺れるような運動が可能になったのである★敵の挑発に乗るな、こんな指示を繰り返す指揮者の叱正を聞きながら、もっと激しい行動をという気持ちを抑えるのにどんなに苦労したことか★時代は変わった。学生や労働者の価値観も変わった。内ゲバや火炎瓶闘争の繰り返しのもとで、街頭行動そのものへの失望感も広がった。そういうわけで、こんな歴史に学ぶことはなにひとつなくなっていることも事実だ★しかし、突飛な言いようだが、当時もそうであったように、人々は、身近な生活に直結する要求や不満をないがしろにしたままで、政治的な大衆行動になかなか立ち上がらないということである。そうした考え方に対して、「経済主義だ」、「ドレフェス事件を見よ」、などという批判がなされたものだが、最近では、イデオロギー忌避のためか、政治と経済が一体のものであることが、当然のことのように、忘れ去られてしまっている。むしろ、為政者の方がこのことをよく知っていて、政治と経済の両面で、じりじりと締めつけを強めてきているのだ★昔はどうだったかというと、正直言って、今よりも、経済闘争は活発だったし労働組合もしっかりしていたと思う。そういった土台があって、はじめて、安保闘争は大きな盛り上がりを見せたのだと思う。労働者がストライキで運動に参加するということが、どんなに大きな励みになったことか。当時、学生であった私は、このことをはっきり覚えている★辺見は直接このことには触れていないが、今日の学生や青年の置かれた状態は、当時よりもひどいものだ。数百万人のフリーター、リストラの危機に怯えるサラリーマン・労働者。実際、彼らにはデモやパレードに参加する余裕はないのではないか★こういった点で、日本は、最近のイタリアの年金をめぐるゼネストをあげるまでもなく、ヨーロッパとまったく異なると言わざるをえない。同じ「新しい社会運動」の形をとるにしても、その根底において、日本には欠けたものがある。古くて新しい問題であるが、政党による直接民主主義の軽視、労働組合の無力化が日本の特徴であると思う。今さら、政党や労働組合の指導者を責めても始まらない気もするが、ちょっとは苦言を呈すべきであろう★こうした辺見の焦燥感を「性急な批判」と呼んで、今、行われているような散発的なピースパレードなどの運動をもっと大きなものに育てていく努力が必要だと説くものもいる。(3月18日付け朝日新聞夕刊の千葉真の論評など)また、世界4月号の読者談話室に寄せられている、主催者らしい運動参加者からの厳しい辺見批判もある。しかし、いずれにせよ、辺見も批判者も運動の盛り上がりを期しているのであって、それぞれの想いは認め合うべきものであろう。昔なら、辺見は「トロツキスト」であり、批判者は「代々木」と呼ばれたであろうが、もう誰もそんなことを言い出しはすまい★日本ペンクラブが緊急出版した「それでも私は戦争に反対します。」(平凡社)のなかで、学生運動を闘ったことのある歌人の道浦母都子が次のように歌っている。「ぼたぼたと里桜落ち戦前派戦後派失せてがらんどうの日本」と。なんともやりきれない歌だが、戦前派はともかく、今日の日本を運営しているのは、良くも悪くも、戦後派と「がらんどう」の時空の住人たちなのだから、この顔の見えない人々のこと思い、我何処にありやと思うとき、共感と反発、相半ばするやりきれなさが、一層つのってくる。(3月26日)

【出典】 アサート No.317 2004年4月24日

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